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裃騒動・農民騒動

【序】  【小川村概観】  【元文寛保年間の裃騒動】

【安永年間の農民騒動】  【結言・附記・後記】




【結言・附記・後記】


1 結言

江戸時代の小川村には右の二件が発生したことを知る。封建社会が土地の支配関係によって保たれている限り、その土地支配は永続するものではなく、被支配者である下層農民の生活困窮からの抵抗が起こり、やがてこの傾向が孤立的なものから漸次普遍化して広範なものになるに及んで、封建社会の基盤は揺らぎ崩壊するに至る。こうしたことは極めて一般的なことであるが、さてこの事実はどこにあったのか、或いは又こうした事実はどんな形で行なわれたのか。小川村の場合は特筆すべき事件ではなく、此処彼処に散在する微々たるものかもしれないが、私にとっては切実な歴史の足跡として、江戸時代中期の農民の姿が強く心に刻み込まれた。

ともあれ近代社会は封建社会の崩壊を前提とする。この場合、階級分化から生ずる地主への土地集中、そこから起こる農民騒動、そして是が封建社会を瓦解に導くものとされている。しかしここにおいて封建社会の崩壊は、農民騒動以外に経済的発達や国外事情など幾多の原因があるが、その一つの資料を得ることができた。

元文の裃騒動がそれである。百姓が百姓として一体となる前に、大前小前という階級的身分差別をなくすることが必要である。勿論、百姓一揆前にかかる身分の平等化がなくとも、相互の利害関係から大前小前が合体する場合もある。又そうしたことによって、身分の平等化が表面的でなくて推進されると思われる。

しかし小川村の場合、その歴史的背景や地域性もあるのであろうが、農民騒動前に身分の平等化が先行している。或いはこうした事実は他においても探し得られるのではないだろうか。農民騒動は形の上の支配者への反抗、換言すれば正当なる権利の主張であるが、実は内部の変質、即ち人が人として生きる平等な権利の主張は、表面的にさしたる事件とはならないゆえ、より注意すべきことである。

安永年間の農民騒動が、大前階層の者により指導され実践されたことは、小前階層との精神的な平等化を前提として考えなくてはならない。裃騒動の一件はかかる立場から見るとき、好資料であると共に深い意義があるものと思う。農民騒動における百姓の良心的な根強さも、こうした点から肯定できるのではないだろうか。勿論安永の農民騒動では裃騒動がないにしても、起こりえた事実かもしれない。しかし僅か五拾石足らずの米(と言うと語弊があるが、安永八年検地の田石高は七八五石である)の上納で村の半数近い農民が騒動を起こし、勘右衛門の切腹迄に至らしめている精神的な流れをどこに求めたらよいものだろうか。こうしてみるとき、小川村の二件が単に個別的に偶発したものとして扱うのでは納得できないように思われる。

封建社会の崩壊は突発的なものではなく、支配者の圧力の下において着々と進められている。そこには農民の内部の変質化が行なわれていることに注意せねばならない。人間解放の叫びは、理論的な言論の上においてではなく、生活に即したものとしてその萌芽が伸びていた。生きる農民は単にゴマの油としていつまでも泰然としているものではない。被支配者の中には必ず、人間解放の叫びが何らかの形で表明されているものである。こうした胎動は江戸中期のみでなく、いつの時代においても見ることができよう。小川村の場合史実を手にしてその足跡を尋ね得たのは江戸中期からのものであった。

この種の問題殊に裃騒動の如きは些細なことであるが、何処にもあるという現象ならば、それだけに普遍性を持ち、封建制度化における民主化運動を理解するため今後注意していきたい。

私の調査研究の結果はなお広漠としていて、収拾できていないが一段落とする。

2 附記

この調査研究は昨年十月に始まったが、学校の仕事と併行し多忙におわれつづけた。さいわいここに完成できたが、テーマ以外の農民の実態に多少なり触れることができたのは誠によい収穫であった。古文書の解読には閉口した。お陰で多少は読めるようにはなってきた。ここで扱ったほかに、舟渡し、山の入会権論争、鉄砲改め、榑木、天明飢饉、など曲がりなりにも何度か読み返した。

五月上旬よい機会を得て雑誌「伊那」の編集責任者として活躍しておられる牧内雅博先生に一読していただき、又在職校の竹村英雄先生にも解読には一方ならずお世話になった。なお卒論の大綱的な指導を平沢清人先生から受けた。又私と同部落の法運寺住職の田中豊春先生にもお世話になり、古文書史料は小川部落原もよさん及び松島俊治氏所蔵のもので、快くお貸しくださったご厚意には深く感謝します。   以上

◇参考とした主なもの

  古文書
   伊那郡小川実記  一冊 原もよ
   上下着用ニ付御吟味届  一冊 原もよ
   小川村記録(1,2,3)  三冊 松島俊治
   落穂集  三冊 松島俊治
   題名不明文書(小川村沿革に関したもの、その他) 原もよ
  書物
   伊那農民史考 小林郊人
   江戸時代に於ける南信濃 市村咸人
   その他(略)

3 後書

本草稿は五月二十日頃より六月十日までの二十日間という短期間に仕上げたもので、非常に不備な点がおおい。殊に結論は、いろいろと構想を練ってからと考えていたが、時間に追われ意に満たないまま提出するに至った。なお、卒論へは「伊那農民騒動の概略」を30頁ほど載せたが、後に考えてみて、それほど重要でもないと思い、この控えには省略した。

この小さい調査によって、私の歴史への感覚が再び呼び覚まされ、生々しい歴史の足跡へ目が注がれるようになったのは大きい収穫であった。又短期間に一つの仕事を仕上げ得たことは、勿論多くの方々の指導の賜なのだが、自己への自信を高めた。夜を徹したときも何回かあったが、誇張ではなく一つの経験として忘れえぬこととなるだろう。なお、北林先生の寛大な無言の後援には感謝したい。

  六月十六日    ペンをおく。


        自然

    生物が細胞からできていることは

    誰しも認めている真理である

    一日が一時間からなりたち

    城は一つの石をもととする

    人もまた 生物の範疇をいでず

                    …… 6.16 ……




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