03/01/30 Thu. 「熱意」 |
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そりゃ新婚ですからね、奥さんの入浴シーンを覗いたりもしますよデヘヘ…。
違うんですよ、奴はですね、風呂の中で寝やがるんですよ。いつまで経っても出てこないもんですから、心配になって様子を見に行くと浴槽の中で熟睡してる。それも1時間も2時間も。さっき起こしに行った時間なんて、もう夜中の2時過ぎですよ。そりゃーしんどくもなるわい。まぁ今日は、最近持ち帰って連日夜中まで(朝まで)やってた仕事がひと段落したらしいので、のんびりさせてあげようと思ってはみたんですけどね。癒すはずのお風呂で逆に疲れちまったらどうしようもないっちゅうに。 晩御飯にはお肉を焼いてあげて、ゆっくりする時間の出来た食後にはゲームをやらせてあげたのでした。子供の頃は弟とテレビゲームの順番を競い合ったもんですが、今はどちらかと言うと、自分がやってるよりも、ゆうこがやっている姿を見ている方が楽しいです。不慣れな操作の仕方なんかが新鮮なんですよ、その姿に癒されております。 === 比較的ルータに近い位置で使うノートパソコンが無線LANで、ルータから一番遠い位置にあるデスクトップには有線のLANケーブルが繋がれているという、本来無線で得られるはずのメリットを享受しきれていないばた家@新婚生活であります。台所にルータがあって、途中の居間をケーブルが突っ切って、その奥の和室のデスクトップに繋がるという構成。うわ、ケーブルめっちゃ邪魔。 おかげで、デスクトップの利用頻度はかなり落ちており、「使うときだけ配線をする」という大変面倒な状況になっています。なんとかならんか。 === テレビの見られるPCG-C1MZXはカメラもついてるからweb中継するのにも使えるし面白いよなー、でもドライブは別売りなんだよなー、と言ってみたりWEB-MARTオリジナル仕様のLOOX T93CNはUSB2.0にも対応している他、なんとDVDマルチドライブだぜおいすごいじゃねぇか! と悩んでみたりしている今日この頃です。どっちかというと、次もやっぱりLOOXか。あぁでもC1も捨てがたいっ。 …と、失業してますますお金がなくなる家計のことを考えることもなく相変わらず物欲大魔王でいられる自分が可愛くって仕方ありません。こういうことにワクワク出来る自分なのですよ、ストレス発散みたいなもんです。 「買わんぞ、おいこら」 こういうことをホームページに書くとですね、いつも決まって会社の昼休みにこのページを読むゆうこさんからメール、または帰宅してからダメ出しがあるのです。あは、あはは。どうやって説得しようかなー、と、そういうこと考えるあたりもまた、なかなか楽しかったりしますよねー。これぞ男のロマン。 === @ここから、熱い熱い(笑) 何かを成し遂げようとする時に、リスクを考えるのは当然です。でもね、リスクが完全にゼロになってからスタートしてたんじゃぁいつまでも動き出せない。だってそんな「絶対」なんて有り得ないですもん。僕はね、この年になっても夢や憧れを語るのが大好きなんですが、それに共感してくれる人とお話してる時は本当に充実した気持ちになれます。「いざとなったらこういう道があるから…」と自分の逃げる道を用意しておきながら、リスクをとる話をしたところで、それは全く真剣さが足らないというもんです。 叶うかどうかはわかりませんが、僕の抱く大志とは、生半可なもんじゃないです。やるんなら覚悟がいることだし、帰る道はないつもりでやらなきゃダメなことです。苦難もあるだろうし、いざその道を歩み始めたら、これまでのプライドなんて捨てて頭を下げまくることも覚悟しなければなりません。それだけの覚悟と準備をしてから臨んでいきたいと思っているし、これからは、そういう「当たり前」を理解出来る人にだけ、自分の考えを明らかにしていければと思っています。 この年になったら、いろんな考え方をし始める人間が出てきます。たとえば独立したいって奴もいるでしょう。自分にもそういう気持ちはあります。もし仮に独立するのであれば、知識や資金といったものが必要であることは当然として、それ以外にも人脈や新たなパイプを築いていけるだけの営業力も必要です。言葉で言うには簡単ですが、人とのつながりを新しく構築していくことは本当に大変なことです。その覚悟が出来てるかいるのかどうか。
「実はさー、俺独立考えてるねんけど一緒にやらへん?」 そこで返って来る答えの大半は「なんぼ給料くれるん?」。で、こういう答え方をする人とは自分は(やっぱり当然のように)会話が合わない。どんな仕事をしているにせよ、自分がどうやって「稼いでいるのか」というコスト意識が持てない人とは、仕事の話をしていても全然面白くないんですよね。別にね、そういう考え方を否定するわけじゃないですよ、ただ自分が嫌いなだけ。なんかね、どうしても体制に依存したような生き方をしてるのって、つまらないと思うんですよね。プライド捨ててでも貰える生活がしたいなら、誰でも公務員目指すんだろうけれど、自分は犬になってまで生きていきたいとは思わない。経済活動に参与出来ていると自信を持って言える自分でありたいと思うからこそ、仕事にしても将来のことにしても、色々と真剣に考えるんですよ。どーんな職種であってもいい、どーんな業種であってもいい、だけれども、少なくとも自分が手にしたお金が「労働の対価」だなんてヌルイ考え方をするのではなく、「稼いだものである」とそう思えるだけのプライドを持っていたい。搾取して、与えられたようなもので満足するような、そんなせせこましい生き方だけは絶対にしたくないのです。
そしてこのパラメータが回復してきたところで「自分には守るべきものがある」という要素を添加してみるわけです。すると気持ちがぴしっと締まります。仕事を辞める、という意志表示をしたことによって、自分の中でも相当な覚悟が固まったからこそ、(まぁ深くは考えちゃいるんですが)前向きな気持ちを維持出来てるよなぁって思います。なかなかないですよ、こういう機会って。自分との対話。自分を観察するってこと。 === ほいでもまぁ「こういう熱い思いを語りたいからこそ、新しいパソコンが必要なんや!」という口実を用意しようとしている自分は単純馬鹿だなぁと思わないわけでもないですが(^^;。 横で寝息を立てるゆうこ。時には「パソコン買ってもいい?」と甘えてみたり、時には「こいつのためにも頑張らなくては」と勇気を奮い立たせる存在でいてくれたり。人はやっぱり一人では生きて行けないと思うのですが、どんな未来があるにせよ、僕は愛を重んじる人間でありたいなぁというのも、これまた不変の信条であることには間違いないでしょう。くさいことを百も承知で言えば、愛を求めることは何ら恥ずかしいことでもなく当然のことで、愛に応えることもまた、人間だからこそ出来る最大の尊重を必要とする素晴らしい行為です。どんなに素晴らしい知識や財産があったとしても、愛を尊重出来ない人のところからは、最後には人は必ず離れていきます。人がいなくては何も出来ないこの世の中の常であるからこそ、まずは誰かを一生懸命愛しなさいと、神父のように語ってみたところで本日はこんなところで。
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03/01/29 Wed. 「地元」 |
