01/12/31 Mon. 「対策」 |
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プロバイダのミスで、一部のメールが削除されてしまっているようです。 ここ数週間の間で、メールを送ったのに返事があらへんやないけ…という方。僕の目に触れることなく、そのメールが削除されてしまった可能性がありますので、心当たりがありましたら再送していただきます様お願いします。
今年はどんな一年でしたか? === @金曜日。
2人だけの忘年会。明石の白木屋にて。 @土曜日。
朝一番で大阪空港へ。 西宮から高速に乗って、明石に戻る。撮りためていたビデオを一部消化して、19時ごろからY女史と晩御飯。新しく出来た釜揚げうどんのお店で、温かな麺を喉で味わう。
夜、家に帰るとOさんから文化博物館の招待券が2枚届いていた。 @日曜日。 夢の中にいる頃、宅配便のお兄さんの元気な声で起される。田舎の静岡からみかんが届いた。早速箱を開けて、2、3ぱくっ。それを朝ご飯代わりにして、再び夢に戻る。次に気が付いたのは昼の1時過ぎだった。眠りすぎたなぁ…と思いながら、のそのそと起き出してやっぱりビデオを見る。連休などに、こうして自宅でのんびりしてビデオなんかの"消化活動"を行うことは、幸せ。 ビデオを見終えて、パソコンにある作業を仕込んでおいて、そのまま放置。風呂に入って、明石駅まで母親と弟を車で迎えに行った。家族での忘年会…なんて感じで、今日もまた(汗)焼肉を食べることになる。家族での忘年会に、犬がいないのはどうにも寂しいよね、、、という話になって、犬たちのために店員さんに隠れながらこそこそとお肉を持ち帰る(→ほんとは犬をお店に連れていってあげて、一緒に食べさせてあげたいんだけどなぁ)。帰ったら、それを美味しそうに食べる3匹。この子供たちの癒しに、今年も僕はどれだけ助けられたことだろう。 Y女史は駅前の白木屋で高校時代の友人Gちゃんと飲んでいるはずなのだけれど、どうやら年末の慌しさで、頼んだ料理が全然出てこないと不満のメールを僕に送ってくる。それなら注文キャンセルして、ショバを移動しては? と提案して、再びキューブ号発進。2人を乗せて、僕ら2人がよく行く焼き鳥屋に行った。ばた、飲みすぎ(酔)。さすがに食べる方は焼肉を食べた直後なので、ほとんど入らなかった。 アルコールに気持ち良く身を任せて、とろんとした視界の向こう側を確かめながらハンドルを握る(汗)。 Gちゃんを家の前まで送ってあげると、その前に停めてあった車が邪魔になってはいけない…と前に進んでくれたのだけれど、後部座席左側のドアを開いたまま前進して左に寄るものだから、壁のところで"がじがじっ"。 おばさんが、縦線の入った表情を浮かべながら車のボディを確認して、また、前に走り出してくれた。悪いことしちゃいないけど、そのタイミングがなければつかなかった傷なんだろうなぁ・・・と思うと、ちょっと罪悪感を感じずにはいられなかったな。
少し風邪っぽくて、Y女史から薬を貰った。 風邪は引き始めが肝要。対策を十分に施してから、明日も夢の延長戦をたっぷり楽しめることに喜びを覚えつつ、今から眠ることにしよう。2001年最後のメッセージ。 おやすみなさい、良い夢を。
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01/12/28 Fri. 「蕎麦」 |
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Nと明石の蕎麦屋で夕食。 隣の席の女性から、帰り際声をかけられた。眼鏡を外していた僕は、一瞬それが誰だかわからず良く見てみると、中学の時塾が一緒で高校も一緒だったTさんだった。彼女は今何をしているんだろう? 確か前に会ったときはどこかの学校で臨時の教職員として働いていたと思うんだけれど。 女性は会うたび変化していくなぁ。僕はどんどんおっさん化してる。来年はそれに比例して(?)、中身も成長させられる一年でありたいなぁと思う。 金曜日で仕事納め。今年は暦が良く、9連休という休みを満喫することが出来る。何をするという具体的な予定は今のところないけれど、とりあえず明日は熊本に行く(→毎年恒例:千春のディナーショー)母親を大阪空港まで朝一番で送ってあげることになっている。こういうことでしか今は親孝行を表現出来ない無力さが情けない。自分の親に対しても、妻となる人に対しても、将来できるかもしれない自分の子供に対しても、「家族」に対しては誠実で一生懸命でありたい。今年一年は、この自分の内側にあった「家族」という意識が表面化してきた一年であったのではないか。結婚という具体的なイベントを意識し始めた頃から、考え方は変わってきた。"人に媚びることなく自分らしく生きたい"という信条は変わらない、ただ、自分の身の振り方・立場なんてものは、以前までのように「自分一人」を主体として考えなくなったことが著しい変化であると言える。自分自身の身体・精神、そして選択・判断…それら全てのものが、誰の人生に影響を与えていくかということを本当に強く意識するようになった。自分はもっと「俺のやり方に黙ってついてこい」みたいな、そんな考え方をする人間であり続けるだろうなぁと思っていたのだけれど、思いのほか、自分の身近な人に対しては気遣いが出来るようになっていて、それは成長した部分だなぁと感じている。
もっとも、具体的じゃないことがたくさんあって、心構えだけじゃどうしようもならないってのもまた現実。 ===
今年出会った人たちにも、たくさんのことを学ばせて頂いた。 そして、同様に自分のことも人から見られているのだよ、ということも身体で覚えた一年だった。
人間関係の中で感じていくことは、来年も、それから先も、きっと今年と同じような繰り返しだろう。
ペースを作っていくこと、ペースを保っていくこと。
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01/12/27 Thu. 「時期」 |
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コンビニに立ち寄って、雑誌を2冊。 必ず見かけるこの2冊だけれど、同じ時期にこの2冊を買う人はまずいないだろうなぁ…と、レジでお金を渡しながら思う。1つを読みながら、その自分を仮定して、これが実現出来るのかな、ともう1つを読みながら想像する。具体化への加速はどんどん進んでいき、今はもう何の躊躇もない。何度も繰り返し思うこと、それは、、どちらが間違えていて、どちらが正しいということはもはや重要ではないってことだ。自分が悪者ならば、それでいい。むしろそれの方が良い。そんなことを議論する気力があるならば、こうして現実的に考えていくことに時間を費やしたいと思う。心にはすっかりバリアーが張られていて、新境地への緊張感が自分の内側から少しずつ高まりつつある。 ===
今年は年賀状を書かないことにした。
けじめをつけたいという意味もある。 形だけ、とか、付き合いに有効期限が見え始めた人や団体、とか。
それが自分にとって本当に必要かな、という気もしているので。
