01.10月のごとごと


01/10/31 Wed.

「一枚」

枚数だけは豊富なCDライブラリーから今日の一枚を選び出す。
"風の引力"が聴きたくなって、ASKAの4thアルバム「ONE」をトレイにセットした。C&Aの曲は、耳で聞いているだけでライブの映像(歌い方、なんかね)が浮かんでくる程聞き込んでいる。何度聴いても飽きないのは勿論だけれど、昔から好きだったせいもあってその曲を聞き込んでいた頃の情景をふっと思い出すことも出来る。懐かしかったり微笑ましかったり、少し胸が切なかったり。懐古したがる時期って、未来に漠然とした不安を覚えている傾向があるから、今はそんな自分の性格を客観的に見据えて、心を平静に落ち着けようと務めている。深みにはまってしまうと、じくじくと痛み出す傷。誰にも、大なり小なりあるもんなんだろうけれど、いいかげんそれをコントロール出来るようにならなくちゃ、と自分に対しては言い聞かせている。

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『火垂るの墓』(DVD)をレンタルで借りてきた。
登場人物(せつこ)の物まねが自分のレパートリーにインプットされているものだから観たことがあるような気もしたのだけれど、情けないくらいストーリーを覚えていなくて、涙をぼろぼろとこぼしてしまった。戦争ってやだね。

お兄さんを自分、妹(せつこ)を家族と置き換えて考えてみたらどうだろう。守るために強くなるという主張を日々繰り返す僕だけれど、どうしようもなくなったら、やっぱり手段を選ぶことなく守り抜こうとしていけるだろうか。人のために生きるという決意だ。口で言うほど容易なことじゃない、覚悟を持って自信を持って臨んでいかなくちゃならない。僕の涙が、僕の拳が、そして、僕の言葉が誰かの血となり肉となるのであれば、どんなことだってしてみせよう・・・。気持ちは今のところ、決意した頃から何も変わっちゃいないと思うけれど、さてこれからの僕は?

どんなに頑張ったとて、人はいずれ誰かにもたれかかることになるんだ。
かっこつけて、きばってたって、辿り着く場所は一緒。

相手という一枚のカードを選び出したときから、責任は伴うようになってるんだと思う。

幸せにしたい、幸せになりたい。無駄なものを削ぎ落としていけば、人間みんな、きっとそこなんじゃないか?
相手が、自分が、いずれ臥せって動けなくなるまで、僕は、ずっと素直でいるぞ。涙だって流すさ。

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思いがけず、社内のTさんからメールが届いた。
ちょっとした相談、提案。

今のまんまじゃダメだから、その次の「行動」に移そうという内容。

うん、賛成。まず、僕にそれを話して貰えたのは嬉しかった。
前向きな人のパワーには、見習うべきものがある。

僕の数少ない能力の中から、何か一枚のカードを選び出して、貢献していきたいと思う。
カードもそろい始めれば、いろんな手が使えるようになるってことだ。それは何も、自分ひとりで全てを揃える必要はなく、少しずつ出し合ったものの中から、大きな役を狙っていけばいい。こんな風に人と動いていくのだということを、自分の持てる力で試してみたい。

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代休水曜日をどんな風に過ごすか、さて・・・と思案しながら眠りに就くことは幸せなことだね、おやすみ(AM3:30)。


01/10/30 Tue.

「瞬時」

季節柄、朝のホームで遠足に向かうと思われる小学生の集団を良く見かけるようになった。
通勤の時間帯と重なるため、誰かの迷惑にならないように一生懸命かたまっている子供たちの姿が可愛い。ちゃんとわかってるじゃないかぁ…と素直に嬉しくなる光景だよね。

三宮駅のホームに上がる小さな階段。
丁度満員電車が滑り込んできて、階段には改札へ走る人が溢れていた。その横にある上りのエスカレーターはがらがらだ。だけど、引率の先生たちはまるでそのエスカレーターを使うことが「悪」であるかのように、子供たちに階段を使わせていた。結果として、降りてくる人たちは進路を阻まれて迷惑そうであったし、何より駆け下りてくる大人たちと子供たちが衝突しそうになって、本当に危険だった。そんな状況にも関わらず、後続の先生たちは行列を途切れさせまいと子供たちを階段へと誘導している。なんて馬鹿な教師たちなのだろうと、文句を言いたくなった。

一般論として子供たちに出来るだけ階段を使わせようとすることには異論はない。けれど、状況に応じて臨機応変に対応することなく、その一般論が正義であるとして貫き通そうとすることが社会教育の一環なのであるとしたら、あまりにも教師は世の中を知らなすぎる。子供たちに悪影響を与えるだけでなく、身体に危害を及ぼすことだって有り得る。問題が起きてからじゃ遅いんだよ。

今の時代、教師になりたくてなる奴よりも、公務員になるがための手段として「教師」を選択する人間が増えていると聞く。いわば、保身を第一として教師という職業を選択している奴が多いってことだ。僕は将来、もしも自分に子供が出来て、そんな社会経験のない教師に何を学ばせるべきなのだろう。多分きっと、何度も学校に足を運んで教師の様子を観察して、その人格や教授方法に問題があれば学校に行かせない、そんな親になるのではないか。親馬鹿と言われようと、人格形成における重要な時期に、自分の信頼出来ない赤の他人に自分の子供を預けて任せることなんて、決して出来ないような気がする。自分自身が「教師なんて所詮は…」なんて思いながら学校に通っていたものだから、余計にそんな風に思う。

勿論、いい先生もたくさんいるとは思うんだけれど「誰かを信じて裏切られるくらいなら、最初から信じないほうがいい」と考えてしまう自分の性格(=人間不信)がそんな気持ちを助長させるんだろう。それを思うと、馬鹿な教師の悪影響よりも、こんな性格の親の悪影響を受けて育ってしまうのではないか、という心配も沸き起こってしまう。なかなかに難しい。

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絆創膏がめくれて、心の傷が沁みた。
それはもう思い出したくないことで、嫌な夢だった。


01/10/29 Mon.

「所在」

相手の気持ち、周囲の気持ち、わからへんもんかなぁ。
どうして筋を通すということができないのだろう。
今や便利な時代で、たった一分の時間、それだけで指先から意志を伝えることだって出来る。

「だからやっぱりね」と言いたくもなってしまう。
環境って大事だ。

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@金曜日。

定番チーズスパゲティ。
毎週こればかり書いてる気がする。金八先生のビデオは借りられることになった。感謝。

@土曜日。

イベント。加古川市上荘町。めちゃくちゃ小さな町内の公民館。
びっくりする程規模の小さな催しだったので驚いた。道を間違えたのかと思った。

人が来るのかなぁと心配したとおり、一日いて、測定者は21人(うち身内が2人)。
今までのイベント最小人数を大幅に記録更新である。当分やぶられることはないだろう。
一日中、床暖房の効いた畳の部屋でぽかぽかとのんびりしていた。いつもこんななら楽だなぁ。
ちなみにいつもは250人から400人くらいは測定する。

夜。土曜が仕事、日曜が休みという、週末に「出勤」しなければいけないパターンではあるけれども、土曜が休み、日曜が仕事、のパターンよりは心理的に嬉しく、久しぶりにのんびりしたいなぁ…と思って旧神明沿いの焼き鳥屋に足を運ぶ。太陽が夜にバトンを渡すタイミングでお腹が空く秋の魔法。早めにお店に入って、のんびりとお気に入りの隅っこのカウンター席で串を束ねた。

TSUTAYA大蔵谷店に寄ってCDをレンタル。急きょ映画でも観に行こうか、という話になってTSUTAYAの書籍コーナーで映画の上映時間を調べたら21時30分からの上映に間に合うことが判明。大久保のワーナーマイカルまで車を飛ばす。混んでるかな?と思ったら、意外にそうでもなく、通路側の良い席をGet。お菓子とジュースも買って、のんびりと130分を過ごすことにした。映画は『千と千尋の神隠し』。