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「ここならいいなぁ…」と強く願っていたところがあったのだけれど、全て全てが理想どおりいくわけでもない。悔しいなぁ。 === いよいよ明石でも高校入試の総合選抜制度をなくそうではないか…という動きが本格的になってきてるんですけどね。明石の市役所の人間って、総合選抜制度の弊害を知ってるものだから、自分たちの住居をわざわざ市外に移す人がすごく多いんですよ。こういう考え方する人間がいるから、教育改革や行政改革なんてのは遅々として進まないんではないんでしょうか。そもそも、市の人間は市内からのみ採用するようにしてもらわにゃイカンと思うのですが。あと、たばこなんかもそうですね、あれもどうせ買うなら地元で買うようにして頂きたい。地元の歳入が増える仕組みを単純なところから作ってもらわんと、どうも納得いかんと思うのであります。 今度の明石市長選で立候補する方の中には、行政のサービス革命として土日や夜間の窓口開放などを公約として掲げていらっしゃる方もいますが、本来こんなの、言われなくてもやってて当たり前のことだと思うんですよ。それが出来てない行政なんて、ほんとーに意味のない存在。自分はそういう存在にどうしても敵対心を抱いてしまいます。嫌いなんだぁ、あぁいうヌルイの。 === 次の仕事のことについて、激しく悩み続ける毎日です。 個人を対象とした、「点」ではない「線」として付き合いの出来る仕事がいいなぁと思っています。塾の先生もずっと勉強を教えてきたこともあっていいなぁと思うのですが、生活が不規則になりがちなことと、現場で働かれている方の率直な思いなどを聞くと、どうしても踏ん切りがつきません。今週末にも、二次面接に来て欲しいと言われていたりもするのですが…。 どんな仕事を選ぶのであれ、自分にも周囲にも厳しくなれる環境を選びたいと思っています。いつも言うような、堕落したヌルイ生き方だけは選びたくないな、と。それはね、自分の信条なのですよ。
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03/01/28 Tue. 「洞察」 |
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今の会社を辞めることが決まった以上、次の道を考えねばならない。 就職難…と言われてはいるけれど、ワガママさえ言わなければ今の年齢ならばそう苦労することなく次の新しい道を見つけることも出来る。今までにも実は、地元明石にあるIT関連の会社や保険関連の会社、姫路にある塾の講師などから内定を貰ったり誘いを貰ったりしていて、「お世話になります」の一言を告げれば、(多分)すぐにでも採用はして貰えることになるんだろう。保留したり辞退したりするのだけれど、それでも「その気になったら…」と待って頂いている相手もいて、自分はそういう点では恵まれていると思う(書けないけれど、他にもいくつか同じような話がある)。 しかし、だ。自分が勤め人となって今日まで、色々体感してきた『イイことや嫌なこと』を考慮して考えると、こんなにも簡単に次を選んでしまっていいのだろうか、また次でも同じように嫌な事が繰り返されて自分の経歴が汚れていくばかりになるのではないか…という不安な気持ちも生じる。選択肢がなければきっと贅沢を言うことなく、与えられるままに「是非お願いします」と頭下げてたところなんだろうが、このあたりが自分の謙虚になりきれないところだ。煽てられて、 中途半端な自信を持ってしまうところ。これが欠点だなぁ…とは思うものの、自分の芯にそれがプライドとして存在する以上、やっぱり無視も出来ない部分なのだ。 上司が、カラスが白いと言ったらあなたは何と答えますか? バカじゃないですか? ・・・まちがいなく、きっとそう言う。だから自分は勤め人には向かないと思うし、人からも良くそう言われる。だけれども、そんな誘いはあるもんだからますます調子に乗ってしまう。いつか手のひら返されたら、自分なんてもう、自殺の名所にまっしぐらってなことになってしまうんじゃないだろうか。ほんとに、どこか謙虚になる折り合いを見つけなければ、いつまでもこの問題は解決しそうにないよ…。 === 【人を見る目】にも自信がなくなってきている。 この人ならば…と思って信じてきた人に裏切られることが(あるいはガッカリさせられることが)最近多くなってきたのだ。そんなことが続いて、もうすっかり自分は何を信じていいのかわからなくなってきてしまっている。上の話とかぶるけれど、今までに声をかけて頂いた会社の方の中には、やっぱり自分が「魅力的だなぁ」と思う方が何人かいて、いつかそんなお仕事に携わることが出来ればと夢見ていたこともあったのだけれど、数年数ヶ月もしない内に経営が苦しくなって夜逃げをしてしまったり、人に愛想を尽かされて会社の内容がメチャクチャになってしまっていたりと、やっぱりこう「理想が先行して現実が伴わない人」が多かったのだ。そこで自分がその話に乗らなかったから、今なんとか安定を図れているのだけれど、だけどこれから先、自分が魅力を感じて身を投じた会社や世界でも、もしかしたら同じような悲惨な結末が待っているのではないか、、、という、体験的な事実から予想される不吉な未来が待っているようで、どうしても次の一歩を踏み出すことに躊躇してしまうのだ。 やってみなけりゃわからんでしょ、、、という言われ方をするのも、なんだか他人事のように聞こえるから拒否してしまう自分がいて、ますます自分を追い込んでしまっている。アホです。ふーむ、こんなアホでも良かったら、どなたかスカウトしてやってください(おらん)。 === さて、話は続く。 人を見る目がなかった… これは要するに、誰彼という対象に対して「こういう人だと思っていたけれど、実はこうだったんだ。あーガッカリ」ということなんだけれど、責めるのはね、その相手に対してではなく、自分になんですよ。わかりますかね? 「あー、あいつ、あんな奴だったんだー。ガッカリ。腹立つなぁ、ばかたれめ」と思えてる内はまだいいんです。これがね、何度か続くと「あー、まただよ。またガッカリさせられちまったよ。俺って、どうしてこんなに人を見る目ないんだろう」と、次第にね、自分を責めるようになるんですよ。こうなるとね、もうね、完全にね。 鬱 ですよ。一日に何度ため息ついてるんだろうっていうくらいブルーになります。人の期待に添えない人が悪いんじゃなくて、そういう人の本質を見抜けなかった自分が悪いってことになってしまって、そうなると人間不信がどんどん加速します。えぇい、えぇい、もうええわい、全部自分でやるから、もう誰も俺に関わるなよー、とかってね。そうなりません?(ならない?) なんぞね、楽しいことでもないとやってらんないですよ。
だからね、来月北海道行くんですよ。てへ。 === 段落が進む毎に語尾が変わるあたり、ノリで書いていることをお察しいただければ。 食べまくるぞ北海道(勢いだけでごめんなちゃい)。
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03/01/27 Mon. 「能動」 |