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01/12/26 Wed. 「営業」 |
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注文や注文に繋がりそうな問い合わせは、何故か同じ日に集中することが多い。平均してオーダーが貰えるのも嬉しいのだけれど、こうしてまとまった数が決まっていくというのも楽しい。「売る」ということはお客様に対して下手に出なければならないといった誤解をされがちだけれど、営業の対応と駆け引き一つで、双方にとって気持ちの良い結果で(感謝して貰う形で)まとまることだってある。心理戦を越えたところで、どれだけの余韻や感動を味わえるかってのが僕の営業ポリシーであり理想とするところだな。人に負けたくないという昔からの負けず嫌いも手伝って、僕は基本的にはメーカーであれ販社であれ、営業がアドバンテージを取っている会社や組織が好きだ。そんな中で自分を競争させたいと思う(もしも自分が営業という職をこれからもしていくのであれば、だけど)。何かのペースに合わせて営業をしていくスタイルは、基本的には好きじゃない。好き、嫌い、というよりも、自分には合わないって言うべきか。 会社の数だけ営業のスタイルってのもあるだろうし、営業マンの数だけそのスタイルもある。それがこの職種の醍醐味とも言える部分だ。だから僕は、マニュアル的な営業スタイルは大嫌いで、いかに自分のオリジナリティを出していくか…ということをいつも考えている。それは「魅せ方」にしてもそう、今自分自身がいる「立場や環境」においてもそう。合わせようとするんじゃなくて、合わせさせるくらいの勢いがなけりゃだめだし、試みて報われなければ、それはもう自分が負けたってことになるんだろうね。
同じやるなら、楽しく、自分らしくやりたいなぁと、そう思うことがしょっちゅう。 ===
クリスマスケーキを2つ。
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01/12/25 Tue. 「責任」 |
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クリスマスイブに街を歩いていて、電話が鳴る。 あぁ、お客さんからの仕事の電話だ。
お客さんはトラブルに直面しているので、こうして電話をかけてくるのは必然的なことだ。 ただ、本来のうちの会社の担当者が自分の携帯番号を客には断固として教えないために、僕のところにこうして連絡が来るってのはどうなんだろうなぁと正直疑問に思った。向こうだってそれを承知の上で僕に電話をしてきている。だから僕の対応に限界があることもよく判ってくれているし、それでも、藁をも掴む気持ちで僕のところに電話をかけてきていることもよくわかる。電話をかけてきた担当の方は、僕が休みの日なのに申し訳ない…と恐縮さえしてくれている。お客さんに恐縮して貰うような姿勢は、客商売という言葉が好きな僕には我慢出来ない。心から申し訳ないと思った。
ある仕事の話も、ある事情によりどうやらお断りすることになりそうだ。 でも、その「お断り」の理由を説明するのに、相手は素人なのだから、せめてわかりやすい資料なり、形にしたものを持っていくのが誠意だと思うのだけれど「どうせ断るのなら、口で説明したらいいでしょ」っていう言い方はどうなんだ? 適当すぎないか? 少なくとも「相談」されていることなのに。 それで責任を果たしているつもりだろうけれど、僕はお客さんと向かい合う立場として、それは大人として情けないくらいの無責任な行為だと思う。考え方が違うのかもしれないけれど、こんなレベルの低いところに自分の考えをすり合わせるだなんてことは、まっぴらゴメンだ。自分が腐っていくのを感じる。自分も、それでいいかと思うことさえある。こんな風じゃなかったのに。自分まで腐ったミカンになっちゃうのか。 @金曜日。
Yさんからお電話。仕事の話、有難うございます。 夜、中学時代の友人Yから電話があった。 @土曜日。
朝一番の電話。1時間にも及ぶ"インタビュー"。 4人でボーリング。リベンジならず。2ゲーム目でコツを思い出したのだけれど、10フレーム目で逆転負けしてしまった。ホントに悔しい。これからボーリングに通う頻度が増えそうだ。大久保でCHAGE&ASKAのCDを買い、楽器屋に寄って、それから夜はみんなでちゃんこ鍋を食べて帰った。 @日曜日。 焼き鳥が美味しかった。ポイントを駆使しまくって、現金を一切使わない夕食。 @月曜日。 三宮。WindMIDIを2人の結婚資金貯金の一部を切り崩して購入。早速家に帰ったら練習したらしく、携帯電話ごしにその成果を聞かせてくれた。いいプレゼントになったかな? 値切りも成功して、計画通りの予算で購入成功。レジで、カードが使えなくて焦った、恥ずかしかった。違うカードを出して、それは通った。うーん、カードは一本化してポイントを貯めたいのだけれどなぁ。こういうときのために予備のカードがあって良かった。 伊川谷にある"いちもん"という落ち着いた創作料理のお店で夕食。すごく美味しかった。値段に比例してやっぱり美味しくなるってんなら、水準を高めていい生活がしたいよなぁと思った。このお店は、また、是非行きたい(→ただ、内輪っぽい雰囲気がどうかな、と思った。店の人間と客があまりに仲良すぎると、一見のお客さんは馴染みにくいからなぁ。きちんとした挨拶や対応が出来るかどうかで、このお店に次にまた来たい、と思えるかが決まる)。 その後は神戸学院の近くにある可愛い喫茶店でケーキセットを食べて帰りました。店内はクリスマス一色で綺麗に装飾されていたし、お皿までがクリスマス。ケーキの上にもサンタさんのお菓子がのっていて、非常にいい雰囲気でした。ADSLパソコンも使えるらしいので、今度から調べ物があったらここのお店にやってこようと思った。そういうわけで、今年のクリスマスは僕ら、「はじめてのお店に行って、思い出を作りましょう」というコンセプトで過ごしたのでした。
やっぱり"来年のクリスマスは…"という話になるね。
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01/12/21 Fri. 「紹介」 |
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NさんTさんと久しぶりに。 色々話を聞いて貰って、そしてこれからも話を聞いて下さいとお願いした。 Nさんには今度、彼女を紹介することも約束した(照) シャワー派だった僕が、そのシャワーが壊れてしまったため、最近はお風呂を沸かして湯船に浸かるようにしている。習慣になってくると、毎日の疲れの残り具合が全然違って体調もすこぶる良い。半身浴だと長く浸かれるし体にもいいよ…とホームページで見て知ったので、ここ数日それも試している。確かにのんびり入れるんだけれども、昨日は長く浸かりすぎて、気がついたら寝ていた。そして、のぼせて死にかけた(^^; 立ちくらみなんて程度じゃない半端ではない眩暈に襲われたなぁ。さすがに怖かった。 携帯のJavaアプリで、ソリティアがあるのだけれど、これにはまってしまった。地味に長く楽しめるので、パソコンでも暇があればやるのだけれど、これがどこででも、いつでも出来るってのは良い。電車の中でやってると、思わず一駅二駅乗り越してでも続けたくなるような衝動にかられてしまう。まさに中毒。
