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日記と随筆 13
若いときの足跡…No.1~4<29~47歳>の随想 : No.5~13<19~29歳>の日記です…


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1 29/6/20   ヒルテイ

 ヒルテイより有益なる教えをうける。ほんとうに、仕事を進めるための根拠となるものは、内心において確立せなくてはならぬ。形而上の世界、形而下の世界、こうした一切の世情の考えに一矢を得て、始めて心象の世界の基礎は成立する。

 余は、余に寛恕の心の欠けていることを愧ずる。同職にあるものに対して言葉に表現せずとも、内心において既に、これを罵倒するごとき、狭き量見をもっていたことを悔いる。今後はできる限り自己の修養に精励したい。また生徒についても、自らは寛大な心の持ち主などと思っていたが、こうした心の狭さにも鞭打たねばならない。余は教育者なり。

 教育は、人格の反映にあることは鉄則なり。余は、余の生涯をできるかぎり自己に忠実に生きるべきなり。多言を要することに非ず。余の考えに停滞するときあらば、またヒルテイの教えを受けん。直接にはヒルテイに向かわずとも、生徒一人ひとりが余の教師、即指導者であり、また山川草木悉く生物たるもの、生命あるものすべて、余の指導者であることを忘るではない。

 農繁休み明けには、それぞれ今までの「自分」と変わった考えとなって来るべしとは、余が休みに人る前に話した言葉なり。生徒に求むるは余の心胆の愚を表明するのみで、己自身修養を積むことあらば、何をか憂うることぞ!前途広漠たり。無限の世界に通ず。われ自身の心に、厳格な批判を加えつつ、一歩一歩進むことこそ、大切なることなり。

水無月

青簾 浴衣団扇に 唐風鈴   あおすだれゆかたうちわにからふうりん
雷は 生きて入道 梅雨を追い
水無月と いえど来る日も 傘をもち

21日

・7時半近し。夏至になる夏の夕刻、静かな夕立後の空の色、ひっそりとした日暮、梵鐘が響き渡る。感無量なり。

・夕方堀本写真店へフイルム現像を頼みに行く。その帰りに強き印象を受ける。

 疲れた50歳前後の母親の姿、物を売りあるく姿なり。背に大きいリックを負い、もっくらをはき、地下たびをはいている姿、飯田方面からの帰りらしい。余はうしろ姿を見、通りすがりにその横顔を見る。その疲れし表情、何をか推察し得ん。年老いて、もの売りあるき、如何ほどの利得があろうことぞ。疲れたあしどり、余の網膜につよき印象を与う。

23日

・世の中を煩雑に考えることは気苦労であるから、その時その時を有効に、苦もなく生きること肝要なり。書して刹那主義という。刹那とは梵語にして、1分の4500分の1をいう。時之極小ヲ刹那トイウ。苦しみは、人間の想像力よりくること多し。死にしても左して苦しきことなけれども、想像力のあまりに強きため、恐怖観念がうまれる故なり。困難、というあらゆることが是と同一結論なり。それ故に刹那を重んじ、束の間の命をたのしく、苦もなく暮らすこと肝要なるべし。されど「安逸」とは相違する概念なり。人生是刹那の解釈に意義をもたせずば、安易なること尠し。よってきたる所は、想像力に克つためなり。

・石田幹之助「史学研究法」をみると、著者が教室に講義せし姿と声を彷彿す。温かき感あり。余もかくなれかしと望む。

・午前中、国史概説二の問題「鎌倉幕府と室町幕府の性格如何」について、原稿用紙5枚に所論を書く。卒論のときより気持ちは楽なれど、終日机にむかうことはやや退屈す。

・神の存在についての意見。神を認めるというのは内的確信、即ち信仰より出発する。難解な理論は米一合にも劣るものなり。

・「自殺論」死にたいものは死ぬがよい、とは余が教える生徒にして記憶するものあらん。但し、罵倒する言辞ではなく、自潮の言辞でなく、それこそ感情をもつ人間界の自然の姿なり。問題はその原因にたいする考え方なり。勿論余も含まれるものなり。しかし聴くものにとっては奇異なる、或いは侮蔑感を惹起するものならん。しかし真理なれば、偽ることは虚言なり。

 或いは自殺是非論もあらんかと思うが、こは愚につかぬ言葉・観念の遊戯ならん。問答無用のこと多し。人間は生きる義務があるとか、自殺は悪なりとか主張する類なり。自殺は人間に可能な行為なり。知能の発達は、自殺をも考えしめるものなり。但し、自殺は尊いとか、なにかの主張になるなど、思わせぶりな発言は、自身を益々下人たらしめるものならん。