サラウンドスピーカーの効果にびっくりした。ものすごい臨場感だ。平面的なサウンドと立体的なサウンドで、こうも違いが出るものだとは思わなかった。映画自体は、なかなかに不思議。自分が夢にいるのか現実にいるのか、よくわからないような錯覚すら覚える。ストーリーの矛盾が色々と気になって、いったいこの話にはどんなテーマがあるのだろう?と考え込んでいると、「アニメなんだから元々子供向けの話。深く考えないで面白いと思えたらそれでいいんだよ」とY女史に言われた。なるほど、僕の純粋な心は失われつつあるのね(涙)。時間が経つにつれ、その映画を観ていた時間の感覚が、ふわふわと不思議なものであったように思えて、また観たいなぁと思うようになった。いや、ほんと。サラウンドスピーカーの映画館で、是非。

新しくモノマネレパートリーに「かおなし」を追加。

@日曜日。

宝塚ホテルの仏蘭西料理のランチコース。以前ブライダルフェアの抽選で当選したご招待券にて(→勿論自費では絶対に行けない)。この話のオチになるのだけれど、コースとは別料金で僕ら二人はオレンジジュースを頼んだ。当然会計ではそのジュース2杯分のみが請求されるわけだけれど、その値段を聞いて驚きたまげた。2700円。うぉぉぉぉ、ジュースだけで2700円。うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。泣きそうやった。

当然料理の方はとんでもなく豪華なものであった。フォアグラ最高。デザート最高。もうそのへんのケーキは食えません。
コースの始まる前にはきちんとウェイターが料理の説明をしてくれたし(→カタカナばっかりで理解不能)、食後には頭にでっかい白い帽子を載せたシェフが「いかがでしたか?」とテーブルまでやってくる。お肉なんて、口の中で噛まないでも溶けていくもんだから、うわわ、これは顎の力が弱っちゃいますよね…なんて思ってしまった。スープの上にパイが焼いてあって、そのパイをぼろぼろと中に崩して飲む奴なんて、縁のところについたパイをがりがりとかぶりつきたいくらいだった。でも、なんだか恥ずかしくてそれは出来なかった。

デザートも2種類。最高に美味しいモンブランのケーキと、ワゴンで運ばれてくるケーキ。で、このワゴンのケーキが5種類あって、普通の人はだいたい1、2つ選ぶ程度らしいんだけれど、僕らは「どうせ二度と来ることはない。恥をかいたれ」と開き直って、全て貰うことにした。お店の人も「なかなかそういう方はいらっしゃらないです。頑張って食べてください」と笑っていた。よっしゃ、本領発揮。

食事時間、2時間。貴族に生まれてたら、毎日こんな優雅にのんびりと豪華な食事を食べられたのだろうか…と思いながら、食後の紅茶。ふー、幸せ幸せ。

行きは2号線〜43号線〜171号線から宝塚まで行ったのだけれど、帰りは六甲の山中を通って有馬経由で帰ることにした。山に登る途中、とても綺麗で大きな虹がかかっていた。こんな豪華な料理を食べて、のんびりと山を登って、幸せ気分を満喫しているときに虹まで見れて、僕らはなんて幸せなのだろーと思った。是非今度も食事券を当てたいところだ。うむうむ。

夜は、お気に入りのお店でパスタを食べながら、式やら日取りのことを話し合った。
帰宅後、借りた金八先生のビデオを見て涙を流し、それから、何かの番組の特集で電器屋の激しい競争をしているところを見た。うーん、こうして自分で現金を手にする仕事がしてみたいねぇ。接客販売業、自分には向いてるやろなぁ。

知り合いの弁護士さんからメール。自分の将来に向けて、打診しておいた件で様々な方を紹介して貰えることになった。こうやって人脈を広げていくことはとっても大切だと思う。僕はこうやって、人から人に何かを伝えて広げていくことが比較的得意な人間だと思う。そんな人脈に触発されながら、自分の能力を高めていき、必要な知識を身につけ、「何歳までには…」という具体的な目標を持っていきたいと思う。

犬の散歩を母親と一緒にしながら、自分の将来の夢と今努力していることを告げる。それと、自分と、彼女の両親の両方を自分の身近なところで面倒を見てあげたいのだということも伝えた。僕は、絶対にそれらの約束を破ることなく、一日も早く叶えてあげたいと自分自身に誓っている。


01/10/26 Fri.

「家族」

居心地のいいリズムが完成されていくのが好きだ。
週末になったら、このお店で時間を過ごしましょう。寒くなったら、これを食べましょう。暖かくなったら、あの場所へ行きましょう。身近な人とのみ共有出来るそんな感覚を少しずつ増やしていきたい。暗黙の了解が、いったいこれからの人生でどれだけ増えていくことだろう。家族、友人問わず、そんな嬉しい関係を構築していきたいと思う。

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中学校時代の友人Sから電話。結婚してからしばらくネットに繋げていなかったのだけれど、久しぶりに繋ごうとしたらうまく設定が出来ないとのこと。どんな画面が表示されているのか想像しながら話すのだけれど、どうしてもうまくいかない。帰宅してから、こちらで画面を見ながら同じように設定していくと、メールサーバ接続用アカウントの設定が間違えていることに気がついた。それを指摘してあげると、無事接続完了。

電話の向こうでは、Sと僕が話す内容に従ってあれこれキーボードをいじっている奥さんの声が聞こえてくる。
あぁ、そうか。ノートパソコンだから、二人は寄り添うような形で画面に見入りながら設定をしているのかぁ…なんて幸せな絵を想像せずにはいられない。昔から僕は良く「温もり色」という言葉を使うのだけれど、幸せな場所から発せられるカラーって、時空を超えて伝わってくるものがあるよね。夫婦や家族とは、そんな雰囲気を持つべきものであると僕は考えている。寒々と冷え切ったのは絶対嫌だな。

うちの家族も、いろんなことがあって、ほんとにもう、誰もが家には帰りたくない…というようなそんな時期もあった。みんながお互いの立場を理解出来てなくて、結局わがままを言い合ってたんだろうね。今でも喧嘩はするけれど、最近は(貧乏ながらも)幸せにやってるんじゃないかと思う。ぼろぼろになりかけた我が家の人間関係を繋ぎ合わせたのは、やっぱり犬たちの存在だろう。犬と会いたいから、みんなが家に帰ってくる。犬と会話をしていると癒されて、お互いを憎しみあう気持ちも軽減される。犬という共通の宝物を見守っているという意識で、家族という輪が再構築される。そして今に至った。

だから僕らにとって、犬は家族同然なんてものじゃなく、家族そのものなのです。
願わくば結婚式や披露宴にも犬を連れていってあげたいと思うし、結婚してからも、犬とすぐ会える距離でいたいと思うのは、親がわが子のそばにいたいと思う感覚となんら変わらないわけですよ。何か言葉を発するわけでもない、勿論僕らの言葉だってどこまで通じているのかなんてわからない。けどね、間違いなく気持ちは通い合ってる、それだけは自信があります。人間と犬でも通い合わせられるものならば、人間同士ならもっと簡単なことのようにも思えるのですが…。


どんなに小さな輪だろうが大きな輪だろうが、それを構成しているのは、一つ一つの魂、こころ、気持ち。老若男女、人種、果ては生物の種別を超えて、みんなが「温もり色」でいられれば、きっと、どれだけ幸せなんだろうって思わずにはいられません。乱暴に飛び込んでくる毎日の悲しいニュースに、ふとそんなことを書きたくなってみたのでありました。

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金八先生の録画に失敗した模様。
悲しすぎる。
誰か25日の放映、ビデオに録ってた方いないですかあ?(頼)


01/10/25 Thu.

