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日記と随筆 7
若いときの足跡…No.1~4<29~47歳>の随想 : No.5~13<19~29歳>の日記です…


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        〔 1 共産主義を恐れる日本の愚者 〕
        〔 2 ゆ き 〕

1 共産主義を恐れる日本の愚者  25・5・20

 アメリカ様主義を奉ずる人と否とを問わず、日本国民の多くは共産主義的傾向の人を嫌っている。この嫌う傾向が政治上層部に強くなればなるほど益々、前日書いたように為政者に対する反駁は強くなる。世界の平和を求める者であれば、自由を大事にし高い理想を掲げるべきだと思う。私はこの自由、理想を奉じて、自分の立場をすすめていきたい。

 現在の為政者を肯定する立場でなく、為政者のあるべき態度と考えるべき事項について書きたいと思う。為政者はもっとよく人がもっている本質について知らなければならない。哲学、倫理、論理、心理、思想史、歴史、一般科学、教育など、人の現在を作りあげている背景について勉強しなくてはいけない。ただ情熱をもっておってもその人の中味に深みがなくては、その場当たりになり、ひいては失敗を招く。失敗は、すみませんだけでは済まされないんで、国の歴史にそうした軌跡を残し、汚点をぬぐうことが許されない。為政者は自分たちが考えた計画を実施に移した場合、その計画が平穏に遂行されることを願うだろう。しかし、若者にとっては社会のひずみや改善すべき事柄につき、純真なるが故にそのゆがみなり考えの間違いを早急に直したい要求をもつのである。そして多くの場合、若者は間違っているのではないから、処理の順序を換えたり、計画の再検討をすることに依って、要望に応えることが必要なのである。為政者が行なった事実は、そのまま歴史の中に事実として残る。何故為政者は選挙で公約した自分の理想の実現に向かって、堂々と意見を主張し、その実現をはからないのだろうか。意にそわない、正しくない問題や事件が起きた場合、自己の考えに照らして事の軽重、正否を判断し、選挙民を代表して堂々と意見を言ってもらいたい。政治の何かの流れに遠慮し意見の強いものに押され事なかれ主義の殻に引きこもっていると言えよう。これでは世界発展の基盤が薄くなり、世の中の改善を願う我々は腹がたつのだ。

 現在の為政者は、その大部分古い世代の人間である。二〇世紀の後半を背負うべき人間ではない。余りにも、世俗的な欲の肌を持つ人間が多い。齢をとれば、いろいろと欲が出て来るのかと思うと情けない。

 然しそうは言っていられない。彼等に希望するのは、常に、正しい日本を自分で建てようとする意気込みである。正義のためには、自分の命をかけてやっていってもらいたい。かかる意気が少ないため、我々日本の若者は常に不満がおおい。行政の処理の適正が、どうもまずい。

 革新的、共産的主義者を非難する為政者は、何故彼等に非難されるような醜態をいつまでも演じているのか。為政者が攻撃される火の元の油は、為政者自身の中に多いことを考えねばなるまい。世の人々は、世の中の改善を殊に望んでいる。

