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日記と随筆 4
若いときの足跡…No.1~4<29~47歳>の随想 : No.5~13<19~29歳>の日記です…


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        〔 1 東洋への憧れ 〕
        〔 2 随筆 〕
        〔 3 蟋 〕
        〔 4 水引草 〕
        〔 5 決断 〕

1 東洋への憧れ

 最近、明治百年ということについて、自分がいま考えたり感じたりしていることを、書き残したいと考えておりました。それで折々頭に浮かぶことをあれこれ考えてまいりました。

 さて私は数え四十を過ぎたわけでありますが、私自身周囲からどんな影響をうけ、どんな立場にあるのか、はっきりしておかなくてはなりません。しかし、よく思いだしてみますと、学校教育の中や書物の中から、或いはまた実際の人に接してものを考える中から、自分がどのような影響をうけてきたのか、どうもはっきりいたしません。それでいて、今までの生活の中には自分が狭量だと思いつつも好きな人々がいたし、あまり接したくない人々もいました。つまり好きなタイプの人は人の心の中に土足ではいりこまなかったのです。こういう好き嫌いという感じ方はなくしていきたいと思っていますが、いつも内心、迷い易く、どうしたらよいのか判らなくなるのが普通でありました。作家は、私は記憶力が不確かですから作品やその中味はいつも忘れてしまうんですけれど、吉川英治の温情や夏目漱石の理性、最近では山本周五郎の人間観など、私の考え方の内部構造に深く影響を及ぼしているように思います。だからといって実は自分の生活の中では、それら好きな人や好きな作家の考え方が私をとおして現れるかというと、決してそうではありません。これは当然なことであろうと思っています。とにかく、今日までの諸々の生活、経験の中でそれらの内のなにが一番深い影響を及ぼしているのか、自分ではわからないと思います。

 私がこうした状態にありながら、なおかつ、ではあなたはどんな人になりたいのか、と問われたりすると、東洋的な人になりたいと答えるのであります。自分の性格に東洋的なものがあるのか案じてみますと、必ずしもそうとはいえませんが、私のすべての過去を考えてみますと、東洋的なものに心を惹れていたことには違いありません。私の年齢とか性分からくるのかもしれませんが、そういう自分の立場を解き放して自由に考えてみましても、やはり心の中に、東洋的なものへの憧れがむくむくと頭をもたげてくるのであります。

 私が殊に東洋的なものへの憧憬を深くしていったのは仏教を少しなりとも知り理解するようになったことが一番大きな原因になったことと思います。キリスト教もそうだと思うのですが、仏教は知識ではなく生活の中にその真骨頂が現れてくるものであり、仏教を奉ずるか否かは問題にしていない。そして自然体をこよなくいとしむ心情を中心としていると思うのです。死後を考える宗教も意味はあるんでしょうけれど、現在の生き方をこれほど、あっさりと説いている宗教はすくないと思うし、仏法はその最たるものと心得るのであります。

 さて、仏教が東洋的なものを憧れる渡し船となったようなものでありますが、私の心の内側はいろいろな面で東洋的憧憬の念がおきていますので、それをこれから述べようと思います。私は一つひとつの項目を挙げていこうと考えておりますが、関係的に書くつもりはありませんので、全体を読んでいただいた時、何か一つの方向を推察していただければよいと考えております。

