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日記と随筆 10
若いときの足跡…No.1~4<29~47歳>の随想 : No.5~13<19~29歳>の日記です…


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1 29/1/27  長期予報的中 下旬極寒来る

・寒波、零下15度。逆行が流行ならば、これもまたその一つか。
 オオサムイ 身ブルイヲシテ ハシヲ持ツ

・旅行に関する懇談会について
 コース、予算、服装、入れ物、小遣い、その他

・本日「新生」の読み合わせ会 当番は校長先生と小林先生。内容はいよいよ逃避行としての外遊の決定場面であるが、どうもこの本は利己的なものへの反発のせいかあまり感心できない。今日はその一つの大切な点が、海外旅行という場面て端的に表現されていた。「破戒」は単にロマンチックな理想論として意味をもつのみであろうか。そしてまた、この「新生」は当時の社会からの重庄に敗北した人間を、愛情をもってみると共に社会の必然性というか絶対性というかそうしたものを肯定した立場で書かれているものであろうか。兎に角私の耳にはいれたくない他人のひとつの経験、主張である。どうか暗い本だ。

2 29/1/30    多忙多忙将に多忙

    ・「ごたごた記」昨今の生活をとおして見るに、窒息するような空気に囲まれ何の職業上の合理化も考えられず、従って現在の教師の立場を全面的に肯定することは全くなく、ただ時の力と僅かな香り高い気品にみちる理性の命をうけ、半ば盲目的に或いは半ば馬車馬的に、それぞれ一人一人の生活をおくっている。内在する活力はない。ほんとに立命の境を期して教卓のまえに立つ人は何人あろうか。今の世代に完全なる自己をみつめ、完全なる自我を発露する個人主義者・自由主義者は何人あろうか。

 自己をかばい、過信し、飾り、誇張し、相手に自我の存在を認めさせるこによって心をなだめている。それらは極端な利己主義である。けれども一般には愛すべき利己主義者を多く見いだす。

 自己を掌握することが、何時の時代でも一番大切なことなのに、今の生活にはこの余暇さえ与えられていない。従って、本来先天的な本能とまで思われるエゴイズムを分析し、自我の分析から生まれる個人の基盤はできない実状である。

 自分自身にたいする言論・行動などの不可解なことを承知しながらも、社会の波に同乗してしまって、自己の理性を確立することができない。人間は社会という共同生活の一員であるかぎり、自己の欲をすべて達成することは無謀な考えであろう。しかし欲を捨てさることも出来ぬのでこの欲をある程度みとめる場合、直接または間接に、この欲の対象にならなくてはならない。この欲の対象になっても、なお安心立命の境地たり得るためには、非常な忍耐と修行がなくてはならない。この対象となるときは誰もその立場を真剣には考えず、早い者勝ちといった態度となる。これが、通常の考え方であり態度である。

・クラブ活動の時間に、部落生徒会、クラブ活動、学友会専門部の引き継ぎ。

・昼食後編集部会合、原稿の整理。

・4時45分、青島先生、伊坪君、3人で佐原懇談会のため学校を出発。伊坪先生夕食招待のためである。7時より9時まで懇談会、異議なし。

・伊坪先生宅へ泊る。清貧に甘んず気節の士を思わせる。勇に遠い、否か。宏二君、妹三人、末女は7歳にて母に似る、長女6年、次女3年とのこと、宏二君と共に父に似る。妥協は許さず、個性のスケールは温存すべきか。闘士タイプを剥ぎとるが可か否か。寒気強し。

3 29/2/1    二月来る

・朝起きてみても、さてやろうという元気がでない程である。ことに昨日などは疲れが甚だしく、体が硬直して病気になりはすまいかと懸念されたくらい。

・生徒の字が非常に乱れているので、その根本問題の解決方法を考えた。
 1 板書の字をきちんと書くこと。
 2 ペン習字の練習をさせること。
 以上は言葉と同じほど、生徒への同化を及ぼすものであるので、充分考えたい。以上日記を見ての感想である。

・懇談会は伴野、林里部落、学校裁縫室にて行う。小園部落は北林、市瀬先生。

・縁談・養子の話(神稲)、どうしたものか。また飯田より問い合わせに来たという。 兄が決まればであるが、いよいよもたもたしてはいられない。

4 29/2/2    書棚完成

・学友会原稿が気がかりでならない。一人で編集するのが無理だと考えたが、生徒がよくやるし完成はできる。来年度は方法をかえて、各クラス担任の先生に頼んで4月から作品を整理してもらい、1月には印刷屋へ提出できるようにする必要がある。そうすることが得策である。

