社会が悪くなると予想する者は、つねに倫理的に「正しい」立場に立っており、悪いことが起こらなかった場合でも、自分の警告が流れを変えたのだとも強弁できる。つまり、危機予言は外れても歓迎されこそすれ責任を問われない絶対安全な予言である。そうした責任のない立場から危機を予言する者が、その深刻な表情にもかかわらず真剣に思考しているとは限らない。 |
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佐藤卓己 「輿論と世論―日本的民意の系譜学」p295 新潮選書 |
(メディアが)安全と書いたときの不利益と、危険と書いたときの不利益を比べると、安全と書いたあとの不利益の方が大きいから、なかなか安全だとは書けないという心理学的、行動経済学的な原則があてはまるのではないかと思う。
私はこれを「安全・危険報道の非対称性」と呼びたい。 |
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東日本大震災の教訓というか、原発事故からの教訓だろう、「想定外の事態に対処する」ということが言われたが、「想定する事態のその先」にあるのが「想定外」で、「想定外」を想定することなんか、出来ないはずだ。「想定外の事態に対処する方法」は、「想定外の事態もありうる」と覚悟する心構えだけだ。福島県の原発事故が伝えることは、「日本には想定外の事態と向き合う心構えがなかった」という単純なことだろうと思う。 |
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橋本治 「橋本治という立ち止まり方」 p237 朝日新聞出版 |