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日記と随筆 9
若いときの足跡…No.1~4<29~47歳>の随想 : No.5~13<19~29歳>の日記です…


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        〔 1 文化人と野性人 〕
        〔 2 29/1/07 〕〔 3 29/1/08 〕〔 4 29/1/09 〕
        〔 5 29/1/10 〕〔 6 29/1/11 〕〔 7 29/1/12 〕
        〔 8 29/1/13 〕〔 9 29/1/14 〕〔 10 29/1/15 〕
        〔 11 29/1/16 〕〔 12 29/1/17 〕〔 13 29/1/18 〕
        〔 14 29/1/20 〕

1 文化人と野性人

 これは、昨日の午後の授業を始める前に提示した課題である。結論は、品のある野性人になれ、という考え方である。勿諭両者の概念を規定せなくては(自己流に規定せなくては)とんでもない結論として、受けとられる。カミソリよりナタであれ、という考え方もある。文化人は、自分で意識するとしないとに拘わらず、その持ちあわせる知識・文化にとらえられて、どうしても剛直になれない。自分をゼロにしての発想ができにくいのである。生き抜く強さというものは、知識や文化がむしろ逆に働いて、例えば行儀作法とか礼儀とかに縛られて、人間が本来もっている天衣無縫な明るさとか、ちっとばかりの事にはへこたれない生きる力とか、そうした野性的な力は、所謂文化人には、悲しいなか少ないのである。温室育ちの草花を、人の手が加わらない野原に放りだしてみれば、野に咲く花がどれほど強いものか改めてわかるものである。文化人はその文化ゆえに、本来の人間の野性が失われ、卑屈をおぼえ逆に己を吹聴したり、逆境に合うと廻りを批判し逆に己の弱点を隠して、自然の力に従う謙虚さを失う。人間は、品のある野性人がよろしい。

 「信ずる人は恐ろしい」信ずる人は恐ろしい。だがその人は少ない。私はそういう人になりたいと思うが、数学やなんぞのように、机上の思索では到達できない。

 何が信じうるかと考えてみても、ぼんやりしていてこれこれと表現できない。創造する人間でなくては人間の価値がないと今は考えるのだが、それにはそれまでの知識の理解が前提になってくる。限界はどこにあるか判らない。私は何ものか信じたい。

 ただ、こういうことは言える。単なる思想は、浮動する限り意味をなさない。ある基盤なしには、思想もでてこない。自分で信ずる基盤なくして、思想はありえないと考えられる。自分で信ずる基盤とは、それは客観的にみて誰でも可とする生きざまであり、人生観であり、価値観であり、世界観であろう。では、それは一体どうであればいいのか、それが課題である。

2 29/1/7    終日部屋

・朝どんど焼きとて母は3時頃起きる。小生5時に起き焼いた餅を食べる。

・続いて「思想と政治」「文化人と野性人」「信ずる人は恐ろしい」を書く、午前中かかる。

・午後C組の国語テストを調べ終える。

・柳田国男「日本の昔話」の小品を読む。

3 29/1/8    満25歳と1か月

・午前中、学校。「菜」と「大和古寺」をK先生に渡す。

・帰りに座光寺の熊谷勲君に遭遇、平沢清人さんと従兄弟とのこと。原田の父が亡くなったことを聞く、原田訪問を約す。

・午後は家にいて夕刻まで熟睡す。夜「ジャンクリストフ」を読み始めた。

・母と兄は映画「君の名は」を鑑賞す。

・「ジャンクリストフ」今日は84頁まで読んだが、ロマン・ロランの筆致の精妙、優美、幽玄、描写法、またロランの統一的な乱れのない構想等、重量感をもって私を引きずって行く。文中から、人生の貴い経験を汲みとることができる作品でもある。真実に近いものを感じ、安定感をもって読んでいくことができると思う。