1 ゆ き    23年度・青師2年の課題・25年清書

 三月の土曜の午後、チリンチリンと玄関の鈴がなるとともに「ゆうびん」という声が飛びこんできた。幸子はすぐとびだして行って、封筒に目をやり、それをもって居間へもどった。
「かあちゃん、見てよ、ほれ!」
「まあ、義雄のところへ。嬉しいこと」
「ねえ、かあちゃん、兄さんいつ来るかしら? きっと喜ぶわ」
 まちに待った合格通知が、いま池田家へ届いたところであった。ぼつぼつ、兄の合格通知が来るならくる頃だと聞いていた幸子は、学校から帰えってから部屋で借りてきた小説に目を落としていたが、兄の通知が気にかかって、ついに居間の母のかたわらへ来て、合格かどうか気をもんでいたところだった。池田義雄殿としたためられた封筒をみつめて、母の両眼には無言の涙がうかんだ。貧しい生活をきりつめて生計をたててきた美代は、わが子の合格を心から喜び、胸が一杯になった。
 水田はなく、坂畑に桑を植えて、すこしばかりの養蚕をやりながら、父は、そのあいまに竹の切出しをしたり、途中からは水引きを習って家計をたててきた。母は、寒い冬には凍豆腐屋へいって賃稼ぎをし、父の片腕になって養蚕を手助けし、つましい家計をきりまわしてきた。こうした中で、子供だけはさみしい思いをさせまいと、二人して懸命に働きとうしてきたのである。寒い冬の日も、熱い夏の日も、雨の日も風の日も一日として、休むこととてなかった。
 幸子は母と封筒を見較べていたが、何か言いたげにそわそわしていた。幸子は朗らかだった。
「ねえ、かあちゃん、今夜わたし、兄さんのおご馳走つくるわ、ね、いいでしょ?」
 にこにこして嬉しくてたまらぬので、ついに切り出して言った。
     ・     ・     ・
 その夜は、家の中が明るく、賑やかだった。和やかな夕食は、やわらかい電灯が障子に調和し、優しい家庭をおもわせる。
「兄さんみたいなお寝坊さん、行けるかしら・・・」
また妹はからかってきた。
「何言うんだい。寝るときは寝て英気を養うさ。勉強ばかりしている奴あ、血のめぐりの悪いせいよ。幸あ、代表だよ」
「ずるいわ、あんな言って」
「敏ちゃん、長野はいいところだよ。桜の花見につれてってやるよ」
ピントをはずした兄をみて、すかさず幸子の言葉がつづいた。
「運動はせんし、勉強はせんし、ご飯ばかりは人一倍たべるし、きっと困るのよ、ね、かあちゃん」
「そうね、義雄も一生懸命男らしくやるのよ」
喜んでいる妹は、やはりすぐ兄の身を案じた。
     ・     ・     ・
 入学後一月すぎ、いよいよぽかぽかとした暖かい気候となった。城山の桜はだいぶふくらみ、陽も高く濃くなった。雄然として腰をすえている飯綱山も、はや雪は溶けさって見えない。吉田にある学校の屋上から、東のほうを眺めると、麦が青々として伸び、西の浅川裏の山は新緑をましている。義雄は、故郷への便りの案を思いうかべ、自然の美に魅せられていた。すべて美しかった。
「おい池田君、こんなとこか」
顔なじみになったばかりの宮田伸一は、探し廻っていたのだという。
「宮田君は助教をやってきたんですか」
「うん、中学を出てから小学校をぶらぶらね、だが教育はおそろしいね」
それから、何か考えながらぼつぼつ言った。
「子供は純真だ。いいなあ、子供は・・・・。しかし、肩書きは大切だね、でも、十九世紀の遺物だね・・・・。人間は、やはり、人間でなくちゃあいけないね・・・」 義雄にはちょっと判らなかった。暫くして、
「ここは気持ちの良いところだね」
と義雄は言った。
     ・     ・     ・
 学園生活は楽しい。入学の意気は胸に燃えさかっている。五月の初めには桜が満開になり、春たけなわとなり、吹く風も心地よい。先日の宮田の誘いにより、土曜の午後二人は下駄をはき、寮から出て城山に向かった。二人は気が合い、助けあって勉学に励んでいた。宮田はちょっと神経質であるが、真面目で頭脳明晰なタイプで親切であった。突然宮田は専攻科目について話しだした。
「どうした?専攻のほうは?」
「いまのところ、おれは作物だが、やっばり化学ですか」
と、義雄は尋ねた。
「うん、化学を主体としてやりたいと思っとるが・・・。化学が基礎となるからね」
「そうだね。おれも化学が好きだった。どうしても理論的な基盤がないと、自然科学の気持ちが落ち着かんからね。それに自然の現象がはっきりしてきて面白い」
