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日記と随筆 5
若いときの足跡…No.1~4<29~47歳>の随想 : No.5~13<19~29歳>の日記です…


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ここから青年時代の古い日記

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        〔 1 はじめに 〕
        〔 2 目 次 〕
        〔 3 〇 〕
        〔 4 読書について 〕
        〔 5 波動なき生活 〕
        〔 6 最上を求める者 〕
        〔 7 「葦折れぬ」を読みて 〕
        〔 8 人を叱る勿れ 〕
        〔 9 詩 〕

1 はじめに

 青年時代の古い日記を、パソコンにインプットしながら、過ぎし日の一人の若者が理屈をこねまわし右往左往している姿をみることができました。これが私だったのだろうかと思いながらも、その言葉づかいの稚拙さというか傲慢無礼さというかそうした恥ずかしさを感ずるとともに、若いもの特有な若さやエネルギーを想いだしました。

 ここに取りあげたものは、昭和23年3月から、29年8月までですから、今流にいえば満19歳から25歳のころで、私が貧乏な家に似合わず長野の青年師範学校に出させてもらった青年師範の2学年の3学期から、千代中学校4年(昭和24〜27)、神稲中学校2年目8月(昭和28〜29)までのものであります。

 今にして思えば、教育は人格の反映にあり、などと生意気な言葉をつかって教育のことを考えておりましたが、その後福沢諭吉の言葉、教育は後姿にある、という言葉で考え、更に四十八歳頃では教育の親子関係を重くみるようになり、「親に似ぬ子は鬼子」という言葉を大事な言葉として考えるようになりました。

 人格の反映も、後姿も、鬼子はいないという言葉も、実は単純なことをそれぞれ難しい言葉や易しい言葉で言い表したものであるということが今では解りました。

 教育ということばは何かむずかしいことをするように感違いしていたもので、そんなことばを使わずに、子供が大きくなるにはどうしたら良いのか、ということばに置き換えてみれば、気分的にも楽であり、実はそう考えて一向にかまわないことが解りました。

 子供が大きくなる、子供はどのようにして大きくなるかと言えば、

 そのすべてが真似ることにあるのです。

 見てまね、聞いてまね、読んでまねて大きくなるのです。

 よい教育をしようとするならば、

 大人自身・親自身が、見られてもよい、聞いてもらってもよい、読んでもらってもよい、というものを自らすることだったのです。

 教育の原則は、子供に真似てもらえるような大人の在り方、にあるということが理解してもらえたと思いますが、今度は知的内容の豊かさとか、言行の論理的裏づけだとか、人生観、世界観など、については素直に考えていく必要はあります。

 日記と随筆、この前と同じように私の過ぎてきた足跡として見て頂き、好上という人はこんなことを考えていたのかと、理解してもらえば嬉しいです。

  昭和62年10月1日                               下 平 好 上

2 目 次

年月日     内容            頁
…………………………………………………………………………………
【日記と随筆5】
23.03.   ○                 1
23.04.26  読書について            2
23.06.30  波動なき生活            4
23.07.20  最上を求める者           5
23.08.   「葦折れぬ」を読みて        8
23.08.08   人を叱る勿れ            10
24.02.15  詩                12
…………………………………………………………………………………
【日記と随筆6】
24.02.25  悲劇第一部(抜書)        13
      寂即美             14
24.03.01   卒業を前に           16
25.02.   性格を論ず           18
25.05.19   病床にて徒然なる侭に       25
…………………………………………………………………………………
【日記と随筆7】
      共産主義を恐れる日本の愚者   
25.      ゆき               32
…………………………………………………………………………………
【日記と随筆8】
25.06.01  時の流れ            47
      手紙              49
28.12.08                  52
28.12.10                  54
29.01.01                  55
29.01.02                  57
29.01.07  思想と政治            
…………………………………………………………………………………
【日記と随筆9】
29.01.07  文化人と野生人         64
29.01.07                  65
29.01.08                  66
29.01.09                  67
29.01.10                  68
<HR>          
29.01.11   71      
29.01.12   72      
29.01.14   73      
29.01.16   75      
29.01.17   76      
…………………………………………………………………………………
【日記と随筆10】
29.01.27   79      
29.01.30   80      
29.02.01   82      
29.02.09   84      
29.02.11   87   
29.02.14   88   
29.02.23   91   
29.02.24   94   
…………………………………………………………………………………
【日記と随筆11】
29.02.26   97   
29.02.28   99   
働く時は働け  102 
29.03.12    103
29.03.22    105
29.04.02    107
29.05.03    108
29.05.05    110
…………………………………………………………………………………
【日記と随筆12】
疲れ      111
学びの時間
29.05.17旅行記 112
睡眠      113
知と行     114
29.05.23    115
29.06.01    118
29.06.16    119
29.06.08    121
29.06.11    122
29.06.15    123
29.06.19    124
…………………………………………………………………………………
【日記と随筆13】
29.06.20    126
29.06.21    127
29.06.23    128
29.08.16    131
29.08.26    135
29.08.29    137
…………………………………………………………………………………
3 〇 

