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交響曲第5番「運命」 − 脱いでもすごい曲なんです。



 ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」は、出だしのジャジャジャジャーンがとても印象的なので、知らない人はいないだろうと思います。数ある交響曲の中で最も有名かもしれません。それなのに、私は少し前までこの曲がさほど良い曲だとは思っていませんでしたし、特に聴きたいとも思いませんでした。
 あるとき、ギュンター・ヴァントの指揮による演奏を聴いて、この曲に対する印象が大きく変わりました。この曲は、表情豊かにするためのテンポのゆらぎや恣意的な味付けがなくとも立派な音楽になるということが、ヴァントを聴いてよくわかりました。むしろそのように楽譜に忠実に演奏した方が、この曲の裸の姿が顕わになり、結果として曲の構造や構成がすっきりとわかりやすくなって、この曲の素晴らしさに気づきやすくなるのではないでしょうか。
 つまり、着飾る必要がない曲なのであって、
「私、脱いでもすごいんです。」
という曲なのです。このことに気がつくと同時に、遅ればせながらこの曲の偉大さをようやく理解できたように思います。その後に他の指揮者による演奏を聴き直してみると、以前に聴いたときとは印象が変わることもあるのでした。
 というわけで、いろいろな「運命」を聴いてみて、その印象を服装に喩えてみたいと思います。



ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送響(1987年)

 ヴァントらしく、余計なことはせずに楽譜に従っていて、あいまいさを残さない好感の持てる演奏である。ただし、全く楽譜通りでしかないというわけではないから、「素っ裸の運命」ではなく、少なくとも下着はつけているだろうし、下着だけでは他人の前に出られないというのなら、短パンにTシャツくらいは着せてあげてもよいが、引き締まった筋肉質の身体が透けて見えている。文字通り、必要最小限の服装なのだ。
 テンポのゆらぎがほとんどない。楽譜に指示があればテンポも変わるが、それ以外はほとんど一定のテンポで進む。例えば第4楽章は、拍子とテンポ表示が変わる第155〜208小節と最後の速くなる部分を除いて、ほとんど同じテンポである。頑固一徹という感じだ。
 テンポが変わらないといっても、表情に乏しいわけではない。テンポを一定に保っても立派に内容豊かな音楽ができることを証明している。このような演奏はベートーヴェンの第5番「運命」だからこそ、とても効果的なのだろう。速めのテンポであり、力強く前進するようで、生き生きとした躍動感にあふれており、この曲にぴったりである。
 第4楽章の金管楽器の迫力も素晴らしい。音量が大きいが、引き締まっていて、決してうるさく感じない。


ミュンシュ指揮 ボストン響(1955年)

 カジュアルでこざっぱりとしているが、よく見ると隙のないきちんとした服装といった演奏である。
 第1楽章は快速かつ堅実に前進するような印象を受ける。第2楽章は雄壮でありつつも、決して大げさになることなく素直に演奏されていて、聴いていると心豊かになる。
 第4楽章は、第3楽章まで聴いて予想するよりも遅いテンポであり、あまり速くない。ひとつひとつの音を大切にしながらじっくりと聴かせる演奏になっている。


ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団(1958年)

 おしゃれな服を何枚も重ね着しているようだ。ただし、重ね着をしていても決して窮屈ではなく、ゆったりとしている。
 最初から最後までテンポをゆっくりめにとって、情感豊かに、おおらかに歌い上げている。その特徴は第2楽章において顕著であり、全体的に柔らかな響きに包まれている。ヴァントの対極にある演奏のように感じる。
 最後はすべての力を結集して力強く終わる。実におおらかであり、聴き終わっての充実感がある。


オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア・オーケストラ(1959年)

 まるで頑丈な鎧を着た「運命」である。重い鎧なのでゆっくりとしか動けないが、とても力強くて戦闘モードである。
 クレンペラーらしく、重厚であり、じっくりとしたテンポでしっかりと演奏している。少し遅すぎるかなあと思って聴いていたが、第4楽章に入ると、これでいいのだ! と強く感じることができた。実に雄大であり、感動的だ。


ヘルマン・シェルヘン指揮 スイス・イタリア語放送管弦楽団(1965年)

 人混みの中でも目立つ奇抜な服装をした「運命」。視覚的に目立つだけではなく、指揮者の声がこんなに聞こえるのは珍しいので、うるさい「運命」でもある。
 演奏は極めて特徴的であり、間の取り方や表情の付け方など、なかなか面白い。ちょっと変わった「運命」を聴きたいときにはお勧めできるかもしれない。トランペットのタイミングが全体の演奏に合ってないところがあり、気になった。


カール・ベーム指揮 ウィーン・フィル(1970年)

 冒頭のジャジャジャジャーンは比較的ゆっくりであり、ジャーンのところは長く伸ばしている。その後も第1楽章はゆっくりと進み、悠々とした落ち着きを感じる。
 第2楽章に入っても、そして第3楽章に進んでも、その印象は変わらない。実に落ち着き払っているが、私の好みに比べて少し遅すぎるので、歩みが遅くてなかなか運命が決まらないもどかしさのようなものを感じる。
 第4楽章に入っても、堅実な歩みは変わらず、一歩一歩着実に終曲に向かって進んでいく。奇をてらうことのない古くからの伝統のようなものを感じると言ってもよいと思う。貴族が儀式で着る正装のような衣装を思い浮かべる演奏である。


ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィル(1972年)

