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日記と随筆 1
若いときの足跡
No.1〜4<29〜47歳>の随想
No.5〜13<19〜29歳>の日記です
<これ以外は「折々の記」>
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〔 1 はじめに 〕
〔 2 目次 〕
〔 3 日記 〕
〔 4 教育理論 〕
〔 5 教育の今昔 〕
〔 6 正法眼蔵随聞記 〕
〔 7 二十一世紀の日本 〕
1 はじめに
去年四月から家にいる。教育者として教壇に立ち、学級担任として千代中四年、神稲中五年、下久堅中−緑ケ丘中三年、川路中−竜峡中五年、豊丘中四年、浪合中一年と副担四年、合わせて二十六年、それから学校運営の上で教頭として泰阜南中五年、下条中六年、合わせて十一年、計三十七年間奉職し、昭和六十一年三月退職しました。思えば長い年月であった。
この間教育者として、自分で出来る限りにおいて、誠意をもって頑張ってきました。政治、経済、文化の面では急速な発展をとげてきたが、教育においても、大きな流れから見ると、いろいろと変わってきました。
教育は、教育者が切瑳琢磨し、その方向を求め力一杯その職責を果たすことが肝要であります。
しかし、時の流れに応じ政治経済文化が指向する、その筋からの要求により、或いは、教育者自体が一労働者として我身を位置づける向きも多くなり、加えて、家庭における子女の養育環境の低下も加わり、教育思潮が定まらず、今後の教育の在り方を摸索する様相を呈してまいりました。
教育は、教育者一人ひとりが自己内部において、将来を見とおした、学問の裏付けのある深い見識をもち、一人ひとりの子供を育てあげていくことが基本であります。
愛とは何であるか、祈りとは何であるか、知識とは何であるか、生きるとは何であるか、金とは何であるか、労働とは何であるか、家庭とは何であるか、友達とは何であるか、生きていく心の中の情熱とは何であるか、人の前に立ち、先生と呼ばれる人は、こうした課題を常に追い求めて、己自身を高めていくことが肝要であります。
二十一世紀を托する子供たちをどのように育てあげたらいいのか、それを求め続けることが肝要なのです。
身のまわりの整理をしているうちに、原稿用紙に書きすててあった日記や随筆がみつかり、丁度パソコンを去年買ったので、まとめてみました。下平好上という男が、何を考えていたのか、近まの人に見てもらい理解して頂ければうれしいです。(まだ出てくると思いますが、それは次にします)
