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交響曲第3番



 カラヤンは、シベリウスの7つの交響曲のうち、この曲だけ録音を残していない。指揮をしたこともないのかどうか、それは知らないが、録音を残していないということはカラヤンにとって魅力を感じなかった曲なのだろう。それも頷けるような曲である。華麗さや豪快さに欠けるのだ。しかし、素朴な曲であり、なんとも味のある曲だと思う。私は気に入っている。

 第2楽章の主題は、素朴ではあるが心温まるメロディーで、何度も何度も繰り返される。いいかげんに飽きてしまうか、それとも永遠とも思えるような繰り返しに心地よさを覚えるか、紙一重のように思われる。指揮者の腕の見せどころなのだろう。

 最終楽章は、交響曲第2番とは対照的に、まだまだ続くと思っているうちに終わってしまう。まるで、マラソンでゴールしても力つきて倒れるのではなく、元気にウィニングランができるくらいの余裕を残したような終わり方である。満腹にならずに腹八分目で食べ終わるような終わり方と言ってもよい。すこぶる健康的な曲なのだ。



パーヴォ・ベルグルンド指揮  ヨーロッパ室内管

 比較的簡素な曲である第3番は、編成が小さなヨーロッパ室内管にとって最適な曲ではないだろうか。
 第1楽章は明るくすっきりとしていて、気持ちが良い。
 第2楽章はゆっくりしたテンポで情感がたっぷりな演奏。目を閉じてじっくりと聴いていると、心が吸い込まれていきそうだ。そのまま眠りにつけたら幸せだろうと思う。
 第3楽章の後半はゆったりと丁寧に進んでいく。金管にも終始余裕があり、美しい響きを聴かせてくれる。そうなのだ! 第3番の第3楽章は、こうでなくてはならない。こういう素晴らしい演奏を聴いていると、いつまでも続いていてほしいと思うのだが、この曲は突然終わりそうになり、それに気づいて「あっ!」と思ったとたんに本当に終わってしまう。それが残念でならない。


マゼール指揮 ピッツバーグ響

 第1楽章はテンポよく進むが、最後の方はじっくりと盛り上げてくれる。
 第2楽章に入ると、またさらさらと速いテンポで進む。マゼールには第2楽章をゆっくりと叙情的に演奏する気はなさそうだ。「ここは早く終わってしまうんだもね・・・それでいいんだよ。」と言わんばかりである。
 第3楽章の中盤から弦楽器が主題を演奏し始め、これが管楽器に引き継がれて終曲へと向かっていくところでは、最初の弦楽器の演奏が重く引きずるようなのに対して、その後に登場するホルンは、軽く弾むようである。この対比がおもしろい。マゼールは、なにか他人と違うことをしないと気が済まない性格なのだ。きっと、そうに違いない。


コリン・デイヴィス指揮 ロンドン響

 全体的に音が十分に鳴っており、力強く、重厚である。
 第1楽章は、ゆっくりしたテンポで、緊張感を保ちながら悠々と進む。他の演奏とは印象が違う。第3番は決して軽い曲だというわけではないことに気づかされる。
 第2楽章も遅いテンポで、重々しく演奏される。今まで聴いていた第2楽章の印象と異なるので違和感がないわけではないが、こういう濃厚な演奏があっても良いのかもしれない。
 第3楽章も重く引きずるように始まるが、徐々にスピードアップして活発になる。ただし「活発」とはいっても「軽快」ではない。重いことには変わりないから、まるで重戦車が周辺のものをなぎ倒しながらハイスピードで駆け抜けていくようだ。段々と迫力を増して勇壮な響きを聴かせて終わるかと思うと、最後の音が少し弱めになる。最後の最後まで意外な展開に驚かされる。


ペトリ・サカリ指揮 アイスランド響

 第一楽章の出だしは快活で明るい。軽快に進んでいく。しかし、終盤で速度がゆっくりとなり、じっくりと聴かせてくれる。伸びやかで広い世界が目の前に大きく広がっているような感覚。第一楽章を聴き終えた時点で既に充実感がある。
 そして第一楽章の最後がゆっくりであることが、緩徐楽章である第二楽章に自然につながっていくという効果をもたらしているように思う。
 第三楽章の半分ほど過ぎたところでコントラバスが下降するところは力強く、弦楽器が主題を奏でるところも、いくぶんゆっくりとして表情豊かであり、印象深い。全体的に聴き応えのある演奏である。