どこの地方にも方言があります。北海道も例外ではありません。
北海道に住んでいた頃、いろいろな方言を聞いたり使ったりしたはずなのですが、約20年前に東京に来てから方言を使わないように気をつけていたので、いつのまにか使えなくなってしまいました。でも、使わなくなった今だからこそ分かることもあります。子供の頃に聞いたり使ったりした方言を思い出し、私の勝手な解釈を加えて紹介することにします。
しばれる
ひどく冷え込むこと。北海道の特色を表した方言であるが、最近では全国的に知られているようである。数ある北海道方言の中でも出世頭と言えるだろう。
ただし、本来「しばれる」は北海道の冬でも特に寒さが厳しいときに使われる言葉なので、薄い氷が張ったくらいで使ってはいけない。たとえば玄関を開けて冷たい外気に触れたとたん、顔がちくちくと痛み、息を吸えば鼻毛が凍って鼻の穴がふさがるくらいでなければ「しばれた」うちには入らないのである。だから北海道ほど寒くないところで使うのは邪道と言わなければならない。
あずましい
とても落ち着いて気分が良いというような意味。住み慣れた我が家が一番「あずましい」ものである。静かでのんびりできるときは特にあずましく感じる。逆に、うるさかったり、物が散らかっていたりすると、「あずましくない」と否定形になる。たとえば明日までの宿題など、気になることがあって落ち着かないときも、「あずましくない」のである。
首都圏の満員電車は、すぐに逃げ出したくなるくらい不快であるが、あれは「あずましくない」で表現できる範囲を超えている。あんなにひどい場所は北海道にはないからである。
みったくない
かわいいはずの子供や美しいはずの女性にとって、最もおそろしい言葉。最大の侮辱表現である。「見たくない」から転じたのではないかと想像され、「かわいくない」とか「美しくない」というような意味であるが、これらよりも圧倒的に強い否定を感じざるを得ない。
言われた人は救いようがなくなるくらい傷つくこともあるので、使うときは注意が必要である。それを承知のうえで使うときは、つまる音の「っ」の部分に気持ちを込め、ここで一瞬息を飲むようにして発音すると良いだろう。ただし、その結果としてどんな目にあっても私は責任を負えないので、その点はご了承いただきたい。
なお、「みったくない」は形容詞であり、そのような状態であるものを「みったくなし」とも言う。
こわい
この言葉は、標準語と同じように「恐ろしい」という意味でも用いられるが、それだけではなく、「疲れた」という意味でも使われる。だから、ジョギングをするとライオンに追いかけられたわけでもないのに「こわい」し、身体をたくさん動かせば、たとえそれが楽しい遊びであっても「こわい」のである。それから、風邪を引いて身体がだるいようなときも「こわい」のである。病気で寝ている人がこの言葉を使った場合、決して恐ろしい夢を見ているとは限らないことに注意しなければならない。
なげる
標準語の「投げる」という意味だけではなく、「捨てる」という意味でも使われる。北海道では、ゴミは投げるものなのである。
きっとこれは、「投げ捨てる」という言葉を短くしたものに違いない。「投げ捨てる」という表現からは、目の前から一刻も早く消え去ってほしいという強い気持ちが感じられる。そっと捨てるのではなく、目の届かないところまで放り投げて捨てなければ気持ちがおさまらないのである。「投げる」もこれと同じである。それに対して、「捨てる」で表現される物には、まだゴミになりきれていないようなもどかしさを感じてしまう。投げ捨てることに未練が残っているようで、いさぎよくないのである。
もしも北海道で「そこの○○を投げてくれ」と言われたときは、○○を拾ってその人に投げてあげるのか、それとも捨てるのか、そのつど的確に判断する必要にせまられる。そのとき、○○の価値だけではなく、投げてあげた場合に相手が受け取れるのかどうかも考えなければならない。重いタンスを投げつけられた相手はケガをしてしまうので、力持ちの人は特に気をつけてほしい。
なお、北海道でも、野球のピッチャーはボールをキャッチャーに投げているのであって、いつもゴミ箱に捨てているわけではない。そんなことをしていたら、ボールがいくつあっても足りなくなるし、バッターはいつまで待っても打てないのである。
なして
「なぜ?」とか「どうして?」と問うときに使う。この言葉は、「なぜ?」の「な」と「どうして?」の「して」とがくっついてできたものと考えられる。二つの同じような意味の言葉の一部を切り取って結びつけたところに、北海道弁の強引かつ思い切りの良さを感じることができる。まことに味わい深い言葉である。
とうきび
畑から穫ってきてすぐに茹でて食べる「とうきび」のおいしさは格別である。収穫から数日後に東京のスーパーに並べられたものは「とうもろこし」と呼ばれ、「とうきび」と比べると味が落ちてしまっているのは否めない。
やめれ
標準語では「やめろ」。命令形の語尾が変なのである。これと同じようなものは、起きれ(起きろ)、あきらめれ(あきらめろ)、考えれ(考えろ)など、枚挙にいとまがない。標準語のように語尾を「ろ」にすると、なんとなく気取った言い回しに聞こえてしまうのである。