「生物もよいね、あの先生の態度がおれは好きだ。師範学校だったら、あのくらいでなくっちゃ、こっちがかなわんね」
「でもなんだか女みたいな性格がみえるね」
「そういう点もあるね」
「作物の先生は何かおちついた品がないね」
「品といえば今の先生達は一般にだめだね。社会的な環境や実生活に左右されやすいとしても、しかしもっとどっしりとした人格者がほしいよ」
「そこですよ、実際、教育は何時も考えるのだが、人格の反映だと思うね。だから偉大な人格者への接触が最高の焦点だと思う」
「本当だね」
「教育は、学問が第二のものと思うね。勿論学問の充実は必要ですがね、やっばり空気だね。教育者の教室の態度から日常の態度、いわば、処世の態度が第一だと思う。要するに人をつくるのですからね。そういう点では、よい点ばかりじゃないだろうけれども、米国は進んでいると思うね」
「米国第一主義かね」
宮田は、からかい気味に尋ねた。
「いや、そういう訳でもないが、しかし、一般に日本は遅れているね。米国人は見ただけでものびのびしているね」
「やっばり米国の環境がそうなんだね」
「何といっても、移民して新しい希望の天地へきた人達だからね、自由な意志と進取の気性、全くの新天地開拓という夢を描く明るい英雄的な、そういう気性が必要なんだ。独立戦争にしろ、南北戦争にしろ皆そうだと思うよ。だから広い天地で生きていくため、のびのびした朗らかな気性と、自由にたいしてあくまでも個人の尊厳性を認めようとする自主性とがあるのだと思う。全体がそうだとも言えないが、学ぶべき点は多いと思うね」
「本当だね・・。日本は封建的な、利己的な・・そんな古くさい流れが、狭い国の中をまだまだ流れているような気がするね」
「これで日本だってもっと土地が広いなら、米国などに負けんのだがなあ。いくら何をしたいと思っても、何もないんだからやりきれないさ」
「やっぱり環境の産物かな・・・」
「あっはっは・・・・」
「しかしね、大きく見れば全くだね」
「人間は性格と環境との産物と思うがどうでしょう。だからいくら環境を超越しようとあせっても、人が利己心をぬけきれぬと同じように又主観をぬけきれぬと同じように、その門外には絶対出られんと思う。・・・だから日本人は、日本人だと思う。でも、優しい和やかな日本の家庭も、これはひとえに環境からと思うね。西洋のように40〜50里も歩るくと他国があり、これが始終戦争だ何だ彼だといっているところばかりに生きていたら、こんな家庭はできっこないと思いますよ」
 変転極まりない愚弁をしきりにかわし、納骨堂への曲がり道を二人は登っていった。桜は特別の美しさだった。石段の上では、身内らしい婦人と老母をつれて、しきりに遠くを説明している女学生がいる。アベックの二人組、ハイカラ紳土と彼女達の一団、また下のほうに見える桜の下では、遠くからはるばる来たのであろう7〜8人の婆さん達が、いずれも白い手拭で姉さんかぶりの風流さ。それぞれの群は、おもいおもいの場所を陣どって花より団子の賑わいを見せている。配給で苦しいこの世の中に、よくこれだけ陽気にしていられるかと思われる人盛りである。やっばり春ともなれば、鳥は鳴き、花が咲き、人も陽気になってくる。
 広い納骨堂の隅にある石垣に二人して腰をかけた。話もはずんで、美だの、善だの、倫理だの、悩みだのと果てしなかったが、サイレンを聞いて二人は始めて三時を知った。長野の市街は一望される。煙か霞か、遥か遠く千曲川がぼやけて見える。もう、菅平の高原には雪が見えなかった。ゆっくりと汽笛を鳴らして長野駅を出発する汽車が見える。白い煙が勢いよくむくむく出てきて、やがて太くなって消えていく。吉田に向かう線路は、かげろうでふらふらしながら春の野に光って横たわる。30分ごとに、直ぐ下の長野電鉄は満員の客を乗せて、お花見の風景に一景をそえていた。
     ・     ・     ・
 汗がたらたら流れる八月が終わり、涼風を感ずる九月が来た。義雄はだんだんと口数が少なくなっていた。そんな折、農学校頃からの友人佐々木からは度々手紙がきていたが、夏休みが終わって学校へきてからの手紙は、青春の悩みがいろ濃く書かれるようになっていた。