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最近三宮のジョーシンに「鉄道模型」のコーナーが出来た。知る人ぞ知る鉄道ファン、そして鉄道模型ファンであるばたが、そのコーナーを愛してやまないことは言わずもがなである。そんな鉄ちゃんばたが金曜日にこのコーナーを訪れたところ、鉄道模型コーナー専属と思われる店員さんが、後輩店員さんに接客指導をしているところであった。 「いいかい、電車って言ったらダメなんだよ。鉄道と言わなくちゃ」 苦笑いをする後輩店員さん。 言ってることは確かに正しいんだけれど、大多数の普通の人にとっちゃぁ「どうでもいいこと」なのだろう。しかしそれに妥協を許さないこと、これぞマニアの世界である。さすがの自分も笑ってしまった。ここまでこだわらないでもいいのではないか? そう思い、帰宅してからゆうこにそのことを話すと 「やっちゃんも、同じこといつも言うてるやん」 と言われてしまう。人は、なかなか自分の姿には気づかないものであるのだと思い知らされた。ぎゃふん。 === 洗濯機を必死の思いで持ち上げる金曜深夜。どうにか排水管を分解して、その詰まりの原因は取り除けた。問題は、再び洗濯機を元の位置に戻す作業である。詳しい説明は省くが、洗濯機の重心が上手く元の台座の位置に収まらず、何度挑戦しても台座の板がベコンと曲がってしまうのだ。いいかげん疲れ果てた頃に、持ち上げ方の工夫をすることでどうにか全て元通りになってくれたものの、これからはマメに洗濯機のフィルターの掃除をして、二度と詰らせることがないよう用心しようと思った。
教訓1:乾燥機能つきの洗濯機はやたらと綿ぼこりを排出する。 === 日曜日の晩御飯作りを担当。自分で綺麗に掃除した台所で料理を作るのは楽しい。
本日のメニューは「ぶたとキムチのコラボレーション 「うん、おいしいよ!」
わーい、この笑顔が嬉しい。 今度は何を作るかなー。 そして食べ終わった後、台所を掃除。ピカピカに磨き上げて美しくなった様を一日の終わりに見ると、すごく気持ちがスッキリする。この爽快感が明日のレシピ探索への意欲を沸き立たせるのだ。最近PDAを買って、それにレシピをまとめていきたいなぁという野望にとりつかれている。買っていいですかゆうこさん。 === 純粋に想い、花を咲かせようとする、人を愛する気持ち。 結婚して余裕の出来た立場だから…と言うと偉そうな気もするけれど、今幸せだと言える自分の立場だからこそ、そういう気持ちを持ち続けている人は応援したいと思う。それが身近な人であればあるほど、だ。一方、そんな気持ちに対して、配慮のない言葉や態度で芽を摘み、涙で花を枯らせようとする邪悪なものに対しては、僕は心から憎悪を覚える。 人に愛される事の大きさを知らなければ、自分から放たれる輝きもいつか色褪せて、何も信じて貰えない人間になってしまうのではないだろうか。何を失ったとしても、愛してくれる確かな対象がいれば、自分の存在・居場所は唯一守られる。どれだけ大きなことだろう、地位や名誉や財産に関わらず、自分の本質を愛し、自分を必要としてくれることは。
痛みを知らず、事の大きさを知ることが出来ない人は、いつか渇いてしまうことだろう。 僕はやっぱり、傷ついた涙を見るほど辛いことはなくて、それを回避するためには一生懸命だけれど、最悪それに至ってしまった場合は、誰某に対する気持ちの不等号で付き合い方を考え選ぶようになる。最後には、居心地のいい人にそばにいて欲しいからだ。
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03/01/24 Fri. 「排水」 |
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何度スタートしても、途中で止まってしまいエラー画面を表示する洗濯機。買ったばかりで故障ということはあるまい…と、ごそごそと説明書を取り出して読んでいると、どうやら「C4」と表示されるこのエラーの原因は排水が行われないことによるものらしい。手入れはきちんとしていたつもりだけれど、さらに説明書を読み進めると、洗濯のたびに掃除しないといけないフィルターがさらに内部にあることが判明(上のほうにあるフィルターは毎回掃除していた)。そのフィルターを取り出してみると、ものすごい量の綿ぼこりで一杯になっていた。ここでほこりの吸着が行われず排水管に流れ込んでしまってしまったのだろうか。えらいこっちゃである。 冷たい床に身体を横たえて洗濯機の下の排水管とのジョイント部分を覗き込む。さらにその部分を手でぐにょぐにょと触っていると突然、 ゴボッ という音と共に大量の水が溢れ出してきたのだ!! うわ、ジョイント部分をはずしてしまったぁ〜。 あわててゆうこを呼び、洗面器などで水を受け止めようとはするものの、その勢いには勝てず、結局玄関のあたりまで床一面、水浸しにしてしまった。ひぃぃ、この時夜中の1時頃である。寒々とした空気の中、(横たわっていたせいで)身体中が水まみれになった自分の姿はあまりにみじめだ。しくしく。それに、これで排水の詰まりが解消されていれば良かったのだが、事態は一向に変わらず、どうやら本格的に洗濯機を移動して排水管の様子を見るか、あるいは専門の業者に来て貰うしかないらしい(ネットで調べてみたら、7000円から20000円くらいが作業価格らしい!)。長年住んできた家で、その排水管の詰まりも完全に自分たちのものであるというならばまだ納得出来る。だがしかし、実際に生活を始めてまだ2ヶ月にも満たない部屋で「蓄積したごみが詰って…」と言われて2万円近い金額を支払うのはどうしても納得いかない。それは前の住人、あるいはその前の住人たちによって継承蓄積されてきたものが、ようやく今ごろになって表面化してきただけに過ぎないかもしれないからだ。 こりゃ自分たちでなんとかするしかないぜ…。 うちの洗濯の排水の仕組みは、まぁこれに似ているんではないかと思う。このあたりの排水管の詰まりを解消するための薬品は3000円近いのが市場の平均らしいので、まずはとりあえず分解するところから始めて、状況を改善させる術を考えてみようではないか。 === …と、洗濯機との格闘をこうして日記で綴れる自分は「能天気な奴」ですね。くだらないことを行間の詰った雰囲気で書き上げると、これほどくだらない馬鹿らしいことはないと思う。「日記を読んでると悲壮感漂ってて辛そうだねぇ…」なんて周囲には言われつつ、時折こうして「おばかちゃん」な自分を露出出来ることがある種快楽なのだ。こうして露出狂人間というのは形成されていくのかもしれない(違うだろう)。 日記(にもなってないけど)ってのは、その日の出来事を時系列に書き綴るものであってもいいし、その日その時の一番関心の強かったこと、思ったことを書き綴ってもいい。自分の場合、後者が続く場合は継続的な「悩み」がある場合で、前者の時期は比較的のほほんとした生き方をしていることが多い。もっとも、悩みといっても、四六時中ずっとうんうんと唸りながら悩んでいるわけではない。一日24時間、その時間を10とした場合、悩みに気持ちが向けられる時間なんてものは、ほんの1か2程度のものだ。残りの8や9の部分は、いつもと変わらない「のほほん」とした生き方をしている。悩みがある時期は、その「のほほん」とした部分を書く気持ちになれず、必然的に1や2の自分を表面化させることになってしまうので、僕の日記からは、どうしても「難しい人間だ」という印象を読み手に与えているのかもしれない。基本はね、人前で喋ったりモノマネしたりして笑わせるのが好きな典型的な大阪人間ですので、そのあたりをね、改めて感じていただければ、と(考えすぎか)。 === 抱えていた悩みを一つ、はっきりとした言葉で日記で綴ったことで気持ちは幾らか楽になったんですが、その詰まりが取れたら今度は洗濯機の詰まりです。ほんとにまったく、読んで頂いている皆様には「つまらない」内容でどうも申し訳ありません。