金銭的なところで余裕が出来て、ようやくほっと出来そう。
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01/12/20 Thu. 「電話」 |
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ちょっとした電話恐怖症になっている。 会社の電話でも自分の携帯電話でも、呼び出しの音が鳴ると瞬間に「何かあったんじゃないか?」と思ってしまう。電話に出て内容を聞いて、ようやくほっと出来る。これはたまらないストレスだ。自分の携帯電話でさえも、それほどプライベートな内容でかかってくることが少なくなったということだろうか。前はもっと友人からどんどん電話がかかってきていたような気がするのだけれど、だとすれば寂しいことだな。何気にやってくるメールだけが、今はプライベートな自分の表情を素直に見せられる瞬間で、安心出来る時でもある。誰かと絶えず繋がっていたい。
日記の日付が20日になった。 そして僕は毎年、この季節のこの時期にこんなことを思っている。感想なのに、習慣的行為であって、それもおかしいといえばやっぱりおかしい。 ===
メールでずーーーっと粘り強く交渉。
分母は少ないからなぁ、これはどうしても。
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01/12/19 Wed. 「土地」 |
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土地って、安けりゃ何かある。不便だったり形状が良くなかったり。色んな条件から考えて"あれ?それでも安いよなぁ…"なんて思う土地は、だいたい歴史的背景のあるところだ。僕らが良く道徳の授業で習った言葉で言えば「部落」ってことかな。んなもん関係ないやろーって思うのだけれど、価格にモロに表れてきていることから考えると、やっぱり気にする人は多いのかもしれない。七曜とか部落とか、古来の慣習が日常の足枷になってるっていうのは、他の国から見たらきっと異様なんだろうなぁ。 労金なんかだとオーバーローン(→いわゆる二重帳簿だな)を駆使すれば、お金も結構借りられるということはわかった。あとは、その範囲でどういう条件のものを考えるかってことだよな。中古っていう選択肢も現実的かなぁと思い始めたり、それともやっぱり、最初は我慢しようかと思ったり、親世帯が住める家だけをとりあえずプレゼントしようか…なんてことも考えてみたり。 あぁ、とにかく金がないのは悲しいなぁ、とシミジミ。 ===
東京から電話。
自分の「表現」に対して、具体的なアプローチがあるのだということを自信に思う。 === 彼女と僕は今はお互いが実家なわけで、会う時は大抵外でということになるのだけれど、落ち着いた話をしたい時や何かを決めたいと思った時は、やっぱり部屋の中の落ち着いた場所で出来ればなぁと思う。重大な決断をするのに急ぐのも何なので、結婚して2人で部屋を借りてから、そして決めてもいいかな、と思うこともしばしばだ。
何をするにも、環境って大事だよ。 教え子N君の家で一緒に年賀状をパソコンで作りながら、来年はどんな年賀状を作るんだろう、そしてそれを誰に送るのだろう、と考えた。送る相手が増えた分だけ、送らなくなる人も増えるのだろうな、という気もする。その時の環境次第、かな。
もっとも、今年ホントに年賀状を送るつもりがあるのかどうか、今現在まだ定かじゃないんだけど(^^;
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01/12/18 Tue. 「強要」 |
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@Y女史的職場の話。
「新人やから、飲み会ではもっと動きなさい」 あほかっちゅうねん。いつの時代の話や、そんなん。 仲のいい同士なら、全然構わないですよ。むしろ積極的でいいんですよ。でもね、毎日職場で顔つき合わせてるような人間と、どうして頻繁に飲みニケーションする必要があるわけですか? 無駄じゃないですか? そんなの。 で、下のもんが上のもんに…とか、そういうのって、やめましょうよ。アホ上司に、どうして自分の彼女がそんなことする必要があるわけですか? 外部と接触の機会が少ない、閉じられた世界で働く人たちは、すぐに仲良しこよしを強要したがるけれど、ほんとにそんなん必要ですか? ものすごく無駄じゃないですか? 楽しいからいいじゃない…って、楽しいと思えるはずがないでしょ? 楽しいのは、ホントにごく一部でしょ? したらアカンて言うてるわけやないけれども、それを強要したり、馬鹿大学生みたいに頻繁にしたがるのって、どうしても理解に苦しみますよ。 「この時期付き合いで…」なんて言葉を口にして、同じようなメンバーとばかりつるんでる連中も同じ。そんなんて、自分には時間とお金の無駄に思えてしまう。欧米なんかだと、こんなこと絶対ないじゃないですか。飲み会みたいなくだらんことしないで、パーティー、ってな感じで、自分の奥さんを連れてきたりしてやるじゃないですか? で、自分たちの都合に合わせて、会が途中でもさっさと帰ってしまう。僕は、あぁいうスタイルがすごく合理的だし、「付き合い」という意味で考えるのであっても、家族ぐるみで、より親密になるからいいじゃないか…と思うんだけどな。僕は「飲みに行きませんか?」と誘われることは嫌いじゃないし、すごく嬉しいなぁと思うんだけど、さらに「彼女もご一緒に」なんて言って貰えると、実に嬉しかったりする。いやいや、それじゃぁ〜そちらも連れてきてくださいよ〜、みたいに言えて、その人との距離をより身近なものに感じることが出来るでしょう? (そういう風に誘ってくれ、と言ってるわけじゃないですよ > 関係者各位(^^;) ビジネスライクな「職場だけの付き合い」や「営業としての付き合い」ってのは、それは表面的でとっても悲しいことだと思うんですね、それならやらない方がいい、って。でも、どうせやるなら、僕はもっと親密になれる付き合い方を求めたい。ゆえに僕は、自分という人間をオープンにする意味でも、仲の良い人には仕事で知り合った方でもこのページの存在をお教えしているし、メールのやりとりや電話の中でも、社交辞令も言わないし嘘もつかない。誘われて嫌な相手だったらはっきり断ってるし、誘われてお付き合いしたい人に対しては「是非」と返事をしている。日本の営業マンに求められるような、八方美人的なところって、自分にはないんですよ。わりとそのへんは、はっきりしている。でも、旧来のスタイルって、今時(これからも)流行らないと思いませんか?? 職場の「慰安旅行」なんかもそうですよね。どうしてそれに家族を連れていかない? 連れていっちゃいけない? それに何の意味がある? 最近になって、ようやく家族も一緒にお越し下さい…的なスタイルのところが増えてきたけど(これも向こうの影響だろうな)、僕はもっともっと、それが当たり前になればいいと思ってる。外資系企業なんかだと、奥さんや子供の誕生日は休暇に…なんてところもありますよね。あれはイイなぁと思う。アメリカなんかだと、奥さんを連れて社交的な場に参加するのが当たり前なのに、日本ではまるでそれが恥ずかしいことであるかのような風潮があって、どうにも納得がいかない。なんで自分の選んだ伴侶なのに、堂々と出来ないんだ? 既成の概念が崩壊し始めた今の日本だから、きっとこれからはそんな考え方も改まっていくのかもしれないけれど、僕はどうしても旧い時代に生きた人たちの考え方を強要されたり、それが当たり前だと主張されることに嫌悪感を覚えてしまう。早くそういう考え方が淘汰されてしまえばいいなぁ…って思う。リストラで失業者が増えることを懸念される昨今だけれど、もしもその大部分がそんな考え方をしている人たちだとしたら、もう戻ってきて欲しくはないよなぁ、なんて、そんな冷たいことも考えてみたりする。ほんとイヤなんだな、いかにも日本的な人間関係って。
