クラシックの曲には「第○番」というように作曲者ごとの番号がつけられているのが普通ですが、それに加えて題名がつけられていることもあります。その題名から、聴く前にどのような曲なのか想像を働かせることができます。
ドヴォザークの弦楽四重奏曲「糸杉」も題名がある曲のひとつです。「糸杉」だけでは何もわからないでしょうけれど、「糸杉」は12の小曲から構成されていて、その小曲にも題名がつけられています。次のとおりです。
1.分かっているとも、甘い望みを持って
2.これほど多くの人々の胸に死の思いがあり
3.お前の甘い目を見つめながら
4.ああ、私たちの愛に求める幸せは花開かない
5.ここにお前のいとしい手紙を捜し求めて
6.おお、麗しい黄金のばら
7.とある家のあたりをうろつく
8.この森の中の小川のほとりに
9.ああ、かけがえのないいとしい人
10.そこに古い岩がある
11.地上を静かなまどろみが支配し
12.お前は聞く、なぜ私の歌が
これを読むと察しがつくでしょう。恋の曲、それもドヴォルザーク自身の結局は実らなかった恋の曲です。これらの題名を読むだけで胸がしめつけられるように感じますし、聴いてみると実際に胸がしめつけられるという経験ができます。気が向いたらお試しください。甘く切ないメロディーが次から次へと登場するので、聴いているとだんだんと胸が苦しくなってきます。私が持っているCDはウィーン弦楽四重奏団が演奏しているもので、柔らかな音色がこの曲にぴったりだと思います。
しかし、この題名を知らずに聴いてみたらどうだろうかと想像してみますと、切なさよりも美しさや清らかさを感じるかもしれません。特に荒立てることのない柔らかで美しいメロディーに心を奪われる可能性もあります。今から自分で実験してみることはできませんが、その可能性があるように思います。
「第○番」という番号だけの曲を初めて聴くときは、真っ白な心の状態で聴くことができます。しかし、題名がついていれば、それによって何らかの先入観を持たざるを得ません。どんな題名をつけるかは、とても重要なことのように思います。
同じドヴォルザークが作曲した弦楽四重奏曲第12番には「アメリカ」という題名がつけられています。ドヴォルザークがアメリカにいたときに作曲されたことから、この題名がつけられたそうです。黒人霊歌を参考にして取り入れているとも言われています。
ところが、この曲を聴いてみると、アメリカというよりは、ドヴォルザークのもともとの特徴であるボヘミア的な印象を強く感じます。私自身、ボヘミア的な音楽について自信を持って説明できるわけではありませんし、東欧にも行ったことがありません。「ボヘミア的」というのも私が勝手にそう思っているだけのことで、いいかげんなことを書いているのかもしれないのですが、言いたいことは、この曲には「アメリカ」という題名がついているけれども、私が聴いても特に「アメリカ」が思い浮かぶわけではないということです。
それはそうとして、この曲自体は、内容が濃くて、とてもよくできていると思います。所有しているCDはスメタナ弦楽四重奏団が演奏したものです。20年ほど前に買ったものを久しぶりに聴いてみて、十分に楽しめました。
第1楽章は快活なメロディーが流れるのに対し、第2楽章は一転して憂鬱な曲想に変わります。第2楽章では、バイオリンがゆっくりとしたもの悲しいメロディー(ここが黒人霊歌風とのこと)を延々と弾き続け、その裏でビオラが伴奏を弾き続けます。私の場合は、バイオリンのメロディーよりは、むしろビオラの伴奏の方に意識が向いてしまいます。ビオラの伴奏は単調なパターンの繰り返しですから、それだけ聴くとすれば退屈です。しかし、バイオリンのメロディーにまさに寄り添うように演奏され、テンポや強弱がバイオリンとともに揺れ動くので、伴奏にも惹かれるものがあります。おそらくビオラ奏者は、自分もバイオリンでメロディーを弾いているつもりになって伴奏を弾いているのだと思いますし、そうではなければあのようには弾けないことでしょう。
第4楽章は、軽快なリズムの伴奏に乗ったバイオリンの流れるようなメロディーが素晴らしい。そして、第一バイオリンが奏でる和音がとても美しい部分があるのです。時間にしてほんの数秒でしかないのですが、この和音を聴くと幸せになれます。楽譜で確認すると、この和音はCとその下のE♭です。珍しくもなんともない和音なのに、とてもきれいな響きを聴かせてくれます。テンポ良く軽やかに演奏されていることも、良い方向に影響しているのでしょう。
惜しむらくは、音が少し硬いような気がすること。もっと柔らかで豊かな音色だったら最高だったのにと思います。