 肉体そのものをボディビルで鍛えあげた「運命」であり、着飾ることなど眼中にないかのようだ。ムラヴィンスキーによって厳しく鍛えられ、そしてきっちりと統制された演奏となっている。
 第3楽章の途中での低音部(コントラバスとチェロ)から中音部(ヴィオラ)、そして高音部(第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリン)まで引き継がれる部分は、猛スピードで突っ走るレーシングカーのようでありながら、その走行は柔らかくて滑らかであり、高度な技術力に支えられた最高の出来映えだと思う。
 第3楽章まではライブの雑音や聴衆の咳が聞こえるので残念ながら気が散ってしまうが、第4楽章に入るとオーケストラの音量が大きくなって雑音が聞こえにくくなり、ようやく演奏に集中できるようになる。第4楽章はすべての楽器が十分に鳴っていて、思いのたけがあふれ出すかのような、迫力ある凄まじい演奏となっている。ただし、ティンパニの音はいくらなんでも大きすぎ、バランスを損なっているのではないだろうか。


カルロス・クライバー指揮 ウィーン・フィル(1974年)

 スタイリッシュで都会的である。ファッションショーを思い浮かべれば良いのかもしれない。その時代の最先端のような服装なので、他の人が真似しようとしても上辺だけで中身が伴わなくなってしまうように思う。
 速めのテンポで軽快であるが、決して内容が軽いというわけではなく、深みのある印象深い演奏。


カラヤン指揮 ベルリン・フィル(1975〜1977年頃)

 高価な毛皮のコートをまとった「運命」。肌触りが柔らかであり、見た目も毛並みが艶やかである。しかし、厚手のコートなので外見からは実際の体型がわかりにくい。
 録音技術のせいなのか、それとも私の再生システムのせいなのか、低音部のコントラバスの音がクリアではなく、ぼやけている。中音部と高音部は特に問題がないし、カラヤンらしい豪華で流麗な音楽を随所で聴かせてくれるのに、低音部がぼやけているのが残念である。


ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン(1977年)

 ブロムシュテットのような紳士が品の良い背広を着てネクタイをきちんと絞めているようだ。シュターツカペレ・ドレスデンの落ち着いた音色による堅実な演奏が好印象。
 第3楽章の大部分を繰り返しているのは珍しいと思うが、第4楽章の冒頭の繰り返しは省略している。


テンシュテット指揮 ニューヨーク・フィル(1980年)

 最初から最後まで戦う気持ちを強く感じるので、ボクシングを思い浮かべる。両手にグローブをはめて、トランクス姿でリングに上がっている。
 第1ラウンド(第1楽章)から相手の様子を見ることなく激しい打合いが始まる。金管の大きな音がたくましく、筋骨隆々といったところである。
 打ちつかれたせいか、第2ラウンド(第2楽章)は少し落ち着くが、ときどき思い出したように打ち合いが始まる。第3ラウンド(第3楽章)は、途中から足を使って素早く動き回っているようだ。
 最終の第4ラウンド(第4楽章)は、ノーガードでの強烈な打ち合いが続き、両者一歩も譲らない。とことん疲れて力を出し切ったところで終了のゴングがなる。
 とても力強い「運命」であるが、ライブ録音で雑音が多く、音質が良くないのが残念。


デイヴィッド・ジンマン指揮 チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(1997年)

 最初から軽快にどんどん飛ばしていく。まるでレーシングカーに乗っているようだ。動きやすく実用的なレーサーの服装であり、見た目をあまり気にしていない。第1楽章の途中のオーボエのソロの部分、明らかに他の演奏とメロディーが違っている。楽譜が違っているのだろうか?
 第2楽章に入ると他の演奏よりも速いものの少しゆっくりとなり、着飾ることを考え始めたようで、あちこちに微妙なニュアンスをつけている。しかし、それも素早く通りすぎてしまうので、ゆっくりと味わっている余裕はない。
 軽快で気持ちよく仕上がっているが、そんなに急いでどこに行く?と指揮者に聞きたくなるほどのところもある。スピード感を追求した結果なのだろう。


金聖響指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢(2004年)

 薄手の服を着た軽装の「運命」。それでいて寒くもなく、暑くもない、爽やかな気候を感じさせる。
 演奏は全体的に軽やかにすいすいと進み、重苦しさは感じない。比較的小さな編成のオーケストラであり、しかも弦楽器にビブラートをかけないピリオド奏法なので、とてもすっきりとしていて見通しがよい。メリハリがきいていて躍動感があり、十分に楽しめる演奏である。



追記(2019年9月)

ジョージ・セル指揮 クリーブランド交響楽団(1955年)

 他人にどのように聴こえるかということを心配することなく、そして他の指揮者やオーケストラとの比較を気にすることもなく、ただ一心に自分たちにとって最高の音楽を作り出そうと努める。そういう心がけが感じられる。細かなところまで丁寧に気を配り、だからといって全体を見失うことはなく調和がとれており、しかも豊かな表情も感じられる。模範的な演奏とも言えると思う。
 そんなわけで、周囲の人にどのように見られるのかを気にしていないけれど、自分に相応しい服装をよくよく考えた結果として、どこに登場しても恥ずかしくない立派な服装になりました・・・ということかな?


ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1991年)

 第1楽章が慌ただしい昼間の仕事だったとすれば、第2楽章は帰宅してからゆったりと寛いでいるようだ。湯上がりに浴衣を着て涼んでいるようでもある。とても気持ちが良いのでだんだんと眠くなり、第3楽章の終盤に至って、ついにうとうとして夢を見てしまう。第4楽章に入ったところで大きな音に目を覚まし、「こうしてはいられない。やらなきゃならないことがあったんだ!」とばかり、明日に向けての準備を始めるのであった。