私たちの祖先 3

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〔 私たちの祖先 3 〕の内容

〔 万葉集の謎 〕 : 万葉集という言葉の意味 日本人そっくりのレプチャ人 同じ言葉が1500 母音、子音の混同 ハ行音の発音はあった 日本列島への三つの波 日本人の祖先は、ヒマラヤ地方に住んでいた 枕詞の分解 地名の解剖 東歌の恋愛歌 庶民語と豪族語

〔 万葉集の謎 〕

万葉集という言葉の意味
 チベット語でビャン、マンは歌になっている。レプチャ語でヨーは「よい」「すぐれた」「りっぱな」という形容詞になっている。レプチャ語でシュ、シューは「集まり」「集めたもの」になっていて名詞である。そうすると、マン=ヨー=シューは、「すぐれた歌を集めたもの」つまり名歌集の意味である。

日本人そっくりのレプチャ人
 ネパールとブータンの中間にある東ヒマラヤの谷間にレプチャという弱小民族が住んでいる。彼等は自分たちをロン、つまり「谷間の人」とよんでいるが、ネパール人はロンが非常に古い言葉を使っているので、彼等をレプチャと呼び、何時の間にかそれが彼等の名前になった。
 彼等の顔は日本人そっくりで、フーカーは「手は小さくて華奢である。男には髭がまるでなくて女のように優しい顔をしている。性質も実に優しい」といっている。オンブの仕方も日本人そのままで、ボンボといい、赤ん坊を寝かすことをネーネーと言う。あぐらも日本人そっくりである。レプチャ語学者マナーリングは「彼等は実に平和なおとなしい民族である。それは彼等の言葉に、愛情と同情を示す言葉はじつに沢山あるが、人をののしる言葉がないことからも明らかである。
・しかし今日では、この美しい言葉はしだいに消滅していく」と嘆いています。
 1901年の人口は19291人である。
 1876年 英 マナーリング「レプチャ語文法」ベンガル州駐屯軍司令官
 1898年 独 ヴェーデル「レプチャ語辞典」マナーリング遺稿整理出版
 1937年 英 モーリス「レプチャ人との生活」半年の生活記、民族学者

同じ言葉が1500
・1937(昭和12)年元大阪高校教授アメリカ人パーカーはチベット・ビルマ語と日本語は同系だと唱えたが、レプチャ語に気が付かなかった。
・安田氏はレプチャ語辞典を手に入れ一語一語調べて、ついに1500もの祖語を拾い出した。
  ミソ(虫バ)、ニョ・ボ(背の高い人)、チュ(疑問詞)、クタ(煮る)、
  アカン(一致しない、正反対)、マク(死ぬ)、テマ(時間)、カサ(発疹)
・万葉集 レプチャ語が主でチベット語の方は少ない。
・古事記 レプチャ語が土台で、チベット語が相当多く入り、サンスクリットも入っている。
・きみが目をみまくほりしてこの二夜 千歳のごともわが恋ふるかも 万葉集2381
 きみ→チベット語でkyimキミは夫になっている。
 目→レプチャ語ではミク、ヒマラヤ方言ではミ、メである。
 まくほり→レプチャ語ではマクmek もハルhar もホルも「欲する」の意。
 夜→ミャル、ミョル、ヨルは「暗くなる」で夜の意味。
 歳→チベット語ではヅシ、ドセは年である。
 ごとも→レプチャ語のマト=サはモト、ゴトとなり、サは形容詞の助詞で、日本では、チベット語のキがついたもので「たとえられる」の意味。
 恋→レプチャ語のゴ=ヴィンは恋の意味。
 かも→か、も両方共に、強めの助詞、前句の「ごとも」のも、も同様強めの助詞。
・和名抄では852年にはやった疱瘡をモカサと呼んでいる。レプチャ語のモmoは大きいとなっているし、サンスクリット語のカサkhasa はかゆい皮膚病とか発疹を表すので、モカサは「大きな発疹」で、たしかに今日でいう天然痘である。
・結局、日本語の祖形としてレプチャ語250、チベット語1000、サンスクリット500が、万葉集、古事記、和名抄から発見できる。