一 仏教思想

 先ず第一に、宗教としての仏教を取り上げてみようと思います。私がここで仏教思想を取り上げようとするのは知らない人に解説しようとするのではなく、自分自身が仏教思想に近づこうとする理由を書こうとする気持ちからです。戦後、殊に最近は日本の普通の家庭の中に仏法に即する考え方なり、行事なりが薄れていると思うわけであります。戦前だって同じようなものだという見方があるでしょうが、その通りとも言えましょう。日本に仏教が伝わってから非常に隆昌した時代がありましたが、今日では仏教が何を説くのか教えられず殆ど知らぬ人が多いし、或いは教えられたとしても何か莫然とした理解しかもっていない人もあると思います。そして、こうした人の中には仏教など抹香くさい教えは現代人の心を救う力は無いだろうし、また自分でも好んで知ろうとしないという人々がいます。ある程度年をとった人は、一つは郷愁に似たような感慨から仏教に道を求める人もあるでしょう。家は浄土宗だとか臨済宗だとか、どの寺の檀家であるとは承知していても教旨を理解さえしていない人が多いようです。日本は宗教上、仏教に属するとはいっても、その内実は寒ざむとした実体であるといえましょう。大変悲しいことです。こうした社会の中で、若くして仏道に親しむ人がすくないというのは、当然のことと言えましょう。私と仏教との縁は、学生のころ弥勒庵という尼寺に下宿をしていた時、そこの年老いた庵長さんが毎朝般若心経を唱えたそのお経に接したのが始まりでした。当時はただお経に接しただけで、自分の心の中に仏法へ近づこうとする意識はまず無かったと言えます。

 仏教へ自分から傾いたのは二十八、九歳からであったと思いますが、幾つかの本を買いこみ、あれこれ読んでみました。読んでいるうちに、夏目漱石の即天去私にも、乃木将軍の詩にも、その他多くのひとの書中にも、たとえ仏教に帰依したとはいわないにしても、りっばな宗教的な立場にあって事に臨んで処している姿を読み取るようになってまいりました。それに、仏教はただ単に悩める人の心を救うというだけのものではなく実は人を含む天地一切の世界観、人生観といった哲学的分野にわたる考えかたをその根底にもっていることをしり、私はそうした面に心を惹かれ、仏法に添おうとする心になってきたのです。そう考えてみますと、これはただ自分だけの考えるべき問題ではなく多くの人が仏教を理解することが極めて大事だと思うようになりました。一時それはまだ学生時代のことであるけれど哲学書を何冊か読みあさったことがありました。ところが青年の心の渇をいやす力を哲学は持ちあわせていないと感じました。川路中学奉職時代、先生方の同好会である哲学会へ一度出席したことがありましたが、またしても私の心に喰いいるものを感ずることができなかったのです。現実の生きている自分の人生に役立つように念じながら会合に出席したのですが、その内容は私の期待に添うようなものではなかったのです。ところが仏教の考え方は極めて現実的なものとして、哲学的なものを提示していると思います。論理性を求める青年の思惟にぴったりあうだけの価値をもって、私の前に現れたといってもよいと思います。

 さてそこで、同じ宗教ながら東洋的という意味で仏教とキリスト教との違いはどんなことであろうか次に考えてみたいと思います。両者を比較して、これが相違点だとはとても明示できないでしょうが、私なりにそれを述べようと思います。

(イ)
 先ず第一に仏教は相対主義をとる立場にある、ということです。キリスト教徒にとって、神は天地創造の主であり最高唯一者であるとしています。人は如何に思いわずらうとも髪の毛一すじすらも自由に造ったり変えたりすることはできない、善をなしたいと欲っしながらも、つい我しらず悪をなしているような存在である、そのことを悔いると共に認めなければならないとするならば、人はむしろ己が思い計ることをさらりと捨てて、唯、神の御心のままに任せるべきではないか、と語るのであります。だからクリスチャンになる洗礼の時のあの冷厳な「私のすべてを捧げ、主の御心に従うことを誓います」という告白(佐古純一郎氏による)が生まれてくるのでしょう。

 しかし、仏教の中にも絶対者に対する如く仏に対する人々があります。その教えの中心になる人間解釈の結論は、人は罪業深重、煩悩熾盛な存在として観じ、己の思慮をさらりと捨てさり、仏智不可思議として仏の教えに従うということにあるようです。

 釈迦はそうした点で大変異なるし、そうした考え方をしりぞけています。人間存在は平等であり相依性をもって存在するものであると言っております。縁起という言葉がそれを明らかにしております。絶対主義に対して相対主義の立場であると言えるのであります。人は神が造ったものではありません。親が創造したものでもありません。異なるものが相依って何か説明できないような自然の力、祈りにより存在しているとしか申しようがないと言えましょう。

