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与作の秘密

2003年2月1日UP

 
 与作と言えば、ご存じ、北島三郎の歌である。北島三郎は、はるばる函館に来たかと思えば、帰ろかな・・・帰るのよそうかな・・・と悩んだり、祭りだ祭りだと騒いでいたりしたが、最近はどうしているだろうか? いやいや、そんなことはどうでもいいのだった。まずは与作の1番の歌詞を読んでいただきたい。

 与作は木をきる ヘイヘイホー ヘイヘイホー

 こだまは かえるよ ヘイヘイホー ヘイヘイホー

 女房ははたを織る トントントン トントントン

 気だてのいい娘だよ トントントン トントントン

 与作 与作 もう日が暮れる

 与作 与作 女房が呼んでいる ホーホー ホーホー 

 何か気がつかないだろうか? 注目すべきは最後の部分である。女房は与作を「ホーホー ホーホー」と呼んでいる。つまり与作の女房はフクロウだったのである。気づいてみれば簡単なことであるが、いささか衝撃的な事実である。その鳴き声からしてアオバズクのようにも思われるけれど、とりあえずここでは広い意味での「フクロウ」ということにしておこう。

 フクロウがはたを織ることができるのかという疑問があるかもしれない。しかし、昔は鶴がはたを織ったということは誰もが知っている。鶴にできるのだから、フクロウにできないと決めつけてはいけない。しかも、「気だてのいい娘」と書いてあるだけで、女房の容姿については一切記述がないところがあやしい。容姿に触れることができなかったに違いない。考えれば考えるほど、与作の女房がフクロウであったことは間違いないことのように思えるのである。

 ではなぜ与作はフクロウを嫁にしたのだろうか? 与作は山で木を切る木こりである。フクロウの巣がある木を切ってしまったのだろう。家をなくして困ったフクロウが与作を頼って来たのか、それとも与作がかわいそうに思ってフクロウを連れてきたのか、そんへんのところは推測の域を出ないが、いかにもありそうなことではないだろうか。

 続く2番の歌詞は次のとおりである。

 わらぶき屋根には ヘイヘイホー ヘイヘイホー

 星くずが 降るよ ヘイヘイホー ヘイヘイホー

 女房はわらを打つ トントントン トントントン

 働きものだよ トントントン トントントン

 与作 与作 もう夜が明ける

 与作 与作 お山が呼んでいる ホーホー ホーホー ホーホー

 はたを織ることができるのなら、わらを打つくらいは朝めし前なのだろう。夜明けまで起きて、朝めしの前までわらを打っている。与作の女房になったフクロウは働きものだ。その献身的な姿に心を打たれるが、フクロウだから夜に強いのは当たり前とも考えられる。おそらく昼間は寝ているのだろう。

 そして驚くべきことに、山もホーホーと呼んでいるのである。与作が暮らす山にはとてもたくさんのフクロウがいるのだ。フクロウの巣もたくさんあるはずで、与作がフクロウの巣がある木を切ってしまうのは決して珍しいことではなく、よくあることだったのだろう。

 以上、与作の女房はフクロウであることについてご理解いただけただろうか。与作の歌にこのような意味が隠れていたことに今さらながら気がついた。もう世の中の常識になっているのならば恥をさらすことになるが、そうではないことを祈りつつペンを置くこととしたい。



 ここまで自分で書いたものを読み直しているうちに、与作の女房の謎について、もうひとつの可能性があることに気がついた。なかなか奥が深いようだ。もう一度1番の歌詞の最後の部分を読んでもらいたい。

 与作 与作 もう日が暮れる

 与作 与作 女房が呼んでいる ホーホー ホーホー 

 この部分は、「与作、与作、もう日が暮れる。与作、与作!」と女房が与作を呼んでいると読むのだ。その後の「ホーホー」は山のフクロウが鳴く効果音である。このように考えると、女房はフクロウなどではなくて人間ということになるので、与作もようやく人並みになれたと喜ぶことだろう。

 これで万事解決といきたいところだ。しかし、簡単には終わらない。2番の歌詞にこの読み方を適用すると、やっぱり困ったことになってしまうのだ。

 与作 与作 もう夜が明ける

 与作 与作 お山が呼んでいる ホーホー ホーホー ホーホー

 はたしてお山が「与作、与作、もう夜が明ける。与作、与作!」などと与作を呼ぶだろうか。いくらなんでもそれは無理である。山が与作を呼ぶはずがない。

 この矛盾を解決する方法は、ひとつしかない。お分かりだろうか? それは与作の女房の名前が「お山」であると解釈することだ。これしかない。お山という名前の女房が与作を呼んでいるのだ。なぜこんなに紛らわしくて誤解を招きそうな名前を作詞者が使ったのかという疑問が生ずるし、そもそも女性の名前としてふさわしいのだろうかという根本的な問題があるのだが、与作の女房を人間にしてあげるためには、そう読むしかないのだ。

 まとめてみよう。与作の女房はフクロウであるとする第一の説と、「お山」という名前の人間であるとする第二の説と、この二つの可能性があるということになる。あなたはどちらが正しいと考えるだろうか?