・・・・・(前略)・・・。約束の破棄、言論の不均衡、人間性の無視、これら総て良心的統一を破るものは、統一せる人格を主張するものの行動ではないのである。しかし、この例外に価するものは、一人として無しと言ってもよいのではないだろうか。されば、これらを主張するものにとっての骨子となるべき点は何処に存するのか?

 正義を主張し、これを真摯な態度を持して精進する人において可能である。これを肯定し、精進するからである。我々が人を評するとき、真の姿においてのみ許されなければならない。名誉を主張する何物でもなく、財貨においても、学歴においても、人はみな真の姿において、その真価を認めうるものであるのが、神の掟である。大自然の掟である。

 しかし、社会は生きた大きな力のあるもので、人を基礎にして成立していることを、念頭に置かねばならない。即ち、人間の特性を肯定せねばならぬのである。人はその天性において、利己的である。これは神の御前においても許され得る筈である。誇張心において然り。栄誉心において然り。善良な社会人は許されなければならない。われらは、これら諸条件のもとで考え得る。

 人は、その心の中の精神の王国に住まねばならない。安住の地は、他において許されない。真の幾人かと交わり、良書に囲まれたる王国は、こよなき春の花園である。
                                   (23・3月末日記す・家にて)

4 読書について      青師3年4月26日

 長い長い夢は去った。おれの生活は夢だった。貴重な時間は、人には何も相談なく過ぎ去った。すべて夢のようだ。

 人生は実に苦闘そのもので、甘えたことは言っていられぬ。自らの信条を破る輩はおれのみだ。総て自惚だった。おれは自惚のために、この一文を草するのかもしれない。しかしそれでよいのだ。自由には責任がある、権利とともに義務がある筈だ。日常生活において、各人の義務とは何であろうか? 総て統一的知識が必要とされる気がするので、おれはここに書くのだ。人間の真の姿を選ぶのに、おれは今まで苦しんだ気がする。人間の真の姿、それは永遠に未知の世界だ。何が至上か、誰しも考える問であるが、誰しも答えることができないと思われる問題だ。人間は何を目的として進むべきか、おれは更に判らぬ。すべて混沌としている。経済的な生活、精神的な生活、それらに対してどう進み、如何なる手段が必要か、それらの疑問が起きるのは、一に帰して、おれは正しく進むには、どう進んでいくのがよいか、という、実に大きい問にある。学校制度や学生の態度、これらみな同一の疑問の一面にすぎない。

 帆立理一郎氏の書中に次のことが指摘してあった。青年の悩みは、あまりにも遥かな無茶な理想を、現実に当てはめようとしているからだと。おれは、この一言で、はっきりと驚いたのだ。これらすべての動揺と疑問は、人生の統一的解釈、即ち、理論的裏付けを望むからである。実に良い傾向なのであるが、この考えは、現実に対して無批判的な、反対的傾向を併発しやすいことが、多分に含まれることに、おれは気をつけなければならないのだ。

 現実に立脚せねばならない。社会を改良していかねばならない。社会改良主義だ。しかし、この言葉の中には、人間への解釈が含まれていないので、おれは寂しい気がする。大いなる自己に対する不安は、何によって癒やされ得るのか。おれは、かかる不安と苦闘を重ねてきた。先輩の教示を受ける以外に方法がないと思う。即ち、おれはまだ未熟だからだ。著しく勉強が不足している。世界の偉人、賢聖を如何にしておれは学び得るか、その著書による以外に道はない。

 だから、読書しかない。読書だ。もっと知識が必要だ。本を読むのだ。何なりともこの結果として、世の人に良い影響を与え得ることがてきるなら、おれの喜びはこれ以上にない筈である。自らの体系は、読書によって生まれるであろう。新発足をせねばならない。

5 波動なき生活       23・6・30

 へーゲルの意味する理性に感動し、長さんの史観にも衝撃をうけた。大類さんの歴史がまだ来ないのが腹だたしい。中学校の西洋史と、師範の日本史が少々おもしろい。人は誰にあっても寂しい。小木曽君といた時は、心が休まった。多くの人は、何で下らないことをつべこべ話すのだろうか。殊更愛想をこぼすが如き言にいたっては、捨てがたき人生の馬鹿々々しさを痛感する。なんで生きていくのか、誰も知らない。ただ生きているのみなのだ。

