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日記と随筆 8
若いときの足跡…No.1~4<29~47歳>の随想 : No.5~13<19~29歳>の日記です…
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〔 1 時の流れ 〕
〔 2 手 紙 〕
〔 3 満25歳の誕生日 〕
〔 4 下らない宴会 〕
〔 5 年頭に当りて 〕
〔 6 29/1/2 〕
〔 7 思想と政治についての寸見 〕
1 時の流れ 25・6・1
今から八年ほど前になるだろうか。家の二階の部屋で机に向かっていると、当時の自分が彷彿として思いだされる。試験があるときなど、今でも忘れられないほど、この部屋にジッート閉じ込もっていた。世は変わった。
世の中を何も知らぬ私など、日本がどんな歩みをし何で戦争をしたのか、見当もつかなかった。それにしても、満十六歳で予科練に身を投じ、国をまもろうとした心立てが、妙に可哀想になる。戦が敗れたのが5年前になる。あれから時の神は、瞬時にして5年後の今日を目のまえに展示している。
長野吉田の3年間、この3年間には、記念碑を建てたい。その3年が終わって、昨年からは教員となり教職に身を捧げている。
なんと早い5年だったことか。いずれ10年という歳月も、明日にでも来るだろう。けれども、時はまた人をたすけもする。苦しかった時も楽しかった時も、時はみな変えてくれる。変化あればこそ、生きていられる。形ある自然の景色も、形なき人の思想も、大きく見れば人間の頭の中で切り盛りされながら、あれこれと採色され、造形されるのだが、人間というものから全く離れたところが在るならば、石や木と同じく世界のなかの一匹の虫でしかない。そして、その枠で見れば、三葉虫からすべての生物が何万年もかかって変わってきたように、世界がだんだん齢をとっていく変化が、大局的な法則に従ってゆっくりと動いているに相違ない。
ただ、頭脳が特別発達している人間は、非物質的な生活面があって、自らを複雑化している。もし、神が有形でこの世に存在したとするならば、こんな風であろう。どんな偉人でもどんな野蛮人でも、お前達は同じだよ、と言われよう。ちょっと考えれば変だが、人間の性格とか特徴とかは、或いは欠点とか長所とかは、ただ細かい気質因子の構成が違っているまでのことで、分解物は同じであるということだからである。
人間は何が故に存在するかは解らない。ただ、非生命物たる物質と異なって生きていることだけである。物質は目的をもって存在していない。生物でも、植物や下等といわれる動物は目的をもっていないと言われる。人間だけが目的をもって存在していると言えるのだろうか。もし、目的があると考えるのならば、自ら作った目的であって、何等の証明にもならない。生物には、種の保存と成長発展という点で、共通した潜在意志があるだけである。だが、人間は、自然の法則をつかみ、その助けにより、自らのために都合よいものにして生きていることは事実である。
生物は、その種の特徴ある力故に発展し、またそれ故に滅びると言われる。人間は、その知能の発展故に世界を制服し、またその故に滅びるのではないかという恐れを、ユネスコ事務局長ジョン・ハックスレーが警告したが、それは正しい推察なのかどうだろうか。私はこの意味での、生物の興亡の考え方は、その危険性をもっているけれど、当たっていないと思う。あの恐竜の滅亡とか植物全盛の終末とかは、それ自身に責任がないのである。人間の知能の発達が、人類の滅亡につながるという論法自身、それは誤りである。だから知能の発達が原子爆弾を産んだとしても、それがもとで人間の滅亡をきたしてはならない。
2 手 紙
久しぶりに手紙を差し上げます。
長く手紙を出さず失礼しておりましたが、お許し下さい。この下手な字もかまわずお許し下さるなら、次のことも付け加えたいと思います。人は所謂、海中の一本の藁のようなもので、一回一緒になっても又離れさるものである。私はこの例をひいて縁どおくなったことを弁護しようとするものではなく、全く人間というものが浮遊した生命であるということ…客観視すれば私自身…をご理解ねがいたい、と言うことです。音信不通が1年余になっていると思います。偽りなく表現すれば、私のこころに映る問題のなかに、佐々木君のことが忘れられ、浮かんでこなかった、と言い得ると思います。このことは、間違いのないように解読されるようにお願いします。