・本棚完成本日着荷  5500円也
本日、父が本家のリアカーを借りて中島木工所へ行き、注文しておいた書棚を受取りに行ってくれた。黙ってやってくれる父がほんとに有難い。

 学校から帰る時は、林原、木門の旅行部落懇談会を終えた9時過ぎであったが、内心書棚が出来たか否か、或いはどんなようであろうかと、いろいろ想像しながら胸をはずませ、自転車のスピードをあげ、一目散に家へ帰った。家には父が寺のことでおらず、母と兄が炬燵にいた。支度を替えて一緒に話しこんだが、どうも書棚のことに触れないので、尋ねてみた。ところがちゃんと出来ていて、奥の部屋にあるというので襖をあけ電気をつけて見ると、驚くなかれ大きい大きい書棚が悠然と置かれているではないか。まさかこれほど大きいと思っていなかったので、思わず「わあ!これはでかい」と一口言ってよく見た。大変よい作品であった。しかし兎に角大きかった。でも注文は6尺×4尺と言ってあったので嘘ではなかった。これほど大きくなるものと思っていなかったので全く驚いた。炬燵に戻って「よっさっちゅうもんだ」と言われたり、姉がくれば「ばーか」とアクセントをつけて言うだろうとか、何も言わぬ父でさえ「よくもでかいものを頼んだものだ」と言っておったとか、いろいろと言われてしまった。時々、あれほど大きいとは思わなかったと自分で言うと、母も兄も嬉しそうに笑いこけた。しかし、立派なものであるので嬉しい。早速子供のようであったが本をつめてみた。わざわざ二階の本も下へ持ってきて、きちんと整頓して人れた。思ったことはやらないと気が済まぬ性質からであって、子供染みていても仕方ない。間違ったことはやらぬ、と自分で考えてはみたもののの、この大きい書棚をどう扱ったらよかろうかと思うと、われながらにやりとすると共に、無鉄砲に大きい物を作ったものだと思えてならなかった。

5 29/2/9

・部落懇談会が終わって一段落となった。2月20日予定されている学芸会は、せりふ原紙を青島先生が完成してくれ、小生が責任者となって「ベニスの商人」の練習を始めた。配役については、先生方が全部決めた。生徒の声もあったが、考えねばならぬことである。

・「ベニスの商人」の配役は次の通りである。
  説 明 役              原 なをみ
  ポーシャ    バッサーニオの妻   原 美代子
  シャイロック  ユダヤ人の金貸し   原  元一
  アントーニオ  ペニスの商人     壬生 裕也
  バッサーニオ  その友人       渡辺 正治
  公   爵              大島 久雄
  サレリーオ   ベニスの紳士     下平 弘美
  グラーシャノ  々          鈴木 繁人
  ネリツサ    ボーシャの侍女    吉沢富貴子
  その他     法廷の官吏たち

 注意として、台詞は区切りよく憶えること。劇の憎まれ役は元一君がやるわけだが、皆で理解してやり、思い切ってやれるようにすること。憶えるには三分の一位ずつにして憶える方法がよいこと。以上の注意であるが、昨日見ると大部分よいようだ。

・先週土曜には、岩間先生と話をするため飯田へ行く。小生に嫁を、との話であり、24歳、知久町郵便局の吉沢節子という人だとのこと、弟3人で家族は6人とのことである。顔も見てないし、どんな人か知らぬ。何とか返事をせねばならぬが、まだ未決定である。結婚については、何時か自分の考えをまとめたいと思っているが、なかなか難しい問題であり、未知でもある。兄のほうがまとまらないと、自分の腹も決められない。養子よりも独立したほうが良いかもしれぬ。一般に養子は相当の苦労が伴うので、自分の考えを推進できぬことが多く、気兼ねも多いから。

・一昨日の日曜には、昼近くに壬生裕也と壬生昌幸に来てもらった。書棚図書の整理のためで、食後4時間ほど、1冊ずつの本の書名、発行者、著者、大きさ、出版年月、購入価格など、台帳へ記入したのである。一人ではとても出来ないのに、全く有難いことであった。5時にバスが来るので仕事を中止した。馬鹿げたようなこと乍らやらねばならない。同夜は宿直のため、生徒と一緒にバスにて学校へ行く。小学校は熊谷先生であった。

