悦楽
山羊やミミズとの共生を求めて

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【 悦楽 1 】


    内容 はじめに
        第一 こんな人になりたいな
          §A 幼児教育で感心した人たち
           1 ジョセフ・チルトン・ピアス
           2 グレン・ドーマン
           3 ジツコ・スセディック
           4 三石由起子
           5 その他の人たち

【 はじめに 】

どんな人も、みんな幸福を求めている。

晴れやかな「有り難うございます」の挨拶は、聞くと気持ちがよい。「すみません」という言葉も、元気な「はい」という返事も、聞くと気持ちがよい。たがいに前むきなエネルギーを作りだす大切なコミュニケーションです。

どのように生きることがよいか、親からまとまったものとして教えられたことはない。だが、長いこと親の生きざまを見てきたから、生き様をイメージできるし、私の心の中に仏像のように鎮座している。けれども、祖父母となると、視覚のうえではイメージとして残影していても、私に残っているものとしては極めて乏しいものとなってしまう。

私が傷をして血が流れたりすれば、父から伝わった血だと実感できるし、母から伝わった血だと実感できる。年をとってから、親に似ているなと感ずることが多くなった。それでいいんだ、という思いが脳裏をかすめる。父母もその父母から同様にして親とのつながりを実感したと思う。

こうした連続を考えれば、一個人の生き方の私案をまとめておくことは、後々の人のために一つのデータとなり、幸福追求の道を豊かに開いてやることができる。そんな意味合で、私は自分の考え方をまとめた。

古代ギリシャは多くの多才な人を輩出した。それから「カール・ヴィッテの教育」を読んだ人からも多才な子どもが育ってきた。それは早教育の結果であった。

吉田松陰は玉木文之進の早教育の結果、花を開いた。

だが早教育の基盤をもたない現代教育は、随所にその欠陥を露呈している。政治家の無節操、金銭と権力の癒着、いじめと自殺、利己的判断、家庭の崩壊など細かくみると、枚挙にいとまがない。両親の考えにより、一部とはいえ立派な人達も輩出されてきた。しかし、多くは現世的な形而下の、眼に写る楼閣を求めている。自由の名のもとに無節操が横行しているといわざるを得ない。

すでに活躍年代を終わろうとしているいま、私は何をしたらいいか、という自らの問いに直面せざるをえない。そこで自己世界の構築を至上の目的としたい私は<幼児期の過ごし方如何によって、人がどのような自己世界を構築するかが決められる>と考えるから、幼児期にもっとも関心をよせている。

    粒々の小さき命の咲ききりて 棕梠の萎え花しき零れ落つ  ソノ

    親に似ぬ子は鬼子(子はすべて親に似るの逆説)

 幾星霜を重ね現代に伝わる昔の人の言葉には、やさしく厳しい教えが多い。

       平成九年二月十一日               下 平 好 上

   生命の成長とその目的 《幼児教育と悦楽…遥かな時空を乗り越えて…》

【 第一 こんな人になりたいな 】

だれでも「こんな人になりたいな」と思ったことがあるでしょう。恥ずかしい話だが、十八才頃にはお釈迦さまのような人になりたいな、と思ったことがある。それまでに、お釈迦さまの教えを少しはわかっているつもりだった。

先生になった翌年、まだ二十二才だったが、自分の性格についていろいろ考えこんだときがある。その頃「性格を論ず」という題で、自分の考えをまとめてみた。その中の一部は次のようである。

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『私たちの感覚にとらえられる机とか椅子とか水とかは、私たちの常識の世界を構成しているのですが、科学はこれを分析して炭素とか水素とか酸素とかいった元素にしてしまいました。いやそればかりではなく、最近の科学は分析を重ねていって、結局、電子とか陽子とか、まるで常識の世界では想像もつかないまで分析してしまったのです。

私の眼の前にいる美しい女性も、傍らにある洗面器と変わりのない電気を帯びた粒子という同質のものから出来ているわけになります。ところが帯電粒子が諸々に結合して、ご覧のとおりの別の物質と肉体とがここに現れるわけであります。