何故、私のこころに佐々木の姿が浮かんでこなかったのか、私はこう自問してみます。しかし、全体は回答できません。便りがなくとも互いのこころが常に結ばれていただろうか、イエスとは強く答えられない。私はこんなように考える、年齢のうえから青年期の二人が、性格上及び過去の環境が類似していたが故に、殊に文通のやりとりが多かったのではないのか、と。しかし、こんな小さいことに答えを求める必要はない。お互いが励ましあって五十年の生涯を旅する身なれば、文字を通して連絡し、生活していくことが重要なのだと思う。前の問題になるが、青年期の弱い悶えを乗り越えて、われわれは更に厳粛な人生に対座し、各自が、自らを自覚し、精神生活の向上のために、友より、師より、兄弟よりいろいろの問題の解釈をうけ、自己の反省となし、また逆に友へ、師へ、兄弟への忠言をおくり、反省・考察の糧となるよう、一段と進んだ立場の音信が必要だと思う。現在すぐとりあげるような問題もあるでしょう。そして、何時といってよいかわからぬ様々な人間不可解の問題もあるでしょう。そしてまた、やがては来ると思われる結婚などといった問題もあるでしょう。兎も角、物質的なまた精神的な或いは些細なことや重大なこと、或いは昨今の又は将来のといったように分けてみれば、解決すベき問題は山積している。齢を重ね、人の生活の多難さが思い知らされ、また不可解などといったことを思い煩い悶々の日に暮れるときが多くなってまいります。
いま私は農繁休みで、家に帰ってきていますので、出来たら23日までの間に一度会いたいと思って、手紙を書いたのです。いまはほんとに多忙のときで来られないかもしれませんが、雨の日でも何の時でも都合がついたら午後弁天へ来てほしいと希望するわけです。銀星会館に外国映画のいいのが来ているというので、一緒に見たいと思いますし、一晩ゆっくり過ぎしかたを振り返ってみたいと思っていますので、こんな無理をいっているのです。学校へは24日にいきますので、家で働いたのも今日で4日目です。まったく忙しいですね。できたら午後でかけて下さればいいわけですから、お待ちしています。よい返事をお待ちしています。乱筆にて失礼しました。
十八日 家にて 好上拝
佐々木君へ
3 満25歳の誕生日 28・12・8
断片的になるかと思うが書こう。今日は私の誕生日である。考えてみると生まれてから満25年は過ぎたのであり、前途を考えるとき、人生の3分の1が過ぎたことを強く感ずる。その間、種々の変遷があった。世の中についても、私自身についても。それは2度と誰も真似ることのできぬものである。思索の変遷にも複雑なものがある。人生の問題はますます多岐にわたり、記憶をあずかる脳細胞の作業量も急激に増加するであろう。ところで一切の空虚な事物には無関心でありたい。一日一日を実に無駄口多く充実した生活でなく、怠惰な生活を送っている場合が多い。見よ、学校万端のあくせくした行動を。誰が自信をもって、理性にしたがった生活をしていると言い得ようか。あまりにも表面的な、内面のつながりのない実情ではないだろうか。これはこの学校のみではないであろう。今の世全体が、自己を失った所謂、人間失格の宣言をうけた連中の集りであって、信念なる言葉すら使い得ないものである。しかし、私の意見も排他的な要素をもっているのであり、ここに宗教観に徹した心境が生まれ得ずしては自らの苦悶が残るのである。教師は実践力に欠けている。よくべラベラしゃべるロボットみたいなサラリーマンである。品行方正なような仮面をかぶっているが、これほど二重人格の苦悩をまざまざ知りつつ困っている階層はあまり他に例がない。あるとすれば代議士かそれと同列の輩である。私自身がそうであってみれば、何とか安住の世界を創造し、理性の下僕としての生活が送り得るように修行しなければならない。出来るだけのことは実践したい。
教師という肩書きは、絶対に禁物である。この言葉を肯定すると、無意識のうちに自らも階級を肯定してしまうのである。理性の尊厳が犯されるのである。だから、一切の言葉・行動は指導意識を除いて、人間対人間の立場でなければならない。