「過敏」

『肺癌になる確率が高くなる/身体に有害である』ということが立証されている煙草については今さらどうこうしようという動きはないくせして、『脳みそがスポンジのようになっちゃうかもよ』については、過敏に反応してしまうのだから人間って案外いい加減なもんだ。集団の中で働く心理やメディアの力ってパワーがあるよね。牛肉を食べるのが怖いなら、食べなきゃいい。ペイオフ解禁になって銀行に金を預けるのが怖いなら、預けなきゃいい。これだけ情報が氾濫している時代において、自分がもっとも信用出来るソースを見出し判断するってことは、もはや欠かすことの出来ない能力の一つでしょう。

僕は食べますよ、んなもん、全然気にしないです。
馬鹿みたいに怖がって、食べないで、肉を買わなくなって、経済が停滞していくことの方がよっぽど怖いです。煙草吸って死ぬリスクと比べりゃぁ、全然平気です。あらゆるリスクを回避して生きていける場所なんて、この地球という星の上には存在しないです。人間生まれた以上は必ず死ぬわけです。世の中には怖いものもたくさんありますが、それは人それぞれであって、僕は牛肉については全然気にしないということです。

だから、頑張れ焼肉屋さんと言いたいわけです。はい。
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秋になって、骨量イベントであちこちを廻ってるわけですが、その地域毎の特性・共通性ってのを見出すのがちょっと面白かったりします。測定に表れる結果も、かなり地域性がある。例えば淡路島の漁港近くの町なんかに行くと、魚を良く食べるからでしょう。結果は概ね良好。反面、どこぞの大学なんかに行って測定をやると、もうボロボロ。若い人たちの生活の乱れが良く言われてますが、それは結果にも良く表れていて測定者のほとんどが骨粗鬆症予備軍とも言えるような人ばっかりだったりします。

測定を待つ行列の作り方一つにしても特性が出ますね。
これはかなり乱暴な区分の仕方なのだけれど、浜の手地域でのイベントと比べれば山の手地域でのイベントの方がやりやすい。マナーの良い人は丘や山に近づく程多くなるような気がしている。ローカルな表現で恐縮ですが、阪神沿線よりは阪急沿線、阪急沿線でも宝塚や能勢に向かう程よりマナーが良くなる…みたいな、そういう傾向があります(感覚によるもんですけど)。

本当に因果があるのかは不明ですが、こういうのも面白いもんですね。

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三宮の駅近くで見かける女子高生は、もう驚くくらい短いスカートをはいている。
そうした方が足が長く見えるからなんだろうか。そのくせして、足が短く見えるルーズソックスを履いている。どうにも不恰好な感じがするんだけれど、僕の感覚がおっさん化してしまったのだろうか。

どうでもいいけど、階段やエスカレータを上るときに、覗かれまい…と隠すくらいならば、最初から履くなよ、と言いたくなる。まるで後ろにつけた僕が覗きこもうとしていたと思われていたかのようで、実に不愉快だ。覗くかぁ、あほ。

あのかばんの中には、ちゃんと教科書とか入ってるんでしょうか。
謎ですなぁ(←哀愁漂うおっさんのように読んで欲しい)。

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早く落ち着いた日々に戻りたいなぁ。


01/10/24 Wed.

「旧型」

LOOXが旧型になってしまった。
コンボドライブは予想出来ていたけど、薄くなったのはちょっといいな。
でも、今のままでも特にハード的な不満はないので良しとする。毎日持ち歩いても苦痛じゃないし。ただ、WindowsMEの不調っぷりには呆れるばかりだけれど。快適に使うためにはOSを何とかすべきかな。

食事をして帰った。音楽的相棒&Y女史妹が先日二人で行ったという手回しのおじさんのいるお店(→結局店の名前が覚えられない)。店の雰囲気、味ともに満足。テーブルの上の蝋燭がちょっと熱かったかな。ゆらゆらと炎が揺れていて、軽くお酒を飲んだ僕の酔いを加速させていた。ちと足元が覚束無い。

母校の中学校が、安藤忠雄の設計で全面リニューアルを行うという噂を聞いたのだけれど本当だろうか。

駅前で、ビタミン剤を飲む人を見た。あれは疲れを癒してくれるんだろうか。僕にはそんな風には思えなくて、ほんの一時しのぎ、自分の未来から"元気"を借金しているかのように思えてしまう。いつか貯金が尽きたら、その人はどうなってしまうのだろう。自分の何かを削って懸命になるのは、家族のためなんだろうか会社のためなんだろうか。前者だとしても、削ってまでやることが本当に家族のためなんだろうか。とても抽象的な表現だけれど、僕は見かけの裕福よりも"まったりとした幸福"を探求したいと思う。この感覚は、自分が理解出来ていればそれでいい。

そこまで想っているのだなぁと、健気な行動に心を打たれた。生まれてきたからには、誰かに慕われ想われるようになりたいのは皆同じことだと思うのだけれど、身近なところで、純粋に想いを届けたいというその姿勢に触れると、なんだか感動すら覚えちゃうね。そばにいる人の幸せは本当に嬉しい。叶うかな。

犬たちは、自分にとって家族であり子供そのもの。
離れて暮らすなんて有り得ない。
毎日毎日、どうしてこんなに可愛いんだろうね。


01/10/23 Tue.

「後退」

不動産屋と色々もめている。引っ越そうにも先立つものがない。疲れ切った母親の顔を見ていると、ホントに何とかしてやりたいと思う。自分は一人ではなく、共に生きていくことを決めた彼女もいれば、自分を育ててくれた家族もいる。得る収入は勿論、これからの自分の選択肢一つ一つに、周囲の人たちが依存していることを決して忘れてはならない。

>理念とか展望とか策略とかそういううさんくさげな高度な思考

なるほど、みんな同じように考えてる。そういう言葉に波乗りしたがった時代とは異なり、今の僕らはもう、そんな言葉に冷ややかな反応を示すようになっている。ゆえに僕らの周りには、独立志向の奴が多いんじゃないかな。与えられているうちは、"自分の評価、自分の限界ってこんなもんなのか"とがっかりしてしまうことが多い。稼ぐ意識を持ちたいというのは、つまり必死になって生き抜いていきたいということと同意。保障はないというリスクを背負う反面、上限もないというメリットに自分の可能性を試してみたい。

「IT」と称されるような、いわゆるインフラ的技術には無限の可能性があると思う。しかし、目まぐるしいタイムシフトの中で、その時間・その瞬間のパイは有限の、本当に小さなものであるとも思う。食い散らかされる前に、次のパイに食いついてはいくのだけれど、結局それも体力のある集団に、かぶりついている自分ごと食われてしまうか、蹴散らされてしまうかのどちらかにある。結局、今の時代は体力勝負ってことなんだろう。

僕が当時イメージしていた"インターネット"とは、ハイエナのようにそこに群がることではなく、一極集中とも言える日本の構造を大きく変える可能性を秘めたものだった。都会にいなくても、田舎で人間らしい生活を送りながら仕事をやっていくことが出来る。安っぽいコピーをつけるなら、「ネットでみんなが幸せになる」なんて、そんなものだった。ネットというインフラを介して、確かに生活は少しずつ変化していくのかもしれない。だけど、そこにビジネスという言葉が乗っかるだけで、途端に胡散くさいものになってしまう。過度の期待を持って今からネットの世界に飛び込もうとしている人々に対して、少なからず先輩でありプロである自分たちは、心からwelcomeと言えるんだろうか。なんだか、目をぎらぎらさせ舌なめずりをしている、飢えたライオンのような自分になってやしないだろうか。

僕は完全な文系人間で、技術者と呼ばれるような高度な技術や知識なんてものは持ち合わせていない。だから、「IT」とか「パソコン」なんてちょっと敷居の高い世界に、まったくモノがわからない人を誘える案内人、または言葉をわかりやすく伝える翻訳者でありたいと願っていた。確かにそういうことが出来る人間は、対人関係を不得手とする人が多い業界だけあって、相対的に少ないような気もするけれど、今学校で学び、これから社会に出てこようとしてくる人たちは、それらを問題なく両立させ、容易に遂行していくことが出来るんだろうと思う。そうなってしまえば、僕なんかはもう「あの頃はなぁ…」と懐古したがるだけの、ただのリストラ予備軍になってしまうことだろう。そんな速さで変化していくことが多い世界で、毎日どうやってついていきゃいいものか。あらゆるニュースソースを一日に2時間も3時間もチェックして、ようやくリカバリー出来るそんな毎日なんて、いつまでも持ちゃしないだろう。

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どんな世界も、どんな仕事も、民間で働いている限りはいろんな事情があって大変なことには間違いない。
ただ最近、少なくとも自分は"喋ってなんぼ"の人間であるから、そういった形での世間との関わり方をしていきたいなぁと思うようになってきている。チームに所属するのであれ、一人でするのであれ、自分の特性を活かして「やっぱりすごいよね」と言われるようになりたい。

僕が対人関係を得意とすることは、決して誰かの尻拭いで頭を下げることでもなければ、言い訳をするためでもないんだ。

===
↓本日分パート2


01/10/23 Tue.

