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歴史



 歴史は時間の経過に従って自然と発生してくるものではない。人間がつくり出すものである。言い換えれば、歴史は言葉で語られるまでは存在しない。つまり、歴史は文化なのである。

岡田英弘 「岡田英弘著作集VII 歴史家のまなざし」p304 藤原書店 





未来には無限の可能性があり、過去の通例、いいかえれば、歴史上の規則性は、その可能性の一つを指示しているだけである。

山本新 「人類の知的遺産74 トインビー」p179 講談社 





 最後に、人類史をながめる上で、私自身が意識している1つの大事な姿勢について記しておきたい。それは、自分がなるべくその当時の状況を理解し、祖先たちの立場になってものを見るということである。
 例えば旧石器時代の人類の大拡散について、現代の私たちは世界地図をながめながらそれを追うことができる。しかし当事者である祖先たちは世界の地理を知らずに移動しているので、自分たちが出アフリカを果したとか、アジアの東端まで到達したということを意識したり、ましてや感激したりはしていない。日本にたどり着いた祖先たちにしても、彼らはアフリカから日本列島を目指して旅していたわけではない。知らずに進んだ先にたまたま日本列島があった、というのが実情であろう。彼らが大移動したこと・できたことには凄みがあるが、現代の私たちの観点から、その移動に大きな目的や目標があったと考えてはいけない。 

海部陽介 「日本人はどこから来たのか?」p208 文藝春秋 





 人類文明を危機に陥れているのは、蓄積できる知識と蓄積できない精神の間の大きな乖離にあるようにすら思えます。
 人間の脳は経験によって成長できます。倫理・規範・価値観といった精神に属する部分も、感情をともなったエピソード記憶が成長を助けてくれます。ただ、そうした成長を次の世代に伝えられないだけです。(中略)
哲学者、ヘーゲルも次のような言葉を残したそうです。「歴史から学ぶことのできる最大の教訓は、人間は歴史から何も学ばないということである」と。人間は、他者によって蓄積されたエピソードを積極的に学び、自らの成長に役立てるのは苦手なようです。

岸田一隆 「科学コミュニケーション」p233 平凡社親書





 人々は、自らの決定がもたらす結果の全貌を捉え切れないのだ。種を地面にばらまく代わりに、畑を掘り返すといった、少しばかりの追加の仕事をすることを決めるたびに、人々は、「たしかに仕事はきつくなるだろう。だが、たっぷり収穫があるはずだ! 不作の年のことを、もう心配しなくて済む。子供たちが腹を空かしたまま眠りに就くようなことは、金輪際なくなる」と考えた。それは道理に適っていた。前より一生懸命働けば、前より良い暮らしができる。それが彼らの胸算用だった。
 そのもくろみの前半は順調にいった。人々は実際、以前より一生懸命働いた。だが、彼らは子供の数が増えることを予想していなかった。子供が増えれば、余剰の小麦はより多くの子供が分け合わなければならなくなる。また、初期の農耕民は、子供に前より多くお粥を食べさせ、母乳を減らせば、彼らの免疫系が弱まることも、永続的な定住地が感染症の温床と化すだろうことも理解していなかった。単一の食料源への依存を強めれば、じつは旱魃の害にますます自分をさらすことになるのを予見できなかった。また、豊作の年に穀倉が膨れ上がれば、盗賊や敵がそれに誘われて襲ってきかねないので、城壁の建設と見張り番を始めざるをえなくなることも、農耕民たちは見越せなかった。

ユヴァル・ノア・ハラリ (訳)柴田裕之 「サピエンス全史(上)」p115 河出書房新社