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科学


 環境問題を把握し解決策を立案するために科学は必要だが、科学には不確実性もともなう。この不確実性が、対策の決定にあたって確固とした権威をもって態度を表明することを妨げるのである。不確実性が一般大衆には理解されにくいだけに、問題はいっそう深刻である。人びとは、不確実性を本当か嘘かで判断する。ところが実際には、不確実性とは「よりありそうもない」から「よりありそうな」にいたる尺度で語られるものである。決定をおこなう際には、まったく意味が違ってくる。

ドミニク・ブール/ケリー・ホワイトサイド  (訳)松尾日出子 (監訳)中原毅志 「エコ・デモクラシー」p123 明石書店 




 もしも哲学が科学と同じ意味で進歩するものとすれば、そのためには、個々の哲学者ごとに異なる哲学があるのではなく、多くの哲学者の哲学を統合したただ一つの哲学大系が存在し、それが個々の哲学者の生涯を超えて存続し、世代から世代へと継承され、修正されつつ継続的に発展することが必要であろう。だが多数の人々の哲学から一つの万人に共通の哲学を形成するとは一体いかなることを意味するのか。たとえばプラトンとアリストテレスとデカルトの哲学を吸収し統合した一つの哲学大系とは、一体どのようなものだろうか。ある哲学者の思想を正しい部分と誤った部分に分け、誤った部分だけを他の哲学者の思想によって置き換えることが可能だろうか。哲学の議論や学説において、誤った部分と正しい部分とを分かつ規準はどこにあるのか。こうした問題について考えてみると、哲学を諸科学と同質のものと考えることにもさまざまな疑問があることが明らかになるだろう。p32-33
(中略)
 こうした(哲学の)問題の解決が、各人の思考を通じてなされなければならないこと、言い換えれば、数学や自然科学の場合のように、専門家の間での決着が同時にあらゆる人にとっての問題の解決になるわけではないということが挙げられよう。自分の問題の解決のために他人の回答をそのまま借りてくることは、哲学の精神に反することである。したがって、本来の意味での哲学の問題については、自分の見出した問題の解決を他人に委ね、権威ある専門家の判断を万人が受け入れるという分業の原理は成立しない。すなわち哲学においては、諸科学と同じような知識の保存と継承と蓄積のメカニズムが成立する基盤が欠けているのである。p37-38

佐藤徹郎 「科学から哲学へ」 春秋社




 別の機会に(ニールス・)ボーアが力を込めて述べたように、「自然がどのようになっているのかを明らかにすることが物理学の仕事だと考えるのは間違っている。物理学が関わっているのは自然について何が言えるかなのである」。この言い方は、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』の終わりに述べた有名な言葉、「語りえぬことについては沈黙するしかない」からそれほどかけ離れたものではないが、この警句を含んだ簡明な文体のウィトゲンシュタインの本にボーアが向き合ったことがあるという証拠は何もない。

ディビット・リンドリー(阪本芳久訳)「そして世界に不確定性がもたらされた」p225-226 早川書房