悦楽
常識を打ち破る画期的な方法

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【 悦楽 2 】


     内容
        二 文学書から汲みとったもの
           1 夏目漱石から得たもの

【 二 文学書から汲みとったもの 】

私が子どもの頃は、だれもみな貧しい家庭だったから、一部の人たちを除いて、学校の教科書以外の本を読んだ人は殆どなかったと思う。子どもというものは、もともと自分の環境に順応していくもので、旧制の農学校で戦争のため、英語は一学期勉強しただけで廃止になっても何の屈託もなく、何の疑いもなく、「国のため」といわれて少年期を過ごしてしまった。

今それを悔やんでも仕方のないことだが、大変な損失を被った。だから十五歳の夏、稲熱病の消毒かなにかで旦開(いまの新野)へ勤労奉仕に行き、既に結婚していた叔母の家に寄り、夏目漱石の「三四郎」はとてもいい本だと聞かされた時は、「ヘェー?」と思ったくらいのものだった。夏目も漱石も何もわからなかった。

やがて戦争に負けて長野の学校へ行ったとき、初めて「三四郎」や「心」を読んだ。

十八か十九の時である。どうして負けたのか、戦争って何だったのか、という気持ちの空洞を埋めるためか私は歴史の本を読みあさった。友達の英語力に驚嘆して英語の勉強も欠かせなかった。そうこうしているあっという間に、教壇に立つこととなった。

私の読書はそれから始まった。

叔母が勧めてくれた漱石のものは、確かに読み応えがあった。漱石が終わると芥川に移った。吉川英治に移った。青年の意欲というものは、今考えてみるとエネルギッシュなものだった。

その当時は、「現在の自己とは、あらゆる過去の体験を主観の篩にかけてえた集積である」などと勇ましい生意気な心意地をもって、いろいろの本を読みあさった。

これも後になってわかったのだが、読書量の多寡というものは、その人を素敵にするかどうかとは相関度はあるにしても、決定的な条件ではない。問題は何を読み取ったのか、読み取ったものから何を自己内部に作り上げたか、それが問題だった。

内部世界の構築は単に文学書だけでなく、宗教も必要だし、ユネスコも必要だった。歴史も必要だったし、幸福論も必要だった。

自己内部を作り上げるということを考えてみると、世の中はあまりにもおかしな環境になっいることに気づく。物質文化は生活に潤いを与えているが、精神文化を駆逐している。多数決という民主主義の手続きは否定すべきことではないのだが、単数思考を重んじる気風を排除し、曖昧な複数思考が正しいような錯覚すら生むようになっている。

事実を重んずる哲学的態度は非常識のように隅っこに押しやられ、因習とすらいえる社会組織や価値観に、すべて席巻されている現状が目の前にある。これはひとり私の心配事ですまされることだろうか。

文学者というものは、心の中をえぐりだし、誰しもが希望を持ったり、苦渋の底に身を沈めたり、自己撞着の矛盾を抱えつつも、独自の生き方を求めたりする、そういう自分の中で絶えず課題を持ち、己自身の生きざまを表出する第一人者である。

だから、いろいろな読書を通して、主観の篩の目を経た一つ一つのものを使い、自己内部の世界を築き上げる、それが私の課題であった。時にはそれが社会批判になり、時にはそれが提言だったりしてもよい。

【 1 夏目漱石から得たもの 】

作品は一通り読んでいるのだが、多くは記憶から色あせてきている。ただ漱石からは大事なものを得ており、骨肉にもなった部分が多い。

その大きな特徴は、東洋的なものであった。

彼が見せた西欧への反骨精神に驚いたが、逆に彼はそれだけに東洋的な良さを提示したものと思う。

こういう大まかな角度で漱石を分析した文章にであったことはないが、私は、とにかく東洋的なものの落着いた基盤を得たように思っている。自分がこの風土に育ったからだといえばそれまでであるが、仏教とか儒教とかそうした宗教としての東洋的な意味も含むけれども、ただそれだけでなく、東洋と西洋という相対的な意味においてである。

順序不同に思い付くままに上げてみる。

・先ず「私の個人主義」の核になっているもの。

彼が学習院で講演した言葉でいえば「・・・もっと解り易く云へば、党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。夫だから其の裏面には人に知られない淋しさも潜んでゐるのです。既に党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行く丈で、さうして是と同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。其所が淋しいのです。・・・」という立場である。

彼は子どもの頃から養父母から親切と恩を押しつけられるように感じただけに、自由を愛する本能が強かった。逆にいえば、他人にもそういうことをしたくないという対等の立場、即ち、平等の本能が強かった。

・この立場から「即天去私」が成立している。

「花は紅に、柳は緑に」自分の娘の死に対しても、事実にたいして感情を取り入れた解釈をしない自己を堅持していた。この立場はまた「拈華微笑」のほほえみの立場にも通じる。ここで言う「天」の意味内容、範疇は、前にも触れた森羅万象の運行に秘められた法則といってよい。時の流れの断面をとらえてみると、生命が限られておるのに対して、感情連携は限りがない故、淋しさもあり、死諦観を持たなければならないこととなる。