母音、子音の混同
・レプチャ人は、アイウエオの母音を非常に混同する民族で、レプチャ語辞典の編者マナーリングは相当まいった。まず母音関係をあげる。
@アとウは混同される。タムtsamは人の集まる場所で日本語のタマリはこれに由来している。
Aオとウは混同される。コルkor はまわる意だがクルとも発音され、クルクルコロがるは共にそのまま日本語。
Bアとオは混同される。ハルhar ハリhariは「欲する」であるが、ホル、ホリとも発音される。万葉の「見まくほりして」のホリ。
Cオはエと混同される。ゴルgor は蹴るの意でゲルとも発音され、このゲルが日本でケルになった。
Dイは文字でユとかく。ユトyut は瞬間の意で、イトとも発音され、日本でイト(瞬間)マ(時間)のイトとなった。
Eアとエは混同される。パトpat は「疲れる」であるが、ペトとも発音され、日本でペトがヘトヘトになった。
Fエとイも混同される。チェンtyenは、でこぼこのとか一様でないという形容詞でチンとも発音された。マムmam がバグbaguとなり不規則の意、従ってチンバはそのままの語形である。
・レプチャ人は、子音もいろいろに混同している。勿論これにも規則がある。
Gkとmの混同。チクtik は男の性器であるが、チムとも発音されている。チンチンとかチンボというようになった。
Hpとmの混同。コロプklopは布や着物であるが、コロモになった。
Iiとyuの混同。イi は「水を沸騰点まであたためる」という意であるが、ユyu湯となった。
Jjとyの混同。ジャンjan ジャムjam は山であるが、これがヤン、ヤムと発音され、これが日本でヤマになった。
Kmとbの混同。ねむたい=ねぶたい、つめたい=つべたい、さむい=さぶい
  レプチャ語  古事記   民衆語        意味
  マリmari   マリ、クソ バッヂ、ババヂ、ババ 大便、きたない
  ボンbon    モノ (ものいえば唇寒し云々の、もの「言葉」になった)

ハ行音の発音はあった
 日本の言語学者によれば、古代日本人はハ行音の発音ができず、半濁音に発音していた、というのが常識でp↓v↓f↓hになったという。もしそうだとすると、古代日本人はどう笑ったのか、ハ行音でパパパではそれこそおかしい。
 レプチャ語には二重子音や三重子音があるし、語尾はすべて子音で終わっている。ところが日本語では、祖形の二重子音や三重子音がすべて母音化されており、語尾もかたっぱしから母音化されている。これは先住民の影響ではなく、むしろ支配階級の天孫族がつかっていたサンスクリットの影響であると思われる。サンスクリットは母音のおおい言葉で、語尾もたいてい母音化されている。従って私たちが毎日つかっているサンスクリット系の日本語は、祖形の発音とすこしも変わっていない。ただ例外として「ア」が「イ」に変わっているのが特徴である。たとえば、黄金はニシカであるが、これがニシキ(nishka↓nishiki )に変わっているし、くしゃみはクシャヴァであるが、これがクシヤミ(kshava↓kushami )に変わっている。紀元前に日本へきたヒマラヤ族は、はじめは子音の多いなまのレプチャ語をしゃべっていたが、あとからきた天孫族の影響によって、二重子音、三重子音、語尾子音をむりやりに母音化しようとした。この傾向は万葉集で一番いちじるしい。たとえば、レプチャ語の布や着物はコロップ(klop)であるが、これがコロモ(kolomo)になったし、「古い」はフリュップであるが、これがフルキ(hryup ↓huruki)になった。

