【懐かしい歌へ】
文部省唱歌
小学生時代…戦前…【心に浮かぶ懐かしい友】
【 01 】初めに
【 02 】一年生
【 03 】二年生
【 04 】三年生
【 05 】四年生
【 06 】五年生
【 07 】六年生
【 08 】○○○
【 01 】初めに
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1 はじめに 4 新旧『尋常小学唱歌』
2 消えようとする名曲 5 文部省唱歌の功罪
3 唱歌教育の変遷 6 目次
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1 は じ め に
歳を重ねるにしたがって、自分を形作っているものが、若ければ若い程その影響が大きいことに気づきます。これは歌に限ってのことではなく、知的発達のうえでも情緒が身についていくうえでも自我意識の性向のうえからでも、そのように感じられるのです。
歌は、それを歌っていたころのことを頭の中に思い出させ、ちょうど自分の生涯の一頁をみるように、歌詞の内容も自分の生活とかさなりあっていろいろの記憶を再生するのですね。
そういう意味では、親子の情愛とか絆の深さや思考生活の基本部分となっていたもの、そういうものに自分が直面するのです。
人生において歌とのかかわりを、いろいろの尺度で考える方法がありますが、よくいわれる「うたは世につれ、世はうたにつれ」のように、世の中の環境と自分の歴史が頭の中に再現されるからこそ、いろいろの感慨をもって歌が評価されるのだろうと思われます。
この文部省唱歌は、市瀬昇さんから市販されている復刻版をお借りして印刷したものです。殊にテープの歌声は、児童合唱団でうたっている子供たちの歌声ですから、あくまで純粋で感情のまじけがなく音程に即する声量にもくるいがなく、誰しも通過してきた少年少女時代がよく偲ばれるものです。
小学校の四年生ころ、音楽会のステージで「げんげそう」を聞いた感慨は、声の美しさという点ではとうとい出会いでありました。いまでも、この声にまさるという歌を聞いたことがありません。
年齢の如何をとわず、声がもっている美しさに接することは、大脳にエネルギーを与える一つの大変良い方法だと私は思っています。
平成九年九月七日 下平
2 消えようとする名曲
「我は海の子」という歌をご存知でしょう。日本人なら、まず知らない人はいないといっていいほど、なつかしい歌であるといえます。昭和六十年度までは、一、二の小学校音楽教科書の六年生用のものにも載っていましたから、いまの中学一年生から、八十歳ぐらいのご老人まで、日本人のほとんどがこの歌を知っているといってもいいでしょう。事実、言語学者の金田一春彦氏が何年か前に調査されたところによると、中老年層の人が幼いときに最も愛唱した「歌が、この「我は海の子」だったそうです。
このなつかしい歌が、遂に消えました。多くの人たちからそれを惜しむ声があがってから数年、新聞紙上や週刊誌にもとりあげられたりもしましたが、昭和六十一年度からは、現在音楽教科書を発行している大手教科書出版社四社の、小学校音楽教科書のすべてから、この「我は海の子」は姿を消したのです。
というのは、昭和五十二年の文部省の指導要領改訂により、小学校音楽の共通教材から削除されるいくつかの曲が指定され、その後、それらの曲の教科書掲載が漸減していましたが、昭和六十一年の新学期から、そのうち「我は海の子」と「村の鍛冶屋」の二曲は、全出版社の教科書から完全に削除されてしまったのです。
ほかにも「かたつむり」「月」「雪」「茶摘」などのなつかしい曲が、一部出版社の教科書から消え、「月」や「雪」を残すのは一社のみということになりました。
昭和五十二年の指導要領改訂により、共通教材から削除された曲は、
一年 かたつむり (でんでん 虫虫かたつむり、)
月(出た、出た、月が。)
二年 雪(雪やこんこ、霰やこんこ。)