子を亡くして悲しまない親が何処にあるだろうか。では、万斛の涙が悲しみを他に対する証明になるというのか。悲しみの苛みは、他人の関知しない個人の領域である。即天去私もまた、その裏面には人には知れない淋しさを含んでいるのである。口論の結末も、拈華微笑に表わされるように、人には知れない淋しさを含んでいるのである。個人主義を奉ずるには、それだけの厳しさを持っていなければできないことである。個人主義と利己主義とは、Aの部分とBの部分は相容れない質であり、ABの部分は極く僅かな要素しかないことに留意しなければならない。

・金と女と名誉

個人主義の大事な戒律は、金と女と名誉が代表する凡欲から遠ざかることにある、と教えている。これは全作品を通した一つの課題であったと察する。

人は相依性による存在だから絶対的な基準はある筈もなく、あくまで相対的な線引きしかない。蟹は甲羅に似せて穴を掘るという。熊の行動範囲も自己保持以外の区域には出入りしないという。人生は野生と異なり無節操である。行動範囲は無限であってもよいが、自己世界の構築は、他を犠牲にした上には成立すべきではない。まして無節操とは、破廉恥の行為であり、そもそも殺戮の根源ともなっている。

すべての人に自他弁別の道義がないとは言えない。けれども民主主義というしくみによって一つの組織を担う公僕の中には、己自身の内部に自他弁別の道義を失い、旧来の安易に堕する複数思考という安住の地位に、自他弁別の道義をすり替え、唾棄すべき凡欲にドップリつかっている輩が多い。

生活方式の向上とは逆相関の現象が強くなっており、初代ユネスコ事務局長のジョン・ハックスレーの指摘したように、人間はその知能の発達に特質をもっているが、その特質によって滅びていく危険性がある。

生活のためには、利潤追及や環境汚染、規制緩和や国際間の和平にいたるまで、自己の所属する利害にドップリつかり、自他弁別の道義を失っている。

昭和二十九年、東北地方を旅したことがあった。野口英世、宮沢賢治、石川啄木と松尾芭蕉を訪ねる旅で、賢治の詩を調べていた時である。Gossanの意味が判らず、それが鉱脈の露頭だったことで記憶に残った詩があった。それは、早春という題で、次の通りである。

  黒雲峡を亂れ飛び
  技師ら亜炭の火に寄りぬ
  げにもひとびと崇むるは
  青き Gossan 銅の脈
  わが索むるはまことのことば
  雨の中なる真言なり

賢治は大地に根を下ろした誠実な求道者である。「上求菩提、下化衆生」の誠実な求道者である。賢治の自己世界の構築は他に例をみることができない法華教による独自のものである。彼もまた金でも権力でもない「まこと」であった。かれの幼児期からの勉学には驚嘆すべきものがあった。

・第二に相依性という面である。

人間存在を相依性として観るか、人間中心として観るか、という存在概念でも、東洋と西洋の相違をとらえることができる。

草枕の中に、シェレーの雲雀の詩がでている。

  We look before and after      前を見ては、後へを見ては、
    And pine for what is not:     物欲しと、あこがるるかなわれ。
  Our sincerest laughter        腹からの、笑いといへども、
    With some pain is fraught;    苦しみの、そこにあるべし。
  Our sweetest songs are those   うつくしき、極みの歌に、
    that tell of saddest thought.   悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ。

更に、淵明の詩を載せている。

  獨坐幽篁裏 弾琴復長嘯、  獨り幽篁の裏に坐し、琴を弾じて復た長嘯す。
  深林人不知 明月來相照   深林人知らず、明月來たりて相い照らす。

シェレーは雲雀に目をとめ無縫の没頭を称えるのだが、人間本位の立場が顔をだしている。東洋の詩歌はそこを解脱し、世の中をまるで忘れた光景がでて、超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる、と分析する。漱石の自然に対する執着は相当のものであったと思う。人間を思いのままに愛し得ず、人間から思いのままに愛されることのない漱石の寂しさから、彼をそうさせていったという。「私の個人主義」からの一つの帰結である。

富士見高原にある伊藤左千夫の歌碑

  寂志左之極爾湛弖天地丹    寂しさの極に湛えて天地に
  寄寸留命乎都久都久止思布  寄する命をつくづくと思ふ

この歌も、人の世を知りて、自然の雄大さも知り得たとき、謙虚にその恩恵を称えた歌であろうか。静かな世界に誘ってくれる気持ちがとても気に入り、私の好きな歌の一つになった。漱石から受けた底流は、更に自然界の営みの不可思議の生命の世界への探索へと、私を導いた。0歳教育への私の志向は、若い頃の漱石文学への没入が影響していたと言ってもおかしくはない。

継続中

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