【8-2】「来てやったぞー」2
■ プロセスに従うこと
このような取り組み方について知らない人はちょっとショックな内容だったの
ではないでしょうか。
一見幼稚あるいは唐突にも思えるこの方法はその場で自然に出来上がった流れ
なのです。決して私の創作ではありません。
分かりやすくするために流れをプロセス1〜3に分けました。
□ プロセス1
Nさんはあるリアルな世界に出会います。
ここで我々を驚かすのは、
Nさんは喘息という症状の立場に立つと体ごとに居心地がいいことです。
そして喘息に怯えている私のことをクスクス笑ってしまうのです。
それは私も予測してはいませんでした。
□ プロセス2
「本当の自分っていう感じがしてきた。本来のタイプとしての自分に近づいた
気がします。」と彼女は言っています。
体にはタイプというのがあります。
音楽をかけ、洗濯をし、子供に明日の学校の準備をさせながら料理を作ってい
たりするながら族的な生活をすると生き生きしてくる体もあれば、
余分なことには目もくれず何か一つの事にずずーっと集中している体、何故そ
れをするのかという理由が行動のきっかけになる体、負けん気一本で常に先回
りする闘争主体の体もあります。
先回りする神経質な親に育てられる、何故派、おっとり派の体の子供は大変で
す。行動する前に考える習性や感覚が本態なのに行動してから考える勢いに押
されるので混乱するのです。
簡単にいうと「今ここ」に居ることを許されないのです。
彼女の体のタイプは本当にタイプとしても神経質というよりゆっくりテンポな
のです。こういう人はお産もゆっくりです。
医者は時々慌てて無理に出産させようとして薬を打ったり切ったりするようで
すが体と子供にとってはいい迷惑です。このタイプは美人が多いです。
だから彼女のこの言葉にはリアル感があったのです。
おう揚なパーソナリティーは彼女の場合中心にあって当たり前なのです。
普通はその当たり前で癖になりやすい自分に浸り、同化一体化しすぎて他のパ
ーソナリティーを脇へ押しやりがちになるのです。
そのために姿勢もエネルギーも偏より、しわ寄せとしてタイプ別のわずらい方
ができてしまうのです。
だからこのケースはそれとは逆だったことになります。
別の比ゆ的な表現をすると、
例えば西郷隆盛みたいなおっとりとした人格が中央集権としてどーんと中心に
座っているはずが、他国の顔色を気にする神経質な人格が中央に座ってしまっ
ていたのです。
だから体の葛藤を解消しようとして喘息を起こしていたのです。
□ プロセス3
ここではそのことが明確になってきました。しかも中央に戻った彼女(エネル
ギー)は神経質な側を責めたり追放しようとしたりしてはいません。
温かくおっとりと包むような
「来てやったぞー」の一言にはこれだけの深さがありました。
言葉 ― 言の葉 ― 波 ― 波動 ― 魂 ― 言魂 ― 霊
と連鎖させ「素晴らしい!」という言葉には力があるとか、
ヒト=霊人、ひ ふ み よ等の音にその源流を求めるあり方があります。
発声する呼吸は無音呼吸と違って丹田に余分に力が集まり、体と声帯が楽器化
されるので、内的な働きも合わせての波長が生じるというのはそれなりにうな
づけます。
だから、そういう音の共鳴が人を感化することも分からないでもありませんし、
祝詞やマントラなどを通して原型的なエネルギーに感化される心の作用がある
ことも私は価値のあることだと思います。
しかし、ここでの彼女の言葉は、そういう音のビタミンみたいなリクツでは説
明がつきません。
このプロセスが彼女にとってより自然をもたらすものかどうかは、
最終的な【目つき<心>、動作<体>、声のトーン<言葉>すべてが一致】
という現象で確認できました。
その後、彼女は一度も喘息を起こしていません。
たぶん、彼女の体の葛藤、ココロの葛藤は彼女の元の家族全体の葛藤と相似形
だったのでしょう。
意識化はされていなかったけど、それが彼女の中で統合されようとしていたか
らワークも可能だったのでしょう。
体のタイプの話が出てしまいました。このような説明をすると体のタイプにつ
いて出し惜しみしているみたいで申し訳ありません。
しかし、
喘息症状[ 脅かす側 ] と 神経質な[ 脅かされる側 ]
最初に、この二つにバッサリと分けてしまったことで、タイプをカバーし、全
てに筋の通る展開となっていることにご注目ください。
人の体は素晴らしい、実にアイデアに満ちています。
☆【 来てやったぞー2 】
■ プロセスに従うこと
□ プロセス1 □ プロセス2 □ プロセス3
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