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グレン・グールド


自由と統制の間で − グレン・グールド

 ピアノ演奏家であるグレン・グールド(1932〜1982)は、自由だ。その曲をどのように弾くのが最も適切なのか、彼は自分自身の考えに従って弾きたいようにピアノを弾いている。他人の評判は気にせず、自分の思うように自由に弾いている。軽いタッチ、小気味よいスタッカート、そしてテンポ良く流れるように弾くことが多いが、逆にモーツァルトのピアノソナタ第11番第3楽章(トルコ行進曲)やベートーヴェンのピアノソナタ第23番(熱情)第1楽章のように、驚くほど遅いテンポで弾くこともある。誰がなんと言おうと、自分が弾きたいように弾く。ピアノを弾きながら歌ってもかまわない。唸りたければ唸れば良い。それがグレン・グールドであり、彼は自由である。

 しかし、自由だからといって、そのときの気分に左右されて勝手気ままに弾いているわけではない。こう弾くべしと考えたからには、その考え方に従ってきっちりと弾いている。ひとつひとつの音の実に細かいところまでしっかりと統制されているのだ。グレン・グールドは、このように弾こうと思えば、どのようにも思った通りに弾くことができるのだと思う。ひとつひとつの音について、強弱、長さ、タイミング、アクセントの付け方など、細かいニュアンスまで神経が行き届いていて、思い通りに弾くことができるテクニックを有している。だから、あのような演奏が可能になるのだと思う。どのように弾くことも可能なのだが、その曲にとって最も適切と思う弾き方で演奏し、それをレコーディングしている。

 自由でありながら細部まで統制されている。それがグレン・グールドの弾くピアノを聴いて感じることである。

 「統制されている」と書くと、おとなしい演奏だと思われるかもしれないが、全く逆である。とても活発であり、表情豊かであり、「弾(はじ)けている」と感じることが多い。そこから一歩足を進めれば断崖絶壁を落ちてしまう危険な場所のぎりぎり手前でかろうじて無事でいるような、スリリングな演奏を聞かせてくれる。つまり、どのように弾けるか、その弾け方もしっかりと統制されているのである。

 ただし、いつも十分に統制されているわけではないということも、ここに書いておかなければならない。23歳のときに録音したベートーヴェンのピアノソナタ第30番、31番、32番を聴くと、勢いにまかせて弾いていて、自分を制御できていないようにも感じる。若い頃にそうした演奏が多いのかもしれない。それからモーツァルトのピアノソナタをとてつもなく速く弾き飛ばすときも・・・。

 どのように演奏するのか、実際に聴くまで予想できない。自由と統制の間で揺れている。それが私にとってのグレン・グールドの魅力である。 

 彼がピアノを弾いているところを映像で見ると、茫然自失、身も心も曲の中に浸りきっている。右手だけで弾く部分では、空いている左手は宙をさまよい、指揮をするかのよう(彼は左利きだそうだ。)。ピアノに覆いかぶさらんばかりになり、その表情は恍惚的である。外の世界は全く見えず、完全に曲の中に浸りきっている。

 グレン・グールドの溢れんばかりの感情を彼が適切と考える枠内に無理にでも抑え込もうとするとき、どうしても抑えきれずに枠の外にはみ出してしまうのが、彼の唸り声なのではないだろうか。演奏中の彼の声がはっきりと聞こえてくることも珍しくない。(たぶん)そういうことなので、彼の声がピアノの音に重なるように聞こえてきても暖かい気持ちで迎えようと思う。 

 グレン・グールドのCDを30枚ほど持っているが、その中から特に印象深い演奏を紹介したい。



バッハ ゴルドベルグ変奏曲BWV988

 グールドを語るときに避けて通れないのが、バッハのゴルドベルグ変奏曲である。この曲をグールドは2回録音している。
 1回目は彼のデビュー作であり、1955年、22歳のとき。恐れを知らない若者の大胆で躍動的な演奏は、当時としては衝撃的だったそうだ。グールドの原点がここにある。
 2回目は1981年の録音。1回目よりも全体的にゆっくりとした演奏となっており、落ち着きを感じる。グールドは1982年に50歳でこの世を去っているから、彼にとっての晩年とも言え、結果的にグールドにとってバッハの集大成のようになってしまった。そう思って聴くせいか、グールドが自分の人生を振り返りながら弾いているようである。最初のアリアが最後にもう一度繰り返されるとき、この世に対するグールドの惜別の思いが込められているようにも感じてしまう。


バッハ イギリス組曲第2番BWV807の最終曲「ジーグ」

 イギリス組曲は第1番から第6番まで全体的に「統制」された演奏である。その中にあって第2番の最終曲「ジーグ」は、細かい音符を素速く、かつ、正確に弾いているが、決して機械のような正確性ではない。生命力と躍動感にあふれているのだ。なにものにも惑わされずに自分の考えに従って一途に弾いているように聞こえる。


バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第3番 嬰ハ長調(前奏曲) BWV872

 軽いタッチはグールドの特徴のひとつであるが、この演奏は、とても軽い。軽くて軽くて、羽毛よりも軽いと感じるくらいだ。まるでグールドが無重力状態で空中に浮かんで弾いているような軽さだが、曲が進むにつれて重力が少しずつ復活し、最後はピアノの前の椅子に座って曲が終わる。


バッハ マルチェルロの主題による協奏曲ニ短調BWV 974

 マルチェルロ作曲のオーボエ協奏曲をバッハがチェンバロ用に編曲したものを、グールドがピアノで演奏している。
 第1楽章は、快適な速度と歯切れ良さが心地よい。後半に入るとアッチェランド気味に追い込んでいくところがあり、その躍動感は素晴らしい。
 第2楽章は、一転、穏やかで抑制された曲調になる。静かで孤独である。そして美しい。
 第3楽章は再び活発になる。バロック様式の華やかさとともに、憂いも感じられる。


ベートーヴェン ピアノソナタ第17番(テンペスト)第3楽章Allegretto

 ベートーヴェンのピアノソナタは32番まであり、グールドはその多くを録音している。すべての曲を録音するつもりだったとの説もあり、そうだったとしたら完成せずに他界してしまったことが惜しまれる。
 グールドが弾くベートーヴェンのピアノソナタは、どれも魅力的だ。中でも第17番(テンペスト)第3楽章は、快速に突っ走りつつ、美しさを失わない。そして適度に華やかである。グールドの特徴がよく現れた演奏だと思う。


ベートーヴェン ピアノソナタ第5番、第6番、第7番

 ピアノ演奏とは別のところでグールドの特徴がよく現れている。グールドの歌声がとてもよく聞こえるのだ。それだけではなく、耳を澄ますと「ギシギシ」という雑音も聞こえる。これはグールド愛用の木製の椅子が鳴る音だと思う。グールドには自分の弾くピアノの音しか聞こえなかったので椅子の音が気にならなかったのだろう。椅子の音が気になっていたとしたら、椅子を替えるか修理するかしていたはずだ。


ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

 グールドはピアノ協奏曲の録音も残している。バックのオーケストラと合わせなければならないので自由度が制限されるから、グールドにしては優等生的な演奏になっているように感じる。だからといって聴いていてつまらないわけではなく、とてもおもしろい。オーケストラと合わせながらも、あちこちにグールドらしさが感じられる。楽しんで弾いているようにも聞こえるが、本当のところはどうだったのだろうか?
 ストコフスキー指揮アメリカ交響楽団との録音の日付を見ると、私の8歳の誕生日だった。あの日、私はどうしていたのだろう。誕生日だからといって特別なこともなく、淡々と暮らしていたのか・・・、情緒不安定で落ち着かない生活を送っていたのか・・・


カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ  ヴュルテンベルクソナタ第1番第3楽章

 グールドの特徴がよく出たリズミカルで軽やかな演奏である。とても楽しく弾いているであろうことが聴いていてよくわかる。だんだんと感情を抑えきれなくなったのだろうか、途中から声を出して歌い出す。実にグールドらしい。


モーツァルト ピアノソナタ第11番第3楽章(トルコ行進曲)

 トルコ行進曲として知られるこの曲を、グールドはとてもゆっくりと弾いている。この演奏を初めて聴いたときは驚いた。今までに聴いたことがあるトルコ行進曲とは全く違っている。グールドがふざけて弾いていると思う人も多いのではないだろうか。とにかく、普通ではないのだ。
 しかし、よく聴くと、とても丁寧な演奏であることに気がつく。ひとつひとつの音に神経が行き届いている。特に次の部分から始まる数小節は、これ以上は望めないくらいに繊細で清らかである。その素晴らしい演奏にグールドの唸り声が重なるのもご愛敬。  
 



シューマン ピアノ四重奏曲

 ジュリアード弦楽四重奏団のメンバーのうちの3人の弦楽器にしっかりと合わせて、調和を保ちながら弾いている。第3楽章は弦楽器が美しい旋律を奏で、それをグールドのピアノが丁寧かつ繊細な伴奏で支えている。第3楽章までは調和を重んじて自分を抑えているようにも聞こえる。
 ところが、第4楽章(Vivace)に入ると、グールドが我慢しきれなくなったかのように走り出す。弦楽器がついていけるかいけないか、ぎりぎりのところもあって冷や冷やするが、なんとか最後まで弾き通すことができた。


シベリウス ソナチネ Op. 67/1 第2楽章

 色とりどりのビー玉が、硬いフローリングの床にぶちまけられ、あちこちに飛び跳ねて転がっていく。


プロコフィエフ ピアノソナタ第7番第3楽章

 私はプロコフィエフが苦手だ。1番から7番までのすべての交響曲を聴いたことがあるが、もう一度聴いてもいいと思ったのは6番だけだった。ピアノ曲もどこが良いのかわからず、好きになれない。
 グールドのCDに他の作曲家の曲といっしょに入っていたから聴いたのであるが、このピアノソナタ第7番第3楽章には驚かされた。なんなのだろう、これは? とてもエネルギッシュで、音楽じゃない何か別のもののようだ。