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03/01/23 Thu. 「表明」 |
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電車の中で若い女性二人が会話をしています。 「髪切りたいねんけどなー、成人式もあるし今切られへんよなぁ」 ?? はて。成人式は終わったばかりなのに…と思って良く聞いていると、どうやら彼女は来年の1月に成人式を迎えるそうで。うわわ、女の人って一年も前から髪の長さのこと気にして美容院とか行ったりしてるんですね。大変ですご苦労様です。 ちなみに、髪の毛嫌いのばたは二ヶ月に一度は散髪に行って「一番薄く刈り上げてください」とお願いしています。この刈り上げ部分のじょりじょりがなくなってきたら、それは僕にはもう、超ろんげ状態。鬱陶しいったらありゃしない。眉毛と睫毛以外の体毛は、全て鬱陶しいのです。髭も永久脱毛してしまいたい。 === 晩御飯を作ってみました。から揚げとほうれん草の炒め物。揚げ物したのって初めてだったんで、事前に母親に電話して作り方を良く聞いた上で挑戦してみました。見てくれは悪かったですが、喜んで食べて貰えて嬉しかったのでありました。まぁまぁ美味しかったんではないでしょうか。料理というか、台所に立つのがちょっと楽しくて、明日の晩御飯のレシピもすでに頭の中にインプット済なのであります。料理作って食べて貰って、そして台所を綺麗に掃除して、その勢いでトイレ掃除もして最後にお風呂に入るという、この一日のリズムがお気に入り。食べて満足して、掃除して綺麗になって、風呂入ってさっぱりして、そして寝る。最高。家事はやってみると楽しいもんです。 === 会社に、辞意を伝えました。 結婚したばっかりなのに…と言われそうですが、生活を守るためだけにプライドを捨ててまで会社に居座ることは、やっぱり自分には出来そうにありません。仕事にも生活にも、生きていくこと、誇りを持って取り組みたいというのが自分の信念です。甘くてぬるい環境に慣れてしまっては、それ以上自分の成長は見込めません。 この決断について悩んではいたのですが意思表示を行って、少し気持ちが軽くなりました。後ろ向きじゃないですよ、かなり前向きです。前に何もないということに不安がないと言えば嘘になりますが、それはこれから手探りです。かけていただく声もありますが、甘えるんじゃなくて、先々の理想を見据えながら今の自分がどうすべきかを考えていきたいと思ってます。理想論かもしれないんですけどね、理解してくれる人がそばにいてくれるからこそ出来ることなのかもしれません。
詳細は決まっちゃいないんですが、記すべき第一弾ということで。
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03/01/22 Wed. 「軌跡」 |
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学校を卒業してから、とにかく字を書かなくなった。たまに字を書いてみても大変乱雑で、昔はもうちょっと"こまし"だったはずなんだけど…と思わずにはいられない。また簡単な漢字も書けなくなっているのだから驚く(もっとも、漢字は元々苦手なんだけれど)。たとえば「澤」「締」「樺」などなど、この程度の漢字が思い出せなくてついつい人に聞いてしまうということが最近でもあった。コンピュータやネットワークの飛躍的な進歩で、情報収集量は昔とは比較にならないほど増えたのだろうけれど、案外「賢くなった」と錯覚しているだけで、実際はかなり頭が弱くなっているのかもしれないなぁ…。 脳みそは使ってなんぼ、ですなぁ。 === 自分には馴染まなくていつも嫌な思いをしてきたのが「工数」という言葉であるということは、何度も書いてきました通りです。このページをいつもお読み頂いている方にエンジニアの方が多いことを考慮すれば、あんまり触れるべき話題じゃないかもしれないんですけど、その主体的な考え方を優先するが故に自分が非難ばっかりされるのも辛いんで、ついつい愚痴ってしまうのです。 工数の話してる時に、一番納得いかないのが「予備として何日」「余裕を見て何日」「その分の知識をまず仕入れるのに何日」という内容の会話が行われること。余裕を見るんはこっちの勝手で、その分の工数まで費用に計上してたらお客さんはたまったもんじゃない。知識だって、その人の努力如何でいくらでも吸収出来るわけで…。まぁぶっちゃけた話ですよ、「能力のない人がのんびり仕事すればするほど、お客さんには高いお金を請求する形になる」というこの業界の仕組みが腹立つんですよ。「それを何とかするのが営業努力」って奴なんでしょうが、安けりゃ社内でそっぽ向かれ、高けりゃ取引先から信用をなくすという、そういう苛立ちを感じていらっしゃる同業の方はきっと多いと思うんですね。 そんな風に考えると、こういう種の仕事は「外を向く人」と「中で作業する人」の絶対的な信頼関係ってのが必要なんだなーってわかりますね。自分に限らず、同じように愚痴ってる話の人を聞いていると、やっぱりどこかで「外を向く人は中にいる人を駒扱いし」「中にいる人は外を向く人を馬鹿にしている」というような関係が推察されますもん。これじゃうまくいくわけないし、楽しいわけがない。 経済状況が悪化を辿る中、個々の能力を向上が益々求められるようにはなってきますが、組織に属する限りはその「信頼関係」が何よりも大切。これは、こういう仕事をするようになって、ほんとに強く感じるようになりました。勉強になりました。だからといってね、大切な家庭やプライベートを犠牲にしてまでの飲みニュケーションなんてものを肯定する気はないんですよ。あんなぬるい人間関係も自分は正直嫌いだし鬱陶しい(時間の無駄だと思う)。一人一人がね、どうやったらもっと仕事に活かす信頼関係を構築していけるか、それを考えるべきだなぁと思うんですね。難しいんですけど。どうすりゃいいんだって言われそうですけど。 人を惹きつける魅力を持つ人間になりたいし、また、そういう魅力を持った方から何かを学んでいきいものです。 === 新しい何か、ですよ。今からここから。 久しぶりに字を書きながら、ふとそんなことを思いました。
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03/01/21 Tue. 「情景」 |