(ロ)
 第二に、仏教は現実主義の立場の考え方であることです。宗教とは来世に関連して現世の在り方を説くものであると考えている人もあろうかと思われるが、釈迦本来の教えには少しもそのような面はありません。神によって救われるという考え方は一種の自己暗示で、それ自体なにも不条理とは言えませんが、第一に自己存在の発見という課題を回避するものであり、現世に証することのできない考え方であると思われます。これにひきかえて釈迦の理想の境地は涅槃であり、他生に関係なきことは火喩経にあるように明らかであります。救われようとすることは、悩みの対象ゆえに生ずるものであって、対象の認識に問題があるわけであります。仏教の解脱という言葉は現実の逃避から生ずるものではなく、積極的に仏法をとおして生ずるものであります。これは仏教を学んでいく時わかってくるものですが、来世のことを説くものや、新興宗教が病気や自分の宗旨を説くようなものなど普通の人にはちょっと解しかねるような考え方をもっている教えは、本来の釈迦の教えがどこかで間違って説かれたものであるから一向に苦にしなくてもよいと思います。道元が説示したように正法は眼蔵されているのであって極めて具象的、現実的なものであると考えられます。

(ハ)
 第三に、西洋の動に対する東洋の静をとりあげてみようと思います。『叩け、さらば開かれん。求めよ、さらば与えられん』というキリスト教の言葉がありますが、これは人をして積極的に対象に立ち向かわせる要素を指示しております。キリスト教の中核となるべき意識を取り上げるならば、愛が最高であると私は考えております。愛は対象に向かって積極的に働きかけてこそ意味が生じてくるものですし、そうした方向は洋の東西を問わず極めて大切な人の意識の一つだと私も考えております。ただ付け加えるならば、愛もまた無常であるという立場からの発想が、どうも西洋には生まれにくいという点があると考えるのであります。愛の根底に人の相対的なかかわりあいを内包しておって、自己内部の愛の根元とその対象認識に課題があるという点を区別しないむきがあるのです。

 漱石は、「門」という作品の中で次のように表現しております。

 「自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いても遂に顔さえ出してくれなかった。ただ、『敲いても駄目だ。独りて開けて入れ』という声が聞こえた丈であった。彼は何うしたら此門の閂を開ける事が出来るかを考えた。けれども夫を実地に開ける力は、少しも養成することが出来なかった。従って自分の立っている場所は、此問題を考えない昔と毫も異なる所がなかった」

 これは多分に釈迦より後世になってからの禅宗が説いた、自己本然の姿を発見する場合の一般的な形式であったのですが、仏教は(キリスト教が人の中核として愛を取り上げたのに対し)自己解釈という哲学的な認識の問題を取り上げているものと考えるのです。釈迦在世の当初には禅宗のような方法はとっていなかった。仏教は、誰にもわかるものであり、悟性によって活然と悟りを得るとか否とか、そんな面倒な論理の遊びではなく、現実に誰でも証明できる易しいものであったと私は考えております。ですから禅宗の方向はどこかで間違って伝承された仏法であると思うのですが、ともかく二十世紀の今日では禅宗は仏教の一派として流布され研究されているのでどうしても取り上げざるをえないのですね。それで、その禅宗では漱石が感じたように「門を叩いても遂に開けてくれないもの」であったという姿が仏教の一つの特徴と言えそうなのであります。 さらに、現代に伝承されてきた仏教は、私たちに難解なものが多いのですが、人を自然界の中の一存在として即ち花鳥と同列に観じ、直接他の人へ働きかけようとする姿勢をとっていません。ところがキリスト教においては、その根本を愛に置いているためか、博愛という考えを日常生活の中へ積極的に実現させようと努める姿勢をとっていると言ってもよいでしょう。例えば、死に直面した者の心得とか態度とかみると、仏教或いは東洋的な姿勢の者は死そのものに同化するような一種の安堵感とか、生死の相を因縁としてとらえて従容として死を迎える心境とか、そうした静的なものであると思いますが、一粒の麦の例話のように殉教の匂いが強いクリスチャンの心は、動的なものであると思うのです。これもある程度、宗教の生死の観念から派生する一つの相違点であろうと思います。