・人皆異なる性行を有すれども、石ころが同形同質でない道理のごとく、千差満別どころでなく皆差皆別なり。その性質を知るなど、およそ不可能のことにして、行住座臥、起寝食飲を共にする着物に生命ありとせば、この生物にしてその10分の1を知るや否や測り難し。

・余は他人を罵倒する気になること極くすくなし。真実を語ることありても、説得する気になるときも極くすくなし。他の人格を尊ぶが故とは、理屈というものか。身が教職にあれば、苦しみ悶えることおおく、又苦しみ悶えることすくなし。饒舌るほど自らの醜さを意識する。一体新制中学ほど、ばかに仕事がおおく、自己撞着に陥るものすくなからずあらん。生徒など利口なものまで愚人化す。人間を脱して、いまに人間が機械の奴隷、法律の奴隷となりロボットにならん。さて「わが身が機械化している」と悟るときは、既に年をとりてのことならん。

・女の条件  やはり頭がよく、美しく、丈夫であり、ベチャベチャ、ゲラゲラせず、落着いていて移り気でなく、しかも上品であって、読書の好きな者がよい。又は第一印象の良い者。(但しこれはむずかしい)

2 29/8/16   雲は永劫の無常の具象なり

・一学期の多忙なスケジュールが終わり、暫くこの日記にも手をつけず暮らせり。人生は労働にありとは、故人の言なり。マケドニヤの歴史家のいうごとく「生まれ、苦しみ、死んでいく」のが、人の歴史か。

・余は政治活動をせんと野心を有するものに非ず。故にこの日記にも細かきことはあまり関知せず、唯時々耳に人りたることや感想のみ綴るのみ。それ日記は自己の魂の憩いの場所なり。人生は多事多難なれば、時に自らを休める場所を必要とするものなり。

・8月に入りての大要次の如し。1日は学校残務整理なり。2日より6日まで福沢正保の英語指導に当たる。英語は余も好むところなれば、さほどの苦痛を覚えず、黙々と実践せり。生徒個人を余の家に於て指導するは、余の本心に非ず。然るに将来、工科或いは理工科関係の大学を目標とする考えなれば、許されて然るべしと判断す。余の行為、考えを非とする者あらば、正保の将来を考え納得せらるべし。幸い彼は度量ある人物なり。小事に惑わさるること殆ど少なく、大局的に、しかも他人のことは一向頓着せぬ性なり。面白き性分なり。

・7日は部落野排球大会にて、生徒職員出席す。スポーツは良きものならん。されど現下の日本でかほど誇大すべき存在価値ありや否や。中学教育の中にスポーツが占める行事は実に多し。支会野排球、秋の支会陸上、部落の野排球、冬季のピンポン大会、一学期末のクラスマッチとしての野排球、水泳大会など絶大なエネルギーの集中なり。ために彼らの大部分は、こうした行事に影響をうけ、学問の何たるかを弁えず、凡々と中学課程を無為に送ること多し。けだし注意すべきことなり。

・8日は図書館の仕事にて学校。午後北沢先生来訪す。先般千代へ行きし折、青木公使より詳細なる話を伺いおりしため、彼が現在の自己にたいして自棄の気あることを感ず。9日は昨夜2時のため、起床が8時半。バス、みすずに間に合わず、11時の電車て飯田を出発す。富士見高原の赤彦と左千夫の歌碑を尋ねる。拓本はなかなか難しきものなり。碑面の文字は次の如し。

   水海之氷者等計而
   尚寒志三日月之影
   波爾映呂布     赤彦詠茂吉書

 この歌碑の拓本は、普通とらせぬとのこと、教育委員会の管理下にあり。左千夫の碑は拓本にとる暇なく写真のみにて北山村へ直行す。左千夫の碑文次の如し。

   寂志左之極
   爾湛亘天地
   丹寄寸留命
   乎都久都久止
   思布        左千夫詠赤彦書

 両碑ともによき歌なり。翌10日は赤彦の家を尋ね、後、諏訪水月園の中塚一碧楼の句碑を訪れる。

   夏めくこころあり 水平なれば 家郷のごとし    一碧楼

 一碧楼の句碑は三枚拓本に取る。一枚はK先生に贈る。4時20分の快速にて帰宅。11〜13日迄特記することなし。14日は日直にて学校勤務。15日は千代。山口みつ子の墓参のため。松島、木下、林、大淵(忠)、北沢(清)、北沢(み)、森山、川手(清)、竹下(由)、川手(政)、10名なり。山口みつ子、9月24日腹部切開、胎児二頭位のできものを摘出。電報にて家人急行とのこと。11月13日第2回目の手術、肝臓とのこと。切開したのみ、見込みなしとて手を下さずとのこと。その後、18日タクシーにて家へ急行せり。然るに20日朝苦悶を訴えつつ息をひき永眠せりという。(みつ子の母の話)みつ子は平素ブツブツ不平をいう面あるも、何の苦もない考えの子なりき。