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リンクのページを更新しました(まーさんとよんさんのページのリンク先修正) === こちらの雑誌に毎月登場していることは、恥ずかしげもなく書きまくっているせいで様々な方に認知されてきたようだ。内容について細かくツッコミを入れられると困るのだが、それでも気分が悪いもんでもない(ゆうこは嫌がっているようだけれども)。 一緒に紙面に登場している方や編集部の方と、ccメールのやりとりでお互いの意見を交わし、それを編集の方がまとめて掲載するというのが毎月の流れになっている。語られるテーマは勿論「お金」が中心であるものの、そこから不動産購入や結婚観、仕事の話題など、人生の様々なイベントについて話が広がることが多く、紙面に掲載されている文章量に対して、実際にやりとりされているその実際の文量はかなりのものになる。話題の中で、人それぞれの考え方・人生観、また波乱に満ちた人生そのものを知ることもあり、考えさせられることは非常に多い。自分自身はと言うと、これから先の制度改革や法改正によって今の世の中の就業スタイルは大きく変化していくであろうに、その事実さえ知らず、悠々と生きている人が多いことに危機感や苛立ちを覚えている…といったような立場だ。他の参加者ほど振り返る時間はまだそれほど多くはなく、どちらかといえばこれから未来に対する不安や悩みを綴っているということが多いのかもしれない。
壮絶な過去の歴史を振り返ってはため息をこぼす人もいる。闇の未来を憂いてはため息をこぼす人もいる。 === 浴槽(風呂)を洗ったりトイレを洗ったり、あるいは食器の洗いものをしたり…。 そういった家事作業は、自分が率先してやるようにしている。分担を決めたわけではないけれど、約2ヶ月近く一緒に生活していきて自然とそういう役割が出来てきたのだ。ただそれは、「疲れてる奥さんのためにしてあげよう」という類の優しさから来るものではない。わりと潔癖症なところがあるので、こういった作業はゆうこには任せていられない…というのが本音なのだ。実際昨夜ゆうこが洗ってくれたコップを使おうとした時に、僕は(無意識ではあったんだけど)コップの底まで綺麗に洗われているかどうか、良く確認してから使っていたことに気がついて、思わず苦笑してしまった。洗い物を始めとするこういった作業は、デリケートな仕事だけれど、完璧を目指そうと思ったら最終的には力仕事になってしまう。力のない女の子がやるよりは、それは男が黙ってやるべきもんだと自分は考えている。 台所が綺麗だと気持ちがいい。綺麗に片付けてあげて、そこで奥さんが自分の好きなお菓子作りやパン作りにトライする。その絵がすごく好き。 ===
今日は久しぶりに頭が冴えた。 さてどんな結果になることだろう。
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03/01/20 Mon. 「約束」 |
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@胸の内を書き記す センター試験が終わった学生たちを乗せたバスを見た。ぎゅうぎゅうに押し込まれて、漏らすため息か安堵の呼吸か、窓はすっかり曇ってしまっている。同じバスに乗り合わせたこの子たちみんなの人生はそれぞれで、夢も色々なのだろうなぁと瞬時に思う。自分が受験生だった頃は、いったいどんな未来を思い描いていたのだろうか。今になっては思い出すことも容易ではない時間を回顧する。 その頃を一つのスタート地点とする。いくつかの分岐点があって選びながらここまでやってきた。どこか一つでも違っていればもっと不幸だったかもしれない、もっと幸せだったかもしれない。いい時と悪い時と、うねりのような時間が繰り返されるのだということは体験的に理解出来るようになってきた。ただそのうねりとは対外的なものであって、内面的には(本質的には)まったく変化していない、あるいはうねりとは同期しないものであり、陥ると、深く悩む。 やっぱりというか良かったというか、自分を評価してくれる声に多少の自信を取り戻せた。このタイミングでその声がかかることは有難いと思う。ただそれは、新たな悩みの始まりでもある。聞く人が聞けば、きっと贅沢な悩みであると言うに違いない。今、僕の理想には「家族」という大きなテーマがあって、順序としてはそれが一番大切であると主張したにも関わらず、彼らは僕を認めてくれた。そういう人たちと取組みたいと思うこともある、反面、家にいて安らぐ時間を思うと、それが削られることに胸も痛む。理想を理解してくれてはいても、現実のスタイルとしてそれを許容されない世界。ならば2人でやってみてはどうか、という意外な発想に「あぁそれはありかも」と思った。行き着きたい夢は「2人で」というところにある。いいかもしれないいいのではないか、自問自答しながら、しかし、今すぐそれを2人でやることにリスクも考えずにはおれない。2人でいることが甘えになってしまってもいけない、また、言い訳になってもいけない。生きていかなくてはならない、そのための手段として、僕らはそれを本気でやっていくつもりがあるのか。実現出来るのか。 とにもかくにも。
抱えていた悩みを口にして、理想を語って評価もして貰えて。 先に進もうとしてるな、そういう自分を意識出来ることがずっと苦しんだことから解放されつつあるようで、そうだな。気持ちとしては、もうすぐで受験が終わる受験生の心境に多少似ているのかもしれない。自由だぞ、それを思って。
未来の自分はいったい何をしているんだろうかと、今はやっぱり、時々心が震え始める。 === @約束って何だろう? 信頼やら愛情やら、抽象的なものを成立させていく一番大切な気持ちは「誠意」だと思う。誠意こそ抽象の象徴かもしれないけれども。相手から何が伝わるか、いや直接伝わらなくてもいい、そのアプローチの仕方一つでも受け取る側の印象は様々だ。僕は決して優しい人間ではなく失言も多いのだけれど、それでも一応、何か相手に伝える時はその気持ちを汲み取りながら、最大限の配慮を含んだメッセージを組み立てて、語るようにしている。
ただそれだけでいい。それだけのことだ。 でも、そんなに簡単なことでさえ組み立て方を間違えてしまうと、相手の気持ちを大きく傷つける武器になるのだということも知らなければいけない。図太い人もいるだろうしたやすく壊れてしまう人もいる。神経質な毎日の語り事をみればお察し頂ける通り、僕という人間は、身体の大きさとは対照的に、過度に神経質なところがある。被害妄想が強いという人もいて、まさにそれはその通りだな、と思ったこともある。傷つきやすい人間のくせして、自分の一番脆い部分を対外的に晒しているものだから妄想は益々激しくなるのだ。
約束? 信用? 距離? 宣誓? 順序が違っていたといえばただそれだけのことかもしれないけれど、心の弱さをとりあえずの言い訳にさせてもらうとして、今の僕の胸中にはそんなクエスチョンマークがいくつも浮かんできて、そしてそれらが重みを増して心を圧迫している。結果的には、不信感が募る。簡単に済まちゃいけないことだと思うし何よりも、それは事後でいいことなのだろうか、というそもそもの疑問もある。
どうしてこうしてくれなかったのかと、今は悔しい気持ちでいっぱいである。 あるショックな出来事を受けて。心、書き記す。
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03/01/17 Fri. 「特製」 |