・現在昭和文学全集が25巻まで出版され、世界文学全集は13回の配本が済んだところである。出来るだけ読みたい。
・本日は4時より学年会。14日から3日間の父兄懇談会の内容について打ち合わす。
・勉強せんものとして、奥の部屋に炬燵をあけた。ぼこったい様だ。
・満25歳となった誕生祝。
あっはっは それはササギの 焼餅か
4 下らない宴会 29・12・10
昨日、神稲学校通動の先生方が喬木会を開催することについて話があり、本日阿島福田屋において6時半より開かれた。主催者は一体誰であったか関知するところでないにしても、この宴会を何のために開いたのか、恐らく出席者の大部分の人が知らないでいたと思う。知らぬのも無理はない、別に正当な理由があることではない。多分酒飲みの通弊に巻かれて出席したのであろう。懇親会とか親睦会とかの名義と思われるが、実のところ、この尊い生涯にとって有意義のものではなく、下落の一途をたどるとしか思われないものといえる。およそ、酒飲みは自主性のない人が多い。中にはそうでない人がいるけれど、大部分の人は相手によって自己を慰め、自己の欲をここに発散している人達なのである。まじめな修道者にとって宴会は苦痛であり、万一出席している場合は、彼らの馬鹿げた会話に耳をかしているだけである。その微笑はこころからの微笑ではなく、ゆがんだつくろいや、さげすんだ意味さえ含む笑顔である。出席のメンバーは次の通りである。
河原、高橋、北原、市瀬、湯沢、村沢、仲田、鈴川、片桐、市瀬、桐生 以上
・百人一首の原紙をきる。
※松井昭二に百人一首のプリントを頼み、彼は原紙を過ちて破ってしまった。彼は余程困ったことだろう。
・テスト成績を個人別に整理。
・午後第5・6時間目、映画。
5 年頭に当りて 29・1・1
歳月が廻り、ここに昭和29年を迎えることとなった。私は気持ちを一新して第一歩を歩みだしたいものである。内外の諸情勢は一昨年より昨年にかけて大きく胎動し始めている。それが良い方向か悪い方向か予断できぬ。マス・コミュニケーションに対する覚悟について、千代のWC誌へ原稿を寄せたが、情勢の変化には強い真理への意志を堅持しなくてはならぬと思う。
外的情勢に対しては未だ他に考える問題が幾多あるが、次に自己への希望というか決意を書き留めておこう。先ず私が元旦を迎えて自己中心に考えることは、主体性の確立ということである。自分の年齢を考えてみると満25歳であり、30歳までは修養・人格の形成期にあるものと考えたい。自我の世界をできる限り広めなくてはならない。その為に、私の精神生活と肉体生活を充実した内容としたい。読書・小旅行・体操等が自立的に活発に実施されることが、どうしても必要である。私の生涯を一望してみるとき、時の流れの一断面を注視することがとても大切である。何となれば、私の生涯も時という鎖が一つ一つ結びあう一連の鎖であると言えるからだ。またこの一年間は、日記帳の一冊としても考えられる。その一頁一頁は私の一日一日である。歴史の一頁は、この日記帳の一頁より成り立っている。一寸ながくなったが、時間というものが縦の線をもっていることを忘れてはならないのである。そのために日記を反省録としたり、また生活記録としたり、また論説じみたものとするかも知れない。この一冊の日記帳は、自己の世界を拡大したり、生活に活力を与えたり、精神生活を反省したりするために是非必要なのである。以上年頭の心構えとしては不足であろうが、実行をモットーとして進みたいと思う。(朝ラジオ放送を聞きながら)
・昭和29年新年祝賀式10時より。
・後 名刺交換会及び八尾先生宅2時半まで。
・千代へ行く 八幡3時20分発 2日2時まで千代に留る。
・7時半頃北沢昭君と窪田先生訪問11時頃帰る。北沢先生宅泊り。
6 29/1/2
・午前9時30分大平宅(千代時代下宿)訪問。 午後1時30分大平宅を辞し帰路に着く。
・午後4時50分、バスにて学校へ、宿直。その夜、畳語の由来のプリント原紙をきる。
7 思想と政治についての寸見 29・1・7
年末年始によくよく考えた問題であるが、昭和29年は再軍備についての議論の段階を経て、いよいよ憲法改正と実施にまで至る変化が現れると思う。再軍備是非論は昨年ことに基地問題とともに云々されてきたが、それぞれの立場にたってその主張を貫こうとしているようである。終戦直後とは世界情勢がすくなからず変わってきているので、憲法が平和憲法といわれたにも拘わらず、数年にして憲法を改正する問題がもちあがった程である。われわれは、このままでよいだろうか、言わば門外漢のごとき存在とも言い得るわれわれは、どうしたらよいか、教師の思想の中立が叫ばれているが、そんな骨なしの人間(とまで言い得る)が肯定できようか。
