心に思ったことのタイトルバー

ワーキングホリデーでオーストラリアにいた時、
夜、公衆電話で話していたら
いきなり後ろから殴られてボコボコにされて...
顔が血だらけになって、歯も折れて...

その時の日記を読み返すとこう書いてあります。
自分に腹が立った。
オーストラリアの治安をなめていた自分に...
そして奴らに財布を奪われた自分に!
強くなろうと思う。自分で体を鍛えて強くなろうと思う。
そして2度とあんなことのないように、
逆に殴り倒して殴り倒してぶっ殺してやろう!

その後、数ヶ月、ヨーロッパとアフリカの北部を旅しました。
僕の気持ちはいつも殺気立っていましたネ。

その頃の東欧やアフリカにはまだ、あまり日本人や黄色人種が
多くなかったみたいで...
特に小さな街などに行くと珍しかったみたいです。
やさしい人たちもたくさんいましたが
なかには差別的なことを言う人や挑発的なことを言ってくる人もいました。

なんかネ、すごく頭にきて
よく殴りかかっていってましたね。
電車の中で足をかけられれば蹴り返したり
ツバをはかれれば、はき返したり、石を投げたり(笑)

僕はケンカは弱いですよ。
身長だって170センチあるかないか。
とてもケンカをするようには見えないね...ってよく言われます。

けど、ナメられちゃいけない!っていう気持ちがつよくて
一生懸命、いきがっていました。
オーストラリアの件もあって『やられたらやり返してやる!』って
いつも思ってた。
それが男の強さだと思ってた。
大きな勘違いをしていました。

今、考えればバカだなあ...と思うのですが...
あの頃はそう思えませんでした。
本当は怖いんですよね。
だから、やられる前にやってやろう!...って
それと自分のことをわかってほしい!
ほんとうの自分の気持ちを誰かに気付いてほしい!って
そういう気持ちも強かったです。

いろんなことに対して、怒りがあった...と思います。

だから人に突っかかっていきました。
やったことは否定しませんが
今では深く反省していますよ。
あの時、突っかかっていった人、

ごめんなさい!

そして日本に帰ってきて又、いろんな人と接して...
イヤな人もいましたがやさしくしてくれる人もたくさんいて...
なかなか日本に馴染めない僕を助けてくれて...
嬉しかったですね。
こんな僕にもやさしくしてくれる人もいるんだ...って。
あの時、差し出された手を僕は一生、忘れないと思います。

手というのは殴るためにあるんじゃないと思います。
さしのべる為にあるんだと思います。

もう殴り合いのケンカはしません!というか
正直、怖くてできません。

ただね、
暴力的な人がいても、その人のことを
ただ、野蛮な人 とは見ないでほしいんです。
彼らはほんとはすごく弱くて怖いんだと思うから...

僕はそうだったから...

次は手をさしのべる番だと思います。

ハイデルベルク全貌
ハイデルベルク全貌 (ドイツ)
カール・テオドール橋
カール・テオドール橋 (ハイデルベルク)
古城街道の中心都市、ハイデルベルク。学生の街としても有名でたくさんの学生がいました。とても活気があっていい街でした。
EUの首都 ブリュッセル
EUの首都 ブリュッセル
グラン・プラス
グラン・プラス (ブルュッセル・ベルギー)
ブルュッセル観光の中心地。たくさんの人で賑わっていました。この街はEU(欧州連合)の主要機関が置かれていて国際色の豊かな街でした。
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