家にこだわりたいってのは、それもあるのかも。 また来て下さいね。 心からそう思えること。そんな居場所を作ることが僕の夢だし、そんな風に思える人たちとお付き合いしていけることが、自分にとっての幸せなのです。でね、こういうことを書くと鼻を鳴らす人がいるんですよ。"ふんっ、そんなんで社会で通用するかぁ"ってね。いいんですいいんです、僕はそういう人と付き合いたくないし、「それでも、これからの社会では通用する」ということを実証するのが、僕の理想と目標なのですから。
これは僕の考え方で、そして僕の家族と、僕の身近な人に理解されていれば、今はまだそれでいい。 すなわち、僕とは、こういう人であるのだと。 はい、お付き合い有難うございました。
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01/12/17 Mon. 「帳簿」 |
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夏から延々と続いていた赤字生活(→カードをうまく使ってやりくりしてきた期間)からようやく逃れられそう。貧困生活からの脱出と同時に、カード利用によってポイントが結構貯まっているという嬉しいおまけもついてきた。やりくり大好き。 教え子のYちゃんから「私の生活で有効なカードを教えて欲しい」と頼まれているんだった。こういう相談は大好き。FPなんかは自分に絶対向いてるよなぁ。いいよね、人の役にも立てて。 @金曜日。 自己紹介ページを更新した。密かな楽しみ。
メールで仕込む。これは僕にしか出来ない。 取引先のサーバ引越しの件。前日にInterNICに申請をかけたものが、今日になってDBに反映されていた。まだうちの会社のDNSサーバには反映されていない。世界のネットワーク的には、一つのドメインに対してたどり着く場所が2つある状態なわけで、こういうのって不思議やなぁと思う。理屈をいくら聞いたところで、実際どれだけの小人さんがこの線の中を走り回ってるんや? と考えてまうな。 そうさ、僕は文系だから理屈じゃないのさ。
夜は観音屋に行きました。 @土曜日。
Y女史と三宮。 さんちか(=三宮の地下街は、略してこういうタウン名になっている)で電脳的相棒とすれ違った。そういえば今日は会社に出てくるって言ってたな。おーい、と声をかけると、気難しそうな顔から解き放たれてこちらに気がついた。何を考えていたんでしょうか? ユザワヤへと足を運ぶ。僕は「編んでみるみる」に興味があって、これで帽子でも作ってみようかなぁと思うのだけれど、とりあえず保留。Y女史はさすがに女の子らしく、各階毎に面白そうなものを見つけてはきゃっきゃと喜んでいた。僕は計算機のコーナーで、この前1300円で買った辞書付き電卓が4000円近い値段で売られているのを見て、きゃっきゃと喜んでいた。きゃっきゃカップル。 シマムラ楽器へ。シンセってどんなこと出来るんですか? と素人な顔をして聞いてみた。いつも中途半端な知識武装で行って"知ったかぶり"しちゃうもんだから、実は何もわからない。今日は謙虚に謙虚に。んで、色々とシンセのことを教えて貰っていると、Y女史がWX5に興味を示していた。これ、実は僕も欲しい奴なんだなっ。これを買えばシンセと繋いでこんなことが出来るんだよー…云々を語りながら、僕らはココリコで非常に物足りないランチを食べ(笑)、スターバックスでシナモンを食べて(美味しくない)、元町へと向かった。 元町のヤマハにもWX5が展示されていて、店員さんに「音を鳴らしてみてくださいっ!」 ほぉ。こんな風に鳴るのか。意外に簡単だね。でも、強弱って、どうやるんですか? って聞くと、「出来るはずだけど、よくわからない」と2人の店員さんが頭を抱え抱え頑張ってくれた。実は以前にも同じことをお客さんに聞かれ、かれこれ2週間以上戦っているらしい。どうやらこれからも戦いは続くらしく、僕らは「戦いが終わったらまた来ます」と伝えて、店を後にした(^^;
神戸。ハーバーランドで夕食。 @日曜日。
明石の住宅展示場。 夜になって、チラシを見ながら不動産会社に電話して、母と2人で現地まで足を運ぶ。っていうか、これじゃ不便だよ、そりゃ安いさ…みたいな。ブランドにこだわらず、いろんなバランスを考えた上で、一番いい条件で考えたいな。まぁこれについては時間はまだまだある。お金は全然ない(泣)。
12月になって、はじめてジョギングをお休みした日。 習慣になってくると、走らない日は気分悪いなぁ。
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01/12/14 Fri. 「誤解」 |
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最近夜な夜なジョギングをしている。 11時過ぎとか12時過ぎとか、遅い時間に外に出ていくものだから不審者扱いされやしないものかと、細心の注意を払いながら…。いかにも「ジョギングしてるんですよ」的な格好で、いかにも「走ってるんですよ」的に適度な汗と適度な息切れを起こしながら、毎日頑張っている。閑静な住宅街を走り抜けていくので、そういったポーズが大事。急に人に会ったりなんかすると、それで安心して貰えるみたい。物騒な世の中では、自分が物騒な事件に巻き込まれないようにするだけでなく、周囲に対しても「自分は怪しい奴じゃないっすよ」というカッコを見せる必要があるのだから、なかなかに大変だ。気苦労が絶えんなぁ。 昨日も同じように走っていると(正確には、ちょうど走り終えて歩いてた頃)前から一人の女性が歩いてくるのが見えた。バイクを押している。この寒いのに、この暗いのに、わざわざバイクを押して身体を鍛えているんでもなかろうし、"こりゃバイクが壊れたかガス欠かして、仕方なく押してるんだなぁ"という判断が誰にでも下せるそんな様子である。 "手伝ってあげようかなぁ"