日本が名状すべからざる悲惨な終戦を迎え、われわれは、日本の根本的な弱点は封建的色彩が強いことだと考えた。支配者は、民衆のこの弱点にのっとり、最初はそうでなくとも、後には過った方向にすすんでしまった。少数知識人が日本の指導者に反抗をしたのであるが、大衆は依然として隣近所の無事平穏を願い政治のことはいっさい無関心であった。そのために自分達の船が暗礁のある冒険行をしていることを爪の垢ほどもしらず、言われるままに夫や兄を戦場へおくり、くどの鈎筒や箪笥の手掛けを供出し、防火訓練で意識を統一され、いきつくところまで行ってみると、敗戦の事実→日本降伏という真実に直面させられねばならなかった。
私はまだ若く、強い意志をもって人類の幸福のために生きることを願った。ユネスコの前文がその一つである。戦争の惨禍ほど、端的に人間の真実を露呈するものはない。私はそう信じた。そして、戦争は防ぎうると考えた。世のなかの究極は闘争かもしれないが、私が生きる時代や、ここ5〜600年くらいは防ぎうると考えた。何が一番基底になったかというと、人間は本質的には善悪の性質をもっているが、人を殺すということは兎も角罪悪である、という意識をもっているからだ。殺人は罪悪である、ということは日本のみならず全世界の人々が認めることであると信じている。それ故に、何かよほどのことがない限り、世界の平和を招来することは不可能ではないと、考えるにいたった。私達の同輩が、戦争中隣で死んでいき、4〜5年して米兵と行きあっても殺意を感じないのは何を意味するか。人間の根底には不可解なほどの心がある。矛盾から成立している。犠牲的良心があるかと思うと「世の中は色気三分で欲七分」と看破されているように、恐ろしく利己的な欲望をもつ動物でもある。しかし、人間が不可解な心をもっていても、戦争をこの世の中から葬り去ろうとするのは正しいことである。
戦争は何故起きなければならないか、戦争を必然的結果に追いこむものは何か、これは簡単に解釈できないものであるが、根本的なものは人間の欲→人間の弱点からである。この人間の弱点が、歴史的な幾多の変遷をたどって形成され、大きくなったものが政治となり、現在では資本主義の経済体が誘起させる必然の結果であると言いうる。換言すれば、少数の権力をもつ者・支配者の、意向の表現である。一般大衆と遊離せる支配者の闘争が、全人類を含む戦争に追いこむ、戦争挑発の火種である。一般大衆が望まぬ結果を生み出す戦争は、実は彼らの利己心の結果である。権力者が、即ち政治的支配力をもつ者・権力者が、経済的に発展してきた資本主義と結合し、現代の戦争が生まれているといいうるのである。戦争がこの世から忘れ去られるためには、経済機構と政治形態が大変革しなくては、戦争という病原菌を撲滅させることはできない。ここ2〜3年に現れている進歩的学者の意見は、大部分がこの点に集中しているといえよう。意見即ち、思想は政治を支配することはできない。われわれ一人一人の人間が思想を変えなくては、現在の政治を変化させることはできない。このことは簡単に完成するものではない。民衆は、いこじな程腰が強くて動かないからである。思想をもって生活するのではない。思想よりも現実の生活の方が、一段と大切なものとして生きているのである。進歩的学者は、一般大衆と遊離することは自己の価値を無にするという真理を知っている。ここに、今後の日本が苦しまねばならない重要な課題がある。
革命的な政治・経済の変化は、現状の日本のすがたとして不可能なことか否かは判断できない。やればできるという事は事実である、これは疑うべくもない。中国がこの一例を示すものである。だが、日本の機構はそんな幼稚な考えでは解決できない。あまりにも複雑な国情である。アメリカの支配は絶対的な宿命である。ここに経済的独立の困難と政治的独立の困難がある。しかし、これらは今始まったことではなく、また今改まることではない。これら政治的問題に、正面から取り組むことは不可能と言わねばならない。であるから支配を受けている民衆の、考え方の向上を期するより他に道はない。一切のレジスタンスは、一般民衆のレジスタンスでなければ意味がない。