昭和六十二年五月六日 下 平 好 上
2 目次
………………………………………………………………………………
【日記と随筆1】
1 日記
2 教育理論
3 教育の今昔
4 正法眼蔵随聞記
5 二十一世紀の日本
………………………………………………………………………………
【日記と随筆2】
6 長い坂
7 動作から表現されるもの
8 何を求めて生きたらいいか
9 読書より
無用議論をしないこと・人生蛆虫論・大菩薩峠
ポーシャ・西田幾太郎・正義の主張・滝口
あとのない仮名・さぶ・天地静大
………………………………………………………………………………
【日記と随筆3】
10 浪合にて
窓辺から・浪合の春・長根山−蛇峠・栗代沢に入る
植林・惠比寿岳へ登る・実父母を万博へ
町大川入山登山の下見・恩田大川入山登山下見
秋が来た・〇・〇
11 秋夜
12 愛とは
13 How to live?
………………………………………………………………………………
【日記と随筆4】
14 東洋への憧れ
15 随筆
16 蟋
17 水引草
18 決断
………………………………………………………………………………
3 日記
日 記 (32/1/1)
○冬休みとなりて漱石の「明暗」を読了す。則天去私は明白ならず。小宮豊隆の意見では確かと思わるる箇所あれども、余には不可解な事多し。漱石の主張の要点は個人生活の内部暗闘の醜と、その解決にある。そこに則天去私を求める。気品のある作品なり。
○早朝
晦日明けて元旦となる
時に差異なし、空間亦然り
人生、蛍の点滅に似たり
余、ここに三十歳となる
長き星霜を仰げども一物もなし
心にし、ほしきものは不変の哲理なり
求むる道、その先は高し
百里の道九十九里を以って一里と期せ、と言う
○冬休みの余の課題
漱石か芥川のものの中から・・・・・読書
三省堂の中『Vista High English』・・・・・読訳
右の二点にしぼる
○あらたまの年を迎えて流れゆく よどむことなし せせらぎの水
(32/1/2)
祝賀式十時より裁縫室にて行なわる。名剌交換会十一時より役場にて行なわる。同級会二時より学校。阿島のバス乗り遅れる。吉川と松沢へ寄る。隆文を伴いて九時半頃家に帰る。とし子、博人より土産をうく、恐縮の至り。
(32/1/3)
○外套のマフラー購入。地味過ぎると母の講釈を聞く。さもありなむ。失敗す。
○生徒来訪す
「来るなら餅でも食うだけ持って来い」とて、丸岡、池野、平沢、丸山、小沢、山崎、いろいろの土産にて恐縮す。母に注意を受ける。
○小川行
生徒を送り去るは四時半
大至急にて御年玉と書きて出発
大洞の道険悪にして諸人困却す
急ぎて流るる汗
各種の馳走、味覚蘇生の感あり
未だ慣れぬカルタ・・・閉口と奮起
四畳半完成、両親老後の憩いの世界とせむ。
静寂・気品・意志・・・環境は人を作る。
(32/1/6)
去日上衣なしで学校へ行った為風邪気味となる。午前中は殆ど床の中に寝る。午後も同じ。
漱石の小品若干読む。感動するものなし。百人一首、大丈夫なり。負くる事なし。夜トランプ (ブリッジ及びツーテンジャック)
(32/1/11)
○宮下先生訪問
和やかな空気、すくすく伸びた兄妹
雑然とした部屋なるも趣あり
校長の筆次の如し
鶏春の寿
契弥弥濃やか
応贈下平君 芳弥
便所へ掛けるべし云々の注釈あり、悲しいことに置いて来てしまった。
宮下教頭の書初、漢文にて難し。
小生作りたる詩次の如し。
枯淡在東方之門
吾如故人亦敬東
武士道真非害人
無虚偽欲枯淡心
即興の作にて韻を踏めど起承転結はかばかしからず、下作なり。
○龍之介の書評
日付 題名 所感
1/7 ひょっとこ 不要
1/7 仙人 唐人を想 七点の作
1/7 孤独地獄 悲痛なる心理(彼自身)
1/9 父 有価値 道徳訓
1/9 虱 凡作 「蝸牛角上争何事」
1/9 酒虫 無意
1/9 猿 傑作(彼らしい着眼)
1/9 手布 逸品 落着いた作 (古風な理)
○火事 (八時半頃 赤石陸送 正実・典子兄妹を伴いて鉄路に佇みて見る)
警鐘続きて騒然とす市井の人
吾驚く身の野次馬の気
焼け落つ家に涙を誘わる
とんちんかんの吾のひょうろく
○酒井君(高田洋服店)へズボン依頼す。
(32/1/14)