三年 村祭 (村の鎮守の神様の)
茶摘 (夏も近づく八十八夜、)
四年 村の鍛冶屋 (しばしも止まずに槌うつ響。)
五年 鯉のぼり (甍の波と雲の波、)
海 (松原遠く消ゆるところ、)
六年 我は海の子 (我は海の子、白浪の)
の九曲だったのですが、どれをとりあげても、ある年齢層にとってはメロディがすぐに浮かんでくる曲ばかりです。共通教材というのは、いくつかの出版社から出されている教科書のすべてに共通して掲載されねばならぬ曲で、現在指定されているのは、
朧月夜 (菜の花畑に、入日薄れ、)
冬景色(さ霧消ゆる湊江の)
紅葉 (秋の夕日に)
春の小川 (春の小川は)
春が来た(春が来た、春が来た、どこに来た。)
などの十一曲となっています。
削除された理由として、たとえば「村の鍛冶屋」のように、「鍛冶屋」という存在自体が、うたうこどもたちにとってイメージを伴わなくなってしまったものとか、あるいは「鯉のぼり」や「我は海の子」のように文語の程度が高すぎるものが対象になっているようです。
それらの曲の歌詞の「ふいごの風さえ」(村の鍛冶屋)とか、「いらかの波」(鯉のぼり)とか、「煙たなびくとまやこそ」(我は海の子)など、小学生という年齢段階にとってはすでに死語に近いような難解なことばが使われているのも、削除理由のひとつなのでしょう。
さて、これらの、教科書から消え去った数々のなつかしい曲は、もちろん全部、いま手にしていらっしゃるこの『新訂尋常小学唱歌』の復刻版に載せられています。その前身である『尋常小学唱歌』という教科書にも全部載っています。この『尋常小学唱歌』は明治四十四年五月から昭和七年三月まで使われた教科書であり、『新訂尋常小学唱歌』はその改訂版で昭和七年四月から昭和十六年三月まで使われたものです。その後、いわゆる文部省編纂の唱歌教科書は国民学校時代の
『ウタノホン上』
『うたのほん下』
『初等科音楽一〜四』(昭和十六年四月〜昭和二十二年三月)
から、第二次大戦後の
『一ねんせいのおんがく〜六年生の音楽』(昭和二十二年五月〜)
へと移ってゆくの、てすが、それらの教科書にもこれらの曲はほとんど載せられています。さらにその後も、これらの曲は指導要領による共通教材だったのですから、実に明治の終わりごろから七十五年間にわたって、教科書に収録され、学習されてきたわけです。たとえば、明治四十五年に小学校一年生になった人は、昭和六十一年には八十歳ですから、現在の成人日本入の大部分は、小学校時代、これらの歌を学校で習ったことになります。それほど、これらの歌の歴史は長く、深いのです。
共通教材から消えていったこれらの曲の大部分は、明治四十四年から大正三年にかけて作られた『尋常小学唱歌』で誕生しました。つまり、あなたがいま手にしておられる復刻版『新訂尋常小学唱歌』の前身のものです。「月」や「我は海の子」は、さらにひとつ前の『尋常小学読本唱歌』(明治四十三年七月)にも採録されています。「読本唱歌」とは、やはり文部省編纂の小学校国語教科書であった『尋常小学読本』中の韻文教材に作曲したもので、二十曲ありましたが、「月」はその巻二(一年生用)に、「我は海の子」は巻十一(六年生用)に載せられていた詩でした。
3 唱歌教育の変遷
いまは「唱歌」という教科目名はなくなって、この『新訂尋常小学唱歌』のつぎに出た国定教科書の、『初等科音楽』(昭和十六年)という書名でもわかるように、昭和十六年には「音楽科」と改められて、現在に至っています。したがって「唱歌」ということばの意昧はたいへん狭義のものになりました。歌謡曲とか演歌というようなことば、あるいはフォークソングとかカレッジソングというような外来語の流用など、「歌」を分類してあらわすことばがいろいろ作られて使われている現在、唱歌ということばは、「学校で教える歌」という概念でわずかに生命を保っているようです。