 破船を読んでみたが、何も良い点はない。文士くさい文体は読む気がしない。書くならもっと短編なりとも、軽快に書くべきだ。波乱は、人間生活における欠点の結果だ。つべこべ書きたがる文士の程がしれない。人生の一つの解剖として、一つの理解を与えるけれども、人間を高める要素は、殆ど認め得ないといってよいであろう。

 私は、ある機会から一段と自分が異なった方向を目指して、異なった考えで進んでいるようだ。苦悩の結果である。超人的な態度、寛容が必要だ。物事はすべて流転の一瞬間にあるきりなんだ。決定した心なんてない。私は人生の一傍観者に過ぎない。そこに生じたことを観るだけである。別にかくあらねばならぬと主張したくない。無限だからだ。すべて無限の連続なんだ。何をなすのもよいのである。私はよく観ていればよい。私は、世界の変転、人間の変転極まりない姿と共に生きているので、何についても何等の重要性も感じないようにおもう。生産者としてのみ、その存在が認められるであろう。もはや、青春の嵐の時期は凪ぎはじめている。それに反して、世の寂莫さを感ずる。

6 最上を求める者       23・7・20

 我等は、あくまで探究の徒であらねばならない。すべての混沌は、人間が処理すべき権利であり、その探究は義務であらねばならない。日々進展の途上にある世界の中の一人として、我等は人間の歴史の一頁を背負っている。しかし、あらゆるものに対する解釈は、主観に偏せざるを得ない。また、偏しても許さざるを得まい。我等は、絶対的個人主義に基盤を有する。またその意味で、利己的であることも許容しなければならない。我等は、苦しい人生の一日において、その真意の把握に懸命たるべきである。何となれば、人生に処する態度は、今や漸次固まる時期に達っしているからである。この得らるベく奮闘する態度は、我等の人生を決っせずにはおかない。多く人は、多言の者は楽天的に、寡言の者は厭世的に傾くのが本来見られがちである。我等は、寡言なることがよく、それがよろしい状態であろう。この際、一切の外形にとらわれてはならぬ。徹底的に絶対個人主義、絶対自由主義の立場より、人間の真の姿を凝視し、それをとらえなければならない。またこの際、周囲の事情に注意することが必要である。多くの時間をただ一人静かなところに居ることがよく、また、読むべき書籍に注意すべきであろう。この如何なる本を読むべきかは、多くその人を左右する見えざる原動力となり得る。また、我等は学生生活を通じて何を得るかと考うるにいたるなら、一般的なものを除いて非常に不明である。多くの場合、教師の人格による個々人の陶冶であろう。それは、人格への接触から得る唯一の宝物である。しかるに、学校において之を求めるなら多く失望するであろう。

 しかし、我等はここに、偉大なる小原先生をもっている。この殺伐たる・・・世の中に、一条の光を与えてくれる先生。これほど感化を受けたのは他に例がない。おそらく私にとっては小杉先生に倍する。

 しかし、我等は人を評することを慎まねばならぬ。それは余りこの際効果あるものではなく、逆効をもたらすことが常であるからだ。我等は余りにも多くの先哲偉人を有する。これらの中より、人間の全歴史を通じて高潔なる人を選ぶことは、当を得ている。我らは先人の訓えを読むとき、常に自分の考えと比較類推していくことが大切である。青年期にありては、これら先哲の著書の読破が必要である。時間は思わぬうちに経過するものである。小原先生が夏季休業に対して、一つの話をしてくれたことを忘れない。「学問は時間が解決してくれるものではない」何と謙譲の心、敬虚なる態度で我等に談じただろうか! これが、教壇にある姿の最後であるかと思うと、ただ涙が出てしかたがなかったのである。我等は無口を愛する。要は直進である。何も完全な状態を欲っするものではないが、これに精進するのがより真面目な態度であろう。その基盤は、将に現在構成さるべき時にある。私は、わが敬する偉大なる人格者小原先生の言葉を忘るまい。