と思った。思っただけ。結局手伝わなかった。 すれ違う瞬間、化粧が濃くて妙に「臭かった」ことは、とりあえず原因ではない。多分。(臭い化粧は嫌い)。 僕も向こうも歩いていたわけだから、そのすれ違う瞬間まで色々考えたわけね。手伝ってあげようか、、、でも、家の前まで行くと不安だろうから、家の近所まで押してあげますよ、ということにしてあげようか。でも声をかけたら不安になるだろうし、怖いだろうし、どうすべきかなぁ…と、激しく葛藤。ほんの20秒程の間に、そんなことをずーっと考えてた。 === こういうのって難しいもんです。善意のつもりだけれど、状況によってはそれが悪意のあることに思われてしまうかもしれない。あるいは、下心があることに思われるかもしれない。僕は以前、財布を拾って(→警察を信用してないもんだから)それを直接本人の家に電話して、届けてあげたことがあるのです。で、そしたらその家の人は「わかりやすい場所ですから」と近くの公園を指定して、そこに家族全員でやってきた。僕はその時「あぁ、家族全員で受け取りに来てくれて感謝してくれるだなんて、いい人たちだなぁ。いいことして良かったなぁ」って思ったけど、考えてみればそれも、用心だったのかもしれないな。"変な奴が財布拾ったことを恩に着せて、何かしら要求してくるんじゃないか。ほいだらばことあったらいかんけん、おとんもついていくばい"みたいなそんな家族会議があって、みんなでやってきたのかもしれない。ひょっとしたらやってきた車の中には、金属バットやら竹刀やらが置いてあったのかもしれない(考えすぎか)。
世の中のいろんな悪意のせいで、純粋な善意までが迷惑を被る。 朝の電車はいつもラッシュになるのだけれど、僕は出来るだけドアにもたれた姿勢で、必ず本を読むようにしている。きちんと両手を添えて。こんな世の中じゃ、変な揺れ方をしたら痴漢に間違われてしまうかもしれない…といった不安があるので、僕の両手はここにあります…といったアピールをしているわけである。そこまでする必要ないじゃないか、とも思うんだけど、それは決して自分の身の潔白を示すだけでなく、少しでも周囲の女性に「安心」して貰えれば、と思うからなんだよね。現実に痴漢という馬鹿が存在する以上、女性から見れば「男はそんなもん」という意識が働くだろうし、いやむしろ僕は、それくらいの気持ちでいてくれたらいいと思う。
いくら男女平等と法律で決めたところで、強いのは男だし弱いのは女です。
女の人がね、夜中に一人で歩いていても何も起こらないような安心した世の中になればいいですよ。
だから、女性には早く家に帰って欲しいと思う。 それは決して差別ではなくて、自分の大事な人たちに何かがあっては…と思う、男として当然のことなんですね。
男女が平等になって、社会参加していく意義は大きいと思う。 長い間日本は「主婦」という地位を卑下してきたところがあって、それが歪んだ結果、現在の社会的風潮ってのが存在してるんじゃないかな? という気がする。誤解を恐れずに言えば、僕自身の理想としては、やっぱり(自分の)相手には家を守っていて貰いたいなぁと思うな。何が起こるかわからない世の中では、やっぱり不安になっちまうことがたくさんあるさ。 ===
Y女史妹さん、ようやく自首しましたねー。
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01/12/13 Thu. 「勇気」 |
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千春のコンサート@神戸国際会館。 悪性リンパ種癌の子供が会場にやって来ていた。千春は彼にメッセージを投げかけ、最後、ステージにいつも飾られている一輪の薔薇をタオルにくるみ、そしてスタッフの手に渡して、彼にプレゼントしていた。彼の手に渡った時は終演後だったけれど、会場に幾らか残っていた人たちがその姿を見て、拍手を送っていた。心温まるこの光景、忘れたくないな。 クリスマスも近く、千春がアンコールで"Silent Night"を歌ってくれた。その時、「神戸、頑張れよ」とひとこと。この一言が暖かくて、思わず涙がこぼれたよ。どれだけの人が震災によって運命が変わったことだろう。あのとき、ちょうど僕は大学受験の真っ最中で、急きょ宿泊することになった京都のホテルではみんなにとても親切にして貰えたことを覚えている。あの頃とは、自分を取り巻く人間関係も環境も随分と変わったたなぁ…なんて、ふと、過ぎた時間のことを思い出した。僕にとって、これから先も昔を思い出す一つの境目になるかもしれない。 しんどく、くたびれた現在は、未来に、どんな思い出となって映ることだろう。
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01/12/12 Wed. 「専業」 |
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子供が出来るまでの共働きの期間は "DINKS" と呼ばれ、生涯でも一番貯蓄のペースを上げられる時期だとされている。 お金が貯まるから…という考え方も嫌だけれど、結婚して間もないうちは、共働きも仕方がないかもしれない。 僕はでも、出来るだけ早い時期に奥さんには、専業主婦として家にいてもらいたいな…という理想も持っている。
うちの両親は年中無休で店に出ていたので、家に誰もいないってことがどれだけ寂しいことだろうと思い続けてきた。 もっとも、理想と現実は時に大きくかけ離れたりもするのだけれど。 === 欲しいもの、理想とするもの。
まず、それらが「絶対」か「出来ることならば」で考える。 「絶対」としたものは、今すぐ手に入れようと努める。
たとえばそれが物質的なものであるならば… 我慢できない人なのだ。貯まったら買おう、とは思わない。欲しいという衝動が沸き起こった瞬間、そしてそれが「絶対」であると決め込まれたその瞬間から、実際に手にいれるまでの時間が長ければ長いほど、その時間のロスを勿体無いと思ってしまう。ならば、カードで買ってしまいましょう、ローンを組んで買ってしまいましょう、そして支払いの方法は後から考えましょう。お金が足らないなら、お金を増やす手段を考えましょう、、、という発想に至る。 まぁ勿論、ある程度の「自制」の上に衝動が沸き起こっているので無茶な計画はしないんだけれど、それでもとにかく、理想を実現させようとするときの自分の行動力というものは、なかなかのもんだと思う。思い立ってからのスピード、そのパワーはすごい。 === 上で述べたような「結婚後の理想」とは、今現在「絶対」には至らないけれども、やはり「絶対の範囲」に含まれていくことであろうと思う。そうなるともう、「将来」だなんて漠然とした未来がやってくるのを待っていてはいけないな、と考えるのは必然的な行為で、如何にして現状を打破し、理想的な未来を作り上げていくかという「現実的なこと」を考えていかねばならないと思うわけだ。 すなわち自分の頭で考え、判断し、そして自分の手と足で動け、ということ。 こういうことを口で言うのは簡単だし、「そんなことも言ってたなぁ」と過去の笑い話にしてしまうことだって出来る。でも、それじゃイヤだ。自分の人生には、自分で意味を添えていきたいと思う。楽な生き方もあるだろうし、しんどい生き方もあるだろうけれど、いずれにしても、自分が納得出来ていなければダメなのだと思っている。だから僕は「考える」の次の行為、その次のステップに駒を進め始めた。それはもう「実際」で、賽は投げられたと言っていい。 そのステップにて。