ところで、常識の世界には所謂「性格」を持った人間がいるわけですが、これを分解して非常識の世界にまで到ると、結局のところ「心理的原子」の集合があるだけになります。このように常識を越えて探求をすすめることが現代の科学や思想界(殊に精神生活を素材にする文学上)の動向となっていると考えることができます。

科学の発達は、精神科学を駆使して、かくまで人間心理を堀りだして我々の眼の前にさらけだしてくれました。個性を否定し、性格を否定しさったあとには、ただ心理的原子が現れてくるのみと思います。極端にいえば「個性は我々個人的所有物ではない」とも言いうるのであります。

そこで、帯電粒子の電子であり陽子でもある心理的原子は如何なる構成により人間を形成していくのでしょうか。また個性とか性格とかは、人間形成と如何なる関係があるのでしょうか。原子は生まれおちる以前、否、陽と陰の結合するゆいなや、その活動は始まるものと考えられます。

しかし人間という一つの存在は、独立して生活しうるようになると、急速にところ嫌わずいろいろの原子を吸収してしまうと思います。そして吸着し成長してきますと、新しい意味での個性ができるとも言えます。それは削除をうけず選択のされていない、別の言葉でいえば、世界観とか人生観とかいった何か特別の排水溝に流しこまれていない、全人の個性というものであります。

そこで、無意識や潜在意識の一切を含む人間の意識の流れを考えて、個性とは、人間のあらゆる体験にによって絶えず流動変化するものですが、そこに内面的な判断の作用があって、自らひとつの統一をなしているものと言えましょう。

そして、この流動変化する個性にたいして、何らかの規範、主義、原則により抑制を加えて、変化をいくつかのジャンルに凝結せしめた結果として、いうところの 「性格」 が現れてくるものと考えてよいと私は思います。

批評家を迷路に立たせ、一体如何なる性格を有せるものかと論議され、何も結果を見出しえずにいるハムレットなどは、あの英国の文豪シェクスピアの知恵の実のなかに、人間の性格の本質がきらめいていたのではあるまいか。

文学上の問題に、恋愛問題をはじめ、身分、財産のごたごた問題が多くその素材にとられているのは何故であろうか。人間心理の、利害に基づくエゴの微妙な変化が、その描かれている人間の中に、影のごとくつき纏っているからだと思います。

なぜ道徳的品性を固持しつつも、しかも醜い想念を捨てさり得ないのか。心理的原子は、ある個性とか性格とかが許さざるところまで人の内面に吸着されているのであって、個性とか性格に、厚い壁があると仮定する人のほうが、むしろおかしいと言えましょう。

野心あるものが偉くなり、転ずれば悪人となるのも、またこれに帰一するでしょう。現今の我々は、個性とか性格への解剖のメスを許されているのであると思います。』

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いま読み返してみると、生意気な小理屈と思うが、やっぱり、一人の人間が自分はどうなっているのだろうか、という壁に行き詰まったとき、考えなければならない課題だったのだと思います。

ともかく、「こんな人になりたいな」ということは、どの年代でも男女を問わず持ったりする。こういう自分の将来を見通した一つの方向性を求めることは、とてもよいことだと思います。お釈迦さまは別にしても、保育園児などの「大きくなったら何になりたいの」という問いに対する答は、極めて微笑ましく、成長過程の一断面としてみたとき、とても素晴らしいと思います。

自分の希望はだんだん変わっていってもいい。より広い視野に立てたり、より深く考察ができるようになれたとき、自分の希望を迷わず修正することがいい。二度と付和雷同はすまいぞ、自分は絶対変更しないぞという方針でも、新しいデータ分析の結果によって、修正しても構わない。

人工衛生でも、必要があれば軌道修正するほうがいいに決まっているからだ。

かくして、こんな人になりたいな、という内容は、AでもBでもCでも、どのような人でもよいし、いくらでも修正しても構わない。

【 一 幼児教育で感心した人達 】

長年中学生に接してきて、いろいろ感ずることがあった。その中から、教育者としての立場と、親子を客間的にみれる立場の、二つの面から帰納される私の結論は次の通りである。

