ja1cvfとその出会い。 その1

 

記憶にある電気との出会い。

かなり昔のことで時代のずれがあるかもしれません。

1941年 東京生まれ。 戦後の東京はひどいものでした。

エネルギーに関していえば電気は比較的早く回復したのかも知れません。
もちろん安定供給とは別の次元です。電気が使えると言うだけです。

我が家の電化製品は”並4ラジオ”と照明用の電球だけでした。

巷では怪しげな”電気パン焼き器”とか”充電式懐中電灯”、”電熱器”などが送電量に関係なく使われていました。

まだ小学校にも行かない私でしたがなぜかよく覚えているのです。
そんなひどい使い方でしたからフューズが飛ぶのはしょっちゅうで替わりに針金というのは当たり前でした。
家庭のフューズは針金代用で飛ばなくなると、電柱のトランスのそばについているフューズが飛ぶのです。
近所に恐れを知らない!おじさんがいて電柱に登って交換していました。

こんなことをあっちでも、こっちでもやっているから大変です。ついに町中停電になります。みんな慣れているのでちっとも慌てません。
電話もありませんからそのうち点くのをじっと待っています。

当時電気は水力発電が主流でしたから山の中の発電所は戦争の被害が少なかったのでしょうか?

私の目には”電柱おじさん”は神様のようでした。

*注 フューズの針金代用は火災の危険 がありますから絶対にしてはいけません。適正なフューズを使用してください。もちろん送電線のフューズを自分で取り替えるなんてとんでもないことです。

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電気パン焼き器  

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