7 「葦折れぬ」を読みて      23・8・

 真実をひたすら追求し、人生にひたすら立ち向かった諏訪の一女性の手記に、ほとほと頭の下がる真摯さを感ずる。私はこの本を読んで実に驚き、また自分の愚かさを非常に悲しんだ。それは、彼女が若くして既に立派な頭をもって進んでいたことだ。両親は小学校の先生だったと思うが、かく年をとりてよりこれを見れば、彼女の筆跡、思想、情緒等すべてに嫉妬すら感ずる。環境の力の恐ろしさよ! 日米戦など、当時の私は見る眼を全く持っていなかった。実に寂しさを感ずるものである。彼女は死に依ってその名をより高くした。我等はこれら一切の外的条件に左右されることなく、そこに現れてくる人生の糧たるべきものに触れねばならない。もっともよく感ずるのは、彼女の一貫した確かな人生観である。私は彼女の真実の言葉に対して、理性という言葉の憧れに満ちている。すべて社会的一切の事象は虚偽である。ただし個人的には否定できない。社会現象はすべて我等の接触より生ずるもので、考うべきはここの問題である。

 即処世論!あくまで人間は不完全なものである。欠点を有するものである。これは肯定さるべき根本原理である。この上にたって、我等は考究を進めたい。彼女は理知を強く主張した。だが私は徳義を主張する。それは民衆の力強い動きを意昧するものだ。フニャフニャ論法・・・時によりけりは実によき考察なりと思う。現代は過去になりつつある未来なのだ。かくも歴史の動きは、寸刻の時の滞まりを許さない。場所によりけり、環境によりけりで、実にフニャフニャ論法は妙を得ている。

 現在のあらゆる人間は二十世紀に属している。この二十世紀は帝国主義時代と呼ばれ、前半期は最早1945年をもって終了した。新しい歴史、二十世紀後半は今動きつつある。世界における米・ソの二大勢力、この反目は実に吾人の注目に価する力である。この二つの力により歴史は動くからだ。近き将来に、運よくば世界政府の樹立をみるかもしれない。資本主義は去った。後半は社会主義国家の力となるのだ。我等が二十世紀の最後まで命を有することは可能である。短き年月の間だ。意義ある人生を送る素地はここ2〜3年間で固まるのだ。私は、紙片へ自分の考えを書き付けることを余り好まない。それは自己満足が大部分を占有するからだ。もし私に完全な世界は、と問うならば、無言の国なりと言うであろう。それは一面を意昧するのみだが。千野敏子さんは一見明朗な気質の持ち主だ。しかし私は無言でいこう。それはいつまでの主義だか不明ではあるが。彼女の本の中にはどうも女学生の呼吸がある。歴史家は酷寒の空を憧憬する。冷たいのだ。透徹せる名鑑は南洋ではぼけるのだ。「真実ノート」それは確かに我等に迫力をブリングする。

8 人を叱る勿れ         23・8・8

 七夕の色紙へ書いた言葉

    全ての人よ立腹すな

 立腹は無人格の表現であるとは、今更深く私は了解し理解を深めた。確かにそうで、若しAがBを叱るとき、普通の場合よく考えてみれば、両者に相当の理由があり、主観の相違により何か叱られるとき、Bは当然叱られる全てを肯定することはない。もし欠点がその中にあったとしても、Bは自分の立場をつよく支持しているから、たとえ頭を下げたにせよ、心から謝ることはすくない。その場における低頭は、一般社会における習慣であり多く真意はないものである。かような場合は、Bは一般慣習に従って低頭したにしても、自己の考えを保持するものである。さらに、Bの悪の意識以上にAからの叱責があった場合は、内心Aを恨むのが普通である。その場では何の反抗は見せずとも、必ずそうなるものだ。そして我々が絶対的人格主義を奉ずるならば、この場合BはAを無人格者と見做すのである。この場合の叱責とは、相手方の感情を明らかに害するものと思われる場合を意味する。

 かかる主観の相違によりAとBの意見が対立したときは、この対立とはBの失行から生ずるAの反感を意味するものだが、AはBにどのように振る舞うべきだろうか。この場合、AはあくまでBの立場への洞察や思いやりを忘れてはならない。無理解は往々にして反目を生ずるからである。従って、Bへの思いやりをもってBの過ちなり行動の仕方なり言葉すくなく述べ、その場合の正しい在り方を静かにあっさり述べることがよい。くどくどしい述べ方は、Bの反発を買う以外には何の得もないのである。だから、人格主義を大事にするものにとっては、人の行動批正や考えの批正については、人格の反映に依らなければならないことを基本としてわきまえ、静かにさりげなく述べるにとどめたいものである。

9 詩           24・2・15

 女王クリスティナは、かつて恋した男を去った。それでも男は、なお女王を愛してこういった。

   われ斯くの如し いまわれ秘奥を得たり
   君われを失い われ君を得たるなり
   君の魂はわがもの かくて全きものとなりて
   われは余生を送らん
                 ブラウニング作

   Such am I : the secret's mine now !
   She has lost me , I have gained her ;
   Her soul's mine :and thus , grown perfect ,
   I shall pass my life's remainder !  
                 by Brouning.

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