写真とクラシック音楽などなど・・・

社会



 また著名人に限らず、ソーシャルメディアには好き勝手な正義を振りかざす“ファッション反体制”があふれています。彼らは「言いたいことが言えない世の中になった」「みんなギスギスしている」などと気安く言いますが、それは誰もが言いたい放題言えるようになった結果、誰もが批判を食らうようになったという社会の変化でしかありません。政府が規制しているわけでも、圧力を加えているわけでもない。「みんなの自由」が逆流しているだけなのです。

モーリー・ロバートソン 「挑発的ニッポン革命論」 集英社p121 集英社



 近代社会は、こうした人間にとっていちばん大切な生命に関する営みについては、より安全性を高めるという目標のもとに国家資格を持ったプロフェッショナルを養成しようとしてきた。医療は国家免許を持った医師や看護師だけに託され、料理を他人にふるまうには調理師免許が必要となり、排泄物はいつしか下水道設備が担い、教育は教員免許を持つ教師だけが学校で受けもつ。紛争解決は裁判官や判事、弁護士だけが関与する。
 大なり小なりみなが担い、それをいちばん大事なこととして代々に守り伝えていた役割が、いつしか人びとから奪い去られてしまった。行政が担い、専門家が担うようになった。そのおかげで、こんなにも長寿国になった。暮らしの安全と安心が、多角的にクオリティー・アップしたのである。日本ほど安全で安心で正確な国はない。
 だが、そのことによって、気づいたときには、人びとはじぶんたちだけでは何もできない社会になっていた。いちばん大事なことを行政や企業に委託してきた結果である。もしもサーヴィスが劣化していたとしても、人びとはそれをじぶん自身で代替することがもはやできず、クレームをつけることしかできない。クレーマーというのは特別な人たちではなく、近代国民の象徴なのである。 

鷲田清一 「パラレルな知性」p274 晶文社



 「どうして勉強しなくちゃいけないの?」という子どもの問いかけに対して、大人たちが間違えたのは、「勉強するのは、あなたの自己利益を増大させるためである」という利益誘導を試みたからです。勉強するのは、あなたの自己利益を増大させるためではない。共同体が生き延びるためです。教育を受けて成熟した集団成員になるのは、個人が恣意的に選択できる私事ではなく、公共的な責務なのです。

内田樹 「内田樹による内田樹」p83 140B