【月見草出版へ】
この「裃騒動・農民騒動」は昭和二十九年、神稲中学(河野中学と合併して豊丘中学になっている)奉職(26才)のとき、日大の通信教育卒業論文としてまとめたもののコピーの一部である。 戦後の学制改革により教師は一級免許状の取得をすすめられ、何回かの講習に参加してきた。この講習の中味は一貫したものではなくばらばらなものであったため、二年間の通信教育を受けて免許状を取得した経緯があった。青年師範学校の卒業修学年限は14年であったため新制大学卒業修学年限16年には2年足りないというので制度上過渡期の臨時措置としてこうした講座講習がもたれていたものである。 |
米金雑穀を沢山に持ち候とて、無理に地頭代官よりも取事なく、天下泰平の御代なれば脇よりもおさえとする者無之。然れば子々孫々迄有徳に暮し、世間ききん之時も妻子下人等をも心安くはごくみ候。年貢さえすまし候えば百姓程心安きものは無之。よくよくこの趣を心がけ子々孫々に申伝え、能々身持ちをかせぎ可申もの也。(慶安御触書) |