アフリカのタンザニアに「ンゴロンゴロクレーター」が存在するとの情報が初めて我が国に伝えられたとき、子供達の間で流行していた「しりとり遊び」に大打撃が加えられたことは、まだ記憶に新しい。それは晴天の霹靂であった。まさかこの世に「ん」で始まる単語があろうとは、日本語に慣れ親しんだ我々の誰ひとりとして予想できなかったのである。今や、しりとり遊びは、絶滅が危惧される遊びとして、蹴鞠、ハンカチ落とし、アメリカンクラッカーなどと並んでレッドデータブックに記載されている。古くから伝えられてきた遊びがまた一つ消えてしまうのかと思うと、まことに残念でならない。このままでは、しりとり遊びを知らない世代が遠からず現れ、しりとりをやろうとすれば本当に人間の尻をとってしまうような困った輩が出現しないとも限らないのである。
この重大な問題に対処するため、昨年、社団法人全国言葉遊び協会連合会が検討委員会を設置した。某筋によると、その2回目の会合で、地名の使用を禁止するという「しりとりルール変更試案たたき台」が事務局から内々に示されたらしい。しかし、同連合会内の第二派閥である固有名詞派が勢力の縮小をおそれてこの案に反対したとの情報がある。有力国会議員まで巻き込んだ徹底抗戦だったということである。そこで最大派閥の一般名詞派が、早期解決を図るため、やむなく妥協案を示した。それは、「ん」で終わる言葉は最初の一回に限って許されるというものである。検討委員会での侃々諤々の議論を経て、これが最終案となって世に問われたのだ。そのような内部事情はともかくとして、現状を踏まえれば妥当なルール変更ではないだろうか。これで国民各層の賛同が得られれば、次回の総会で正式に採用される。絶望的だったしりとり遊びの運命に一筋の光が射し込んでいると言っても過言ではないだろう。
ところが、この案への反対意見がしりとりを守る市民の会から提示されている。「ん」で終わる単語を口にした途端に罰ゲームの対象になってしまうという緊張感が著しく損なわれ、しりとり遊びの醍醐味が薄れてしまい、結果的にしりとり遊びの復興にはつながらないというのが反対の理由である。その考えも全く理解できないわけではないのだが、ここに至っては小異を捨てて大同につくことが賢明な態度と言って差し支えないであろう。しりとり遊びの存続、ひいては我が国固有の文化の保護のため、しりとりを守る市民の会には是非とも再考をお願いしたい。
もう一つ苦言を呈さなければならないことがある。一部の熱狂的なしりとりマニアたちが、日本政府からタンザニア政府に地名の変更を正式に申し入れるべきとの意見書をまとめ、昨日、外務省に提出したのである。暴風雨に濡れながら署名活動を行ったそうであるが、しりとりルールに従った署名の順番にこだわったため、思うように署名が集まらなかったとも聞いている。そのような熱意には胸を打たれるが、意見の内容には賛成できない。いくら遊びが文化の一形態だからと言っても、自国の遊びのために他国の地名を変更すべきとの意見には無理がある。しかも自国の名である「日本」又は英語の「Japan」は「ん」で終わるので、彼らにとってはこれを発音することすらタブーなのである。そのような者が国際社会で信頼されるわけがない。相手国からは無視されるか、さもなくば内政干渉と受け止められるのが関の山であろう。外務省の慎重かつ適切な対応が期待される。
(注)ンゴロンゴロクレーターの存在以外はフィクションであり、登場する団体は実在しないか、または実在する団体とは一切関係がありません。
(参考) ンゴロンゴロクレーターについて
私がンゴロンゴロクレーターのことを初めて知ったのは、シンラという月刊誌の前身で年2回発行されていたMother Nature'sという雑誌(1992年12月版)の特集を読んだときです。このクレーターのことを説明している部分を抜粋します。
「ンゴロンゴロ自然保護区は、アフリカ最大のヴィクトリア湖とアフリカ最高峰のキリマンジャロの中程に位置している。総面積はおそよ8300平方キロ、この内ンゴロンゴロクレーターは260平方キロで、その約3%を占める。クレーターの大きさは、山手線の内側が3つ入る位の広さだ。ンゴロンゴロクレーターは、溶岩を流していないカルデラとしては、世界で一番大きい。しかも、クレーター床には草原、湿地、沼、川、湖、森、泉、丘があり、季節によって数の変動はあるが、2万頭を越える鳥獣が生息している。 (中略) この狭いエリアの中に、多くの野生生物がいて、1日熱心に観察すれば、しかも運が良ければかなりの動物達と出会えることから、年々観光客の数は増えている。」