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帰りの電車の中で、ふっと「そうだ今日の晩御飯は"うどんお好み一口サイズ風"を作ってみよー」と思い立ち、近所の夜中まで空いているスーパーに向かったのであった。豚肉を買って、うどん玉を買って…。あ、うどんが3玉で99円って書いてある。必要なのは2玉なんだけど。 …小心者。結局3玉買ってしまう。それ以外の分量は2玉分で考えているというのに。 案の定、大失敗に終わった。やたらめったらうどんの量が多く、とてもじゃないが綺麗に焼けやしない。醤油で味付けしたら焦げてしまうし、しかもうどんがめちゃくちゃ多いにも関わらずそれはあくまで「おかず」なのであって、きちんとご飯も炊いてあったのだった。ご飯のおかずにてんこもりのうどん(お好み風)。炭水化物地獄。量が減らないので、中盤からは家では滅多に空けないビールを飲みながら、アテにするつもりで胃袋に流し込んだ。
あぁ僕は、毎年感傷に浸るはずの震災前日の夜に、なんて虚しいことをしているのだろー。 === そうです阪神大震災の記念日です。 あれから8年が経ったそうです。最近毎日震災の被害が酷かった地域をぐるぐると外回りしてるんですが、やっぱり今でも不自然な空き地ががあったりすると思い出してしまいますね。8年という歳月を経ると、失われたものが失われなかったら、いったい今頃どんな風になっていただろうか、という風な考え方をするようになってきました。現在という時間の中の物質的な存在、抽象的な意味、必然的な価値、それらのものに震災がどれだけの影響を与えたのか与えていないのか。自分だってはたして、今どうなっていたかわかりません。現実に起こったことに対して起こっていなかったらと仮定するのも変な話かもしれませんが、仮定して考えるからこそ震災の意味も見えてくるのであって。 運命って奴は不思議なもんです。 === そして8年後の自分が今ここでこうして文章を書き記しています。 当時から自分は深い森に迷い込むとなかなか抜け出すことの出来ない性格をしていましたが、長い時間を経て「成功か不成功か」という二択のポジションを与えられるに至った場合、必ず「成功するに違いない」と強くイメージすることが出来ました。ただの自信過剰かもしれないんですが、「失敗したらどうしよう」という考え方に至ることは殆どなかったんですね。経過を振り返って、あれは失敗だった…と思うことはいくつかあってそれが今の悩みにはなっちゃいるんですけども、少なくとも前を向いている時には失敗のイメージはしたことはなかった。 それで今迷いながらも試行錯誤を繰り返し、色々トライし始めているのですが、ぶつかること全てに「成功するに違いない」と思ってる自分は、ある意味では単純で幸せな奴だなぁ、、、と思うのですよ。同じような悩みを抱えている方のお話を伺うと、「まずそれに成功するか否か」で迷っておられるのに、自分の場合は「成功したとして、その次にやってくる問題点」について悩んでいることの方が多いですから。めちゃくちゃ前向きですよね、何の根拠もないのに。
そういうね、単純な自分に気づくとちょいと元気が出ましたよ。 ほんまにね、深く悩んでる顔して、案外単純なポイントで悩んでるもんなんですよね。おもろいやっちゃ。 === さて、昨日のパソコン&PDA話。 昼休みに会社のパソコンからこの話を読んだゆうこさんからは「うちに何台パソコンあると思ってるねん…」ときつくお叱りを受けました。そしてまた、ばたの枕元にパソコン購入に関するパンフレットや雑誌があるのを発見して「いつのまに…」と驚いておられました。 「お金があるないの問題やない。なんでそんなにたくさんパソコンいるねん。いらんのやったら売ってき」
いやん怖いわゆうこさん。 昼休み中の奥様へ。 あなたの大事な夫より。
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03/01/16 Thu. 「休息」 |
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LOOXのディスク容量がかなり少なくなってきたこともあり、そろそろ新しいノートパソコンか、はたまたPDAか…と思い悩み続ける毎日です。どこにそれだけのお金があるのかという疑問を抱くことなくモノ選びを始めてしまうあたり、昔から何の成長もありません。えへ。 考えてみれば今までにパソコン、何台買ってきたことでしょう。MSXを除いて中学校の時に買ってもらったPC9801RXから数えると、デスクやらノートやら合わせて えっと…おぉ、10台ですか10台。すげぇ。一台あたり20万円平均として考えても200万以上(周辺機器やら合わせたら250万以上だな)をこの業界に投資してきたことになりますね。買ってもらった奴もありますけども、それにしたって、それだけのお金、どこから捻出してきたのでしょう。不思議です。ほんとーに不思議です。自己満足への投資。多分一生続く。 === 体温計って、いざ必要な時に限って見つからないもんです。体温計の場所が、今部屋の中のどの位置にあるかきちっと思い出せる人はきっと几帳面な人。でもね、体温計が必要な時ってどういう時なんでしょうね。だってね、辛くて熱っぽいと思うから体温を測って、それで実際に熱があれば「あぁ休んでおこう」と思うんだろうし、熱がなければ「無理してみるか」となるのが日本人の常でしょう。普通に考えてみりゃ、体温を測ってみようと思った段階で「体調不良の兆し」があるわけなんですから、そこで休息を取るべきなんですよ。どーですか。 働きすぎ…と日本人は良く言われますが、まぉそれはどっちでもいいと思うんですね。労働に対して人が何をどれだけ求めているかというのは、人それぞれの考え方があるだろうから他の何かと比較して程度を量るべきではない。でもね、これをちょっと表現を変えてみると「休まなさすぎ」というのがあるかと思うんですよ。えぇわかりますよ、何でもかんでもすぐに休まれちゃー周囲に迷惑かかりますよ。でもね、ほんとーに辛い表情してる人が責任感もって何かに取り組んでいる姿を見ると、こっちまで胸が痛くなっちゃいますってば。いいよ休んじゃないなよ、それさえも許されないのかよ、って、なんかね、怒りたくさえなっちゃいますよ。わかります? 自分が「いつかいつかは」と夢抱く生き方には、それは許されないことなのかもしれないけれど、でもね、夢を思うに至った原点は、休むも働きすぎるも自分で決めたいという意志からなんですよね。スタートはそこから。生きていて「しなければならない」という責任感は大切なことだと思うのだけれど「やらされていて、やらなくてはならない」というプレッシャー程、人間の寿命を縮めている要素は、そうなかなかないんではないでしょうか。 === ちょいと自分を試してみるイベントのあった一日。 余計に悩みは増えてしまったけれど、悩めるだけ幸せだし、悩みぬいた末には取捨選択が行われていくのだと思うと前に進んでいるように思います。えぇえぇ、この日のことも、いつかきっと書き記す時がやってきます。
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03/01/14 Tue. 「構築」 |
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面倒だからいいよ。 これじゃ始まらない。始まりは「何かやってみようか?」と前向きな言葉から。漠然としていたものが、だんだんと形を現して来て、「よしそれじゃ走りだすべ」というタイミングがきっとやってくる。なんと申しましょうか、人生とは人とのめぐり合わせとは、そんな風なのではないかと考える今日この頃です。最近ね「人の見る目ないよなぁ俺」とかなり自信を失っちゃいるんですが、「頑張ってみようかな」と思える瞬間が、一日生きてりゃ必ず一度や二度はあるのだということ・心に芽生えるのだということもわかりはじめました。 相反する2つの感情の狭間で、苦しむ部分もあるって言えばあるんですが、やっぱり自分は、自分の決めた人たちと何か頑張って、そして笑い合えるような関係を築いていけたらなぁと思っています。