「散文」

これまでも、今日も、これからも。
今までも、今も、いつまでも。

あるだけの時間の中で、その存在でいられることを。

こころから、心から、しあわせだと思っています。

乱暴で生意気な僕のコブシの内側に

手のひら。

そっと、ずっと。
つつむために、あたためるために。

迷ったら触れて、疲れたら握って。

どうぞいつでも
どうか何度でも


ほっとできるね、ありがとう。


01/10/22 Mon.

「定年」

小泉構造改革の『痛みに耐える人々』という特集で、そごうをリストラ・退職された方のその後の様子が放映されていた。離職後、一年近くが経つ今もなお、再就職先が見つからずいよいよ失業保険が切れる時も近づいてきているという。40代50代のその世代は、いわゆる「会社人間」で、一度就職した会社は定年まで勤める…という考え方が一般的であったらしい。故に、会社にしがみついていなければ生きていけない、とコメントするその世代の人たちの疲れきった表情が印象的だった。

今や終身雇用も完全に崩壊して、会社に依存する時代はとうに過ぎ去ったように思う。自分自身はそう考えている。おこちゃま意識の抜けない20代の自分の選択が、40にも50にも60にもなって継続されているのかと思うと気が滅入る。どれだけ依存したところで裏切られたらおしまいだし、何より依存し続けて自立歩行出来ないことほど虚しい人生もないと思う。義理人情が薄らいできたといえる昨今、自分の能力や責任も対価に応じて切り売りしていくようなそんな考え方であっても良いのではないだろうか。中途半端な相対評価(あるいは、年功序列)で自分を推し量られることは、本当に苦痛だ。

===

@金曜日。

パソコンの調子が悪いというYさんからお電話。明確な回答が出来なかったことを申し訳なく思う。実際に目の前にあれば、何か気づくこともあるかもしれないんだけどなぁ…と思いながら、自分の無能さを痛感。電話の中で、転職のお誘いもちらっと受けてみたり。こうして声をかけて頂けるということが実に嬉しい。一時と比べると少なくなったとはいえ、自分の身近な人、あるいは全然思いもよらなかったところから、自分の持つ何かを必要としてお誘いを貰えるということは、こういう時代において本当に心強いことだと思う。そんな後ろ盾があるから生意気な自分でいられるのかもしれない(笑)

エレクトーンのレッスンを終えたY女史と共に、今日もまた観音屋でチーズスパゲティ。週末の夕食の定番になりつつある。「最近ソースを変えてみたんですが、良かったらご感想を頂けないですか?」と店員さん。おう、僕らもう、すっかり常連さんじゃん(^^;。食べ終えて「味はすごく美味しいですよ、とても幸せな気持ちになれます。ただ、初めて食べた時の感動が薄らいだような気がします。あの芳醇な香りが少し物足りような気がしました」とコメント。生意気人間はプライベートでもやっぱり生意気なのだ。ぶぃ。

@土曜日。

明石のステーションプラザで、トルマリンの小石を貰い、南瓜の重さ当てクイズに応募して、ステーションプラザ内の広場と通りの愛称募集キャンペーンに応募してから三宮に向かう。いくつかお店を冷やかしながら神戸方面に歩く。元町でウェディングドレスのセルショップに立ち寄り、いろいろと話を聞いた。担当のおばさんは、すぐにわかるような嘘を連発していたが、面白かった。Y女史は怖がっていた。店長さんは、中国の学校を出た人で、日本語のイントネーションもそれっぽかった。大学の頃も思ったのだけれど、中国で生まれた人/育った人は、綺麗な人が多いよなぁ。

神戸ハーバーランド。腕時計をプレゼントして貰った。前から欲しかったPROTREKの腕時計。気圧と温度が測れて、アナログ盤の上にデジタル表示が浮かび上がるモデル。気象フェチとしてはやはり、気圧がどこででも測定出来るってのは必須アイテムなのだ。ありがとうありがとう。

神戸の駅前のお店でY女史の秋物の服を選んであげて、明石に戻った。

今度は車でマイカルサティ@ジェームス山に移動。何かあればここに来ることの多い僕ら。
経営陣の無能さで、従業員の人たちが苦労しているんだな、、、と思うと、切なくなってしまう。僕はどうしても、商売風(接客販売)の仕事をされている方の気持ちになって物事を考えることが多いから、土曜日だというのに閑散とした店内を見回しては、随分寂しい気持ちになってしまった。

→この日僕は、前から買ってあげたかった指輪を、ようやくプレゼントしてあげることが出来た。ほんとに小さな石で、情けないな…と思うけれど、それでも喜んでくれる彼女でいて良かった。女性にはやっぱり、いつまでも綺麗でいて欲しいね。

@日曜日、イベント。

朝7時45分にJR六甲道の駅に車で行けば良かったのに、勘違いして7時頃には着いていた。眠って待つ。FさんとOさん(はじめまして)を待って、阪神高速〜名神高速〜池田線と乗り継いで能勢方面"日生中央"へと向かう。ところがところが、行けども行けども目印となる国道173号線が出てこない!!朝9時集合、10時スタートのそのイベントに、僕らは10時過ぎに現地到着、およそ30分遅れでイベントをスタートすることになってしまった。あわわわわ、担当の方の表情が険しい…(でも、それは元々そういう顔らしい)。

イベント自体は閑散としていて、目立った混乱もなく進んでいた。お客さんのマナーも良く、この秋廻った中では一番良かったのではなかろうか。途中91歳のおばあさんに、小さな子供が走って激突。そのおばあさんが転倒して、後頭部を激しく打つという、その場に居合わせた人間全員が「あぶない!」という声を上げるような出来事もあったけれど、とりあえず見た目元気そうで良かった。もっとも、場所が場所だけにその子の親と見られる人とおばあさんの家族が、今後のことを色々話し合っていたようだった。

数分でいけるような距離を1時間程渋滞にはまって、ようやく脱出。お二人を送って、ついでに神戸で母親を乗せて明石に帰った。Y女史と夕食を食べた。キャベツが美味しかった。

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ここ最近、右手首のあたりの具合が悪く、どうも力が入りにくい。イベントの時、仕事中、パソコンのキーボードを長く叩いているとそうなるんだろうか。原因がよくわからない。夜寝る前に肘から手首のあたりまで、エアーサロンパスを吹き付けて眠りに就く。表面に表れてきた疲れを、一生懸命誤魔化しているかのようだ。冷たくなった右手首に対して、左手首を包むぬくもりがほのかに嬉しい。


01/10/19 Fri.

「到達」

本屋に行って、とくにあてもなく、ただなんとなく「これくらいの値段で、これくらいの厚みで、こんな趣旨の本がないかなぁ」とイメージして探してみる。それらの条件にマッチした本が見つかると、すごく嬉しくなる。ジュンク堂で本、HMVで春名さんのCDを購入。星電に寄ると、目をつけていたPROTREKの腕時計が売れてなくなってしまっていた。それはとても悲しかった。また入荷するかなぁ?