 ロランの幼児に対する考え方は、余りにも細かく描写されている。殊に感情の変遷と大人に対する批判、洞察はちょっと肯定しかねるほど詳しい。がしかし、私は無意識のうちに伸びてしまったから、今になって少年時代の心理的な動き、感情の動き等考えてみると、ロランの書いていることが肯けなくもない。しかし、あまり論理的にはなりきれない。まあこんな感じをもつが、全体からくる重力感はたとえようもない温かみを私に与えてくれる。クリストフの成長を如何に描出するかが中心課題だ。核心にふれた作品でありたい。武者小路を読んだときに、その感想をノートヘ書いておいたが、ロランの人間性からくるもの、または人生観、世界観から織り出される作品からくるものを較べてみて、月とスッボンの相違がある。武者小路の善意は認めることができても、作品の出来栄えや人生に対する考え方からすれば、ロランの世界の門外漢である。そんな点で視野のひろい作品であるように思われる。

4 29/1/9    終日家

・昭和25〜26年の読売新聞の保存用を選定。

・矢野の染物屋が嫁様の写真を持ってきて紹介す。如何なものか、よく調べてみたい。大平利和先生に尋ねるが早道と思われる。

・午後シャーロックホームズの帰還を読了す。内容次の如し。
   シャーロックホームズの出現 
   踊る人間          
   復讐            
   ブラック・ピーター殺害事件
   金縁の鼻眼鏡   

・永見君に手紙を書く。 (切手皇太子帰朝記念)

・小川一男さん、胃腸をこわき微熱が出る由、飯田病院へ入院す。哀れなり。

5 29/1/10    午前中家、午後山仕事

・朝、原田裕典君に手紙を書く。父を失ったよしを慰むの書。

・「ジャンクリストフ」第一巻、曙を読了。
 第二巻、朝、ジャン・ミシェルの死。クリストフの祖父、大往生。父メルキオルは不身持となり、ついにクリストフと言い争う。哀れなるクリストフの運命なり。父の乱行は続き公爵からの給料は取り止めとなる。

・永見、原田両君への手紙を投函す。橋上の春風頬を洗う。冬にしては珍しく暖かき日和。はや冬至は過ぎ陽光は日増しに濃くなる。如何に寒気襲うといえども、向春の気やわらぎて肌に風心地よし。橋上の気、絶佳。

・日曜にて兄は家にて仕事、小生父の仕事を援けて山仕事。

・午後も同様山仕事。天候やや崩る。小雨あり。

・大黒様(母に教えて貰いて書き留む。兄が可笑しいと申すも伝説の話に必要とて)

 一 大きな袋を肩にかけ   二 大黒様は哀れがり
   大黒様が来かかると     きれいな水で身を洗い
   ここに因幡の白うさぎ    がまの穂綿にくるまれと
   皮をむかれて赤はだか    よくよく教えてくれました

 三 大黒様のいう通り    四 大黒様は誰だろう
   きれいな水で身を洗い    大国主の命とて
   がまの穂綿にくるまれば   国を啓きて世の人を
   兎はもとの白うさぎ     たすけなされた神様よ

・羽衣(この歌詞は青師当時佐々木賢明氏に教え貰いしもの、歌詞は正しきか判らず)

  三保の松原うらうらと 陽ははれわたる空のうえ
  天津おとめの舞のそで うららかにこそ見えにけり
  あら悲しや松の枝の羽衣うせて 帰るすべなき三保の松原
  得たりと拾う浜の漁師 もち帰りてぞ宝にせんと
  衣なくては如何にして 雲居のはてに帰るべき
  速く速く返せ人間の 着る用もなき羽衣を
  返せとやさて返せとや いと惜しけれどさらば返さん
  天人もこころしあらば さらに一差し舞うても見しょう
  舞うや霓裳羽衣の曲 みるみる影はとおざかり
  あとに残れる富土の山 うららかにこそ見えにけり

