1.Romantic Symphonies & Overtures
2.Beethoven: Symphonies & Overtures
シューマン 交響曲第3番「ライン」(1969年)
全体的にテンポが遅く、堂々としている。悠々と流れる大河「ライン」を想像させる。ライン川より桁違いに大きなアマゾン川をすら思い浮かべるようだ・・・とは言いすぎだろうか? 最初から最後まで息の抜けない演奏。クレンペラーの質実剛健といった特徴がよく現れていると思う。
第1楽章から実に力強く雄大な演奏が始まり、その印象がずうっと続く。7分くらい経過してホルンが雄壮なメロディを奏でるところは、とても立派で素晴らしい。
第2楽章はスケルツオなので軽快に進むかと思えば、演奏はやはり堂々としていて、大河の流れが大きくうねっているようだ。ここにも軽さはない。
第4楽章はもともと重々しい曲が、クレンペラーにかかると、一層重々しく暗くなる。力強さを保ったまま、しっかり着実に前進しているように感じる。
最終楽章の第5楽章は、さすがにもう少しアップテンポで締めてほしかったと思う。もう少し速いテンポで跳ねるように演奏してもらえれば、それ以前の楽章との対比も面白く、そして十分な満足感をもって終わることができたのではないだろうか。
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」(1961年)
クレンペラーの特徴がよく現れた演奏だと思う。クレンペラーの指揮なのでテンポが遅いんじゃないかと予想して聴いてみると、やっぱり遅い。それもかなり遅い。第3楽章は Allegro Molto Vivace にもかかわらず、とても遅い。これはもう別の曲のようだ。もたもたしていて前に進むような気がしない。いくらなんでも遅すぎるように思う。
その他の第1楽章、第2楽章、第4楽章は、堂々とした風格を感じる。クレンペラーは、恣意的な味付けはしていないようで、「悲愴」という名前がついているにもかかわらず、とても立派で芯の強さを感じる。
第2楽章は、浮ついたようなところが全くなく、ほかの演奏では聴くことのできない落ち着きと重厚さがある。こんなに正々堂々とした第2楽章は聴いたことがない。
残念ながら、オーボエの音色がとてもヘンだ。抜けが悪くて、まるで鼻がつまったときの声のようだ。第3楽章は遅いうえにオーボエが目立つので、気になってしょうがない。どうにかならなかったのだろうか?
というわけで第3楽章は残念であるが、その他の楽章はそれを補って余りある立派さであり、トータル的には十分に満足できる仕上がりである。
ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」(1963年)
この曲も、骨太で雄壮に仕上がっている。だから、チェコの田舎を感じるわけでもなく、ドヴォルザークのアメリカでの郷愁を感じるわけでもない。そんな細かいことは度外視して、立派な交響曲の演奏を楽しめばよいのである。
特に中間の第2楽章と第3楽章にクレンペラーならではの特徴がある。
「家路」のメロディで知られる第2楽章は、あまり感傷的になることなく、どちらかというと淡々と進むのだが、決して軽いわけではなくて十分な重みを持って演奏されている。表情をあまりつけなくとも十分に感動できるのは、もとの曲がよいからなのだろう。
第3楽章は、他の演奏よりも遅いテンポであるが、それでも決して違和感がない。ひとつひとつの音が丁寧に扱われているようだ。それで当たり前と感じてしまうような、説得力のある遅さである。
第4楽章の終曲部分は、思ったよりも頑張ることなくあっさりしている。最後の音が長めに尾を引くのが特徴的。
フランク 交響曲(1966年)
フランクは交響曲を1曲しか書いていない。この交響曲は、もともと、とても暗くて重い曲である。
それをどんな曲を指揮しても重くなるクレンペラーが指揮するのだから、暗さと重さがかけ合わされていったいどんな演奏になるのだろうと、恐いもの見たさで聴いてみた。その結果、やはり期待を裏切らない暗さと重さであった。しかし、それは力強い暗さであり、落ち込んでいるような演奏ではない。
第2楽章は弦楽器のピッチカートで始まるから、少しは明るくなりそうなものであるが、この演奏はほとんど明るさを感じない。ピッチカートですら暗くて重いのだ。どうすればこんなふうになるのだろうか?
メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」(1960年)
全体的にゆっくりとしたテンポで、堂々とした演奏。
第1楽章から、実にゆったりとした遅いテンポで始まる。テンポが遅いとは言っても、緩い雰囲気ではなく、張りつめた緊張感がある。
第2楽章も、スケルツオにしては速くない。他の演奏よりも遅いので最初は違和感があるが、聴いていると、これでも良いのではないかと思ってしまう。しかし、指定された速度は Vivace non troppo だから、作曲者のメンデルスゾーンはもう少し速いテンポを指示しているはずだ。他の楽章も遅いので、この楽章はやはりもう少し速い方がよかったように思う。
そして第3楽章は、Adagioだから当然にしてゆっくりなのだが、他の指揮者に比べても遅いというわけではない。クレンペラーの場合は、遅いところは普通に遅く、速いところはあまり速くなく・・・といった演奏になることが多いと思う。憂鬱な雰囲気であり、灰色の雲に覆われたスコットランドといった印象であるが、ときどき雲の隙間から光が射しているような希望も感じることができる。
第4楽章のコーダは、3楽章まで聴いたところでの予想を裏切らない雄大さである。ぐっと腰を落として、ひとつひとつの音を噛みしめながら、力強く進む。第1楽章もそうなのだが、どこまでも広い荒涼としたスコットランド・・・という風景を思い浮かべるようだ。
オーケストラの演奏者にとってみれば、それまでの経験で体に染みこんでいるテンポよりも遅いから合わせにくいだろうなあと思うし、実際に縦の線が揃っていないように感じるところもある。それは、このスケールの大きな演奏にとっては些細なことなのだろうけれど・・・。
メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」(1960年)
さすがのクレンペラーも、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」は、遅く重々しく演奏することはできなかったようだ。この勝負、メンデルスゾーンの勝ちである(?)が、しかし、クレンペラーも十分に健闘している。
第1楽章はイタリアの明るい陽光を感じるようで、心地よい。他の指揮者と比べれば遅いのかもしれないが、それでも十分に軽快である。
第2楽章と第3楽章も、クレンペラーにしては意外にも足早の演奏で、すいすいと流れるように進む。実際にはいろいろなところに神経を使って表情豊かに演奏しているのだが、この曲の場合は気持ちよく流れていくのである。それこそが、メンデルスゾーンがこの曲に組み込んだ技なのだと思う。
第4楽章になって、ようやく力強さが出てくる。クレンペラーの本領発揮か? と思うのだが、圧倒的に力強いというほどでもなく、弦楽器の流れるようなスラーが気持ちよかったりする。どこまで行っても軽やかに麗しく流れていくのである。
メンデルスゾーン 真夏の夜の夢(1960年)
軽快に演奏されるはずのところがそうではなくて落ち着いたテンポであるのは、いつものクレンペラーである。
しかし、いったいどうしたことだろう? クレンペラーにしては珍しく、美しさや繊細さを感じることができる演奏になっている。クレンペラーらしい雄壮さが全くないわけではなく、ところどころに現れるのであるが、それはあまり目立たない。なんと、とても「美しい」のである。クレンペラーの指揮なのに・・・。
いつものクレンペラーとはひと味違う演奏になっていて、頑固なクレンペラーですらそのようにさせてしまうメンデルスゾーンは、やっぱりすごい・・・と思う。
ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」(1959年)
実に雄壮であり、「英雄」というこの交響曲の名称に相応しい立派な演奏である。
第1楽章が雄壮になるのは当然として、第2楽章の葬送行進曲も、悲しみに打ちひしがれているのではなく、しっかりと前を見据えながら、地に足をしっかりと降ろして、力を蓄えているような印象がある。
そして普通は軽やかになる第3楽章もまた、浮つくことがなく、普通よりはゆっくりめの落ち着いた演奏である。最初は面食らうが、なかなかおもしろいと思う。
第4楽章は、途中から金管楽器が大音量で鳴り響き、実に壮大であり、素晴らしい。終曲部分は、ベートーヴェンにしてはあまりしつこくなく、あっさりしているような印象がある。
ベートーベン 交響曲第4番(1957年)
ベートーヴェンの交響曲第4番は、第3番「皇帝」と第5番「運命」というとても有名な曲に挟まれていて肩身の狭い思いをしている。私も、ベートーヴェンの交響曲にしては特徴が少ないのかなと思っていた。
しかし、クレンペラーの第4番を聴いて、この曲も第3番や第5番と並べても全く遜色のない立派な曲だということがわかった。この演奏は力強く、実に雄大である。特に第1楽章の力強さと前に進もうとする圧力は感動ものであり、ベートーヴェンの強い思いが伝わってくるようである。これは他の演奏では感じられなかったことであり、クレンペラーだからこそ可能になった演奏だと思う。第1楽章だけでも十分に聴く価値がある。
ただ、オーボエの音色が変わっていて、オーボエ奏者だけはどこか別の世界に行っちゃっているような感がある。それもこの演奏を印象的なものにしているというふうにあえて肯定的にとらえてみたい。(ちょっと無理があるなぁ・・・。)
まるで頑丈な鎧を着た「運命」である。重い鎧なのでゆっくりとしか動けないが、とても力強くて戦闘モードである。
クレンペラーらしく、重厚であり、じっくりとしたテンポでしっかりと演奏している。少し遅すぎるかなあと思って聴いていたが、第4楽章に入ると、これでいいのだ! と強く感じることができた。実に雄大であり、感動的だ。