最近夜10時まで営業している星電社の明石店。
一階のみのオープン。特に安いわけでも、品揃えが良いわけでもない店舗では、店員がいつも暇そうに、ほとんどやって来ないお客さんを待ち続けている。ここまで来ると、サービスというよりも悲壮感が漂っていて、傍目哀れである。震災以後、軒並み給料は3割カットになったらしいし、店舗は続々閉鎖。神戸近辺では、時間の問題…という噂があちこちで聞かれるけれど、やっぱり危ないんだろうか。好きなお店だっただけに、そうはなって欲しくはないなぁと思うのだけれど。震災とデフレ、いろんなところでその影響は拡がっていることを身近に体感する。

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大学時代の友人Sが、中国に異動の話が延期になって落ち込んでいた。
仮にも4年間中国語を学んだからには、そういうチャンスで自分の実力を試してみたいらしい(ないんだけどなぁ)。ビジネスの世界で、自分の翼を広げられるかそうではないかは、実力以上に運も必要なのかもしれない。僕はこれからどんな仕事をしていくのだろう。元気のない商店街やリストラなどの寂しいニュースを聞くと、もっとリアルと融合した商品を取り扱いたいような気もするし、もっと地元に還元出来るような貢献をしたいとも思う。いずれにせよ、仕事を通じて自分が世の中の歯車のひとつになっているのだということを実感出来ればやりがいも持てるだろう。

それは与えられるものでなく、自分で見つけるべきだと思っている。
自分が一つの場所に止まり続けたくないなぁと思うのは、時間の経過と共にそこが「居心地の良い場所」だと感じるようになれば、もはやそれ以上の自分自身の成長は見込めないからだ。神戸の市役所の連中なんてそれが顕著で、毎日それを目の前で見ていると、余計にそういうことを思う。あんな毎日を定年まで続けることは、自分にとって懲役を食らうも同然であって、言い方は悪いかもしれないけれど、僕はそれらの種の労働しか出来ない人間よりは優位な立場であり続けたく、歩みを決して止めたくはない。

大木に寄りかかるのは楽だと思うけど、自分の足で立ち上がることも出来ない人生なんてのはやっぱり悲しい。己を奮起させ、いつか必ずという具体的な目標を持ちながら、今を継続させていくこと。どこに到達したいのかというイメージ。見据えれば、確かな段差のある階段が認識出来る。これを、どう上り詰めていくかということが今これからの課題なんだろうという気がする。あとはそして、未来に共感して貰える仲間をどれだけ増やせるかということが重要かな。

長い人生だと思っちゃいるけど、いつのまにか責任を求められる年齢に、そして覚悟を求められる時代になってきている。
手持ちのカードを増やしていかなくては。


01/10/18 Thu.

「産出」

@代休。

地の底に吸い込まれるように眠っていた。いつも起きる時間になって、意識だけは目を覚まし身体は深く眠りの底にいた。魂だけが浮遊しているかのような感覚。休日を理解して睡眠を欲する身体に対して、精神は日常に戻ろうとする。しっかり休まねば…と心に刻み付ける。なんとなく疲れのピークである気がして、今日はのんびりしようと決めていた。

身体を起こす頃、激しい頭痛に襲われる。
風邪をひいたらしい。昨日雨に打たれた弟も40度の熱を出していた。薬を飲んで大人しくする。昼頃になって、仕事関係のメールがいくつか携帯に転送されだしたので、自宅パソコンや携帯メールから対応する。頭痛もましになってきて、ようやく活動を始めたのもこの頃だ。

買い物に行って、散髪に行った。
帰宅してビデオを観た。本を読んだ。少し時期が早いけれど、コタツも出して冬に備えた。犬たちは早速潜りはじめていた。犬たちと過ごす間に、胸のうちのストレスを溶かそうと努めた。素直で純粋な宝物たちは、ふんわりと心を癒してくれる。言葉のいらない話し相手たちの寝顔を見つめる午後。

次の水曜日は代休は取れなさそう。
前後の週末もイベントに挟まれて、精神と肉体をどんな風にコントロールしていこうかな…とぼんやり考えていた。休みを意識して行動するのが一番リズムがつかみやすく、その休みと休みのインターバルが長くなると黒いため息がこぼれてしまう。とにかく、まったりと過ごす時間をもっと持ちたいなぁと望んでいる。

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夜は、どうも、ありがとう。


01/10/17 Wed.

「反発」

柳美里の『命』を読破。

自分と似ているところがある人なのかもしれない、と思った。自分の血を受け継いだ命が誕生すること、そして、自分の命がいつか果てることを想像し、それを経て、その時が来るまで、自分はどのように向かい合って生きていくのだろうか、、、そんなことを思いつづけた。

どこで、何が待っているか分からない道。それが人生なんだろうな。

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爆発した。

今度から、骨量イベントに参加した休日の手当ては出そうかという話になって(今年になって出ていなかった)、それは賛成だがイベントは朝が早いため体調も乱れやすい。労基法に照らし合わせても代休との選択制(→昨年までの従来通りの方法)にすべきだろうと主張したあたりで、話がこじれた。乱暴な言い方でまとめれば、金は出すから休むな、という主張に対して僕が反発した形だ。ならば、僕以外の人間もイベントに行くような体制にすればいい、と追撃もかけた。

好意的な解釈の仕方をすれば、自分の存在が認めれているからこそ平日に休んで欲しくはないということだろう。とはいえ、そうは簡単に納得出来ることでもなく、メールでの主張を繰り返し、話し合い、とりあえずは落ち着いた形になっている。もっとも、最終的な結論が明文化されたわけでなく、これからの展開如何によっては、このマグマがどんな形になるかはわからない。

願わくば、もう爆発するようなことがあって欲しくはないけれど、吹き溜まりがいくつも出来た火山はまるで予断を許さない状況であるとも言える。多分主張は繰り返されていくことだろう。それが正しいのであれ、間違えているのであれ、僕は思ったことを口にして行動に起こす。意味もなく年齢や立場が上であるという理由だけで、それが全て正しいと思い込まされることほど嫌なことはないと考えているからだ。

言葉の主張では決して臆することがない。
生意気な奴だよね、ほんとに。

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朝一番で出かけた西神南にある会社は、高校吹奏楽部時代のKちゃんが働いているところ。担当の方にそのことを告げたら、わざわざ呼び出してくれた。会話もぎこちなく、名刺交換のついでに近況を伝え合って別れた。

夕方になって、やはり高校吹奏楽部時代のNからメール。最近、高校時代のN先生と結婚して新婚生活を満喫中。ちょうど今、やはり高校吹奏楽部時代のH(←ちなみにHは中学時代の先生と結婚していて、今二人目がお腹にいるらしい)が遊びに来ているとのことで、少しだけ電話で話をした。結婚生活は、良いものでもないけれど悪いものでもないらしい。人それぞれ感じ方はあるのだろうけれど、自分はどうなのだろう。やっぱりちょっと不思議な感じがする。内側ではまだまだ子供だと思っている精神も、結婚を経て何かが変化するのだろうか。それとも、ずっとこのまんまだろうか。15歳の頃の自分を省みて、大きく変化していない物事への考え方からすれば、死ぬまでこの性格は改まらないような気もする。身勝手で生意気、だけど、子供の玩具には目をきらきらさせて喜んでいる大人。まぁ、そんなところか。

結婚しても、良い人間関係はいつまでも保ち続けたいものだ。そして何より、母や弟、犬たち、今共に暮らす家族たちにいろんなことをしてあげられればいいな、と思う。長男だから、というしがらみによるものではなく、やはり今ある自分を形成してくれた感謝の気持ちから、親孝行をしたいという気持ちは昔から持ちつづけているものであり、夢の一つでもある。

結婚を考えている彼女にはこのことを話しているし、理解も示してくれていて本当に有り難いな、と思っている。この人で良かったな、と思う瞬間でもある。もちろん、彼女の表面には表れない配慮や苦慮もあるだろうし、僕はそれらがストレスにならないようにケアしていってあげねば、ということも感じている。将来的には、最近仲良くしている彼女の妹も含め、彼女の両親の幸せも考えてあげられるような、それだけの「ちから」を持ちたいと思っている。

自分が幸せになろうとすることが、みんなの幸せに繋がるようなそんな結婚でありたい。
最近、いろんな人の結婚観を聞くたびに、そういうことを自覚するようになってきた。

自分一人では出来ないことも、二人でならば出来る。 だから君を選んだのだ、と。

これからもそんな気持ちで、人生を歩んでいきたいね。


01/10/16 Tue.