・風呂ありて入る。猫も共に湯殿にはべる。
 あちこちでおこられつつもやはり猫  わが前に寝そベりて、長まり居る。

・年中行事 十日戎「初恵美須」ともいう。商売の神様で商人の信仰はとくに篤く「戎様」にこの日詣でて福を乞い祈る由。

6 29/1/11    ひねもす山仕事

・午前8時半より12時15分まで、午後1時40分より4時30分まで山作業。

・疲れたのか午睡を1時間近くとった。自分でも喫驚した。

・今日はおそなえびらき。ねずみが一つ戸柵の裏へ落しかじる。

・ジャンクリストフ、人民中国、昭和戯曲集、それぞれに目を通す。

・北のほうから 北風が無遠慮に吹きつける
 寒い冷たい北風で 人はちぢみあがる
 私の肌をはぎとって 肉まで揺さぶる
 草も木も鳥も ガをおって黙りこむ
 北風は一人舞台となって 暴れまくる
 地上の生きものはみな 寒さにジッと耐えている

7 29/1/12    山仕事

・8時15分より12時迄、1時50分より4時30分迄山仕事。午睡1時間。

・直ちに宿直のため学校に向かう。

8 29/1/13 本柵の注文 映画「禁じられた遊び」仏映

・早朝より家の中は暗く、天気の悪いことを証明していた。朝食後には雪がチラチラ舞いはじめ冬の気分となる。炬燵にあたりて冬を楽しむ。

・10時46分のバスにて飯田。中島木工所本柵注文。6尺×4尺、ガラス戸として5、500円で注文。1月23日に現品受取予定。谷川の建具屋では間にあわぬためである。製品が不真面目な物では困るが、これが出来れば本年の計画の一つが完了。

・本年度第1回の映画。銀星会館上映中の「禁じられた遊び」鑑賞す。昨年度の何々受賞作品だそうな。余り感心した作品ではなかった。子供のいじらしい赤裸々の姿、子供の心の自由を描き出そうとしていると思われるが、絶えて深みのある作品ではなかった。昨年度の喜劇映画、底抜け落下傘部隊のほうが、さっばりしていて後味もなく爆笑し去って何もなし、の作品であったが心地よかった。

・みどりの結婚式の日が決定、4月11日とのこと。

9 29/1/14    日直・学校

・7時50分河野行バスにて登校。テスト調べ。4時59分大鹿帰りのバスにて家に帰る。

・正月家で始めてのカルタを拾う。実際にやってみるとなかなかに拾えぬもの。

・最近寸見を書きたいもの「支配者と民衆」「学校教育の在り方」「再軍備反対」

10 29/1/15  日直・学校(山上先生と交代)

・「ジャン・クリストフ」第二巻、朝、読了。第三巻、青年へかかる。クリストフを中心とする男女の間の友情、恋愛を描く。

・「成人の日」 二十歳の願いという読売で応募した作品を見るとよい。(今月から新聞を保存しておくから)いろいろと大人の考えるべき問題が含まれている。私は青年諸兄に「正しき抵抗」を願いたい。何故ならば大人には忘れ去られ、というより大人は抵抗の意味を正しく知らないからである。日本は大変化を起こしつつある。目かくしをされ重荷をおわされ、何処へいくか判るものではない。アメリカの資本主義政策の支配をうけて政府は動いている。代議士の大半が自分の位置に気付かないでいる。代議士は平和を絶叫して当選しても、自信をもって自分の職責を果たしているものが少ない。私たちが何も頼みもしない、そして恐ろしいことだと感じている戦争の禍いのなかへ、私たちの意見を尊重せずに大人の代議士は動いている。彼らは公僕の名に値しない。私は、このような流れに反対する人々と協力しあい励ましあって、平和のために力強く抵抗すると共に、日本の理性を高める努力を払いたい。単なるレジスタンスは無力である。働く者は、支配者の飽くことのない欲望の道具となっているには余りにも長過ぎるし、またあまりにも辛抱強過ぎる。私たちは自己の権利を主張してこそ、正しい社会の一員となりうる。一番尊い人は、肉体的労働者に多い。精神労働者を非難するわけではないが、生産に直接関係する人たちが最も大切な立場にある。惜しいことに、騙されないかぎり正邪の判断は誤らないけれど、目くらのひとたちが多い。これは、殊に農民層の人に多い。私たちの前途は、その第一歩から多難であるので自己を失わないようにし、現政局にたいする正しい抵抗をしなければならない。

