ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送響(1991年)
ヴァントは1912年1月7日の生まれだから、このときは既に79歳だ。それが信じられないくらい若々しい演奏である。ヴァントは、シューマンの交響曲の特徴であるもやもや感を吹き払うように、出だしから快調に飛ばす。実に溌剌としていて、情緒に耽ったり小細工を労したりする必要もないとばかりの勢いである。そのまま最後まで押し通しているのは実に潔く、結果的にシューマンの交響曲に特有の見通しの悪さを軽減しているのではないだろうか。
このライン川の流れは速い。すいすいと淀みなく流れていくライン川。すっきりと晴れ上がった気持ちの良いライン川である。
ジュゼッペ・シノーポリ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン(1992年)
シノーポリは、ヴァントに比べて、ゆっくりと細やかに曲を始めている。第2楽章も穏やかである。ライン川の流れはゆったりとして穏やかであり、風もなく朝靄がかかっているような印象がある。それは決して悪い意味ではなく、なかなか良い雰囲気の朝靄であり、写真に撮ったり絵に描いたりしてみたくなるような美しい情景である。
第4楽章は、もともととても暗くて重い楽章なのだが、この演奏は他の演奏と比べてさらりと流しているように思う。
シュターツカペレ・ドレスデンの安定感のある落ち着いた演奏も好感が持てる。弦楽器が艶やかであるし、第1楽章でホルンが吼えているところはとても立派で素晴らしく、そのときばかりは朝靄がすっきりと晴れたかのようである。
クラウス・テンシュテット指揮 ベルリン・フィル(1978年)
第1楽章から第3楽章までは、伸びやかでありつつも堅実な演奏。広い平野を豊かに流れるライン川といった印象である。
特徴的なのは、第4楽章が7分47秒もかかっていること。普通は5分台だから、これはとても長い。実にゆっくりとしているが、決して遅すぎるとは感じない。たくさんの音が何層にも重なっていて、それが圧力をもって押し寄せてくるかのような迫力がある。金管楽器のファンファーレのようなところも落ち着いていてじっくりと聴かせてくれる。ゆっくりではあるが緊張感が持続していて、素晴らしい演奏になっている。
その後の第5楽章は、溌剌として気持ちがよい。気分を立て直して終曲に向かうことができる。
オットー・クレンペラー指揮 ニューフィルハーモニア管弦楽団(1969年)
全体的にテンポが遅く、堂々としている。悠々と流れる大河「ライン」を想像させる。ライン川より桁違いに大きなアマゾン川をすら思い浮かべるようだ・・・とは言いすぎだろうか? 最初から最後まで息の抜けない演奏。クレンペラーの質実剛健といった特徴がよく現れていると思う。
第1楽章から実に力強く雄大な演奏が始まり、その印象がずうっと続く。7分くらい経過してホルンが雄壮なメロディを奏でるところは、とても立派で素晴らしい。
第2楽章はスケルツオなので軽快に進むかと思えば、演奏はやはり堂々としていて、大河の流れが大きくうねっているようだ。ここにも軽さはない。
第4楽章はもともと重々しい曲が、クレンペラーにかかると、一層重々しく暗くなる。力強さを保ったまま、しっかり着実に前進しているように感じる。
最終楽章の第5楽章は、さすがにもう少しアップテンポで締めてほしかったと思う。もう少し速いテンポで跳ねるように演奏してもらえれば、それ以前の楽章との対比も面白く、そして十分な満足感をもって終わることができたのではないだろうか。
テンポを自由に変えて表情豊かに演奏されている。第2楽章はゆるやかなラインの流れを思い浮かべるようであり、オーケストラ全体が気持ちよく歌っている。最終楽章の終曲部はとても豪華で威勢がよいから、聴き終わって充実感が残る。多彩な情景を楽しむことのできるライン川である。
ただし、テンポを恣意的に変えすぎていると感じる部分もある。例えば第4楽章は、ホルンの陰鬱なメロディーが終わって多くの楽器が加わり音量が大きくなるところで、テンポがガクッと遅くなる。まるで音楽が止まってしまうかのようであり、いくらなんでもやりすぎではなかろうか。その後も第4楽章はずうっと遅いテンポで進む。この楽章の厳かな雰囲気が好きなのだが、この演奏は表情豊かであるがゆえに、わずかに緩んでしまって厳かさが薄れてしまったように感じてならない。ちょっと残念である。