6 29/2/11    旧紀元節の日

・川千鳥 鳴く静けさや 雨しづく

・今こうして安き万年筆を手に、キング堂より購入した原稿用紙へ文字を書き誌るす。夜は静かである。空間は微塵も感じない。すべて時間のみを覚える。

この原稿用紙の日記は、正月より書くつもりで出発しているが、一体日記は自分の自己満足の逃避行ではないだろうか。人間のあくことのない欲望を、こんな紙面で慰めるのであろうか。自分の弱い気構えは、自分の思うままをこの日記へすら書くことができずにいるのは何故だろう。自己の倫理感が、この紙面に書くことによって低下するのだろうか。いや、やっばり良心のとがめが、自分の日記たりとも思うままを書かせないでおくのだろう。誰にも見せぬ日記であれば、自己の心と日記をイコールで連結し、良心はその範囲外で休んでもらってはどうだろうか。それは出来ないことである。

 生きるというのは一体何を意味するのか、たばこへ火をつけ雨の音を聞きながら私は考えるのだが、何のことだか解らなくなる。生きた動物であることは肯づけるのだが、ただ、草や木のような植物や兎や昆虫のような動物と同じものだろうか。宗教というけれど、仏教信者でもキリスト信者でも善の世界だけではなく悪の世界をもっている。極端に考えれば、二重の人間、表裏ある人間が浮かんでくる。そしてそれが信じ得る真実の相であるように思える。ただ、生きていく。あちらこちらと、ぶらぶら人生の生涯をとめどなく歩きながら生きている、それが人間なのか。解らない、判らない。何のために私は生き、何の目的のために教育しているのか、教育するというのは何の目的か、立派な社会人になるということは何を意味するのか、平和な社会とは何を意味するのか、そこにも人間の生活が展開されるのみであろうに。一体何のために生きるのか。私は直接には職務上勉強しているが、何のために今教師をやる意義があるのか、ただ、生きていて、できるだけ互いに平等な立場で生活するためか? わからない。しかし、美にたいする憧れは、何処からくるのかしらぬが、心をゆさぶる力をもっている。もう2時になってしまった。今夜は休もう。

7 29/2/14    日曜日

・午前中は劇の練習のため登校する。人生からみるとき、目前の目的のためからではあるが、日曜日に学芸会の演劇練習とはどうも気がきかぬ話である。多忙な学校生活に一寸の呼吸、僅かの安静を求め得るのは1週1回の日曜であろう。精神の安息の1日を返上した。

・午前中より降雪という変挺子調子。しかし、雪降りこそ、われわれには絶佳の景である。この目前の風流を解し、人の世に聊かの潤いを求めうる俗人は、幸ある身といえよう。小生もこの心境を解する気を持つ。無用の言語生活が多いこの頃では、できるだけそれを避けることが賢明な方法と言わねばならぬ。とすれば今日は日曜であったものを。

・「紀元節可否論」 紀元節可否論、是れまた愚の骨頂をいく暴論である。日本紀元は正しいと主張する人があり、昨夜読売新聞をみると、賛否両論が取材されていた。こんな紀元節の如き不正確なものに、正気で論争するとは恐れいった次第。紀元節を主張する人よ、あなたは愚の、愚の、愚人であるぞよ。見なさい、世界や日本の歴史の実状を。今更紀元節を持ち出すとは呆れた次第だ。天皇様でも、人の家系をつべこベ言うなと腹を立てるだろうよ。今、国歌を問題とし、元旦の歌を問題としたのに、矢次ばやに紀元節が飛び出し、わたしらを唖然とさせてしまう。よくも狂人が多くいたものだ。