日本列島への三つの波
@第一波 クマに乗ってきたマレー族
・彼等は南支那海の沿岸に住んでいた古代海人族で、紀元前にクバン(kbang )と呼ばれた船に乗って、南九州におしかけてきて、そこを根城として太平洋沿岸と日本海沿岸に広がった。このクバンが古代日本でクマノ、クマヌ、クマ、クモ、クヌ、クメなどと発音されて、彼等の種族や地名になった。
       ・例えばクマノやクマヌは熊のである。クマは熊襲のクマである。クモは土蜘蛛のクモで、ツチは酋長である。クヌは倭人伝のクヌ(狗奴)で、つまり、南九州は先住民としてのクマ、クモ、クヌ、クメなどの大きな根拠地であったわけである。従って先住民の神様としての熊野神社のひろがりをつけば、原マレー族のひろがりが掴めるとおもわれる。彼等の言葉は日本語の主流とはならなかったが、それでも単語や抱き合わせの言葉として相当たくさん残っている。
・例えば、鯛、鯉、エビ、針、網、塩、アク(灰)、臍、刺身などがある。
A第2波 鉄器を持ってきたヒマラヤ族
・古代チベット人はヒマラヤヤマ山人族をひっくるめて、モンとかツミとよんでいた。このモンが古代日本で物部や大物主となり、ツミのほうは日本書紀でいう山祇、つまり大山津見のツミになった。
・このモン族は古代から有名な交易民族で、チベットへ茶や米を運び、ベンガル方面に盛んに塩を買い出しにいった。そうした関係から山住いのモン族は、非常に早くにベンガルの沿岸に進出して、海人族としてのサンタル族から漁撈や航海術を学び、更に交易民族としての本領を発揮して、今度は海上に進出するようになった。これが古事記にでてくる安曇族である。インドのアソカ王(?―250bc)がインド人の海外進出を奨励したという記事もあるから、モン族の日本進出はだいたい紀元前二世紀頃だとかんがえてもよい。
・カンボジアは紀元前からインドの古い植民地であった。彼等はヒマラヤの奥地からベンガル、カンボジア、安南、広東、日本への交通路をたどって、八重の潮路をおしわけて、東海の孤島に進出するようになった。
・モン族は場末文明とはいっても、先住民の原マレー族にくらべれば、いやしくも古代インド文明を身につけたアジアの優秀民族であった。彼等がもたらした文明品の中で、いちばん大切なものは鉄器で、インドの農具と工具を日本へもってやってきた。その証拠に、クワ、カマ、ノコ、キリ、ツチ、デバ、クギ、カマ(釜)という日本語が、レプチャ語やチベット語に全部そろっている。
B自由を求めてきた天孫族
・先発隊のモン族の成功を聞いて、第三の波として押しかけてきたのが天孫族であった。天孫族もモン族の一派であるが、先住地では相当の資本を持った支配階級で、庶民語としてのレプチャ語を土台として、その当時一番はいからとされたチベット語やサンスクリットも知っていた。この天孫族は先発隊の大山津見をたよりに、やはりベンガルから、先と同じ経路をたどって、紀元後に南九州にやってきた。彼等は別に侵略軍として武装して日本へ上陸したのではない。彼等も先住地では、アーリア族やペルシャ族にたえずおされて、一向うだつのあがらぬ不平組であって、新しい日本で自由な空気が吸いたかったのである。 
・天孫族がその後、日本を統一するようになったのは、彼等が先発隊のモン族より一層高いインド文明を身につけたインテリであったからである。

