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フォーレ


フォーレのピアノ曲「バラード」

 ジャン=フィリップ・コラールが演奏するCDを図書館から借りてきたのがきっかけで、フランスの作曲家であるフォーレのピアノ曲を聴くようになりました。後日、ジャン・ユボーが演奏するCDを買いました。二人とも「ジャン」ですね。意味ないけど・・・。ちなみにフォーレのファーストネームは「ガブリエル」。知らない方がよかったような気がします。これも意味ないけど・・・。

 フォーレのピアノ曲は、どこか靄がかかっている中をさまよいながら歩いているような印象があります。「バラード」(作品19)は特にその印象が強く、遠くまで見通すことはできません。靄というよりも、これは濃い霧というべきです。どこまで歩いて行っても霧が晴れてくれません。「バラード」はフォーレのピアノ曲としては比較的長い15分くらいの曲で、私が聴いたのはジャン=フィリップ・コラールの演奏です。

 「バラード」を聴いていて、はるか30年以上も前のことが記憶の中から蘇ってきました。あれはたしか大学2年生の夏休みのこと。私は北海道の東側、つまり道東地方をひとりで旅していました。貧乏学生だったので、夜は無人駅などに泊まり、鉄道がないところはヒッチハイクでの旅でした。前の晩に泊まった無人駅を朝一番の列車で出発し、私は厚岸駅から愛冠(アイカップ)岬を目指して歩いていたのです。途中から霧が出てきました。釧路など道東地方の太平洋岸は、寒流である親潮(千島海流)の影響で霧が発生しやすい地域です。草原の中の一人が歩けるだけの狭い道をたどりながら、濃い霧の中を歩いていきました。数メートル先までしか見えません。この先に本当に愛冠岬があるのだろうかと不安に思いながら歩いていたあのときの感覚が「バラード」を聴いていて思い出されたのでした。

 夏とはいっても、北海道の朝はとても涼しく、いや、寒いくらいです。初めて訪れる場所ですし、全く人影がなく、霧が出てなにも見えない中を一人で歩くのは、とても心細いものです。だから30年以上たっても思い出すことができたのでしょう。そのうちに、行く手から波の音が聞こえてきました。さらに歩いていくと、そこには灯台があり、崖の下には霧の晴れ間から海が見えたのでした。誰もいない海。霧に包まれた海。それが愛冠岬でした。

 もう一度訪ねてみたくもあり、一度だけの思い出にしておきたくもあり・・・。さて、どうしたものでしょうか?

  

(参考)

 上記の感想は、ピアノ独奏による「バラード」を聴いてのものです。フォーレのバラードには、ピアノ独奏とは別に、ピアノとオーケストラによる演奏用に編曲したものもあります。私が聴いたのは、同じジャン=フィリップ・コラールのピアノとトゥールーズ・カピトール国立管弦楽団との演奏で、指揮はミシェル・ブラッソンです。
 二つの演奏を聴き比べると、ピアノ版はピアノの音しか聞こえませんのでモノトーン的であるのに対して、ピアノとオーケストラ版は様々な楽器の音色が登場するので色彩を感じます。最初にピアノ独奏版を何度も聴いたせいか、ピアノとオーケストラ版を聴いてみて、なんとなく違和感がありました。木管楽器の音が聞こえてくると、その瞬間に風が吹いてきて霧が晴れ、青空が覗きます。霧に覆われたような雰囲気が壊されてしまうように感じるのです。
 演奏者のジャン=フィリップ・コラールも、ピアノ独奏の方が自由にゆったりと弾いているように感じられます。どちらも面白く聴けますが、私はピアノ独奏の方が好みです。