表現ひとつだな、という感想を持った。自分の足らない部分を、表現によって埋められる。 空っぽのままであることには変わりないから、これからの僕は、この中身を埋めていかねばなるまい。 ============
今朝も電車で後輩Hに会った。 中学時代の同級生Sからは「クリスマスケーキ買ってくれへん?」とメール。ノルマでもあるんかなぁ? 同じく、同級生Kさんからは「男友達探してる女の子おるねんけど、2、3人集められへん?」とメール。はは、コンパですか。あいにくそういうのは全く興味がないもので…。スルーパス。そういう"ノリ"が存在してることが、同じ年齢なのに若いなって気がして、ちょっと羨ましい感じしたけれど。ほんとにみんな、同じ年齢だってのに、それぞれがいろんな方向を見てるよなぁ。
25歳。 うーん、ほんとに早いな。
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01/12/11 Tue. 「専横」 |
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朝の電車で、後輩のHに会った。 吹奏楽部の後輩であり、家庭教師の教え子でもあり、ばた家庭教師の弟子でもある…はは。何年か前の今ごろは、毎日のように彼の家に行って授業をしていたことが思い出される。真夜中の12時から2時や3時頃まで授業なんてこともざらだったな。誰かの為に一生懸命になれたあの頃の自分は、そばにいる人には寂しい思いをさせたかもしれないけれど、一番自信を持って毎日を生きていられた頃だったのかもしれない。少なくとも、今よりは「誇り」のある日々だった。そんな自分を尊重してくれる人たちも周囲には多くいて、充実して楽しかった。 相手の立場を尊重する、ということがいかに重要か。 最近、それを痛感するようになった。簡単なようでいて、なかなか出来ないこと。僕はどうか? 出来てやしない。人間としての欠点は、そこいらあたりにある。人間関係が上手くいかない時は、大抵その部分が原因となる。冷静にそこまで分析出来ていても直せないものなのだから、これが自然と身についている人はやはり優れた人物であると評されるに然るべきだ。僕はそういう人でさえ、「うわべだけなんじゃないか?」とまず勘繰ってから、ようやくそうではないことがわかって、はじめて「尊敬の念」を抱くに至る。んー、どこまで性格が悪いのだろう。 この重要なことに気がついたのも、結局「自分の立場が尊重されていない」様々な事象に遭遇し、身を以って経験する機会が増えてきたからだろうと思う。自分が痛み始めて、ようやく自覚するという有様。酷いもんだよ、それも、これも。 === 押し付けられるものに抵抗を見せるのが、自分に残された最後のプライドであり、失いたくない姿勢。誰が正しい、どっちが間違えている…あたりの議論は、もはやどうでも良く(→愚痴については、裏日記で書いてるさ)、自分にとって「合う」か「合わないか」のみで考える。僕が責められる「結果」となった原因を作る「経緯」は、自分以外の人間の所為によるもので、それを振り返ることもせずに、咎められるのはどうしても納得がいかない。
それは自分には「合わない」こと。 中を向いてるのはイヤで、外を向いてやっていきたい… 理想って言えば理想かな。
「合わない」ものは、どうしたって仕方がない。 いま、確実に自分の周囲で沸き起こっている変化に、自分も身を委ねてみよう。
そう考えることが許される、現在の年齢と性格かな。
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01/12/10 Mon. 「測定」 | ||
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僕は昔から文章を書き綴るのが好きで、特にパソコン通信というものを始めた頃からはほぼ毎日、今と同じように日々の出来事を徒然なるままに書き記してきた。それが中学生の頃だったので、かれこれ13年はこの習慣を続けていることになる。昨日メールを頂いたEさんは、まだ一度も面識がないにも関わらず、その頃から僕の文章を読み続けて下さっている(→ありがとうございます)。間違いなく、自分の文章を世界の誰よりも読んで下さっている方で、僕の「変化」を客観的に見つめ続けてくれた方。公開された日記というものは、気恥ずかしさもある反面、いろんな人との繋がりを確かなものにしていくという現実からも、とても意味のある行為だな、という気がする。 今の会社で働くきっかけになったのもこの会社にパソコン通信で知り合った人が2人いたからだし、自分に対して転職など様々な声をかけて下さる方々も、やっぱりパソコン通信で知り合った人たちが多い。思うままに書き綴っている、ただそれだけの内容に、いったいどういう感想を持って、いったいどういう人間を想像し、いったいどういう未来を期待してくれたのだろう? と思うと、この行為の可能性と危険性さえ感じてしまう。 もっとも、どんな経歴書や履歴書よりも、ここに記されたことを読み綴って貰う方が自分という人間を理解して貰うには十分だと思うけれど。つまり、僕はここでは決してウソはついていない、ということだ。素直な表現の代償として、サーバ移転後、僕はこのホームページのアクセスログを取り、誰がページを見に来てくれているのか…ということも確認している。最近では、ネットの世界で知り合った人たちばかりでなく、現実世界での友人、知人など、実にたくさんの方に読んで頂いていることがわかる。そんな一人一人のことを考えて自分の本音を語ろうとすると、それは「作られたモノ」になってしまうのは必至なので、僕は、ひょっとすると不愉快な思いをさせてしまうかもしれない…という漠然とした懸念は覚えつつも、やっぱり今日も本音を綴るのであった。 @金曜日。
クライアントがウェブサーバ(レンタル業者)の引越しをしたいとのことで、その手配。
三宮界隈をぐるりと歩いて、結局いつものお店に落ち着く夜。 @土曜日。
先月オープンした明石駅前の「アスピア」に行く。
お、三宮のナガサワが入ってるのかー。 伊川谷の潤和で、具体的な距離を、歩幅で「測定」する(謎)。
夜になって、音楽的相棒とY女史妹と合流して、ゲームセンター(&バッティングセンター)に遊びにいく。
Y女史と、プリクラが半額だったので撮影した。 んで、そのあと4人で焼肉。例の如く。 @日曜日。
Y女史妹は、タージンに話しかけられて感激していた模様。
タージンを見送ったあと、アスピア・図書館に行った。
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01/12/07 Fri. 「束縛」 |
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大事な人が、自分以外の誰かと時間を過ごす。それが仕事であっても私的なことであっても、なんだかとても寂しいことに思えてしまう。一緒に時間を過ごせないことは勿論、有限である人生という時間の中の、限られた喜怒哀楽の瞬間・時間をその人に盗まれているような…それは本来自分に向けられるはずだったのではないか… そんな寂寂とした想いに胸が塞がれる。