 Ages of social lows(幾世代にわたる社会の慣習)それは何と恐ろしい力であろう、そんなことが書かれ始めていた。今ではほんとに言葉だけの時代になっているのに、この中にはまだ恐るべき人間の弱い性格を踏みにじるものがある。人は多く勤労を厭うし、それは根強く心に喰い込んでいる利己心として痛感する、と書いてあった。優しい佐々木は一人山の中で苦しんでいる、それを思うと、どうしても佐々木をたすけねばならないと思った。こんな便りを佐々木に出した。
「前略・・・・・・・・・・・・・・君の苦しみをお察しする。そうです、それが人間のほんとうの姿ではないだろうか。私の方では、この頃なにもかも判らぬし、また感受性がないのかいろいろのことが少しも私の気を奪わない、クラゲのようなものです。そして在りそうもない夢の国を描いて、かたっぱしいやでいやで仕方なくなるのです。しかし、これでいいんです。互いに人間らしく生きようと言って君と別れた時が思いだされ、苦しむ中に生が見出せる気がします。満足など私には望めません。私には在り得ないし、また求めもしません。孤独、これが私のすべてを象徴しています。この頃ほんとに誰とも話すことがいやになりました。北海の夕べの暗い海岸をおもわせる冷たい空気と、とげとげしい冷たい黒い景色、それをどれ程私は欲っしているでしょうか。わたしたちは、性格がよく似かよっていると思います。佐々木君、君はしまりなく流れゆく社会に引きずられて生活していくようになるだろう、と言った。それも良いかもしれません。でも美しい国を、美しい楼閣を夢見る私たち孤独の世界を欲っする者にとって、君自身良心が許さないのではないだろうか。人間は、本当に弱いと思います。人はみな、心に背いて生きています。私はいつも、自分自身それを感じ、いよいよ嫌気がするのです。ほんとです。理屈ぬきにです。アクマガヨロコンデイル・・・学校などいやでいやで仕方なくなります。どうしてこれ程変わったのか、自分自身いやになるのです。君と共に小学校から農学校へ通う毎日が楽しかった。考えてもみましょう。私はよく学校を休むことがあります。一月ほど前、なぐさめのために、学校へ出ない理由という文を書いたが、その途中で意味もなくあほらしさを感じ物寂しさに襲われました。本当ですよ。十六、七まではまだ純真無垢です。先生には点を取ろうとするほどまでに可愛らしいのです。純な人間の心そのものなのです。ところが一旦、人間社会の矛盾とか人の心のひだに動めく醜い姿に目をむけ、深くくりかえし考えた者が、そのとげとげしい人間の本性に目覚めたとき、正しく生きんとするものなら必ずこの汚れた生活を捨てるであろうことを信じます。佐々木君、君は私が学校にきていることを羨ましくお思いのようですね。確かに羨ましいでしょう。だが学校は何を得るところがあるだろうか。君は理解してくれよう、人は知識がすべてではない、まして学歴、名誉、地位が何ぞ、人を侮蔑した態度、これらが学を修めたと称する者のおおくの者の態度であることを。私も、今それになるかも知れないのだ。佐々木君、君は理解してくれるだろうね。おれがこんな事を書いたとて、言ったとて、誰ひとりとして相手にしてはくれないことは判りきっています。それは、自己の奥深いところの問題なんです。それは判りきっています。思わしくない態度、それは政治家、文芸家、教育家、官吏、等などのすべてに見られる。例外は僅かなんです。だが、すべて私の意見のようでなければならぬと強調するものではありません。理解してください。彼らを分析してみよう。彼らだって多くの場合人のためになくてはならぬ存在であるし、また私もこれを認めます。でも、そうした立場は判るにしても、多くの場合その一挙手一投足、人の心の中には小さな悪魔、即ち虚栄心、名声欲、支配欲、優越欲(これらは人が意識的にしても捨てさり得ない程人間の本性に属している)がいて、その悪魔の満足のためにあらゆる行動が統制されているのです!勿論社会分業の分担や社会福祉、社会協力など、多分に人間社会にその力を提供しているのだが、これは人間の副産物でしかない、と私は思うんです。私には、言い知れぬ苦しさが、極めてはっきりと心に映ずるのです。私がいやでも何でも、現在も未来もその下にいるのです。そう思うと、一刻も早く何とかしたいのです。ところが、誰でもがこのように欠陥ばかりを考えていないからよいと思います。私は何だかわかりません。いや、他の人たちも感じているのだが、感応度が少ないのだと思います。(後略)」 