日本人の祖先は、ヒマラヤ地方に住んでいた
@サルダヒコはインドの象
・古事記上巻「猿田毘古神の嚮導」、日本書紀巻の第二神代の下「天孫降臨別伝(一書の一)」参照
・天孫族の指導者ニニギが沢山の家来とウズメ(チベット語による女の妖術師)を連れて南に向かってどんどん歩いていったところ、ヤチマタで奇妙なおばけサルダヒコ(鼻の長さ七咫、背中が七尋もある)にでくわした。そこでウズメの頭が胸乳を出しておばけのそばへいき、「お前さんは一体誰ですか」と聞いてみた。すると「私はサルダヒコと申します。あなたがたがはるばるお越しになると伺っていたものですから、一つ道案内をしてあげようと思って、実はお待ちしていたところでございます」と答えた。そこで一行はサルダヒコの道案内で、無事に日本へたどりつきました。 ・このおばけは、誰が考えてもインド名物の象でなくてはならない。そこでまずレプチャ語で象を探すと、第一がサムモ、サンモ、第二がルンモ、ルモ、第三がチャンモ、チェンモ、テンモである。一方チベット語では象をグラン或いはグランポケ、ダンポケ、ダピコになっている。そうすると、サルダヒコのダヒコは、誰が何と言ってもチベット語の象である。ところがレプチャ語のサンもルンもやはり象であるから、サ(象)ル(象)ダヒコ(象)は、象を三つ重ねたしゃれである。
A天狗は象である。
 レプチャ語の象にあたる第三のテンモはテンム、テングとも発音できる。このテングは、誰が考えても天狗である。たしかに天狗は鼻が高いが、象もまた鼻が長いのが特徴である。
B冬の言葉はヒマラヤの言葉からきている。
・マレー語のスズクは「寒い」、これは日本の「涼しい」で、これ以外冬に関する言葉はない。
・レプチャ語ヒャンhyanは「寒い」「冷たい」→ヒャッコイ風だ、ヒヤリとする、ヒヤ酒一杯、ヒヤ汗をかくなど。
・ネパール語ヒウhiu は「雪、氷、霜」→日本の「冷ゆ」である。
・クマオニ語フユーンhyunは「冬」→日本の冬そのままである。
・レプチャ語キョンkyonは「雪」→「雪やコンコン、霰やコンコン」のコンである。
C月の異名はヒマラヤ人、そのままである。
 月  異名 ヒマラヤ 説     明
 一 睦月 雷の月  レプチャ語で雷はブルクhbrug で、是をムヅキmdugム
           ツキとも発音できる。
 二 如月 鷹の月  チベット語で鷹はキラkra キサで、二月になる。
 三 弥生 馬の月  レプチャ語で三月をマルニョムmarnyom 、マヨビ、バ
            ヨビといい、ヤヨヒになっていった。
 四 卯月 羊の月  チベット語で羊をルゥクlug という。ウ(lgの子音脱
           落)ヅキは羊の月になる。
 五 皐月 猿の月  チベット語で猿をサルポという。サ(猿)ツキ(月)
           で六月をあらわします。
 六 水無月鼠の月  チベット語で鼠をビバbyiba 、ミであるから、ミ(鼠)
           ナ(の)ツキは、やはり鼠の月である。
 七 文月 鳥の月  レプチャ語で鳥をフヴィfuvu、フミというからして、
           フミ(鳥)ツキ(月)は鳥の月になる。
 八 葉月 犬の月  レプチャ語で犬をパリpaliという。そうするとハ(犬)
           ツキ(月)は犬の月になる。
 九 長月 豚の月  レプチャ語でナムnam 、ナガは「輝き」でナガツキは
           輝きの月、つまり酷暑の月ですじがとおる。
一〇 神無月牛の月  チベット語で牛をガンghanというからカン(牛)ナ
           (の)ツキは、はっきり牛の月である。
一一 霜月 虎の月  レプチャ語で虎をササムsatan 、サシモという。だか
           らシモツキはちゃんと虎の月となる。
一二 師走 勝利の月 レプチャ語で勝利をギャルgyal、ギヴァスgvasという。
           つまりシハスである。
・サンスクリットでは、月はスチsuciであるが、チベット語ではジラバzlaba 、レプチャ語ではラヴォlavoになっている。そうすると、日本語の月はサンスクリットである。ところがチベット語のジラバも古代日本に持ち込まれて、シラマと発音され、やはり月の意味に使われた。
  天の原 ふりさけみれば しらま弓
           ひきてかくせる 夜道はよけむ   万葉集 289

枕詞の分解
 三つの民族の結合証拠、従来の説明はデタラメ
・国文学者の枕詞の説明はどれを読んでも難しくて、素人にはぴったりこない。若し、国文学者の説明が本当なら、古代日本人というものは、よくもこういう難しいことを頭において歌を作ったものだと感心せずにはおられない。例えば、ヌバタマという言葉がある。これは夜や「黒い」の枕詞になっている。国文学者によると、ヌバタマというのは、カラスオオギという植物の実のことで、その実が黒いから、ヌバタマは夜や黒いの枕詞になった、というのがその説明である。これでは何のことか分からない。タマボコという枕詞がある。国文学者の説明によると、奈良時代には、道端へ魔除けのために、ヒイラギの長いホコを立てたから、タマボコが道の枕詞になったという。それではヒイラギがどうしてタマボコになったかは、一向説明されていない。
・次に簡単であるが、枕詞をいくつかあげてみる。(万葉集より)
@ぬばたまの (射干玉の)黒、夜、月、夢、暗、宵
  ぬばたまのこの夜なあけそあからひく 朝ゆく君を待てば苦しも(2389)
        チベット語ヌブnub 、ヌバは夜である。
        サンスクリット タマtamaは夜である。
        モン語 ミャル、ヨルは夜である。
Aあからひく 朝、肌
  あからひく肌もふれずてねたれども 心をけには我が思わなくに(2399)
        レプチャ語 ルカラlukkal、アカラは朝である。
        レプチャ語 アソンason、アサはそのまま朝である。
        レプチャ語 アカルakryu 、アカラは皮膚や肌である。
Bたまぼこの (玉桙の)道、みちのく、里
  恋ひ死なば恋ひも死ぬとや玉桙の 道ゆき人に言もつげけむ  (2370)
        チベット語 ラムlam は道 l→d→t タマ
        レプチャ語 ロムlom は道
        レプチャ語 ブルクbluk、ブク、ボコは小道である。
Cくさまくら (草枕)旅、夕、むすぶ、露
  家にあれば笥にもる飯を草枕 旅にしあれば椎の葉にもる   (142)
        チベット語 グルルhgrull、グル、グサ、クサは旅行する
Dたまのを  心の枕詞  レプチャ語 タマ(心)ノ(の)ヲ(心)
Eむらきも  心の枕詞  チベット語 ムラ(心)キモ(心)
Fその他   たまきはる 命      あまさかる 遠い道 田舎 地方
       くさつつみ 病      ももしきの 沢山の家 宮 都
       ひさかたの 天      さすたけの 政治をする 宮 都
       たらちねの 母      やまたずね 迎える枕詞
       たまづさの 使い     いわばしる 走る    水 海
       あかねさす 紫      あをによし 沢山の人が集まる所

