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チェロ協奏曲ロ短調



 ドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴きました。ロストロポーヴィチのチェロ、カラヤン指揮、ベルリン・フィルという組み合わせです。その感想を記します。




 超一流のチェロ奏者、超一流の指揮者、超一流のオーケストラが揃い、それぞれが持っている力を十分に発揮して自信たっぷりに演奏すれば、こんなふうになるのだろう。実に堂々とした、力強く、そして華やかな演奏である。

 第一楽章が始まってからしばらくは独奏チェロの出番がなくてオーケストラだけの演奏が続くが、その部分から既に十分に聴きごたえがある。ホルンの美しい音に聴き惚れていると、クラリネットが続いて、そこにかぶさって登場するオーボエの清らかな高音が心に染みる。ベルリンフィルの演奏者のレベルの高さに、期待感が高まる。

 静かになったところで、ロストロポーヴィチのチェロが満を持していたように颯爽と登場する。これまた実に堂々としていて気持ちがよい。決してオーケストラの華やかさに負けていない。


 この演奏を聴いていると、まるでチェロと指揮者とオーケストラの三者が、必要な部分は協調しつつも、激しい戦いを繰り広げているように思えてくる。なぜ戦わなくてはならないのか、その理由はわかるはずもないが、とにかく戦っているように感じてしまうのである。誰もが自信たっぷりであり、全力を尽くしている。自信と自信のぶつかり合い。ただ単に自信があるだけではなくて能力も十二分に兼ね備えているのだから、ただではすまない。簡単に決着がつくわけではなく、延々と戦いが続く。

 そして戦いの結果といえば、チェロが勝ち、指揮者も勝ち、オーケストラも勝ち、としか思えない。三者とも勝者である。

 三者とも勝者ならば、敗者はいないのか? 誰も負けなかったのか?

 いや、敗者は存在する・・・。

 敗者が存在するのなら、誰が負けたのか?

 その答は、「聴いた私が敗者だ。ひとり私だけが負けた。」である。

 ロストロポーヴィチにも、カラヤンにも、ベルリン・フィルにも、私は負けた。「お前が勝てるわけがないじゃないか!」という声が聞こえてきそうだし、そもそも勝負する必要もなかったのだし、勝負したところで勝てる相手ではないのは分かりきったことだ。だから理不尽なものを感じるのだが、そうであっても、聴いてしまったからには負けを認めざるを得ない。負けは負けなのだ。


 第一楽章の最後は、金管が華々しく鳴って、勝利を宣言して終わる。(やっぱり私の負けだ。)

 第一楽章を聴いただけで疲れてしまい、立ち上がれない。(やっぱり私の負けだ。) ここで休憩したくなる。


 こんな演奏だから、聴くときを選ぶことをお勧めする。落ち込んだ気分のときに聴くのは危ない。さらに打ちのめされて鬱状態に陥ってしまうかもしれない。いや、思いがけず逆に勇気づけられるかもしれないから、一か八か試してみるのも面白い。困ったことになっても私は責任とれないけれど・・・。


 緩徐楽章である第二楽章に入っても、堂々として立派だという印象が大きく変わることはない。この曲がロ短調であることを思い出すと、短調なのにそんなに胸をはったような演奏でも良いのだろうか、もう少し感傷的になって哀愁を漂わせてみてはどうか、などと疑問に思わなくもないのだが・・・。

 第三楽章の後半に入って、ゆっくりとしたテンポでこの曲のいくつかの主題をくり返すうちに、心安らかにしみじみと過去を振り返るかのような雰囲気になっていく。故郷で過ごした頃を懐かしく回想するようでもある。じっくりと落ち着いた静かな演奏が続いた後、最後はクレッシェンドして一気に賑やかになり、きれいさっぱり、すっきりとして終曲となる。お見事!