 こんな手紙を書いてやったこともあった。いろいろと悩むことを書きあって慰めるのが、一種の感傷であり、その年齢の青年としての特権でもあった。義雄は学校生活のかたわら、人生観なり、処世観なり、沸々とした中からそれらを作りあげていった。年齢相応の感受性で、学校生活の中からいろいろと汲みとるとともに、人生への疑惑が未完成な空虚な胸に、びんびんと手強く響いた。死などという問題も、一時はむやみに称賛するまでに偏頗に伸びた。
     ・     ・     ・
 十一月の夕暮れの空は、寒く高い。晩秋なので肌寒さを感じ身がひきしまる。浅川の山つけに銭湯があって、義雄はその湯をすませて、夜空を気持ち良く眺めつつ帰るところだった。陽が短かくなってきているので、学校から帰ってすぐ出掛けたのだが、ゆっくり湯につかったせいもあって随分遅くなった。幾千の宝石をちりばめたような、美しい空に魅せられて、暗くなりはじめた道をゆっくり歩いた。「こんな美しい夜空を眺め、どこまでもどこまでも、あの娘と星を仰いで歩きたい」といつともなく考えはじめた。ハッと思って周囲を見るが、胸が高鳴るばかりだった。ふさふさとした柔らかな髪とその臭い、澄みきった眼差し、気持ちひきしまった可愛いい唇、優しくとおった鼻立ち、健康な顔色、肩から腰にかけてすんなりとした曲線、すらりとした腰つき、優しい気質、何かうれいを感ずる風情、それらを義雄はどれほど憧れていたことだろう。純だなあ、こころの隅で義雄はつぶやいた。にっこりとして星を仰ぎ、胸に手をあて、夢をえがいて川沿いの道をゆっくり歩いた。もしあの娘がいたら・・・・、そう思うとまた胸が高鳴る。おれはどんなことを言おうか、そしてあの娘はどんなことを言うだろうか、おれは言うことがなくなる、いや、言わぬほうがいい、そうだ、二人とも黙って、何処までも何処までも夜空を眺めて歩くのだ、そんなことを考えているうち、下宿についた。春になれば飯綱山麓、納骨堂や城山など美しい自然とともに青春を謳歌して希望にもえて進むのになあ、床についたが眠れない。とすると、深い疑惑がおもたく頭に広がってきた。もし、憧れる女性と一緒になれたとして、それが幸福なんだろうか。自分は何をしたらよいのだろう。それにもし、他の人が恋していたらどうだろうか。おれは競うのが正しいのか、恋は盲目にする、と言われているがこれでよいだろうか。また極めて親しい友達が相手ならおれはどうしたらよいのか、万一一緒に生活できるようになれば、それが幸せか、と悩みこむのであった。突然倉田百三の桜子が浮かびだした。まさしく百三も苦しんだに相違ない。ああ、倉田百三、人生への真摯な愛の奮闘者、百三、崇高な恋愛の理論、倫理論、鋭い筆をもって探究しているあの著作!そうだあれを読もう、義雄はガバッととびおきて本を捜したが見当たらなかった。捜しているうちに、ブラウニングの詩が想いだされた。それは女王クリスティナが、かつて恋した男から去ったのであるが、それでも男は、なお女王を愛して言ったという。その詩はこうだ。

   われかくの如し  いまわれ秘奥を得たり
   君われを失い  われ君を得たるなり
   君の魂はわがもの  かくて全きものとなりて
   われは余生を送らん

   Such am I ; the secret's mine now !
   She has lost me , and I have gained her ;
   Her soul's mine : and thus , grown perfect ,
   I shall pass my life's remainder !
                    by Brouning

 ああ、おれはどうしたらよいのか、胸は重苦しくなる、この偉大なる言葉をどう批判すべきか、ああ、どうしたらよいのか、義雄は詩を口ずさんでから、ひとり悩んでいた。 間もなく深い眠りについた。
     ・     ・     ・
 寒くなって冬が訪れた。二月のある静かな朝、義雄はゆっくりと起きた。ぱさぱさする音に気がついて、障子のたてつけの間から見ると、小雪が静かに降っているのが見える。障子を開けて腹遺いながら、小さい軽い雪が次から次から舞ってくるのを、ぼんやりと眺めていた。部屋の中には本がちらばっており、若い学生を想わせていた。(完)

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