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裃騒動・農民騒動

【序】  【小川村概観】  【元文・寛保年間の裃騒動】

【安永年間の農民騒動】  【結言・附記・後記】




この「裃騒動・農民騒動」は昭和二十九年、神稲中学(河野中学と合併して豊丘中学になっている)奉職(26才)のとき、日大の通信教育卒業論文としてまとめたもののコピーの一部である。

戦後の学制改革により教師は一級免許状の取得をすすめられ、何回かの講習に参加してきた。この講習の中味は一貫したものではなくばらばらなものであったため、二年間の通信教育を受けて免許状を取得した経緯があった。青年師範学校の卒業修学年限は14年であったため新制大学卒業修学年限16年には2年足りないというので制度上過渡期の臨時措置としてこうした講座講習がもたれていたものである。



【序】


 封建社会は土地支配関係の確固たる基盤の上に成立するものであるが、殊に封建制度の成熟を見るのは江戸時代である。しかしこの封建社会は歴史の発展段階における一つの必然的帰結であって、封建社会の完成はさらに次の時代へ移行する内部の矛盾を含んでいるものである。

土地の支配関係の上に立つ封建社会は、人間の生活から見るとき永続すべき性質のものでなくて、内部から燃え上がる人間開放の炎により完全にその弱点が打破され、崩壊していった。

 いま私はこの江戸時代の封建社会が崩壊していく過程を、被支配者の運動を通して明らかにしたい。もちろん歴史的な結論を些細な一考察により抽象するつもりではない。さらに、ここに取り上げた小川村の裃騒動ならびに小前騒動に現れた歴史の事実を一村限りの完結した事件として取り扱いたくはない。

こうした問題がありふれたものであるならば、それだけに普遍性をもつものであり、かつそれは歴史の一般法則性を追及するためにも重要な手がかりになるはずである。ただ小川村なら小川村としての歴史的条件があるために、村ごとの被支配者の自我意識の発露である農民闘争を概括し、そのうちから発展的法則を摘出するのが困難である。

こうした個別化している事実を、特殊化するのではなく普遍化するところに、今後の地方史研究の課題が残されていることには注意しなければならない。小川村の小前騒動の研究もこうした普遍化への考察として意義をもつものである。

 封建社会崩壊過程に現れる農民闘争の姿を、なぜ取り上げなくてはならないか。封建社会の存立する基盤が農民に置かれていることはすでに明白な事実である。


米金雑穀を沢山に持ち候とて、無理に地頭代官よりも取事なく、天下泰平の御代なれば脇よりもおさえとする者無之。然れば子々孫々迄有徳に暮し、世間ききん之時も妻子下人等をも心安くはごくみ候。年貢さえすまし候えば百姓程心安きものは無之。よくよくこの趣を心がけ子々孫々に申伝え、能々身持ちをかせぎ可申もの也。(慶安御触書)


こうした農民政策は貢租を通して支配される形態であり、さらに米納金納が一方的に強化される性質のものであるだけに、農民の服従は永続するものでなく、反対に支配者に対する反抗となって現れてくる。農民が胎動し始めたときにはすでに封建社会は崩壊の第一歩を踏み出しているといわねばならない。

さらに農民闘争は貢租においてのみではなく、むしろ小川村の場合では封建的な身分関係、すなわち封建制度の階級打破が先行している点に注意せねばならぬ。

そこには階級を否定する自我意識の発露とでもいうか、自分の権利が主張されている。

少なくとも裃騒動においては、支配者への反抗というはっきりしたものではなく、身分の平等が叫ばれているのである。封建社会の崩壊は、単に支配者被支配者間の軋轢問題のみでなく、かような農民意識の変質に大きい問題が内包されている。こうした点において小川村農民が騒動を起こしている姿は、充分考察さるべき性質をもつものである。

 封建社会の残影は今日においてもなお多く認めることができる。封建社会の崩壊はペルーによって代表される海外の歴史の流れに刺激されて、決定的なものになったが、維新後の革新運動は封建社会の内部構造を根底より変革することはできなかった。

しかし維新以前、すでに緩慢ではあるが近代化への動き、すなわち人間の権力からの解放の萌芽を見ることができる。現代社会の性格を理解するには、封建社会の構造、性格を把握することにより一層着実なものとなる。

われわれ農民の祖先が、支配者の権力に屈せず、農民解放の闘争を続けてきた事実は、たんに封建社会崩壊期の農民闘争の類型を、史的発展の立場から知るのみでなく、さらに我々に不屈の農民精神を呼び起こし、権力からの解放運動に無限の力添えとなりえることを教えている。

これは小川村の調査研究によって得ることができるものである。こうしたものが、現代社会の封建制を改善する予備知識として、あるいは支配権力に抵抗する迫力を与えるものとして知る必要がある。

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