これから月のうち2週間は東北出張生活となるS君と食事。その後、夜中2時までばた家にてパソコン購入相談。こういうことを考えてあげるのは、なかなか楽しい。パソコンとか携帯電話とか電気の通うものになると、周囲には影響を受けまくっている人が数多くいて笑える。かなり限定的な意味での「影響力のある人なのだ」と自分の存在感を自覚する。みんなにゃ悪魔の囁きと言われるけれども(汗) @土曜日 文化博物館の招待状を貰っていたので、展示会へ。中島潔さんの絵画展。絵のことはさっぱりわからん自分だが、この人の絵には素直に「感動」した。繊細な中に暖かみのある人が描かれていて、暖かな中に「虚ろ」が存在する、そんな緊張感と緩和のある絵の数々。遠くからその絵を「眺める」ことも楽しく、また近くによってその表現手法を「知る」ことも楽しく勉強になった。例えば絵の具ももこっと浮き上げて描くだけで、それが川の流れを表現していたり。自分にゃ出来ない素晴らしい。 いつも招待状を送って来てくれる文化博物館のOさん(中学時代の生徒会の後輩の女の子)を家に招待する。絵に対する思い入れを熱く語って貰い、ゆうこはしきりに感心していた。昔からゆうこはこの子に憧れを抱いていたらしい。あと、文化博物館の問題点とか。やっぱりお役所が管理しちゃうと適当になってしまうようで、芸大に進学してそれを学んできたOさんにとっては容易には許せないことらしい。彼女もやっぱり公務員に対して色々意見があるようだったけれど、同調してしまうと熱くなってしまいそうだったので自分は加減しながら話を聞くことに努めた(笑) @日曜日 朝霧の駅近くで美味しいケーキ屋(モンブランというお店)を見つける。ここのケーキBセットはお得だ。ケーキ2つに紅茶か珈琲がついて750円。チョコの奴が大変美味。こういう時、きちんと名前を覚えておかんとダメだなぁ…と。あぁやっぱりザウルスを買うべきなのか(口実) ゆうこの実家に呼ばれてしばしのんびり。夕食をご一緒させていただく。どうもご馳走様でした。自分はねぇ、家のいろんな事情もあって「家族で飯を食う」ということがあまりなかったので、みんなと一緒にご飯食べるのって好きなんですよ。ありがたいです。あったかいです。 @月曜日 朝からゆうこと喧嘩。喧嘩のパターンもいつも一緒で、だけど仲直りするとその後、お互いの絆が強くなるように思えます。お互いの本音を良く知れるからじゃないかな。喧嘩だって愛に必要な大切なイベントです。 昼から音楽的相棒と美香ちゃんが遊びにやってくる。まずはプレステでサッカー。特訓したおかげで、相棒相手には余裕で勝てるようになった。ふふ。ふふ。わしゃ負けず嫌いなんじゃい。んでもってから、いつもの如く4人での勉強会開始。4人一緒に勉強しているのは「簿記」なのだけれど、何故か自分が講師役を務めて講義形式で話を進める形式になってしまっている。勿論ばたはその試験に合格したこともなければ、未だ一度も受験したことはない。たまたまテキストを一通りやったことがあるという理由だけでその責を任されたのだ。ただ自分の場合は、習うよりも「教える」方が理解が深まるらしく、案外この形式もいいかもしれないなぁと思っている。喋り続けて喉が痛くなるのが叶わんが。 家庭教師やってるせいもあるんでしょうが、やっぱね、教えること好きなんですよ。ある事実の理解への過程を自分の言葉で伝えてると、「伝わったぁ!」と思えた瞬間にブルブルっと来る感動のようなもんがある。その瞬間瞬間の積み重ねが、自分の責任感を高めていくことになるんだろうな、と。だから最近は、色々思うことこそあるものの、そういうのもいいかな、って少し、思い始めている。
夜食事して、みんなであいのりを見て解散。
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03/01/10 Fri. 「役割」 |
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早く帰ってきてくれたからと、一生懸命手のこんだ料理を作ってくれて。 結局時間がかかっちゃって、持ち帰った仕事は徹夜でやるつもりらしい。覗き込んでみても、相変わらず自分にはさっぱりわけのわからない難しい化学用語が並んでいる。社会に対する自分の役割ってのも考えることは多いけれど、もっと家の中での自分の役割ってのも考え直さないとなぁ。 欝ってばかりでもダメだぜ…と思い知らされた、その味わい。おいしかった。
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03/01/09 Thu. 「鼻血」 |
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毎年5月のゴールデンウィークの頃。 かぁーっと真夏のような暑さになるような日が必ず一日くらいあって、その一発目(いわゆる夏の到来の初日)に必ず鼻血を出してしまうノボセ野郎なんですけどね確か前にも書きましたが。 で、どうして鼻血って、両方の鼻の穴から出てこないのだろうねぇ…と不思議に思ってみたりするんですよ。もーほんとに、今日はそれだけ書けたら満足なんですけどね。一日生きてみて、書き記すのは鼻血のことだけかよと悲しくなったりもしますけども。 鼻血の止血方法として、首筋をとんとんと叩いたりだとか上を向くってのがあるようですが、これは危ないらしく、やったらダメだそうですね。覚えておいて損はないです。特にGWの頃、ばたの身近にいる事態に陥ってしまいそうな方々は。 === よんさんのページに書かれていた180円ラーメンのお店に行ってみました。あちこち見かけるのは見かけるんですが、行くのは初めてだったんですよ。 「値段相応の味って書いてたよねぇ…」 この会話における人間の性格って出来ますよね。ゆうこの場合は「だから美味しくないだろうから、他の店へ行こう」という意味だったりするんですが、元来ビビリのばたの場合は「食べてみて、まずいと思わなかったらどうしよう…」という、こうネガティブな、ある意味ではポジティブかもしれない、そういう考え方をしてしまうのですよ。つまりね、自分の味覚が世間の標準に追いついてなかったらどうしよう…と。裸の王様状態ですね。自分だけ人と違うのは嫌だ、みたいな。 ほんで勇気を持って食べてみたんですよ。 ほしたらですね、やばいですよやばいんですよ。別にね、そんなマズイって思わないんですよ。特別美味しいとも思わないんですけど、値段の割にはいいかもと思えて、また来ちゃうかも、とか考えてんですよ。うわーっ、やばいよー。 「よんさんたちって、きっといつもいいもの食べてるんだよねー」 なんて言い切って責任転嫁。自分が周囲より劣ってると思いたくないもんだから、相手のレベルを上にあげて考えてみる。謙譲語じゃなくて尊敬語(意味不明)。そしたらいつでも冷静なゆうこは「好みなんて人それぞれよ」とあっさり。うーんそりゃそうなんだけど。
2人あわせて600円ちょっとの会計。安上がりだったなー。 ===
