\喘息 のち 晴れ!/
【7-1】やだー!できないよぉー2


■ アレルギー

N君が説明した胸の状況についてその特徴の一つは立体的で空間的です。だか
ら私はその状況をその場に作ってみました。

この発想はもうフツウからしたら荒唐無稽も甚だしいかぎりです。
本人は今息が苦しいのですから。

でも映画マトリックスほどには突飛ではないと私は考えています。

なぜなら、勝手に作られたデジタルイメージの世界に入るのではなく、今リア
ルに感じていることをつまみ出したのですからバーチャルではありません。

私にの中に有った思いは、

今起きている症状という「体の葛藤=力のせめぎ合い」この中に、彼自身がこ
の症状を克服するに至るリアルな何かが含まれるはずだ。

これでした。

N君の症状に対する説明が空間的ではなく全然別の要素をもっていたら、それ
に従うしかありませんでしたが、それは空間的でもあり動きを伴っていました。

とにかくこのバーチャルではない現実に意識的に入り込む、つまり、神経的学
的な理解を借りて状況を説明するなら、迷走神経の緊張と、交感神経の緊張が
せめぎあっている葛藤の現場に分け入ったことになります。


どっちが向かい風かというと、交感神経であり、野性的な生き様です。

普通は「病気に負けいまい」「病気に対してくじけまい」とするか、させてし
まうのです。

私の求め方はそうではないのです。ここはハッキリしています。

起きていることは何か意味があることと尊重して、その後に、力が劣勢である
側に本人に加担させようというあり方なのです。

彼の体の中で交感神経の作用がちょん切れたり何らかの理由で一切働かなくな
ったものなら、気管が細くなる程度のことでは済んでいないでしょう。

力の拮抗がないなら治りはしないでしょう。

喘息でないときもあるということは、神経自体の拮抗力はあるのです。

どちらかの神経が興奮して偏ったために症状が起きているとしても、存在を許
されず締め出されていた力も陰に隠れていたはずなのです。

一般には喘息改善の方法の中には自立心が乏しいからと無理やり孤独な立場に
追いやって鍛えるという方法を取っている場合があります。

そういう求め方の元には「本人が弱いから、病気に負けない強い人間にしよう、
鍛えよう、自立させよう」という捉え方、肯定の仕方があるはずです。

本人がその方法に魅力を感じて自発的に行動するなら、それは効果があるかも
しれません。

しかし、冷たい刺激というのはそれに見合うだけの温かさを必要とするのです。

それに、そういう思い込み方自体が既に本人を弱いものとして認めてしまうと
ころにいます。

ここにある根底の構造は、

           [ 症状 ]×[ 病気と闘う ] です。

これでは、下痢は体の毒素を出そうとしている自然適応に対してそのこと自体
を悪いものとして闘うという発想と近いものがあると私は感じます。


私がやったことはそれとは全然質を異にしているのです。
詳しく説明すると以下のようになります。

[ 症状 ]→[ 感じ方を現実化 ]→[ 劣勢勢力を見いだす ]

(その立場が呼吸器の交感神経を鼓舞する可能性があるかどうかを見定める)

[ 迷走神経緊張側(優勢) ]×[ 交感神経緊張(劣勢) ]

(劣勢の側)に本人の意志、興味を尊重して意識的にたってもらう<冷たさ>

(優勢の側)の人には悪役を演じてもらい激励もさせる<温かさ>

こうやって今書いてみて驚くのですが、その時こんなに分析的には考えてはい
ないのですが、結構バランスがとれていることに感激してます。


  尊重はある意味温かさですから【 温+冷 】
  悪友が激励するという    【 冷+温 】


まるであのかみ合った陰陽の巴のマークみたい。^/^

温かさを単なる人情としないきつさはありますが、なかなかバランスがよい。

この方法は、治る方法を持っていって差し出すのとは質を全く異にしているの
をご理解ください。

そして、この全ての発端が現在起きている症状からスタートしていることも再
度ご認識ください。

作り事を書いているのではありません。

いや、作り事です。



                カラダの



自然性維持力のバランス欲求に従うということは、既に起きていることの中に
情報性があり、そこには「どのように変わろうとしているかの方向性がある」
と先に説明いたしました。

私がそう思っているからそうなるのか、自然現象が本来そのようなものなのか
について、私はあまり科学的に説明をつけることができません。

ただ、このケースでは、「 布団が恐い 」のケースと違ってストレートに交感
神経を鼓舞するような道を辿っています。

体は季節や環境と共に常に変化していますので、やたらワークをすれば良いと
は私は考えてはいません。


しかし、ここにはよく観察すると他にも興味深い現象があるのです。


     アレルギー改善の示唆を与えられてはいないでしょうか?


息が(空気)が入ってこない、これは彼の実感です。

息の側かからしたら「気管が細くなるから入っていけない」です。

アレルギー現象は体がある物質を受け入れかねている現象のはずです。

もし、本当に空気の中に含まれているアレルゲンを体が受け入れかねているた
めに発作が起きているなら、カラダが「嫌だー!」と言っているというわけで
す。

テレビでこんな放映がありました。

最近アレルギーの人が増えている。現代は生活環境が清潔になりすぎている。
抗菌処理能力のある商品も沢山出ている。

これに対する対策は不潔にすることである。簡単に言うと慣れちゃえばいい。

このように免疫学の権威がコンピューターグラフィックを使って色々な角度か
ら説明をしておりました。確かNHKでした。


ですから、それは、


いわゆる、つまり‥‥早い話、


体に、それに対する受け入れ態勢が自力で身につけばよいことになります。


N君の体がカビに反応したのか、ダニなのか、空気に含まれている何らかなの
か、いわゆる家庭内のムードとしての空気なのか、季節の変化なのか私には分
かってはいませんでした。

比ゆ的に表現するなら結果的に、N君は花粉症でいうなら、花粉の側に回って
行動したことは確かです。

彼はアレルゲンの側に立ったのだったと比ゆ的には表現できるはずです。


相手の身になることが出来たのです。我々日本人が好きな常識的な思想です。


そして彼が空間的に作られた気管の中に突入したことは、

ここが大事だと思うのですが‥‥、



    同時にアレルゲンを自分の中に受け入れたことになります。




私はアレルギー症状を持っている人のワークをもっと沢山やらせて欲しいと思
います。


こんなことをいうと、
私は沢山の会社から営業妨害だと訴えられるのでしょうか。

それこそ私はとんでもないアレルギーを起こすかもしれない。

うーん、もうとんでもない世界に突入しているよなー。  ^/^;


これは気合を入れ直さないといけないかな。

私なりにヒトの健康を願っているのだけど‥‥。

どうか皆さん、私を激励してやってくださいまし。

政治家のような煩い演説は致しませんので。



あれは確かに受け入れられないよな‥‥。ま、でも一過性だからいいか。


                         アレルゲン・カネミツ

次回・‥…→☆【 来てやったぞー 】 

■ 劇的なワーク
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