「公約」

リーダーシップを取ることが好きらしい。
元来の目立ちたがりな性格もあるのだけれど、誰かに任せてしまうとそれがじれったく思えることが多く、ならば自分で…という短絡的な発想から、自ら立候補して挑戦してみることが多かったように思う。委員長やら生徒会長やらクラブの部長やら何かの代表やら…。

はじめてのリーダーシップは、小学校2年生の時。
委員長選挙に立候補した。公約として、クラスの誰よりも朝早く教室に来て、みんなの表情を眺める。いつもと違う表情の子がいれば、その話し相手となって原因を考える。先生が来るまでの間に、喧嘩なんかがないかどうか、きちんと見ておく、ってのを掲げた。委員長に選ばれて、実際それが任期の最後まで守られたかどうかは記憶が定かではないのだけれど、学年が上がるときに先生から随分と褒められた記憶はあるので、わりと頑張れていたのではないだろうか。そこで評価されたことが、後々の自分の人生に大きな影響を与えていることは間違いないと思う(目立ちたがりの性格を助長させたとも言い換えられるんだけど)。

僕がリーダーに向いているのかどうかはわからない。
ただ、一般論として、このときの考え方と行動はリーダーにふさわしいものであると言えるんじゃないかと思う。
耳で聞くことよりも、己の目で確かめること。己自身が感じること、気がつくこと。これが肝要なんじゃないだろうか。

野球の監督だってそうだ。
コーチの言うことだけに耳を傾けるんじゃなく、選手一人一人のコンディションを自分の目で確かめることによって、采配が揮える。勘を働かせることができる。現場の空気もわからないまま、ベンチにふんぞりかえっているような監督なんて、選手の誰も信用しないし、チームだって勝てやしないだろう。

リーダーと呼ばれる人には、呼ばれる立場にある人には、是非その「目」を養って欲しいものだと思う。
いつも何かを感じ取ろうとするその視線に、選手は自然と尊敬と信頼を寄せるようになることだろう。

そしてこれから、自分自身がいろんな人に信頼して貰えるように、このことを心がけていくべきであるだと強く思う。好かれようとすることではない、あいつなら…と思って貰えるようになること。それを目指すことが、今までの歩みから考えてももっとも自分らしいと思う。

いま、ここにこれを記す意味は、シグナルでもあるのだけれど、それももう今更どっちでもいいかな。

確かな道へ。僕らは生きていく。


01/10/15 Mon.

「反復」

神戸市役所で働く人間は、ツッカケを履いて仕事をしている奴が多い…という話を聞いた。
意識して見てみると、確かにそうだった。

情けない。それをなんとも思わないこともそうだし、それを注意出来る上の人間がいないことも情けないと思った。こんな所で働いてたら、一生ここにしがみついていないとやっていけないんだろうな、と思った。外の風は冷たいということを誰一人として知らないんだろう。気楽なもんだと思う。だらだらしてる姿を見ると、この3分の1くらいの人数でも十分やっていけるだろうという気がする。年度末に道路を掘り返す工事も無駄だと思うけれど、こんな種の労働に対して税金が費やされていることも、本当に無駄だと思う。

市民が交代で、どの職員が何時に休みを取ってどれくらい休憩しているのか、といった観察も行っていると聞いて驚いた。そこまで信用されてないということについて、もはや諦めているんだろうか。理解出来ない僕は、やっぱり稼ぐという意識で持って労働はすべきだな、と思った。

@金曜日。

先日トラブルのあった川西まで出かける。パソコンをリプレースするだけで完了すると思われたその仕事は、担当のちょっとしたミスで思わぬ時間を取られることになった。現地でフロッピーディスクを買い求め、PHSから社内のネットワークに入り込んでドライバをダウンロード。持ってきたパソコンにドライバを移しこんで、ようやくそこから作業開始となる。5分で終わるはずだった作業は、2時間かかってようやく終了。狭くて埃っぽいバックヤード、乾燥した場所での作業に、身体は異様に疲れを覚えた。A4サイズのパソコンを往復持ち運んで、腰を痛めた。

週末のイベント機材を車に積み込んで、会社の戸締りをして帰る。

@土曜日。

大久保まで行って、芋を貰ってきた。
現地でちょっとモメた。偉そうに言われると、最近我慢出来ない。

Y女史&妹&音楽的相棒と4人で出かける。朝霧駅前のWARE HOUSEでケーキを気持ち悪くなるほど食べ、ゲームセンターとバッティングセンターとビリヤードに行った。これだけ遊んだのは久しぶりかもしれない、というほど遊んだ。4人とも、太鼓で遊ぶゲームがかなり気に入ったらしい。夜はこれもお気に入りの店でスパゲティを食べた。妹&音楽的相棒の、ポーアイ一周デートの話を聞いて受けた。実に馬鹿っぽくてよかった。うんうん。

場を盛り上げねば…とテンションを高くして喋ったり遊んだりしていたのだけれど、その間中ずっと、身体の奥に湿り込んだ疲労を自覚していた。精神的な疲れは、こうやってストレスを発散する形で日干ししてやらなくちゃならない。きっと、これの繰り返しなのかもしれないけれど。

@日曜日。

イベント。

朝7時過ぎにTさんを迎えに行くことになっていたのだが、後で聞いてみると、その日の朝5時ごろに僕がTさんのところに電話をかけていたらしい。寝ぼけていたんだろうか。無意識のうちにそういう行動をしている自分が怖い。いろんなプレッシャーがかかってくる。イベントの朝、起きなければならないという抑圧はかなりのストレスになる。そんなストレスを癒してくれるメールに、少しほっとする。

宝塚劇場を、ガラス一枚隔てたこちら側で骨量イベント。
WさんとKさん。Kさんは初めての方。

相変わらず段取りが悪くて、クレームを受け続けた。頭を下げ続けた。主催者側にこのあたりの配慮をしてもらわないと、いい加減刺されてしまいそうだ。不公平にならないようにいろんな配慮をしていると、結果的に様々な敵対心がこちらに向けられることになる。多分、僕がお客さんの立場ならめちゃくちゃゴネることだろう。ホントに、なんとかしないといけないな、と思う。

休憩時間に劇場のところで「宝塚」のパンフレットを見た。また観に来たいな、と思った。人を惹きこむことが出来るパワーの裏には、それこそ血のにじむような努力と苦労があったことだろう。やみくもな苦労ではなく、未来に花を咲かせることが出来る努力を行える自分でありたいと思う。是非是非、また観にこよう。

阪神競馬場の横を通って2号線から六甲へ。お二人を送ってから帰宅する。
早く帰りたいのに、行楽帰りだと思われるカップルや家族の車で渋滞していて、嫌な気持ちになった。

王将でご飯を食べて、CASAの高丸店でお茶を飲みながらゼクシィをめくった。
そろそろ決めていかなくちゃいけないことがあるのに、混沌とした自分の心の内は、そして今の立場はどうなのだろう。これが、未来への根であり茎であり、そして双葉であるのだろうか。何かに少しでも依存すると、納得出来ないことが必ず生じるという因果を感じている。はやく、確固たる、自分の力で生きていける知識と技術を身につけたいと思う。貰って生きていくような、甘ったるいのはだるくて仕方がない。


01/10/12 Fri.

「信号」

求められることは、報告に頼らなくても全てを把握出来る能力があるかということだ。
現状を知らずして、未来を語る程愚かなことはない。

信号はわかりやすく発せられている。
壁の向こうで何を見るのか、何を知るのか。

浮かび上がる数字だけを知る傍らに
沈み込むココロがあることを覚えなければ

予定航路に大きな氷山が現われて
やがて僕らは映画の如き運命を辿ることになる。


01/10/11 Thu.

「時差」

マネープラス11月号に掲載中〜。
遠い友人知人に現況を伝える、大変便利な手段…。

@火曜日。

一日中頭がぼーっとしていた。週末のイベントで早起きを強いられると、その週の平日のリズムを取り戻すことが出来ない。週末に行っていることと平日に行っていることに関連性があるのならまだしも、まったく別個の性質を持つものであるから頭の切り替えもスムーズにはいかない。時差ぼけで苦しむタイプだろうと思う。全身に倦怠感が残る。先週末からの続きのように仕事が進むと、話をされると、無性に腹が立った。連休何してた?というメールに、携帯を投げつけたいような気持ちになった。疎外感さえ感じる。正当な権利であるはずなのに、恐縮した思いで水曜日の代休届を出す。

会社を出る頃には雨が降っていた。空にまで馬鹿にされているようだった。
ずぶ濡れになって帰る。帰宅して、すぐN君の家に車で出かける。
22時過ぎに帰宅して、母親を古本屋に連れていく。15冊ほど買い込んでいた。
僕は漫画を一冊と、戦争に関する書籍を一冊買った。
ようやく本当の帰宅で、24時ちょっと前に遅い晩飯。