(ニ)
 さて第四として、仏教では自己内部に目が向けられる特色をもっている点が挙げられます。仏教ではその修行というか修道というか、仏法に即しようとする者は、自己とは何であるかを尋ね観破することや、自然の中に生をうけている一存在としての自己と他己を観ることなどを磨き仏法に即さんとするものであると思います。自己を求めその後衆生の一員として社会に貢献するという姿をもっております。ところがキリスト教においては洗礼をとおして誰しもクリスチャンであることが社会的に認識され、すべて神の御心にかなう行為が推奨されるしくみをとり、その行為は愛を中核とした実務的なものであって、対象者があって成り立つ性格が強いと言えるのではないかと思います。両者とも、宗教である故戒律があり、洗礼者や授戒者はそれぞれの戒律に従うことが決められています。そこで戒律の内部は別として戒律の根底に横たわる観念をとりあげて見るとき、次のように表現してみることができると思うのです。

 授戒者はものをみる目が重要視されます。ものというのは自然界人間界の一切で形而上下一切を含むものであり、みるとはその意志・存在・姿の真の相を観破することであり、目とはそれら自己を含めた一切の流動変化の相をどうとらえどう対処していくかを意味する、と考えるのがよかろうと思います。従って授戒者の生活の中で或一つの事象をみる目は、どんな場合でも普遍性をもつもので、授戒者すべてが到達しようとしている理想であると言えましょう。逆に言うなら、この世の実相は千変万化であっても統合的理解ができるものであり、授戒者はそれを求めていると言えましょう。そういう意味でものをみる目が重要視されていると思うのであります。

 一方キリスト教においては、中核に愛の必要性を説き戒律は他者への働きかけの場合の自戒として意味をもつものであって、仏教とは異なる性格をもっていると言えるでしょう。キリスト教では目が外へ向けられ、仏教では目が内に向けられている、これは一つの特色であろうと思います。

 両者を論理的に或いは哲学的に比較してみれば、その相違点は多くあるでしょうが、究極において「共に手をとりあう」立派な人を求める点において同一であると考えております。唯ここでは、東西を比較してみると、自己内部の凝視・理解から一般化をたどる方向としての仏教と、神への帰依の姿で神の教えを一般化していく方向としてのキリスト教との、両者の相違を把握しておきたかったのであります。

(ホ)
 続いて愛について書いておきたいと思います。キリスト教の中核としてとらえるだけの値打のある概念であるし、それに愛はもともと温かく楽しいものであると共に逆に愛故に無限の悲哀もあり、無常であって心の動転を伴いやすく、人の世の多くの部分を占める問題であるので取り上げておきたいと思います。愛の概念なり、実生活に即する分け方なり、多くの課題があるので、ここでは東西の宗教が愛についてどんな構えをしているか、自分で思うことを書いてみたいと思います。

 釈迦は老・病・死を人生苦としてとらえておりますが、それはまとめとしての表現であって、根底においては尽きない人への愛ゆえに生まれたというか到達した表現であったと私は思っております。出家した頃の釈迦は、おそらく人一倍愛を強く感じ、人一倍悩みとおした人であったことと思います。

《この当時書いた原稿はここで終わっている。ここでは仏教のなかの東洋的なものとして、五つの項にその考えをまとめているが、音楽や詩や生活様式の中にも東洋的なものがはっきりとあり、それらについて書きまとめるつもりであった。しかし今この続きを書くのは、考えかたも違ったものもあるし、当時の考えのまとめにならないので途中であるがここまでとする》

2 随筆

 (五十一・七・七)

 生涯とは生きる涯と書く。従って命脈が終わらなければそれは終わりとならない。徒然草がそうであり方丈記がそうであったように、已に人生半ばに到ったとき、誇張もなく名誉もなく、己の半生で身についた己自身を述べることは、ごく親しき人や血縁の者への今日までの恩義に報いるひとつの道と考える。

 己自身を述べるということは己の来しかたの回想のいみではなく、今日現在まで己が見聞してきたものを基として、なんの順序もなく、おりにふれて書きしるすことによって、己自身を述べるというような意味あいである。

3 蟋

(こうろぎ) (五十一・八・十八)