・「教員の政治活動禁止法案」 本年度になってMSAの交渉や再軍備など、又ここに教員の政治活動禁止法案の問題が出現した。戦後百八十度の急速回転が行われたと思ったら逆旋風百八十度だ。本やノートを吹き飛ばされないよう身につけなくてはならぬ。突風を背にして歩けば楽なことは承知できるが、あまりの軽業の術を使う政府の考えは承知できない。言論の自由弾圧第1号は、25年度のアカハタ追放を以ってトップを切ったが、よもやわれわれの本職である教育までとは、及びもつかぬことだった。教育者の活動が怖いのだろうな、意気地のない連中奴。それに誰も、このように言論、思想の自由を拘束してほしいと、猿奴らの選挙をしたわけでもあるまいに身の程を知りなさい、と大喝せねばならない。おまけにどうだろう、知事官選だなんて、とんでもないことを考えやがった。やっと、地方自治が歩み始めたかと思う鼻先へ、サーベルのピカピカするのを差し出して、一寸ひっこめ知事官選で結構だとわいわい騒ぎはじめた。今日の新聞を見給え。地方行政は、国家行政の権限に服することを規定する地方自治法改正案を考えているのだ。蛸の足は八本あるが、この蛸坊主奴が、今年になったらいきなり所きらわず我侭に振舞い始めた。こんな腐れ代議士、へぼ代議士奴は、馬の後足で存分に蹴られるがよかろう。20〜30年気絶していてみなさい。それのほうが国の為というものだ。それからまだある。池田喚問だ。泥試合春場所というべきか、保全経済会が大の狸御殿だった。たまげたおもちゃで遊んだものだ。パチンコはかかる保護のもとにあると思えば、始めて肯ける点がある。保安隊の赤錆事件もついこの間の話だ。下らぬものが出来てしまった。

・兄、富田へ見合いに行く。午後二時のバスにて牧内先生、父と共に行く。本日は思わぬ荒れた天気で、吹雪であった。

8 29/2/23    自由の迫害

 終戦後憲法で規定された自由は守られているであろうか。胸に手をあてて考えてみると、いろいろの出来事が過ぎ去った。それを回想してみよう。

 思想の自由は、自由権の中でも殊に大切なものであるが、この思想の自由は、言論の自由と出版の自由により保証される。それゆえに尊いものは、言論・出版の自由である。ところが戦後デモクラシイを謳歌していたときはさりながら、世界が明らかに二分してソ連圏とアメリカ圏に分かれると、日本は戦争放棄でござる、というだけでは暮らせなくなり、資本主義の株主アメリカの援助をうけ、言論・思想界もこのため大変化をせなくてはならなくなってきた。先ず口火をきったのは共産党公職追放であった。続いてイールズ事件が惹起され、共産主義にたいするに権力をもってするファッショの傾向がみえてきた。しかし国民の生活は自己の周辺しか見る余裕も元気もなく、ただどっかで行われている位にしか感じないのである。続いて共産党で出版している「アカハタ」が発行停止命令を喰らった。詳細は当時の新聞を読めばよいのだが、兎に角、無謀なまたは思慮なき人間の処方であった。自分が共産主義を捧じなくとも、平和を希望し真理のために進まんとするとき、出版の自由を侵害したことは許すべからざる問題であった。これは絶対に日本政府の浅薄さから生まれた失敗である。これと対になって警察予備隊が生まれた。国内の暴動鎮圧のため?に、莫大な費用を使わなくてはならなかった。ところがよく見ると日本は、アメリカの手先機関の匙加減による操り人形の姿になってきたのである。基地問題がこれに続き、MSAがこれに、更に再軍備論がでるまで、内容の変化は恐ろしいほどであった。予備隊の規模にしても国民が組織するものなのに、知らぬ間にどんどん大きくなった。馬鹿が多くいる証拠である。名称が然りである。目的が然りである。言論・出版弾圧の陰には、強力なアメリカの力が加わっている。資本主義を守るため、極東日本は一つの大切な足場となる。かれらの陰謀はなまやさしいものではない。将にマッカーサー旋風が日本に巻き立ってきたのである。二十七年には団体等規制令や破壊活動防止法が世論の猛烈な反対をおしきって国会で通過してしまった。とんでもない代議士が多い。これらを牛耳って成立させ、反抗をくいとめようと企らんでいるものは、アメリカの御用機関となっている吉田の率いる自由党である。臭いものには蓋をせよ、との考えは、強力な議会多数制によって思うがままに振る舞っている。更に言論・思想の自由を脅かすものは、今回の教育に関する二法案である。馬鹿な文部大臣は、自分が吉田という社交家の大きい流れのなかにあって、真理というものを見失っている。こんな意気地のないものが、教育関係の頭かとおもうとうんざりしてしまう。大達って奴め、一体どんなことを考えて、米を喰ってきたんだ。民衆の基本的権利を守り、その向上のために、自分でその真理を認めるならば、政治的な権力など眼中に入れず、男らしく言論・思想・出版の自由を守るべきである。また、地方自治法の改正も、知事官選による中央集権を意図したものであり、この動きも国の大きい動きの一環をなすものである。