・我等、みつ子の家に入り挨拶せんと並びてより、母は落涙せり。鳴呼哀れかな、人生の悲しみぞ。みつ子の病状を茶を頂きつつ聞き、その後に墓参す。風通しよい清閑なる地、南に面して墓碑は建つ。人生の悲喜こもごもなり。みつ子は余が教育せる子女の中の最初の永眠者なり。

・家を辞してより写真数枚を撮り、前の下宿、酒屋に寄り雑談す。小学校佐々木先生に閉口している様子。彼は他人を褒めたことなしと言う。それだけに一人天下の気分が強いのか。今の教育で、厳しさが欠けるとのこと話あり。

・余は2学期より、期するところありキビキビした教育者として奮闘する覚悟をますます固める。現今の教育にいろいろ煩悶することあり。やはり今のままの理念では、今後の日本人として立つには不足な面あり。いろいろ考えさせられる所あり。

・16日、夏季休業の最終日、家の墓参を済ます。松商学園甲子園野球にて、中京に7α対6にて敗れる。本日の猛暑まことに忍び難き程なれば、明日からの授業が懸念される。

24日  秋の気配つよし。

・休み中のテスト完了す。向性検査の集計終わる。

・へッセ「郷愁」読書中。「大岡政談」読書中。

3 29/8/26

 一度無常の世界に覚醒し、自己の周囲を眺むる者にとっては、それは永遠の苦悩に満ちる航海に出発したと同じである。緑の山、暖かき太陽に恵まれた牧場の羊の姿は、もはや自己の心の世界からだんだんと影をひそめていく。果てしない無常の世界から、何か真実の光明を見出し、縋って生きることのできる人は幸福な人と言わねばならない。今僕は如何なることを信ずべきかを知らないのだ。前途は真に暗闇であり、何か大きいものに衝突し、自分で進むべき道を知らぬものである。ここに一つの課題をとってみよう。僕は何のために勉強するのか、或いは、知識は何故僕にとって必要なんだろう。日没後、黒ずんでいく雲を眺め、じっと胸に手をあて考えてみるとき、現在の考えでは如何に考えても、これに対して満足できる回答が生まれなかった。雲を無心に眺め、永劫の無常の条理と僕の心が握手をした。誰も知るまいだろう、問題は不可解ながら,この無常の神と心を通じたとき、僕の精神的な苦痛は、夕暮れの黒い雲の中に吸い込まれていった。

 人間は呪われたる地上の生物なんだろうか? 誰か答えてほしい。無常の世界に足を踏みいれたとしても、今の身で雲水をともにして生きることはできない。誰かこの世界にも先人がいることであろうが。僕は、東洋人の気質がとても強いようだ。僕の魂はあの雲の中に生きるのだろうか。

・月もない暗い飯田の空に、静かに花火が打ち上げられ、そして消滅している。蛍光灯の下には、大小無数の蛾が、無心に飛びかっている。潰したい気もするが、天の命をうけている生物、兄弟であると考えてみると、彼らも哀れなる生涯である。

4 29/8/29

 一昨日27日夜行にて東京に向かう。2年間の勉強をして、レポートや卒業論文の提出も終わり、最後の面接試験のためである。28日午前9時半第五請堂に集合し、10時より各部に分かれて個人面談が行われた。史学科は、東部三階の史学研究室にて、石田、龍、杉本の三教授により行われた。豊田先生が見えなかったのて、僕のものは杉本教授が分担してくれた。11時半に終えたので、明朗食堂で食事をとり、至急新宿へ急行し、1時7分発長野行の列車に乗った。ひどく暑くおまけに眠くて困った。道中太閤記を読了した。講談だから途方もなく面白く読むことがてきる。家へ帰ったのは11時半頃であった。飯田駅に下車したとき熊谷さんに出逢いびっくりした。今日は10時半に起床、充分に睡眠を挽回することができた。2年間の通信教育もここに終わることができたのである。

  ちぎれ雲こころもとなく軒下に 蜘蛛の巣揺れる秋の夕暮れ

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