そこで、思想というものが政治の改善のために民衆と結びつく必要があるわけだが、ここで殊に目立つことは、政治はいつも思想に先行している点である。思想が政治に先行することは殆どない。再軍備がそれである。発足当時は警察力の強化であり国内治安のためであった警察予備隊が、前後して保安隊となり軍隊となり、武器を備え自衛力云々の問題までに進展している。これが再軍備是非にまで発展しているのである。かかる動向に対する思想的な動きはどうかというと(事の善悪はそれぞれの立場で変わっていようが)どうしても政治より後進している。動向が現れたものにたいして批判する位としか、一般には感じられないのである。再軍備反対の思想的活動も、時流主義の傾向があるためか、根強く民衆に喰いこんでいないようだ。一般の民衆は再軍備に傾いている。再軍備反対を口にするものは、時代遅れのものの如く考えられてきた。これは歴史的試練や経験の少ない日本が、浅薄となる傾向の現れであると言い得よう。自分の意見というものが、自分のものになっていないのである。大海の藻屑とも比すべきか。進歩的学者が民衆とかけはなれないようにすることは、彼らが最も、そして絶えず注意しなければならない点である。機械的理論だけでは、私たち民衆は納得できないことを、彼らはよく承知している。こん後も民衆に根をおろし真剣な努力が払われることと思う。そこで希望することは、政治力が思想に先行し具現力を絶対的なまでに持っていることを充分認識し、意見を遠慮なく発表し行動してもらいたいということである。
進歩的学者とは何をさすのか、それは、現在の政治及び経済機構が一般民衆の希望する線に沿っていないことを確信し、それを理論的にも立証して提示し、どう行動したらいいのか方向を明らかにして、この変革を民衆の覚醒によって実現しようとする思想をもつ人である。具体的問題に触れるならば、MSAや再軍備及びこれと表裏をなす憲法改正など(大きい課題のみでなく、あらゆる問題が含まれるが)これらの動きが不正な気持ちから出発していること及びそれが絶対力をもつ政治により推進されることを明示し、一般民衆の平穏な生活を掻きむしる結果につながることを立証し、これの抵抗としては抽象的理論でなくみんなと一緒に考える方向を示し、その結果人間らしい生き方ができる希望をもって政治に参画できるようにすること、を意昧する。政治はもともと思想をうちたてて、その実現のために行政をおこなう建前なのである。ところが実際には衆愚権カデモクラシーのごとく、如何なる思想も払いのけていくものであることを心に銘すべきなのである。封建的土壌に育つ民主主義とは、こんな寄らば大樹式な、また数にぺこつく式な、こんな情けない民主主義なのであろうか。話はことなるが、凶作対策の実情は何を物語るかという問題を考えてみても、大人が理論を弄んでいるとしか考えられないのである。この凶作という回避できない事実を解決するのに、生活そのものを問題にするのではなく、ただ抽象的な問題に終始しているのである。戦後の半ば享楽的な没落文化とまで言えそうな生活態度に一大反省をするところに凶作対策の活動の意義があろうものを、なんたる末梢的なことを決めているものであろうか。この事実は、再軍備問題に通じる。事実が発生すると、その結果をつかまえて周囲を騒ぎまわるのである。再軍備が、われわれとどういう関係にあり、どういう意味を自分にたいしてもっているのか、全然そっちのけなのである。凶作対策などやっていると、むしろ事実を真実なものとして凝視し、分析し、批判し、判断し、どう行動するか、等という皆の力を弱めてしまうという悪い影響をもたらす。静かに、ふかく考える時なのである。
今後私が考えていくことは如何にあるべきか、という問題に到達する。がここでは、私の主張は述べたくない。私の考えを書くにはまだ考えが不十分である。ただ、思想と政治が、このような複雑な困難な問題を含んでいることを書き留め、今後私が主体性を重んじて考え、考えていくためのものとして、この寸見を終わりたい。実行は不可避のことである。
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