漫画を読み終えてから眠りに就いた。
明日、この続きを買いにいこうと思った。

@水曜日、代休。

朝5時過ぎに目が覚める。リズムが戻らない。
下手に戻すと、次の週末にやってくるイベントの早朝起床に対応出来ない。本当に難しい。
無理矢理もう一度毛布をかぶる。9時頃になって雨音も少し小さくなったので、起きて犬の散歩に出かけた。眠気はないが、瞼が異様に重たい。眼圧がすごいように思えた、疲れを感じる。根本的なものを取り除かなければ、いくら休日をとっても癒せない疲れなのかもしれない精神的なもの。

母親と買い物。いつも行くスーパーや、この時期道路沿いに並ぶ野菜や果物の直売、JAの直売所などに足を運ぶ。たっぷりと野菜と果物を買い込んで、母親は満足気だった。冬に旅行に行きたいという母。本当はそのお金を出してあげたいと思っていた。ずっと尾を引いている。我慢をしている自分、我慢をさせている自分。周囲を満足させられる環境を選ぼう。カウントダウン開始。

古本屋や書店を廻って、昨日の続きを購入する。
自分が今勉強している分野に関わることなので、非常に刺激的で楽しい。こうして自分を触発するような題材を与えてあげることが大事。この勉強を続けていけば、チームではなく、個として、己の能力で勝負していける自信が持てた。チームなら頂点にいたい、下でやるなら一人でやりたい。

晩、Y女史を明石駅まで迎えにいく。
そのまま車で西明石駅まで。事故のあった西明石駅構内の喫茶店を横目に、ミスドに入って軽い食事。今回のクッションは欲しいと思う。普通に買ったほうがきっと安いのだろうと思いながら、こうして策略にはまっていく自分。お金はなくても、ケチにはなりたくない、賢くありたい。

夜、携帯に届くY女史からのメールに救われた。
誰かを守りたいという決意は、自分の存在の証明なのかもしれない。人生のどこに重きを置くかといえば、僕は、あらゆるシガラミを内包しない「生活」であると答えるだろう。何人であっても、生活の中に介入してくるものは全て排除する。しんどい思いをしてしまう自分の性格を良く理解しているからこそ、そういった生き方をしていかないときっと幸せになれないと思う。自分が幸せになる生き方をしないで、どうして他の誰かを幸せにすることが出来るだろうか。決意は続いている、そして日々増幅していく。想えば想うほど、これは確かなものとなる。


01/10/09 Tue.

「緩和」

@土曜日。

嵐山オルゴール館。ブライダルフェア兼ランチパーティー。邸宅を借り切って、オルゴールの音色の中で式と宴を行うことが出来る素敵な場所。自分にとっても思い出深い京都の土地、大好きだった嵐山という場所で二人のスタートを切ることが出来れば幸せだろうなぁと思った。一日一組限定というのも実に理想的だ。食事も美味しかったしなぁ。

夜はY女史の高校時代の友人、ガチャピンにそっくりのがっちゃん(見たまま)と3人で寺町のあたりで食事をする。会うのは二回目だけれど、以前会った時からの変化について事前にいろいろ聞いていたので、自分のペースで話すことが出来た。気を使わないでいい相手と過ごす時間は、ほっとするね。

帰宅したら、日付が変わっていた。
明日は朝早いんだ。

@日曜日。

イベント。阪神パーク。
段取りの悪さもあって、来場者の方々からものすごいクレームを頂いた。あぁ、それは主催者側に言ってくれなくちゃ…と、どうにも出来ない立場の弱さを意識しながら申し訳ございませんと謝る。謝りながら、長くお待たせしているお客様の測定をスピードを上げてこなす。次から次へ、次から次へ。

一緒に組んだ方はOさんとWさん。それぞれ、どちらも僕と組むのは初めての方。
ありがとうございました。

明石に戻って、今日のことを愚痴った。
そして、秋の連休なのに、今日も明日も一緒に過ごせないことを心から詫びた。

@月曜日。

イベント。高槻ジャスコ。
朝5時半に起きる。地下鉄の伊川谷の駅まで栄養士のFさんを迎えにいく。はじめまして。
居眠り運転で阪神高速と名神を飛ばし、集合時間の30分前(7:30)に到着。
イベントスタートは10時。何して待ってますの…。

ジャスコの従業員入り口からバックヤードを通ってイベント開催場所へ。
売り場はこうして作られていくのだな。売る人たちのプロ意識みたいなものが、すごく感じられた。
従業員用のトイレも使ってみた。驚くほど綺麗に掃除されていた。お客様用トイレが綺麗であることは勿論であるとして、お客様を接待する立場の店員も清潔でいなければならない…ということなのではないだろうか。プロだ、すごい。プロだ、すごい。モノを売る人は、ホントにいろんなことを考えながら行動している。媚びることなく自信を持ってお客様に接して、今日を稼ぐのだ、という意識を持ち続けている。

高槻でのイベントは、特に問題もなく進んだ。
昨日のことがあったせいか、特に今日のお客様は紳士的で協力的な方が多かったように思う。
測定時、"ありがとう"といった一声をかけられる割合はすごく高かったな。

休憩時間、宝石屋さんを覗いてみた。
いろいろ見せてもらって、簡単に説明もしてもらった。
なるほど、これくらいの価格帯だと5万円で輝きが全然違いますね。
でも、このへんくらいになると、万華鏡みたいな奴で覗かないと、その違いわからないですね。

帰路。同様に名神と阪神高速を居眠り運転で帰ろうと思ったが、お送りするお二人(Fさん&Sさん)のマダム&おばさんトークに圧倒された。"女はみんなこうなるのよっ"と激しく主張していた。うーん、うーん、ならないで欲しいと思った。

せめて夕食でも。お好み焼き。

嵐山で貰ったカタログは捨ててしまおうかと思ってる、と聞かされた。
予算の範囲では、どうやっても無理らしい。

予算の枠を増やしてあげられない、自分の力不足が無念だった。
指輪もなかなか買ってあげられなくて、休みの日も一緒に過ごせなくて、いろいろ犠牲にしてんのに、収入が変わらないんじゃどうしようもならない。納得出来ないことだらけだ。今独身だから、若いから、そんな理由でお人好しになってしまう、我慢を強いられる立場なのだったら、それは自分の大嫌いな年功序列に他ならないわけで。

頼りにしてくれる人には応えたい。
でも、利用しようとする人には、もう懲り懲りだ。

自分の未来も運命も、今これからの取捨選択にかかっている。
ただそのことを強く思った。


01/10/05 Fri.

「簡単」

朝一番で、いつもイベントをご一緒するYさんからお電話。
年齢差を関係なく、良いお付き合いをさせて頂いていて、いつも気持がいい。

自分の存在も、そんな風に思ってもられるようになりたいなぁ。

イベントの打ち合わせ。Tさん。

ピザを食べてる姿にウケた。遅い昼食ですね、お忙しいのですねぇ。
いろいろ考えてくれて、ありがとうございます。

嫌な仕事や嫌な相手もたくさんある、いる毎日。
それでも、その中から信頼関係が築かれていってるなぁ…と実感出来るときは、やっぱり楽し。そういうことが得意な人間でありたいと思う。なんだかんだ言っても、慕われている人・人脈のある人ってのは、やっぱりすごいと思うんだよ。どんなに知識があっても、どんなに財産があっても、「人財」を持たない人から学べることは、自分にとってかなり限定的だ。生きてる知識、それを人から学ぶことが有意義に思えるな。

仕事しないで生きていけりゃ楽だと思うけど、それは絶対に無理なわけで、ならば僕はやっぱり、多くの人と交流の機会が生まれるポジションで頑張っていたい。少なくとも、同じことを繰り返しているだけの毎日なんてのは、飽きっぽい自分には絶対我慢出来ないだろう。というか、プライドがそれを許さない。

まいどまいどの主張、それは「稼ぐ」意識でありたいということ。
「貰ってる」と思うような、思われるような、そんな甘い社会人には間違ってもなりたくない。

===

あれはどうやろ、これはどうやろ。
こんなんしてくれ、それやってくれ。
こうしたほうがええんちゃうか、ああしたほうがええんちゃうか。

わかっとう、わかっとう。

今日の僕は一人なので、明日の僕に頼んでください。


01/10/04 Thu.