地名の解剖
@つくし(筑紫)の語源
 紀元前に、ヒマラヤのモン族が、日本列島へはじめて上陸した地点は北九州で、彼等はそこを筑紫とよんだ。それでは筑紫はどういう意味だろうか。
 レプチャ語でツクtsukは太陽になっている。シciは「大きい」となっている。形容詞を後へつければ、ツク(太陽)シ(大きい)は「大きい太陽」になってしまう。日本の古い地名や人名では、修飾語や形容詞が名詞のうしろへつくのが特徴である。
 しかしこれけだけでは、こじつけだとたたかれても文句のいいようもない。ここで第二のキメ手が必要である。このキメ手が、万葉集の枕詞である。
  しらぬひの筑紫の綿は身につけて     
                          いまだは着ねどあたたかにみゆ  万葉集  (336)
 というようにシラヌヒが筑紫の枕詞になっている。レプチャ語では太陽はツクシのツクの他にニマnyima とかニムnyimヌムともよばれている。古代日本ではこのヌムが、ヌビからヌヒとも発音されていた。したがってヌヒは太陽である。一方チルcil シル、シラは「輝く」になっている。そうするとシラ(輝く)ヌヒ(太陽)ノ(の)ツク(太陽)シ(大きな)は「輝く太陽の大きな太陽」になってしまう。
Aやまと(大和)の語源
 レプチャ語で、タリャンtalyanテリャンは、天や空を意味する大切な言葉で、太陽のときは語尾にモをつけて、タリャンモといっている。奄美大島では、今日でも太陽をテダンと呼んでいるが、これも祖形のリャンをダンと発音したもので、はっきりテリャンに結びつく。このことからも、モン族は太陽のことをツクのほかに、テリャン、テリャムといっていた。彼等は次第に語頭のタを落として、リャムをヤムと発音し、太陽をヤムやヤマというようになった。
 こうかんがえるとヤマトのヤマはどうしても太陽でなくてはならない。この場合、レプチャ語でトtoは「大きい」になっているから、ヤマ(太陽)ト(大きい」は、筑紫と同じようにやはり「大きな太陽」になってしまう。だから邪馬台はヤマトである。ひょっとすると、そのころ日本にきた中国人は、ヤマトのトが「大きい」という意味であることをきいて、大をシャレて台と書いたのかもしれない。
Bあすか(飛鳥)の語源
 カシハラの次の都はアスカであるが、これは万葉ガナでは飛鳥とも書かれて「飛ぶとりの明日香の里を・・・」というように、飛ぶ鳥がアスカの枕詞になっている。これに対して国文学者の説明はない。レプチャ語でヅュルdyurは若い、アヅュルadyur 、アヅュル、アスは「これから巣立ちをしようとする若い鳥」となっている。一方サンスクリットでカkha は太陽であるから、アス(若い)カ(太陽)は結局「これから巣立ちをしようとする鳥のような、若い太陽」となって、飛ぶ鳥の意味がちゃんと生きてくる。
Cその他、近江、橿原、春日、富士、甲斐、武蔵、埼玉、上野など。

10東歌の恋愛歌
 万葉集の新しい読み方から、古代日本人の恋愛や結婚については、いきいきとした世界が開けてくる。

◎巻一四 3367
  ももづ島 あしがらをぶね あるきおほみ 目こそかるらめ 心はもへど

 沢山の島のように、仕事が山ほどある  沢山の島を、足柄の小船は、いくと
 ので、心には思うておられるかもしれ  ころが多いので、会うことがとぎれ
 ないが、会うことがさまたげられてい  るのだろう。心には思うているのだ
 るのにちがいない。          が。
(レ)アシ→多い            ギャ、ガ→数詞の百で、多い意味
   ユヴン、ヲブネ→労働
   アシ(沢山)ガ(沢山)ラ(の)ヲブネ(労働)
   パァロム、アルク→多い      ピャル、カル→妨げられる
   ラメ→仮定、推量の助動詞     ボロン、オホ→多い(ボロもうけ)
   ドム、ド→接続詞、・・にかかわらず