 思考の範囲は、生活行動半径に比例するとおもわれる。ひとつの環境のなかに数年いると、思考範囲・パターンは限られてきやすいことを考えてみると、若いころの、どんなことへも反応していく気軽さというか若いエネルギー(幼いこどもの活発さをみると誰でもびっくりするではないか)というものが不活発になっていることに気づく。一つひとつの現象にたいして、既有経験のことには反応せず僅か少しのことだけに反応するために全体としては鈍化したようにみえる。したがって思考範囲をひろめたり思考の活発化をめざすのも、生活行動半径を広げる一つの方法である。青年期にある若者の行動のなかに、途方もないと他人にはおもわれる発想や行動がみられるのは、将来を摸索するいろいろの発想があらわれている証拠であるともいえよう。生きる力として、こうした欲求が、自分ではわからないにしても自然に備わっているのではないかと思う。私には書くことによって、鈍化していく思考感覚をめざめさせようという意識もある。

 耳を澄ませてみると、蟋があちこちの草むらで静かに鳴いている。暗い夜だ。外気はどんどんと冷え込んでくる。「不思議な星砂」がぶらさがっている電気スタンドが照らしている机のまわりだけが明るい。電車の線路のきしみが消え去ると、コオロギの音だけの静寂にもどる。

   翅こする 虫の哀れな 秋の闇

 けさ、伊豆半島に地震あり。

4 水引草

 (五十一・九・十三)

 風越山の麓、猿庫の泉あたりの道ばたには可憐な水引草が秋の風に揺れていた。しばらく見たことがなかった花。楚々として、人目にもつきにくい木蔭に咲く美しい花。

 ロッキード事件はあまりにも人為の醜いすがたであり、世は挙げて経済や文化の向上に酔うかにみえるのに、そこに咲く花は醜い花である。人の命に花が咲くとしたら、金を誇る土地でなく、ひとの感情にあぐらをかく土地でもなく、めだたずとも美しい心の土地であろう。

 雨に洗われ人の足跡がないせいかもしれない。ゴミを捨てないように呼びかける立て札が妙にしっくりしない。自然は本来もっとおおらかで美しいものなのに、人為のなせることが美をそこなう。七月の黄色で淡く憂いに満ちた宵待草の花は去り、草藤の野生味ある花も終わった。

   寂しさのきわみに耐へて天地に
        寄するいのちをつくづくと思ふ     左千夫

 人の弱さと自然と人生をこのようにうたいあげた歌は、私の心をしっかりととらえる。ロッキードを忘れ、経済を忘れ、水引草が私を自然へ引き戻してくれる。人はもっと美しく生きなくてはならないのだと。

5 決断

 (五十一・九・十三)

 親が子を産み、長じて子が親になって子を産む。何も妙なことはない、普通なことだ。ところが親は、子が長じて親になることを知っていながら、いつから親としてみるか明らかではない。親としてみるというのは不正確だから、一人立ちとして歩む意味だから、鳥の巣立とみてよかろう。雛をいつ一羽の鳥としてみるか、人によって異なるし明らかではないのである。

 親は一定の距離を保ち子どもを見守る要がある。殊に大事な人生の節に直面したとき、鉄則としてこのことを守る要がある。このことは殊に親の愛と深いつながりがあるから、簡単なわけにいかないことが多い。学校で話題となってくる非行関係の実例をみると、責任の多くは親にあって子供にあることは殆どない。親の予期せぬ不見識な行動を生ずることがあるが、これとて雛鳥の成長過程の一つとして位置づける見方を必要とする。森の王者獅子にしても、空の王者鷲にしても、また知惠の王者人間にしても、親と子の関係は原則的に大切なものがある。教育というものは、親が手を引くばかりでなく自ら体験することが基本であり、多少の間違いや跳ね出しには、見て見ないことが大切である。親の決断には大変な覚悟と信頼が要るものである。

 今日はお彼岸だが、教育委員会関係のことがあって浪合へ行ってみた。新鮮な、なんともいえない素晴らしい空気、清洌な流れ、住むのなら恩田の川沿いがいい。

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