嫉妬心が強く、人に依存しなければ生きていけない自分の弱さ。 わかってはいても、この弱志を如何とも出来ない。 矛盾とは良く言ったもので、自分が肩を寄せられる程の「強い人」を現実としては求めているにも関わらず、折々には、心情を感覚的に理解出来る人、すなわち自分と同種の「傷負人」を理想として求め、そうであるよう強制する。叶わなければ孤愁に陥り、他に起因するもの全てを排除しようとする。
大人になれば精神力とは逞しくなるものだろう、という想像もあったが。 === 傷は癒合していくようで、実際は、そこに目を向ける時間が少なくなっただけなのだろうと思う。
"時間が忘れさせてくれる" こういう台詞は表現を変えただけのもので、具体的な現実としては、ただ、「思い出さないようにする」コツを覚えただけなんじゃないかな? 世の中には繰り返される「同じ時間」や、変わることのない「同じ場所」というものが存在して、いくら目を背けていても、それが視界に飛び込んできた瞬間、…あぁ、もうダメだ。あの頃はあぁだった。どうして今はこんなになってしまったのだろう… という錯綜に陥ってしまう。 なまじ「コツ」を知っているがために、強がって笑ってみせられるのが、あとで …一人になったとき…、とっても虚しい。 === ふと、書きたくなったことだ。
傷は消えない。ただ、過去との訣別は出来る。
週末に心を踊らせる今は。 どうしてそんなことを書きたくなったのかは、わからない。
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01/12/06 Thu. 「抽出」 |
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自分から抽出される純度の高い負の感情(怒・哀)をもっと率直に綴りたい… という衝動が沸き起こる。このページでの自分は、本音だけれど、直接的ではなく間接的な表現に"理性"を利かせている場合が多い(→最近はあまりそうでもないけど、まだまだこんなもんじゃない)。「過去」になってしまった出来事ならば、なんの躊躇もなくズバっと書けるんだけれど、リアルタイムな事象はどこかで「読み手」を意識してしまってぼかした表現にしてしまう。 んなもん、ストレスになっちまうよな。
それが衝動のきっかけ。 この本音(日記)を補完する「具体的本音」(別日記)を作ろう!
愚痴は空気に紛れて消えてしまうけれど、綴るものは確かに残る。 で。
早速設置。というか、スペース確保(いまのとこね)。
ここを更新していくのは、変わらないです。基本的にはココ。ココが自分のありのまま。
もう決めた。 コンセプトはそれです。書くべし。書くべし。 ===
今日見た夢は、高校の吹奏楽部の頃のものでした。 何を暗示しているのでしょうか? ちなみに当時実際に部室で「カイワレダイコン」を育てていた人がいたのですが、夢の中ではそれがたくさん成長していて、部室を入ってすぐ右のところにあった予定を書く黒板には「土曜日午後から収穫祭を行います。中原」と書いてありました。先生…。相変わらず、字汚いです。 当時僕らが恐れていた(圧倒されてた)一級上のSaxパートの先輩方が、定演で着る衣装について打ち合わせをされておられます。看護婦さんの服がたくさん並べてあったので、それでいくつもりだったのかもしれません。これまた、何の暗示なのでしょう。 ===
これが夢なのが、とても残念だなぁ。
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01/12/05 Wed. 「背信」 |
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ついに僕に告げられることなく、黙ったままでそれは行われた。 完全な裏切りだと思った。 背信に対する、不信。
怒りまくっていた。暴れまくっていた。
平気でこういうこと出来る奴を、信じてたことが馬鹿らしい。
ここまでの時間は、全て嘘なのだと思った。 全部、延期しよう。
その種の人間は、もう信じない。
こっちに来たけりゃ、そっちを捨てろ。
それくらい、僕は怒っていた。
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01/12/04 Tue. 「表情」 |
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家のドアを開けた瞬間、それはわかった。 いつも元気に迎えてくれる犬たちが、どこか疲れたような元気のない表情で僕を待っている。そんなときは、決まって母親に「良くない」ニュースがあったときだ。「ただいま」と声をかけて普通に話をしているけれど、心ではその告白の瞬間を待っている。動揺しないで、それを受け止められるよう身構えておく必要がある。負のニュースに対して一緒に流されてはいけないのだということは長年の経験からわかっていて、例えそれが気休めであっても、僕は少しでも希望を持てるようなコトバをかけてあげることにしている。さて、今日はいったいどんなタイミングでその瞬間がやってくるだろう。 母親が手早く夕食を作ってくれて、僕がそれを食べているときにぼそっと呟いた。 「例のお店、今度**の跡地のビルを買って大きな店舗にするんだって」 === 例のお店ってのは、去年からうちの店のすぐ近所に出来たいわゆる「ライバル」店。そして**のビルというのは、今年になって倒産した8階建てのビルのこと。ライバル店というのは、うちの店の3軒隣にあって、**のビルはさらにその3軒程となりにある。同じ商店街のこれだけ近所に、同じような商品を扱う雑貨屋があって、そのお店がさらに大きなテナントを経営するとなれば、うちの店の経営がさらに苦しいものになることは必至で、母親はそれを気に病んでいるらしい。 そりゃそうだろうな、ずっとその店のことを存在を「鬱陶しい鬱陶しい…」って言ってたもん。それがもっと大きな店舗になってこちらにも少なからず影響があると考えたら、辛くもなるだろう。世の中ホントに世知辛い。 ライバル店があろうがなかろうが、既にうちの店の売上はあってないようなものだ。長くはないだろうという覚悟があるからこそ、僕も「若いから」という既成概念を嫌がって、自分の立場を何とかしようとしている。けれどやっぱり「意地」みたいなものもあって、このままじゃ悔しいよな…という気もする。母親には、思いつくまま気休めのコトバをかけはしたものの、根本が何も解決されないというのは結局虚しいものだ。財政的な面でもバックアップしてやれるようになりたく、故に僕は一日も早く資産を持って楽にしてあげたいとも思うんだけれど、ただ「家」があるだけでは勿論生きていけないわけで、その他諸々に必要なお金など、これからいったいどうしていったらいいんだろう。 だから僕には、年功序列じゃ間に合わないんだってば。 === 商品の企画会議。皮肉なことに作ろうとしている商品は、そんな個人商店を対象にしたようなモノであり、メンバーの一人が寄せた資料の中には「向上心のある人が経営する店ならば、きっと導入を検討するはず」と書かれてある。