○昨夜谷崎の鍵を読む。下作なり。或人間の真実だということは肯けるが、鍵に現れる人の全貌は、知行を逸脱した言うなれば、餓鬼道に陥った人の行状記である。性への欲求をもっと高次の世界へ導く意志が、谷崎に殆ど見られぬのは何を目ざすためか。鉄面皮で済ませるつもりか。小生には彼の魂胆理解不能なり。彼は下作、売文を作りたる以外の何物をも提供していない。
○「タイムとは時計なり」と勘違いしている人を見、更に易々得々顔でいる事を知る時、浅薄な心地ぞすれ。「知らざるを知らざるとせよ、これ知るなり」故人は斯く教えた。ドライとドライアの意の相違も認知なく、厚顔しいのは、是々非々に至り流行軽薄に興ずる相ならむ。願わしき事に非ず。
○秀より便りあり。
○単語の征服はなかなか困難なり。
○岩波の辞書には例文の良いのが多い。少しばかり挙げてみる
Light come,light go. 得易きもの亦去り易し
There is no hurry in the designs of God. 神の計画にあわただしいものはない
Expression is the dress of thought. 表現は思想の服装である
Contain your anger. 怒りを忍べ
You cannot get blood out of a stone. 石に血はない
(32/1/16)
○休みは本日までなれど、その長さに閉口したのが実状であった。何かまとめた事をと思い読書と英語を選んだが、満足すべき結果となっていない。むりやりに、といっても機械的に二千八百語を暗記する覚悟を固めた。本では漱石の明暗2冊と龍之介の2巻の中途まてみた。
○二十二歳になる教え子が三人、クラス会の代表として、小生の結婚記念にと記念品を早朝持参す。(大淵清人、大淵忠彦、林郁子)有難きことなり。置時計にて良き品なり。遅れない様にとの思案か? 義理がたく、小生のことを聞きて記念品を送るとは、申し訳ない気がすると共に、第一回卒業生の愛らしさが偲ばれる。写真を見せて貰ったが良く立派に成長したものと驚く。
○昨日、小川の父が来てくれた。結婚式を三月十七日に内定す。校長先生に話して確定するつもりである。
(32/1/16)
○収穫祝いカレーライス。やはり立案は教師が手をいれるべきものであった。カレー汁が月曜まわしで四杯とは意表をつく。
○小説についてのプロットの考え方と、現代小説のプロット、及びテーマの考え方と描写法についての意見をみる。
○邦楽の良い点→音色。精神の平安は金属楽器には求め得ぬ。例えば、尺八とピッコロ。
○フキントウの味は苦いところがいい。
4 教育理論
教育理論 (43/1/22)
渡辺君の話を一部始終聞きながら、折おり、「レッテルを貼らぬように」と忠告し、同級会も終えた。同級生の意識を固めるという点で、或いは同級生は好きなことを言いあっていくことが大事であり必要であるという点で、井原君も山口君も同調した。私はただ、話が愚だと感じたのである。(内容はどうという訳はないが、東中内における流派云々と自己の立場に関したものであった)
一体、教育者の間柄では、一校の職員の教育理論なり職員の教育思潮なりを重んずるのか、或いは教育者の間柄では教育者の個々の特性を重んずるのか。両者を識別しどちらかを優先させることが不可能なことなのか、そんな識別優先という考え方自体が問題なのか。けれども、自分では個の特性を重んずることを基本的に考えているので、話の限りでは識別優先はなにをおいても考えなくてはならないように感じたのである。教育者の個々の特性を重んずることは、教育者が互いに心得ていなくてはならない根底的なものである。渡辺君の話がどうも辻棲に合わぬような、即ち、感情的・個人的になりやすかったからであったと考えられる。
私は話の途中で、自由ということや、人に惚れられるという言葉を使ったが、少なくとも教育者の間では、個々の特性が最大限に重んじられなくてはならない、と考えた故に、周囲のもの、即ち、一校の組織なり運営方針なり或いは慣行なりを主たるものと考えず、己自らを重んずることを主張したいために、自由とか人に惚れられるとかの言葉を使ったのであった。おわかりだったろうか。
話の主人公になりたい彼から、次に世界旅行をするという希望・夢をお聞きしたのであるが、同級会としては格好な話であったと思われた。是非、夢を持ち実現できなくばそれでもよいから夢を持ち、金も溜め欧米の諸々の事情を学んでほしいと思う。渡辺君の旅行希望はあくまで自己の要求から発した個人的なものであり、自己主張の一端であって私は大変よいと思う。教育においてもこの世界旅行実現と同じく、個人発想が自由に認められるべきでしょう。旅を経て、自己内部の充実もしようし修正もしよう、また人にも良かれと願っていろいろと話もされるでしょう。己の旅を鼻にかける了見があれば勿論話は別である。渡辺君の自己主張の一端、旅行はおそらく、望外の幸を多くの人に与えることができるでしょう。
