写真とクラシック音楽などなど・・・

音楽



 そもそも音楽理論は必ずしも創作に先んじているわけではなく、天才の創作の筋道を凡人が理論化していくという側面もあるから、音楽理論の見地からは理解できないものを切って捨てるのは芸術の霊妙を知らぬ野蛮人がすることである。

許光俊 「クラシックがしみる!」p91 青弓社



 それというのも、ベートーヴェンにとっては、一曲一曲が、何らかの点で新しい意味を持っていなければならず、同じことのくり返しを別の曲でやる必要を、彼は全く認めなかったからだ。
(中略)
 そう、ベートーヴェンおいては、作品の一つ一つが、ある独自の色彩をはなっていると同時に、それらは、また、全部集まって、一つのおかしがたい全体の概念をつくりあげている。逆にいえば、一つ一つの作品は、一つ一つ独自であると同時に、この総数で一五〇にたりない作品のうちで、どんな位置にあるかをも、同時に意味している。

吉田秀和 「言葉のフーガ 自由に、精緻に」p164 四明書院


 例えばヨハン・セバスチャン・バッハの音楽の持つ驚異は、その音楽システムの純粋性にある。
 それは、点で連結された線の交錯だ。オクターブを均等に分けただけの十二の音程、その組み合わせによる主題という名の音型、それを機械的に展開させてゆく(例えば)フーガという名の音組織システム。それは音高と音長というたった二種類の数字がひたすら並ぶばかりの、まさに無機的な記号列にすぎない。
 なにしろ作品によっては、音価(音の高さと音の長さ)が存在するだけで、他にはいかなる要素も(強弱記号も速度記号も、そのうえ楽器の指定すら)なかったりするのだから、その音の組織化における純度は、凡百の音楽システム論を超えた処にそびえる、真の「十二音主義音楽」と言えよう。(その二百年後の十二音主義は、「音楽」が付かないただの「十二音主義」である点に、決定的な違いがある。)

吉松隆 「魚座の音楽論」p206-207 音楽之友社