もっとも、唱歌ということば自体の歴史は古ミ、平安朝のころ、器楽の譜を声でうたうことを唱歌(しょうが・そうが)といいました。『源氏物語』の乙女の巻に、「唱歌の殿上人、あまたさぶらふ。安名尊あそびて、つぎに桜人」という記述が見られます。「安名尊」や「桜人」は、ことばとしては、この系譜を受けついでいるといえます。
日本に文部省ができたのは明治四年で、翌明治五年の八月には学制が発布されました。そのとき、十五の教科目が示され、その中に「唱歌」もあったのですが、「当分之を欠く」と注がついていました。つまり、音楽教育の必要は、学制発布の初めから認められていたということになりますが、教材や指導者がすぐには揃えられなかったということでしょう。当時日本には、いわゆる民謡や童唄、あるいは稚楽などが伝承されていましたが、学校教育の教材としては適当とは考えられなかったのです。そこで、文部省は明治十二年「音楽取調掛」(のちの東京音楽学校、現東京芸術大学音楽学部の前身)を設けて、東京師範学校の校長であった伊沢修二を御用掛としました。伊沢は、明治八年以来、アメリカに留学して、音楽教育について研究をしてきた人で、その努力により小学校における音楽教育はスタートを切ったのでした。したがって、音楽教科書の必要が切実になる時代がきたのです。
明治十四年十一月に、初の音楽教科書『小学唱歌集初編』が文部省から発行されました。つづいて第二編が明治十六年三月に、第三編が明治十七年三月に刊行されましたが、その初編には、今日までうたいつがれている曲もいくつか見られます。そしてそれらは、外国の原曲に、当時の音楽取調掛に関係深かった学者たちが作詞したものが多かったのです。たとえば「初編」の「見わたせば」(見わたせば、あおやなぎ、花桜、こきまぜて)はルソーの原曲 (現在の「むすんで開いて」の曲) に、柴田清照・稲垣千頴が作詞したものですし、のちに題を「蛍の光」と改めた「蛍」(蛍の光、窓の雪)は、スコットランド民謡の曲でした。同じく初編の「蝶々」(ちょうちょうちょうちょう、菜の葉にとまれ)もスペイン民謡の曲に、近世からうたわれていた、「ちょうちょう」の童唄をもとにした歌詞をつけたものです。同書の第三編には「あおげば尊し」(あおげば尊しわが師の恩)なども採録されています。
その後、
A 幼稚園唱歌集 (明治二十年・文部省刊)
B 明治唱歌 六冊 (明治二十一〜二十三年)
C 小学唱歌 六冊 (明治二十五〜二十六年)
D 幼年唱歌 十冊 (明治三十三〜三十五年)
E 中学唱歌 (明治三十四年)
F 幼稚園唱歌 (明治三十四年)
G 少年唱歌 八冊 (明治三十六〜三十八年)
H 尋常小学唱歌 十二冊 (明治三十八〜三十九年)
などがつぎつぎに刊行されました。もちろん、おもだったものをあげたのであって、唱歌教科書はこのほかにも数多く刊行されています。そして、右にあげた教科書にも、のちのちまでうたいつがれた歌がいくつか見受けられるのです。
Aの『幼稚園唱歌集』は音楽取調掛の編集ですが、歌詞はもちろん全部文語体で
した。
Bの『明治唱歌』には「夕空はれて あきかぜふき」の「故郷の空」が、スコッ
トランド民謡を原曲として収められています。
Cの『小学唱歌』は、前記伊沢修二の編集で、近世以来の童唄「うさぎ」 (うさ
ぎうさぎなにを見てはねる) や、民謡の「高い山から」(高い山から谷底見
れば瓜や茹子の花ざかり)なども採録しています。
Dの『幼年唱歌』には「キンタロウ」(マサカリカツイデ、キンタロウ)
「モモタロウ」(モモカラウマレタ、モモタロウ)
「うらしまたろう」(むかしむかし、うらしまは)
「はなさかじじい」(うらのはたけで、ぽちがなく)
「おおえやま」(むかし、たんばの、おおえやま)
「うさぎとかめ」(もし、もし、かめよ、かめさんよ)など。
Eの『中学唱歌』には「箱根八里」(箱根の山は 天下の険)
「荒城の月」(春高楼の花の宴)など。
Fの『幼稚園唱歌』には「鳩ぽっぽ」(鳩ぽっぽ鳩ぽっぼ)