これで十分に意味が通じるのだが、なぜか後ろに「や〜」をつける人もいて、これを聞くと北海道を満喫することができる。つまり、「やめれや〜」、「起きれや〜」、「あきらめれや〜」、「ちゃんと考えれや〜」などである。
はんかくさい
ハンカチがくさいわけではない。ワープロの半角の「さい」とも関係がない。
思慮が足りないことを言う。わかりやすく言うと「ばからしい」とか「あほみたい」というような意味に近いが、「脳味噌が足りないのではないか」というようなニュアンスがあからさまに込められている。
ただし、この言葉を使ったからといって、必ずしも相手を罵ったり嫌ったりしているとは限らない。軽いノリで使われることも多いので、言われても、そんなにめげる必要はない。
あっぺくさい
はんかくさいと並んで「くさい」シリーズの双璧をなす言葉である。これをもって北海道人は嗅覚が敏感なのではないかとの説が登場しそうであるが、そのようなことはまだ聞いたことがない。
この言葉の意味は、「とるに足らない勝負の相手」というようなもので、ベテランが格下の新人を評価するときなどに使われる。決して、何かがにおうわけではないのである。
げっぱ
順番が最後のこと。つまり難しく言うと「最下位」、やさしく言うと「ビリ」のことである。「ビリ」よりも人をおとしめるニュアンスが感じられ、それを最上級で強調したのが「げれっぱ」である。私は足が速くなかったので、小学校の運動会ではなんとしても「げれっぱ」と言われないよう、後ろから2番目を目標にして、死に物狂いで走ったことが思い出される。
「げれっぱ」の省略形として「げれ」というのもあったが、これは子供心にも品がない言葉のように感じられた。今になって考えてみれば、どちらも同じようなものなのだが・・・。
なお、東京育ちの子供から、げっぷをする人という意味の「ゲッパー」という言葉を教えてもらったが、これとは何の関係も見いだせなかったことは言うまでもない。
かっちゃく
ひっかくこと。子供のケンカに縁の深い言葉である。ネコにかっちゃかれたことがある人も多いはず。
身体のかゆいところを掻くときにも使うが、かゆいところを「かっちゃく」と、皮膚が傷つき、血がにじんでしまうことも覚悟しなければならない。「かっちゃく」場合は、やさしく掻くようなことは許されず、力強く掻かなければならないからである。
それから、記憶がかなりあいまいになっているのだが、七夕かそれともお盆だったか?、子供達が近所の家を回ってロウソクをもらうようなことがあって、そこでの決まり文句は、「ロウソク出さないと かっちゃくぞ!」だったように思う。
ばくる
バクのように夢を食べるという意味ではない。決して漠とした言葉ではなく、「物を交換する」というはっきりとした意味を持っている。
物を盗む「ぱくる」とも違うので、「ばくってほしい」と言われたときは、決して一方的に盗んだりしてはいけない。相手からもらうかわりに、あなたも何かをあげなければならないのである。
たくらんけ
「たくあん食え」という意味ではないので、こう言われたときに食べていてはいけない。あなたは叱られているのだから。
「この たくらんけ!」は、「この 大馬鹿者!」というような意味なのである。
かしがる
傾くこと。傾いている状態は、「かしがっている」である。かしがっている人に対して「貸しがある」人も多いことと思う。
西域のオアシス都市で「カシュガル」というところがある。そこではあらゆる建物がかしがっているのかどうか、その地名を聞くたびに気になってしょうがない。知っている人は、是非教えてほしい。
じょっぴん
鍵のこと。鍵をかけることを「じょっぴんかる」、鍵を開けることを「じょっぴんはずす」と言う。北海道の田舎では、家族全員が外出して家に誰もいなくなるときでも、じょっぴんからなかった。最近は違っていると思うが・・・。
はく
靴や靴下をはくだけではなく、手袋も「はく」のである。どうして足に手袋をはかなければならないのかと心配する必要はない。手に手袋をはくのである。子供が雪遊びをしようとして外に出るときは、親に「手袋 はいたか〜?」と言われてしまうのである。
標準語では「手袋をする」とか「手袋をはめる」とか言うが、実は、私にはまだこの言い方がなじめない。「する」や「はめる」は、もともと衣類を身につけるときに使われる言葉ではないけれど、ほかにぴったりの言葉がないからしょうがないので手袋にも使うことにして、それで十分だと思っているような、手袋の役割や存在感を軽視した言葉のように感じてしまう。「タバコする」と同じような印象を受けると言っても良い。
北海道の冬は手袋が必須であるから、手袋を大事な「衣類」と考えて、衣類を身につける言葉(着る、かぶる、羽織る、はく)の中から「はく」を選んだのではないかと推測される。そのときに手が下半身のように扱われることまで気にしていたかどうかは、私にはわからない。そんな小さなことは気にしないのが北海道なのかもしれない。
ちょべっと
「少し」とか「わずか」という意味。ほんの少ししか残っていないものを取り合って兄弟喧嘩になることはよくあることだ。特にそれが、ほんの「ちょべっと」のシャーベットだったりしたら。