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交響曲第8番



 ドヴォルザークの9つの交響曲の中では最後の第9番「新世界より」が最も有名で演奏される機会も多いと思いますが、私は第9番よりも第8番の方が好きです。

 第1楽章冒頭の弦楽器の落ち着いた哀愁のあるメロディは、心にぐっと染みこんできます。メロディメーカーと呼ばれるドヴォルザークらしく、その後も心に残るメロディーが続き、飽きることがありません。

 第2楽章adagioは、とても静かに穏やかに始まります。ところどころにフルートが聞こえ、これは鳥の声を模しているそうです。あまりたくさんの音を重ねることはなく、すがすがしさを感じる楽章です。そんな中で盛り上がりもあり、トランペットの高音が目立つところもあります。ただ聴いているだけなら気分が良いのですが、演奏している立場になると神経を使う楽章なのでしょうね、きっと。 

 そして極めつけは第3楽章。今までに聴いた多くの交響曲の中でも、これほど美しく清らかな楽章は思いつきません。この世のものとは思えないほどの美しさであり、まるで天に昇るような気持ちになります。第3楽章の冒頭の主題が後半でもう一度繰り返される部分があります。そこは繰り返しではあっても、最初の部分と同じようにではなく、さらに美しく演奏してもらいたいものです。

 最終楽章(第4楽章)はトランペットのファンファーレで華やかに始まり、じっくりと聴かせる穏やかな部分が続いた後、終曲部分は格好良く決まります。

 ただ、そんなドヴォルザークの交響曲第8番の中で、なんだこれは?と思ってしまう部分があります。第4楽章の途中で登場するちょっとコミカルなメロディで、なんとなく「♪コガネムシは金持ちだ・・・」に似ていないこともありません。そこに到達するまでに築いてきたイメージを損なっているように感じてしまい、違和感を覚えるのです。それ以外の部分がとても素晴らしいですから致命的というわけではありませんが、もう少しどうにかならなかったのかと思ってしまいます。

 以下に、私が聴いたいくつかの演奏について、感想を書きます。




イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン響(1963年)

 私が最初に聴いたのは、この演奏だった。強弱がはっきりしていて、メリハリがきいている。あくの強さといったものを感じることがなく、元気一杯ですっきり爽快といった演奏である。これに加えて素朴な味わいも出してもらったらもっとよかったと思う。
 第3楽章は、表情豊かに流れるように演奏される場合が多いのだが、ケルテスの場合は美しくありながらも速めのテンポですっきりと軽快であり、ほかの演奏とは印象がちょっと違っている。
 第4楽章も快活な演奏になっている。途中のコガネムシの部分も、さほど違和感なく聴ける。他の部分も十分に明るいから、そこだけ違うといった格差があまり感じられないせいだろうか? 最後も明るく楽しく終わり、爽快感が残る。

カラヤン指揮 ウィーン・フィル(1961年)

 流麗かつ豪華な演奏である。一度聴いただけでお腹いっぱいになりそうで、とても充実している。この曲にとってのひとつの極致であると思う。
 第1楽章の出だしから、弦楽器が表情豊かに、そして流れるように演奏を開始する。滑らかなレガートも駆使しつつ、気持ちよく流れていく。金管も負けてはいない。力強さを感じるところでも、決して美しさを失わない。余裕をもって吹いている。さすがウィーン・フィルである。
 肝心の第3楽章は、これ以上はないくらい麗しくて美しい。とても豊かな内容を持つ優雅な演奏である。オーケストラ全体が丁寧に、そして伸びやかに歌っていて、聴いていて幸せを感じる。
 第4楽章冒頭のトランペットのファンファーレは、とても立派だ。そのあとの弦楽器の演奏も表情豊かである。終曲に向かう部分は、切々と迫ってくるものを感じる。
 1961年にしては録音状態も良く、美しさという点ではこれ以上のなにを求める必要があるだろうか・・・と思ってしまうような演奏である。

アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ(1998年)

 始まりの部分を少し聴いただけで、細かなところまで神経が行き届いた丁寧な演奏であることがわかる。それに加えて、透明感を感じる。透明感といっても色がないわけではなく、多彩な色を持ちながら透けて見えるような印象を受ける。そして、透明ではあるが冷たいわけではなく、暖かさも感じる。
 第2楽章の鳥の声を模していると言われるフルートは、その部分だけテンポが2倍くらい速い。楽譜にはそんな指示はないし、他の指揮者はそんなことをしていない。この演奏しか知らなければ違和感がないのかもしれないけれど、このような独自というか勝手というか、自由に解釈して部分的にテンポを大きく変えるのは問題ないのだろうか? 私にはわからない。
 第3楽章は、慎ましやかな雰囲気で演奏される。全体的に決して派手さはないが、じっくりと聴くと楽しめる演奏だと思う。

ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン(1974年)