「お正月」 (もういくつねると お正月) など。
Hの『尋常小学唱歌』には「一寸法師」( ユビニ、タリナイ、イッスンボウシ)
「大こくさま」 (おおきなふくろを、かたにかけ) など。
が見られます。この、明治三十三年ごろから出た一連の教科書に、いわゆる言文一致体の唱歌があらわれ、口語歌詞の歌がだんだんふえてきました。それまでは、こどもの歌にいたるまですべて文語の歌だったのです。
4 新・旧 『尋常小学唱歌』
明治四十四年に出た『尋常小学唱歌』の、とくに一年生用には、文語の歌がひとつもなく、全部口語唱歌です。もっとも、第一番目の「日の丸の旗」だけが文語といえばいえますが、「白地に赤く 日の丸染めて、ああうつくしや、日本の旗は」という歌詞ですから、「や」の部分だけが文語的なのです。これはのちに、昭和十六年の、『ウタノホン上』では、「ヒノマル」という題で、「アオゾラタカク ヒノマルアゲテ アアウツクシイ ニホンノハタハ」と改められて、完全に口語になりました。
それにしても、明治二十年の『幼稚園唱歌』が全部文語歌詞だったのですから、言文一致(口語文)も、二十年ほどの間に普及したものだといえます。『尋常小学唱歌』(注・明治四十四年刊のこの教科書を、以後、便宜上「旧版」と呼び、その改訂版である昭和七年刊『新訂尋常小学唱歌』を「新訂版」と呼ぶことにします)では、二年生用にも文語歌詞の曲は一つしか出てきません。三年生ごろから文語が二十%ほどまじってきて、六年生用になると、掲載十九篇が全部文語歌詞となっています。
この旧版には、各学年用とも、おおよそ二十曲ずつの歌が載せられていますが、その大部分はのちの新訂版にそのままひきついで収められました。昭和七年は、旧版の発行からすでに二十年を過ぎていますから、その間に時勢もうつりかわり、一部を改訂する必要も生じたものと思われます。しかし、全面的な改訂でなく、数曲をカットし、ごく一部の新作を加えた、増補改訂版であったのです。
5 文部省唱歌の功罪
この、新訂版の生命は短いものでした。すなわち、昭和十六年に小学校が国民学校と名称を改めたとき、唱歌の教科書も新しくなり、一年生用に「ウタノホン上、二年生用に「うたのほん下」、三年生以上には「初等科音楽一〜四」が作られたのです。
時勢はちょうど第二次大戦に日本が傾斜していくときで、国民学校のすべての教科書は国定に統制され、それ以外のものは採用できないことになりました。平和な、自然をうたいあげたような歌詞にまじって、国家意識を高揚する傾向の歌も見られ、時代を反映した「少年戦車兵」(四年生用)、「大東亜」(五年生用)などが加わっています。この時期、教科目名としての「唱歌」が消え、「音楽」となったのは前述したとおりですが、教科書も、徒来の歌詞と五線譜だけのものから、挿絵入りという体裁になっていきました。
それはさておき、昭和七年の新訂版にも、少々国家主義的な色彩のものがないわけではありませんが、それでもほとんどが旧版以来のものでしたから、なつかしい歌もたくさんありました。私は、たまたま昭和七年四月に小学校の一年生になりましたので、一年のときからこの新訂版で唱歌を習ったのですが、一年生用の二十七曲を思い出してみますと、うち十九曲をいま口ずさむことができます。なかには、兄弟や友だちがうたっていて覚えたのもあるでしょうから、十九曲全部を音楽の時間に学習したとは限りませんが、五、六年生用では五年十三曲、六年八曲と、知っている曲がだいぶ少なくなっているようです。ただ、覚えている曲というと、ぶしぎに旧版以来の歌で、やっばりなつかしい歌ばかりであることに気がつきます。ぶとだれかが口ずさむと、何人か唱和する人がいるという歌なのです。そういう意昧で、小学唱歌はいわば「なつメロ」であるともいえますが、少年少女時代に覚えた歌がこれだけ日本人に共通して親しまれているということは、明治から昭和にかけて、日本人の性格形成に大きく影響した存在であったといえるでしょう。