◎巻一四 3361
  足柄の をてもこのもに さすわなの かなるましづみ ころ我紐とく

 足柄山のあちらこちらにさしてあるワ  足柄山のあちらこちらにかけるワナ
 ナが、ちょうど鳥やけだものの足にか  のように、そのあいだ物音をひそめ
 らみつくように、妻とわたしは、お互  て、あの子とおれが紐をといた。
 いにからみついて紐をといた。
 (レ)オレ、ヲテ→遠い        ボン、コノ→近い
 (チ)ノ、モ→方向、四方のモ     ヲテモ、コノモ→遠い方や近い方
 (レ)カン、カナ→足         ロプ、ルマ→からみつく
 (チ)チヅ、シヅ→からみつく     カナルマシヅ→足にからみつく
    ニ、ミ→同じという形容詞
    アシ(沢山の)ガ(沢山)ラ(の)ヤマ(山)
    箱根→ハコ(大きな)ネ(山)

◎巻一四 3358
  さぬらくは たまのをばかり 恋ふらくは 富士の高嶺の なるさわのごと

 蛇は長いだけでなく、恋するときは、  寝ることは魂ばかりであって、恋を
 富士の高嶺の噴火口のように、燃える  することは、富士の高嶺の鳴沢のよ
 ような精力をもっているぞ。      うに知れわたっている。
 (レ)サヌ・ラク→蛇         ラム、タマ→石や玉
    ポ、ヲ→玉をつなぐ紐・タマノヲは玉の紐で長い意味である。
    ラク→欲する、恋う(このラクは「したく思う」のタクにもなっている)
    バ、ハ→するときはの意味    ナル→精力、情熱
 (チ)サム、サハ→熱い        ゴト→にくらべられる。

◎巻一四 3393
  筑波嶺の をてもこのもに もりべすえ 母いもれども たまぞあいける

 筑波山のあちらこちらに、番人をおい  筑波山のあちらこちらに、守部を居
 て、わたしのおかあさんは、あなたが  らして守るごとく、母は守るけれど
 忍びこまないように監視していますが、 も、魂はあってしまった。
 私たちの心は、ちゃんと結びついてし
 まいました。
 (レ)ゴルボ、モリベ→番人      スレ、スエ→おく、すえる
    ゴル、モル→監視する、見張る  ダァム、アフ→結びつく

◎巻一四 3566
  わぎもこに 我が恋い死なば そわへかも かみにおほせむ 心知らずて

 妻に恋いこがれて、もしおれが死んだ  自分の妻に恋うて、私が死んだなら
 ら、死神までがそれを運命のせいにす  そのむくいを神様におわそう、心な
 るだろう。おれの心を知らずに。    しなので。
 (レ)ソバ・マ→急死の魔       (チ)ヘカ→魔 ソワヘカ→死神
 (レ)キャン、カミ→運命       ビャツ、オホス→なすりつける
    ガン、バ→もしならば(仮定)

◎巻一四 3495
  いわほろの そひの若松 かぎりとや 君がきまさぬ うらもとなくも

 岩山のむこうがわにある若い松が、あ  岩のそばの若松のように、これが最
 の岩山にへだてられているように、あ  後だといって、あなたはおいでにな
 なたも誰かに邪魔されておいでになら  らない。心ぼそいことだ。
 いのは、悲しいことですわ。
 (レ)ホロ↓山            ソビ、ソヒ→反対側、うしろ
    カム、カギ→へだてられている  ト→のように ヤは強めの助詞
    ウラモトナ→悲しい(形容詞)  キ、ク→形容詞の助詞(東歌ではキ
                    がクに変わっているのが特徴である)

  ◎巻一四 3485
  つるぎたち 身にそう妹を とりみかね ねをぞ泣きつる てこにあらなくに

 自分によりそう妻と、どうしてもトリ  剣太刀のように、身にそった妻を守
 することができなかったので、妻は娘  りえないで、泣いてしまった。娘っ
 でもなかったのに、しくしく泣きだし  こではないのだが。
 た。
 (レ)ツル、トル、スル、ヤル→性交  マカネ、ミカネ→できない