11 29/1/16    終日家

・父は会地の矢沢新次郎氏宅へ出掛けた。聞き合わせのため。遂に矢沢宅まで行ってしまったとのこと、3時のバスにて家に帰る。

・母は午前中本家へ行く。正午少し過ぎに帰る。

・小生新聞を読み、後、日本史講義内容を二階で調べる。途中毎日中学生新聞の切り抜きを行う。
 石器土器おらが先祖の素手になる ジット見つめる文化の流れ

・天竜川に吠えていた可憐な子犬を、八幡の方の某が持ちさったとの由。全て可也。
 哀れなり天竜川へ寒ざらし 捨てる神あらば助ける神あり

・原田裕典より手紙、先日の返信なり。

12 29/1/17    休み最終日

・大国主命と日本武尊について記紀にて調べる。面白くまた知っておくべきこと多し。暇をみて通読したいものである。

・歴史の講義下調べをする。「古墳文化」まで。

13 29/1/18    三学期開始第一歩

・いよいよ学校が始まった。長い休みのため授業に油がのらない。

14 29/1/20 冬なれどその感なし、足袋をはかず

・渡辺管理主事来校。明日来校の予定であったが、明日は都合悪く突然来校。第5時終了10分前より裁縫室にて主事の話を聞く(小中職員)。受け売りの教育理論を話したが、教育実践家ではない。

・読書新聞729号来る。トップ記事「溝を埋めるために」。考えるべきこと多し。空念仏は文化人としては落第生との説及び優等生教育の非難は、当を得ていて耳にすベき意見であると思う。

・「忘れること、と、憶えること」を考えなさいと、生徒に話す。 (C組)

・昨夜、隆文を連れて飯田へ行き向文堂へよって、昭和文学全集後期分代金3550円の支払をし、第3巻寺田寅彦集(290円)を購入する。

・子供の教育
子供の味方となるべき母親の立場を考えるとき、子供にたいして温かい理解をもつベきである。これは絶対に持ってもらいたい。子供を子供としてしか取り扱うことができない場合、矛盾を無意識のうちに染みこませることになり、正しいこと或いは善悪についての判断力を削ってしまうものである。子供には私たちが想像する以上の惠まれた弾力性が与えられている。そして極端から極端にはしる大人たちの態度もすこし時間を経過すれば忘れ去るようにみえる、それだけの途方もないまでの弾力性をもっているようだ。しかしながら、褒める、おだてる、しかる、すかす、けなす等の言葉からうける子供のショックは相当に、否、驚くほど大であると言わねばならない。

・続「忘れること」
忘れることは悲しむべきことであり、また喜ぶべき天賦のものである。
推理ということは、記憶の結びつきによって成りたつ。
記憶ということは、一旦憶えこめば忘れることのできぬ性質のものである。
ところが、時間の経過により消え去っていくものでもある。
記憶の持続は、脳細胞の連続的な刺激、くりかえし、によって得られるものである。
そのためには、時間に打ち克つ努力に、耐えなくてはならない。
憶えるという喜びは、忘れるということがあって、始めて成立する。
人間はそのために苦労をするし、そのために楽しむこともできる。
不可思議なこと、それは忘れるということである。
忘れるということのない人は、天才であるどころか悲しむべき人である。
しかし、わたしは忘れないようにするために、全力をあげて、くりかえしたい。
何故なら、わたしは天才ではないから。

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