「躊躇」

会社のメールアドレスは、緊急な用件にも対応出来るよう携帯アドレスに転送する設定になっているところが多い。うちの会社もそうだし、取引先のいくつかでもそんなところがある。いつでも即時に届けることが出来るというのが電子メールのメリットではあるのだけれど、そんな背景を知っているとメールを送信するのにも躊躇してしまう機会が増えてきた。自分自身、緊急性を伴う案件以外は一切プライベートの時間に割り込んで欲しいとは思わないし、このメールが転送されていくのだと思うと、休日や夜間にお客さんのところにメールを送るのも抵抗がある。

便利になる世の中で、ストレスが増加していくのもわかるような気がする。
生活していくために、人はいったいどれだけの鎖に縛られなければいけないのだろうか。

近いうちに、自分の人生において一波乱といえる出来事が起こりそうな、そんな予感のしている今日この頃のストレス具合。未熟さ故に、自分は平気で「キレて」しまえるところが、時に欠点であるとは思うんだけれど、こんな状況では「長所」であるとも言えるだろう。我慢することは嫌いだし、これからもずっと、それに耐えられる精神力が身につくとも思えない。評価される反面、僕はその評価を下す人間のことも冷静に見ている。評価が納得出来ないものであれば、その人物に対する僕からの攻撃だって始める。背中を向けて走り出していくことにも、何ら躊躇しない。

こんな時代であるとはいえ、今現在の立場にしがみつかねばどうしようもない…といった程、僕は困らない自信もあるし、根拠もある。澱んだ川の水に飽きたならば、大きな海に泳ぎだして、違う世界を知ってみることも必要だろうし、そのチャンスも今ならあると言える。同じしんどい努力をするのならば、少しでも二人での生活に有利な環境を選んでいく。毎日毎日、その決意を綴って、自分の未来を見失わない。

===

代休。

弟の病院に行ったり保健所に行ったり犬たちのエサをたくさん買い込んだりスーパーに行ったり。母と弟と、3人で過ごした。あまりない組み合わせで、実に久しぶりの会話であったような気がする。二人の本音を聞いて、力になりたいと思った。やっぱり今のまんまじゃだめだ。

弟が、兄である自分をどう必要としているか、どのように評価しているのか。
なるほど、何も考えてないようで、案外見てるところは見ているのだな、と感じた。
それがわかってるなら、何かしてあげられるかもしれない。

給料カットになるかもしれないという身近な人の話。

ある程度予測出来たこととは言え、同じ立場になって考えればやっぱり納得いかないよな。
またそれは、自分自身が影響を受けることでもあるわけだから。

これ以上しんどくなってたまるか。

===

わかってくれてる人からの一言には救われるなぁ。


01/10/03 Wed.

「休日」

秋は休みが不規則になるので、水曜日を休みにするよう務める。
休日が潰れていくのは悲しい。

イベントをしていたという事実を知らなかったのだなぁ・・・とわかる、そのメールも悲しい。

人からやる気を奪っていくのは、実に簡単だ。
逆をすりゃいいのに。逆の行為。逆の配慮、発言。

それで、やる気でんのに。案外単純なものなのに。

難しいことなのかなぁ。組みなおせば僕なら、もっとちゃんと統率出来る自信がある。

===

@川西池田。

長く粘って、結局また足を運ぶことになった。
こういう経費(交通費)って、勿体無いよなぁ。省ける無駄を考えて、還元せにゃーいかん。上の件と同じ内容になるけど。そういった部分を不透明にしちゃうと、空気はすぐに澱む。

担当の方は、「また来ます」という僕の言葉に嬉しそうだった。
パソコンのことで、色々と聞きたいことがあるらしい。
デパートで接客の仕事をされている方のお話は、自分にとっても興味深い。

「いらっしゃいませー」のんが、似合う。声、だしたい。
そういう育ち方してるねんもん。自分で稼ぎたい。

===

今までに、いろんな人から貰ったメールを読み返してみた。

自分のまわりには、勇気のある人や、とてもやさしい人、ユニークな人や責任感のある人など、「長所」のわかりやすい人がたくさんいるのだなぁと改めて思った。僕はこういう人から貰いつづけている小さな玉を、自分に取り込んで、大きな一つの風船を膨らませていきたいと思っている。それぞれの良さから比べると、自分の中にあるものは、いかに薄汚れていて、とても小さく、輝きを発しないものなのだろうかとため息が出る。

人生の中で、何人の尊敬出来る人、あるいは、見習いたいと思う人を持てるかで、形成されるものは大きく変わるんじゃないかな。形成されるものが異なるということは、それによって得られる結果も異なるということだ。ここ数日、数ヶ月、数年。自分の周囲で、そんな出会いがどれぐらい会っただろう。

もう数年もすれば、いずれ自分もOutputな人間になっていくことが求められるだろう。
そのときのためにも、Inputの手段となる人との出会いは、もっと大事にしていきたいと思う。

ほんとになぁ・・・。

===

おやすみ水曜日。のんびりすごしたい。すごせるかな?


01/10/02 Tue.

「中継」

@日曜日。

プラチナって、ダイヤとかと同じ「石」ではないのですね。
学習学習 ← やっぱりかなりアホらしい。

色々指輪を見たり、腕時計を見たりしながら三宮周辺を練り歩く。
うねうね、うねうね。
おぉ、こんなところにこんなお店が。

あら、でもそれだと星電社の方が安いですね。

夕方からY女史宅。 時間が出来てしまったY女史妹と三人で『Pay Forward』という映画を観る。
善意を伝える。うん、それは思い通りにいかず苦しいこと。

右手に持った荷物を左手に持ち替えようとした瞬間、ばらばらと袋が破けてしまうような。
そんな空しさと切なさが、道に広がる行為。
気を使ってしまう性格は、時に気を使いすぎて自分自身もしんどいし、相手にもしんどい。

みんなが、もうちょっと相手の気持ちを思いやれればいいのに・・・と、そう思う。

とにもかくにも、Y女史妹の作るカレーはとっても美味しかった。
ごちそうさまでした。幸せだなぁ、家族っていいね。

===

企画書を持ってきて欲しいと言われていて、だけど社内での協力が得られなければ苦しいので、自分ひとりで出来ることがないかと考えていたここ数日間。安いPCカメラと既存の商用利用可能なフリーウェアを組み合わせるだけで、携帯電話向けのちょっと面白いかもしれないコンテンツを作ることが出来た。あとはそれが、実際に面白いものとして受け入れられるかどうかだ。誰に相談することもなく、ぽちぽちと考えるのは寂しい。

先日退職されたHさんは、社内での評価はともかく、自分自身は良いパートナーだと思っていた。細部まで決まった案件については納期に間に合わせるように作業してくれたし、提案型の案件については、様々なヒントをくれたり相談に乗ってくれたりもした。自分がこの業界で営業らしく仕事をしていくために、とても心強い存在だったなぁと思う。企業とは、大きくても小さくても、一つのチームであることは間違いなく、それぞれの立場やポジションといったものを尊重しあわなければ、決して前に進んでいくことは出来ない。

「すごいね」と言われたら「あなただって」と応じればいい。
「がんばりますよ」と言われたら「僕だって」と励ましあえばいい。

ゼロにならないための努力、また、その成果に対して「つまらない仕事」であるとか「やらないほうがマシ」であると言われたら、人間誰だって拗ねますよ。時には、予算に合わせた日数管理も必要だってこと、理解して欲しいもんです。

===

愚痴っぽくなる。実際、愚痴なんだけど。

携帯から閲覧可能なウェブカメラを実現したその日の夜、電脳的相棒は自宅からの『生中継』を実現させていた。時計の針が一秒毎リアルタイムに動いていく様子に感動する。すごいなすごいなすごいな。こういうことが、ストレスなく出来ちゃう時代になってきてるんだもんな。こんなインフラに対して柔和な発想が出来る人間でいなければならないと思う。"いんたーねっと"という世界は、過去からの概念を打ち破りながら常に新しいものを生み出しつづけているんだから。あとはこの波に、何を乗せるかということを考えなければならない。

僕らは、時代の変化に対応出来るようアンテナは張っている。
間違えてるんじゃない、きっと、時代がもうすぐ追いつくのだという自信を持ちつづけるために。



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