 代議士は一体何を考えているのか。殊に、日本にこれらの波乱を巻き起こしている自民党と改進党の代議士は何を考えているのか。選挙のときは何を公約したのか。選挙民は、再軍備をすすめ、自由を奪うような代議士を選挙したのか。馬鹿奴、多数決の弊害の一つはここにある。しかし、われわれの問題である。

9 29/2/24    春近し

・春近し  のどかな春が、野原や河原にやってきた。新しい希望をのせて南風とともにやってきた。見よ、野の草を、ふきんとう、すいせんなど楽しく伸びはじめたではないか。日月の去来は何の相違もない。そして人生に希望と精力と夢を与えるのは春だ。朝風は肌寒いが、気持ちのよい春の大空、空気は何と見事であろうか。

 先生も生徒もこの楽しかるべき春の訪れを、野の香りとともに感ずることが出来ただろうか。春はかげろうとともに足音を忍ばせて、暖かいリズムにのって野原にまずやってくる。教室の中で物質に取り巻かれ、時間に追われ、きまりの奴隷になってい るのが先生である。また生徒でもある。大自然とともに生きようとしても不可能である。身体薄弱児が学校の門からこの三月出ていくのだ。文化は自然との縁を薄くする。従って古人が春を楽しみ謳歌した味は、今の若者には知る術もない。小利口なものが生産され、講釈の発達した人間は、自分から苦しむようになる。春が忍び寄ったのに、この身は忙しい。

・最近の教師と生徒の間は、否、戦後教育の一つの欠陥は、規矩にはまった文化的人間を作りすぎることを挙げることができる。

 負けじ魂は、荒けずりな世界からのみ生まれるものである。例えば、アメリカの開拓精神といわれている負けじ魂は、荒けずりの生活が彼らを発展せずばやまぬという気質を作っているのであろう。日本は余りにも平穏である。文化は平穏な国においては停滞する。教育面においてもかかることが言い得るのである。やはり野性人は尊い人間と言わねばならない。われらはまるで平和で、否々、無感覚な世の波に慣れすぎているので、息をしているのか、していないのか、自覚症状が全くないあり様である。荒けずりな世界など、見ようとしても見られない。一寸突飛なことでも、しようものなら、すぐうわさの種ができ、お祭さわぎにされてしまうのである。誰も自由たらんと欲っしながら、この破ることのてきない無風の世界に取り囲まれて、手の下しようがなくなっているのである。道端の草や、大空を雄飛できる鳥のみが、高い知惠をもつ人間を意識外に、平然として生きているのである。全く恐れいったことだ。宿題と課題は、小生自身の考えと矛盾しながらも、世間一般に負けてやっている。自重すべきである。絶対個人主義は、他からの強要を撤廃することが第一の原則である。そして逆に他に迷惑を絶対かけないことが第二の原則である。私は、絶対個人主義を破って教卓の前にたっている。これは正しくない行動である。しかし、これにはいろいろの難解な問題もあるので、この方法を採用していく決心である。考えてみれば、馬鹿げたことである。

・「グスコー・ブドリの伝記」について
尊敬すべき、大地に生きる宮沢賢治の作品。私の大嫌いな武者小路とは全然違っていて、生徒が下手に読んでおっても気がスーとする文である。この文が賢治の温かい肌の感覚を与えていることを感ずる。大きい慈悲ある、そしてなんとも主張せずに温かく抱擁していてくれる愛の心の奥底をつよく感ずる、よい作品である。こんな作品を作った人といっしょに生活したくもなる。しかしながら、文学者でなくとも無言の賢治は近くにもいる。それらの人々は全く尊い人々であると思う。

・古銭のコレクション  生徒が多くの古銭をもってきた。和銅開珎が始めて日本の貨幣として708年に発行されたことを、先週授業で話したら、生徒が持ってきて見せてくれたのである。岩崎宏章が持ってきたもので半両という古銭があり、紀元前181年に支那で作られたものであることが判った。更に五銖という古銭も紀元前100年余のものであることが判った。次に古いものは渡辺の開元通宝であった。

・歴史の授業で山上憶良の貧窮問答歌を扱った。文化は必ずその裏に犠牲になるものを内包している。

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