教育においても、個々の特性(私はこの個々の特性を自己主張の一端としてみる)この個々の特性を最大限に重んじていくとき、個人の充足、修正があり、自己以外の人々によかれと願うようになると思う。
私は同級生からみると年齢は下であるのに、折おり話を折るようなことを言ったのであるが、渡辺君はなおかつ理解してもらうべく弁じていた。私など逆鱗に触れるとさえ感じましたが、如何でしたか。まあそれは措くとして、教育の流れ自体を自分と照合して考えてみても、恐らく一つも益なきものと覚悟し、水と共に流れようと案ずるほうが一益となろうと存じ、さようにレッテルを貼るは窮屈なりと抵抗した次第であった。
5 教育の今昔
教育の今昔 (43.3.13)
昔の学生には共通した希望があった。指導する者に夢があった証拠でもある。今の学生には共通した希望がない。指導する者に夢がない証拠でもある。
昔の教育は指導者から学ぶ者への一方的な指導であり、厳格さと礼儀作法が大事にされた。今の教育は学ぶ者を主体として指導者はそれを援助する人と考えられ、共同を尊び礼節は重んじていない。
人の根幹を考えてみるとき、課題がある。
6 正法眼蔵随聞記
正法眼蔵随聞記(43:2:1)
只管打坐、読み合わせをしていて瀕りに出てくるが、得道の修行の中でこの只管打坐が主軸をなしているように思われる。私は随聞記を初めて読むので、これから何が出てくるかわからないけれど、修行僧への心掛けが書かれていると受けとめる。木下先生が折おり言われるように、この本が出来た社会的な背景をこの本を読解する条件として承知していなくてはならない。そしてこの本を見ていて端的に感ずることは、現代の私たちには余り効能がないのではないかということである。
いろいろの思想の推移を既に教えられてきた我々現代の者にとっては、中世にスタートする禅宗の基盤は相当の距離をもっていることを承知している。更に先に挙げたように、この本は修行僧への垂示であって、そこには、弟子への言葉の中から弟子への構え方は了解できても、道元の禅宗に迫る、或いは禅そのものの本質に迫る片鱗だに示されていない。従って木によって魚を求める諺のように、この本から道元の禅の神髄を求めるべきではない。
さて、「道元の修行僧に対する垂示」の内容批判についてであるけれど、只管打坐が得道の道であると説くことを考えてみたい。釈迦が何が悟りであり何が仏であるかを説いたが、私は根底において誰しも釈迦の説く真理を体得できるものと考えている。そしてそれは只管打坐でなくてよいと考えるし、只管打坐でもよいと考える。女の人の中によく聖僧以上の心機を掴んだ例のあることを見てもわかる、と思われるからである。しかし乍ら、悟道への課題として、本能と煩欲、自利他利、自己を離れての観照、生と死、煩悶の心、等々を体得することは既得体験としては欠くことがてきないと思う。だから只管打坐もその一法として私は考えてみるのです。カンバスに向かう故に画家であり、韻をふんだ律詩を作る故に詩人であり、王冠を戴くが故に帝王であると見るのは極めて稚拙な思考であろう。只管打坐をしている者を仏者と見るのも同様な意昧を持つといってよかろう。どう考えていくべきか、得道への一番良い方法は善良な師につくこと以外にない。それが近道であろうと考えている。
7 二十一世紀の日本
二十一世紀の日本
カメリカの経済・核戦略研究家ハーマン・カーン氏に依ると、三十二年後の西暦二千年には、日本は一人当たりの国民所得は年間八千ドルとなり、アメリカを抜き、世界一位になるだろうと予測している。
昭和三十年に百八十二億ドルに過ぎなかった国民所得総額は、十年後の昭和四十年には、その約三・六倍の六百六十二憶ドル、欧米の主要国、米、西独、英に次いで世界第四位のフランスとほぼ肩を並べるまでに成長している。そして昨年度の国民総生産(GNP)では遂に千百憶ドルを突破、経済規模では仏、英を抜き世界のビック・スリーの仲間入りさえしたものと推定されている。
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