もうすぐ2001年が終わろうとしています。
よく言われることですが、本来は一日一日に特別な違いがあるわけではなく、12月30日から31日への移り変わりも、12月31日から翌年1月1日への移り変わりも全く同じはずです。それなのに、なぜ暦の上では大きな違いがあるのでしょう?
それは、人間は同じことの繰り返しに耐えられないからではないかと思います。毎日同じ時刻に眠い目をこすりながら起き、同じ電車に乗って仕事にでかけ、夜遅くに家に帰ってくる。そしてその間に3回の食事を採る。そんなことを毎日繰り返していてもおもしろいはずがありません。身体を休ませるだけではなく、仕事をしないという意味も持たせた休日が必要なのです。休日はいつもと違うように生活し、違うことを行い、気分転換を図っているわけです。
普通は1週間ごとに休日がやってきますが、これも繰り返しているうちに飽きが来ます。なんて人間は飽きっぽいのでしょう。1週間という単位を設けただけでは解決しないため、季節の変化に合わせて1年という区切りを作ったのだと思います。大晦日で1年が終わることにして、気分を新たにして正月を迎えることにしたのです。
しかし、なんということか、次に待っていたのは1年の繰り返しでした。子供の頃なら、今年と来年ではいろんなことが違います。小学校に入学したり、中学、高校と進んだり、初めて経験することがたくさんあります。しかし、大人になってしまえば、1年が過ぎたからといって、そんなに大きな違いはないのです。
ちょうど1年前、20世紀から21世紀になるときには、そんな閉塞感を打ち破ってくれるような期待感がありました。でも21世紀に慣れてしまうと、20世紀とあまり違わないことにいやでも気づいてしまうのです。次の世紀まで99年もあることを思うと、途方に暮れます。それまで生きていることはできないのですから。
というわけで、いかに人間は単調な繰り返しが嫌いかということがわかります。この世に神が存在するならば、繰り返しの苦痛から人間を救うために、神が人間に死を与えたのではないかとさえ思ってしまいます。そういえば、輪廻という繰り返しから救われる道を説いたのはお釈迦様でしたね。
とまあ、こんなことを考えてしまうのも、年の瀬という時間の区切りのせいだと思います。来年は何か変わったこと (良いことに限る(^^;) があることを願っています。