いまは、検定教科書の時代ですが、検定が、やや検閲的な性格にかたよっているという批判もないでもありません。また、明治以降、国定的な性格をもった文部省教科書が、日本人の思想を統一し、はては戦争にかりたてたのだという論をなす人もありますが、何ごとも見方には裏と表があるもので、幼少のころ共通な教科書から得た共通な思い出は、なんといってもたいせつな、なつかしいものです。そういう中で、とくに、歌のメロディは深く人の心にしみるものです。しみじみと、かつての小学唱歌をうたってみる、あるいは聞いている、そこに日本人はひとつのやすらぎを感じるのだと思います。
(この解説では曲名も現代かなづかい、新字体で表記しました)
6 目次
第一学年
01 日の丸の旗 15 池の鯉
02 鳩 16 親の恩
03 兵隊さん 17 一番星みつけた
04 おきやがりこぼし 18 烏
05 電車ごっこ 19 菊の花
06 人形 20 月
07 ひよこ 21 木の葉
08 砂遊び 22 つみ木
09 かたつむり 23 兎
10 牛若丸 24 雪達磨
11 朝顔 25 紙鳶の歌
12 夕立 26 犬
13 桃太郎 27 花咲爺
14 僕の弟
第二学年
01 桜 15 ポプラ
02 ラジオ 16 かけっこ
03 二宮金次郎 17 案山子
04 雲雀 18 がん
05 折紙 19 富士山
06 小馬 20 影法師
07 田植 21 紅葉
08 竹の子 22 時計の歌
09 雨 23 うちの子ねこ
10 金魚 24 雪
11 蝉 25 梅に鶯
12 蛙と蜘蛛 26 母の心
13 こだま 27 那須余一
14 浦島太郎
第三学年
01 春が来た 15 村祭
02 かがやく光 16 鵯越
03 摘草 17 雁がわたる
04 木の芽 18 赤とんぼ
05 茶摘み 19 取入れ
06 青葉 20 麦まき
07 蛍 21 日本の国
08 汽車 22 飛行機
09 燕 23 豊臣秀吉
10 虹 24 冬の夜
11 夏休 25 川中島
12 波 26 私のうち
13 噴水 27 かぞえ歌
14 虫の声
第四学年
01 春の小川 15 牧場の朝
02 かげろう 16 水車
03 いなかの四季 17 広瀬中佐
04 靖国神社 18 たけがり
05 蚕 19 山雀
06 五月 20 霜
07 藤の花 21 八幡太郎
08 動物園 22 村の鍛冶屋
09 お手玉 23 餅つき
10 曽我兄弟 24 雪合戦
11 夢 25 近江八景
12 雲 26 何事も精神
13 漁船 27 橘中佐
14 夏の月
第五学年
01 みがかずば 15 加藤清正
02 金剛石・水は器 16 鳥と花
03 八岐の大蛇 17 大塔宮
04 舞えや歌えや 18 秋の山
05 鯉のぼり・背くらべ 19 いちょう
06 菅公 20 入営を送る
07 忍耐 21 冬景色
08 朝日は登りぬ 22 水師営の会見
09 朝の歌 23 児島高徳
10 日光山 24 三才女
11 山に登りて 25 進水式
12 海 26 雛祭
13 納涼 27 卒業生を送る歌
14 風鈴
第六学年
01 明治天皇御製 15 故郷
02 朧月夜 16 秋
03 遠足 17 灯台
04 我等の村 18 天照大神
05 瀬戸内海 19 鷲
06 四季の雨 20 鎌倉
07 日本海海戦 21 霧
08 我は海の子 22 鳴門
09 日本三景 23 雪
10 風 24 スキーの歌
11 蓮池 25 夜の梅
12 森の歌 26 斉藤実盛
13 滝 27 卒業の歌
14 出征兵士
このほかの歌
01 うれしいひな祭り・花嫁人形
02 早春賦
03 荒城の月
04 夏は来ぬ
05 里の秋
06 われは海の子
07 霰三題
08 たき火
09 冬の星座
10
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