"設備投資の時代じゃないと思うんですが。理想であって、現実を無視してないですか?" 作る人は、売る人の気持ちは理解出来ないし、ましてやそれを買う人の現実を理解出来る訳もない。それは仕方ないことだと思うし、多分一生かかってもわからないことだろう。だけどね、
「そんなことも出来ない店は、潰れていきますよー」
それは余計なお世話で、僕はキレてしまったな。 「売る」人が偉いのでも「作る」人が偉いのでもない。 ただ、「売り方」は「売る人」が詳しく、「作り方」は「作る人」が詳しいのであって、それらを尊重しあえれば良い。尊重しあうためには、数の論理「多数決」が、いかに邪魔なものであることだろう、そしてまた「時間的制約」がある以上、議論はあるラインで切断されてしまう。最後には"もう、これでいきましょう"というノリになる。この障害があっちゃ、埋まらないよ。いつまでもずっとずっと。変わらないよきっと。変わらなけりゃ、僕はいつまでも不本意なまんまだ。 せめて、僕と同じ立場の人がもう一人いれば窮屈じゃなくなるのに…。 === パラシュートはやっぱり装着しておこう。
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01/12/03 Mon. 「裏技」 |
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ウイルスが大流行中。 イヤなもんだけれど、信頼関係が崩れかけた取引先に的確なアドバイスを行って信用を取り戻すチャンスにもなるということを、これまでの経験上学んできている。案の定、週末の間にも直接携帯電話にそのヘルプを求める電話がかかってきて、全ての知識で対応する。少しはポイントをゲット出来ただろうか。 @金曜日。 「議論」と言ったって、勢いのある大きなベクトルが存在しているんじゃ関与のしようがないよ。ふと我に返って、台風の中心のはるか外側、渦の一番広がった部分で僕はあっさりと弾かれているかの如くだ。引下がるのも癪で「三段論法」を持ち出したら、それはまた別の機会に考えること、と。なるほど、それが前提なのに、後回しにされちゃ出番はない。言ってることは大概理解出来ているつもりだ、主張もよくわかる。ただ、立場が違うから、その受け止め方がこうも変わってくるんだろう。長いトンネルの入り口から作るチームと出口から作り始めるチーム。目的は一緒のはずなのに、各々のイメージする方向に突っ走り気味で、どうもこちらとあちらの道を繋げるあたりが僕らは苦手のようだ。本音ではどんなことを考えていただろう? "この種のモノは、そっちに主導権を取られたらやりにくいんだよ" って考えてたか。多分そうかもしれない、きっとそうだろう。"俺はこんなだぞ"と主張出来るあたりが、今までにない楽しい部分でもあり、やっぱり「数の論理」で打ち負かされてしまう虚しい部分でもあり。
阪急三宮駅北側でパスタを食べて帰った。 @土曜日。
Y女史的会社@尼崎。家に持ち帰りたいものがあるというので、ドライバーにしばた再び。 目も合わせず、勿論挨拶等することもなく、さっさとその場をやり過ごす。直感的に嫌いだと思った人間に対しては、仕事の時は別として、もう僕は何も出来ない。礼儀とかマナーとか、そういうことをわきまえていない種の人はホント嫌になる。それをいきなり態度に表すことの出来る自分は大胆かもしれないし、ただの"おこちゃま"かもしれない。ええねん、でも、「付き合っていかなあかん」というストレスを感じていくくらいならば、最初の瞬間に嫌われてしまった方が楽や… そんな考え方。 「芦屋の高級住宅街が見てみたい!」 山の手にぐんぐん。うわぁぁぁぁぁぁ、なんですか、これ。なんで家に、ロータリーとかあるんですか。うわぁぁぁ、この広さはなんですか。その建物はなんですか。うぉぉぉぉぉぉ。 書き残すのも嫌になる。とりあえず、車内の音声のみを記しておこう。 住宅展示場@垂水。
エス・バイ・エルと旭化成では、旭化成の方がいいお茶を使っていた。 旭化成は、モデルハウスの中に様々な展示がしてあって、じっくり見たいんだけれど、営業マントークが長すぎる。"もう説明はそこまででいいですよ…"的サインを送り続けているにも関わらず、トークは続く。まぁ何にも説明されないよりはいいんだけど、長すぎるのもどうかと。 旭化成の説明によれば、業界最大手のセキスイハウスの家でも、どないでしょうか、ってなもんらしい。確かにそうだなぁ、学ぶことは多かったぞ。中庭て、ええねぇ。
旭化成は資金的な相談にも乗ってくれた。 公務員と民間人だとそういう制度の違いがあるんだなぁ。かぁぁぁ、むかつきますなぁ、とそこでも悪態。奴ら、月度予算に合わせて締め日が近づくと残業とかしよる。予算がなければ5時帰り。この時期、暗くなるのが早いので、照明を見てるとそれがよくわかるんだよなぁ。なんで公務員にそんな手当が必要だねん、と、もう色々と腹が立って暴れまくっていた。税金なんて払いたくない。ほんとに無駄な存在のために浪費されるだけじゃない。えぇい。 旭化成での時間が長くなりすぎて他は見て廻れなかった。入り口のところでプレゼントが貰えたはずなのに、そこももう閉まっていて貰えなかった。すごく悲しかった。展示場の楽しみって、そんなんじゃん。 収穫は、植木鉢が一つ。サランラップが2つ。カレンダーが1つ。 @日曜日。 西明石の住宅会社。 「桂三枝のモノマネをする太平サブロー」のモノマネをさせたら、結構似てるだろうなぁと思う営業の方に説明をして貰った。「いらっしゃいませ」、あー、案外普通でつまらない。もっと声高に。ほら、ほら。 営業攻勢の強い会社だと思ってたんだけど、意外にそうでもなく、自分らの理想を現実的に叶えてくれるプランを提示してくれた。おぉ、しかもこれなら無理がないじゃん。お金を借りるある「裏技」も教えて貰った。へぇ、本店と支店で、そんな風になるわけですか…、驚いたな。この技使うんなら、公庫潰れても全然大丈夫じゃない。2階建てと3階建てにするのなら、21万しか違わないらしい(→固定資産税は変わるけど)。ここに相談したら、とりあえずバカにしないできちんと話を聞いてくれるから好印象を持ったよ。 「現実的にここでしたら、予算の範囲で二世帯住宅建てれます」 ということで、土地の地図を貰って、早速行ってみることにした。駅へのアクセスは不便になるけど、自分が好きな街の閑静な場所。ただ、日当たりがあまり良くないか。うーん、こうやって、何もない更地の土地を見にきてると、「お父さん、がんばっちゃうよ」って、そんな気持ちになるねぇ。いや、お父さんて。土地への憧れがますます強くなる。よーし、これからももっと勉強しよ。 === 土曜日と日曜日で、「ラストエンペラー」「プロポーズ」をDVD鑑賞。予備知識がなければ、これは理解出来ない、大学で何を学んだ中国語学科卒。「プロポーズ」はコミカルで楽しかった。こういうスピード感と笑いのある映画が見たい。
日曜帰宅後、家でまたモメる。 そんな気持ちがシンクロしあうことがあるから、理解しあえるのかもしれないなぁ。
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