最近歩き回ってんで、かなり疲れてます。かえってこういう時ほど寝不足になりがちだし。 人の数だけ人生があるんやなー、ってしみじみと思わされる今日この頃です。
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03/01/08 Wed. 「告白」 |
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心の内をを打ち明ける。 慎重に伺うように、ドキドキしながら。 一人じゃないんだぜ俺は…と、その反応を見ながらまた色々と思う。 冷静に返事してくれるほうが、こういう場合はかえって有難いな。
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03/01/07 Tue. 「時間」 |
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結婚する前は、結婚したら時間がもっと出来るのだろうと考えていました。それまでは、「会おう」というパワーが必要で「会う」までの時間が余分にかかり、いつも時間を勿体無く使っていたように思えたからです。確かに結婚して「一緒にいる」ことが当たり前になれば、そういった労力は必要なくなりましたが、今度は物理的にしなければならないことが増えて、前以上に時間が足らないように感じます。ちょっとした準備や片付けをしていると僕らは、時計の針が深夜2時3時になることも珍しくなく慢性的な寝不足です。 実家も近いので、きっと毎日のように顔を出しては犬たちと遊んでいる自分を想像もしていたのですが、なかなか叶いません。犬たちと、いつか未来に一緒に暮らせるようになりたいという夢を持つ自分には、たとえすぐに会える距離にいたとしても、その夢をなかなか実現出来そうにない現況にはどうしようもない閉塞感を覚えてしまいます。癒しの距離は、きっととても大切です。 === かえりみる日記。主語が次第に、複数形であることが多くなってきたことに気が付かされます。こうして常に意識しているからこそ、真剣に考えなければいけないことや取捨選択していかねばならないことも増えていくのでしょう。良く恥ずかしげもなく照れもなく書きますね、と、今は妻となった彼女とのことを聞かれることもありますが、一番大切なものを何ゆえに照れる必要があるのかと、逆に問い返したくなります。 中途半端な体裁だけを気にした恋愛ごっこをするよりも、僕は情熱的にありたいと思うのです。以前はね、そうではなかったように思うんですけどね。人として魅力ある人は、やっぱり大事なものや大事な人に対して、真剣ですよ一生懸命ですよ。そういう人に人はついていくものなのでしょうきっと。 === 夫婦で商売をして僕を育ててくれた両親のことは、今の気持ちから考えれば、羨ましくもありそして、尊敬できます。それが理想なのでしょう。
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03/01/06 Mon. 「速度」 |
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中学時代の友人を中心とする仲の良いメンバーがいるのですが、そのみんなから結婚のお祝いをして貰いました。豪華な料理やケーキがたくさん用意されていて、大変楽しかったです。有難うございました。こうやってねー、どうでもいいような話をしては笑いあってる時間が昔は当たり前だったのに、今じゃ欝に過ごす日々の一時の安らぎとしてしか、こんな笑顔を見せられない自分が嫌になります。みんな一生懸命頑張ってんすよ。なのに自分は何やってんだろって、頭を掻き毟りたくなっちゃいますね。 正月に見た2つのテレビ番組と、このメンバーとの語らいの時間があって、それに大きくされている気持ちがあります。単純なことですが、自分から見て頑張ってるなー、と思える人には迷いがありません。そこが自分との大きな違いです。いろんな選択肢に心揺れながら、でもそれに至るまでの空白が怖く迷惑をかけるようで優柔不断になってしまってはいけません。一時しのぎの蒼い笑顔を見せるのか、はたまた、本当に笑顔でいてもらえる存在になろうとするのか。肝要なのは、後者に違いありません。 === 人のことをかまってる余裕なんてありません、今は少なくとも。 煮え切らないなーと思うものに焦らされるのも嫌ですし、じっくりと取り組んでいきたいことや考えていきたいこともあります。だから今は、自分のテンポにどれだけ同調しているか、という自分中心の考え方しか出来そうにないです。相手に合わせることも大切なのだけれど。 そのあたりを、関係各位にはあらかじめ知っておいていただければ・・・と思うのです。 === 過ごす時間が長ければ長いほど、確かになる気持ちってありますね。
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03/01/04 Sat. 「新年」 |
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こんにちわ、ゆうこです。 今日はシチューを作りました。今までシチューが好きでなかったやんやん(=ばた)が美味しいと言ってくれたので、とても嬉しかったです。今度は今日入れ忘れていたジャガイモも入れてみよー。 === はい。
というわけで、あけましておめでとうございます。 新年一発目、きっとこんな挨拶で始まるのだろうという大方の予想を裏切るべく、ゆうこにメッセージを書いて貰うことにしました。別にねー、女だから料理を作らなくちゃいけない…ってなことは全然ないと思うんですが、試行錯誤しながら、一生懸命作ってくれるんですよ毎日。もうそれが嬉しくて嬉しくて。んで、自信がないというわりには美味しくて、幸せに過ごしております。のろけきってみました。どうですか新婚っぽいですか。この年末年始の休みも、ばたばたしながらも2人仲良く過ごしておりますよー。
年末は熊本まで千春のディナーショーに行ってきました。
んで、千春のディナーショー。これ、最前列の席だったんですよー。 元旦から弟が入院して岸和田の病院に行ったり、2日はゆうこのご家族に来て頂いて鍋を楽しんだり…。まぁそんな感じの休みを過ごしています。 年末31日にようやく結婚式の写真が業者から届いたもので、実はこの文章を書いている現時点では未だ年賀状が作れておりません。まことに申し訳ありません。スキャナは買ってきましたんで、近いうちに関係する皆様のところにはなんらかのお手紙をお送りしたいとは思っておりますので。 === ノートパソコン開いて文章書いてるその横では、ゆうこがのんびりとプレステを楽しんでいます。
幸せですよー、のろけっぱなしで人生過ごしていけそうなくらい、ほくほくとした毎日です。 世間体や体裁に縛られることなく、理想を追い求めたいです。覚悟ですよね、決断しなくちゃ。 今年こそは、抽象的ではなく、具体的な自分の軌跡を記していけるのでは、記していかなくては、と考えております。いろんなテンションの文章が記される毎日だとは思いますが、今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ。
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