 シュターツカペレ・ドレスデンの音色について、「いぶし銀」と評されることがある。この演奏を聴くと、美しい音色なのだけれど、それは透明感があるとか、きらきらしているとか、そういうことではなくて、どこか渋みとともに温かみもある音色のように感じる。「いぶし銀」と評されるのも頷けるところがあり、このドヴォルザークのどこか田舎風の曲にとてもマッチしていると思う。
 そして、弦楽器も木管楽器も金管楽器も、音色に統一性があるように感じる。当然ながら楽器によって音色が異なるのだが、どの楽器の音色も同じ方向を向いているというか、違いが大きくないように感じる。そのせいもあるのだろうか、どこをとってもハーモニーが美しい。特に第2楽章冒頭部分の弦楽器が奏でるメロディーのぶ厚く豊かなハーモニーには、ぞくぞくさせられる。
 第1楽章は、途中、とても速いテンポで進むところがある。ブロムシュテットにしては珍しく、そんなに急いでどこに行く? とも思うが、そのうちに普通のテンポになる。
 第3楽章は、美しいだけではなく、悲しみを秘めているような憂いも感じる。そして、決して感情過多になっていないのが好印象である。
 全体的に安心して楽しく聴ける。表情も派手すぎず、少なすぎず、ちょうど良い。何度も聴きたくなる演奏である。

ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィル(1982年)

 ドボルザークはチェコの作曲家だから、プラハ生まれで首席指揮者であるノイマンによるチェコ・フィルの演奏は、まさに本場の演奏と言える。本場の演奏らしく、小細工や浮ついたものは感じられず、落ち着きがあり、おそらくは正統的な演奏なのだろう。ただし、カラヤンなどに比べると(比べるのが間違っているのかもしれないが)、あっさりとしているので物足りなさを感じるかもしれない。
 第1楽章の始まりから、淡々としつつも、堂々とした態度を思わせる演奏である。ただ、もう少し伸びやかに歌ってほしいと思わないでもない。
 第3楽章の美しいメロディーは、演奏の仕方によってはメルヘンチックになることもあるが、この演奏はそんなことはない。素直で田舎の素朴な味わいを感じる。
 第4楽章冒頭のトランペットのファンファーレの後で弦楽器が登場するところでは、腰を下ろして足取りも重く入ってくるので、ほの暗い雰囲気が漂っている。だんだんと明るくなっていくが、楽しさも中くらいといったところか。

ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団(1970年)

 あわてず騒がず落ち着いていて、しっかりと緊張感もあり、整った演奏を聴かせてくれる。
 第1楽章はとても伸びやかにメロディが流れていき、安心感といってもよいかもしれないが、心地よさを感じる。その印象は、第2楽章においても、穏やかになりつつ続いていく。
 第3楽章は清らかな美しさだけではなく、秘められた熱い思いも感じる。最初の主題が後半で繰り返されるところでは、弦楽器がゆっくりと密やかに入ってくるが、その音の美しさはまさに感動ものである。
 第4楽章冒頭のトランペットのファンファーレは堂々として素晴らしい。それまでゆったりとしていたのに、第4楽章は部分的にいくぶん速めのスピードで軽快になる。その後にゆっくりとした演奏が続く部分でも緊張感がとぎれない。終曲部分は、迫力よりも統率を重視したようで、最後までとても丁寧である。

ラファエル・クーベリック指揮 ベルリン・フィル(1966年)

 ベルリン・フィルの高い能力を指揮者クーベリックが思う存分に引き出した演奏。すべての楽器がしっかりと鳴っていて、全体的に力強くて迫力と安定感があり、それでいて十分に美しくもある。
 第1楽章は、力強さを感じつつ、最初から最後まで颯爽としていて素晴らしい。
 第2楽章はどんよりとした雰囲気を漂わせて始まる。そこに明るいフルートが鳴り、その対比がいい。トランペットが高音を奏でて盛り上がる部分も十分に余裕を持っていて、好感が持てる。
 第3楽章は、過剰な演出を避けているようで、堅実さを感じる。それでもこの楽章は十分に美しいのであるが・・・。
 第4楽章の最初のトランペットのファンファーレはとても立派であり、その後は流れるように淀みなく進む。最後は、力が入りすぎずに軽快に気持ちよく終わる。
 全体的に素直な演奏を心がけたはずなのだが、ベルリン・フィルの優れた能力が十分に発揮された結果として、事前に考えていた以上に立派な演奏になりました・・・というのは想像し過ぎだろうか?

ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィル(1981年)

 マゼール指揮と聞いただけで、なにか普通じゃないことをやってくれるのではないか・・・という期待を持って聴いてしまう。この演奏でも見事に期待に応えてくれた。
 第2楽章は、とてもゆっくり。途中で歩みがとまり、飛んでいる鳥が落ちてくるのではないかと思うくらいテンポが遅くなるところがある。しかし、それでも破綻することなく聴かせてもらえるのだから、さすがはマゼールとウィーン・フィルだと言えないこともない。
 そして長い第2楽章がようやく終わって第3楽章に入るとき、第3楽章の出だしのアウフタクトの部分のヴァイオリンが、これまた遅いテンポ。第3楽章も遅いのか!?と一瞬驚くのだが、次の小節に入るとすぐに普通の軽やかなテンポになり、そこでほっと安心するというわけ。やられた。
 第4楽章の冒頭のトランペットのファンファーレは、長めの残響の効果もあって、とても豪華に聞こえる。そして後半部分で、またまた遅いテンポになり、また遅いのか・・・と思わされる。ということで、とても楽しめる演奏だった。