   子は親に似ているものだな

   能力や性質は、簡単には変わらないな

   大事なのは人柄なんだ

三十七年間を通して、幼児期の育て方がその子の将来を大きく左右する、ということがはっきり理解できた。実に様々な人に出会いました。私位の年齢になると教育者でなく誰でもが、実に様々な人に出会っている。親子関係について言えば、親子というものはとにかく似ている、ということを知っています。

私はわざとらしいけれど、直接担当した生徒は五百名余いますから、親子関係の実態からみて、実に様々な人に出会ったと言えます。その帰納的結論は上記のようにまとめられる。

人は誰でも、自分の内部で処理できるものと、自分の内部ではなく他とのかかわりの中で処理しなければならないものとがある。一つは人柄、宗教など心の内部生活であり、一つは学業成績、進学、職業などの外部生活に係わるものである。

親子関係からみてどの親も、子の幸せを願って育ててきたことは事実であり間違ってはいない。親は愛に基づいていたし、言葉も話せるようになっていた。だが、どうしてこうも相違がでたのか。実は、愛の内容と教えた内容に、格段の相違があったからである。

愛の内容と教えた内容には、周知されていない分野、質、量の課題がある。その格差が当然ながら眼にみえてはっきりしてくる結果、実に様々な人が成長する。

親の願いは、普通の言葉でいえば「心ばえがよく、できる子で、健やかに」の三つに集約できる。

  「栴檀は双葉より芳し= Genius displays itself even in childhood.」

といわれるが、人もまた満三歳までの四年間の育て方如何によって、芳香を放つ。

要するに、満三歳までの心脳体の醸成、育成が生涯の決定要因になる、ということを確信するに到りました。(幼児期を六歳までと考えてもよい)

以上の結論から私の幼児教育はスタートした。

関係する書物を百冊以上読み、データは脳内のいろいろな記憶ファイルに収納してきた。だが自分なりの統括表現は多岐にわたるので、困難を極めている現状である。このデータ収集により私の幼児教育の骨子が組み立てられてきたが、その考え方の要点を次に挙げてみたい。

【 1 ジョセフ・チルトン・ピアス 】

ピアスが書いた「マジカル・チャイルド」の基本論理は相当難解であるが、現代医学研究や大脳研究の成果に基づいて構成されており、受け入れる側にとっては、二〜三回読み返せば筋道だっており、且つ論理的にも納得できる理論が展開されていることがわかる。

ある意味では、私の人生観の根底部分の構成が、新しい要素で再構成されたと言える。具体的には私の考え方の中の、仏教の基本部分と幼児教育の基本部分の軌道修正が行なわれた。だから、今では「マジカル・チャイルド」は、幼児教育の中核図書に位置づけられている。

 ピアスの主張の中核を次のようにまとめた。

・生体はその発生時点より、統一的宇宙指向がプログラムされている。

彼はそのことをホノグラムとして説明している。一つの鏡は対象物を映像として宿すが、微塵にしても鏡はその機能を失うことはない。鏡に写る対象物はすべてのものであり、机に始まって宇宙に到る。人が他人の感情まで読み取れるとするならば、それらを含めるすべてのものを、鏡は映像としてとらえることができる。

・生命はマトリックスにおいてのみ成長する。マトリックスの特質は次の三つ。

 @ あらゆる可能性の源泉を与える。
 A その可能性を探索するエネルギーの源泉を与える。
 B その探索を可能にする安全な場所を提供する。

子どもの知能は、マトリックスが提供した安全な場所に立ち、マトリックスから与えられたエネルギーを活用し、マトリックスから与えられた可能性を探索することによって発達する。

・超感覚的能力ESP( Extra Sensory Perception )がプログラムされている。

ESPには四年というバリア(障壁)がある。生後満三歳までと考えてよい。
この感覚刺激は早ければ早いほどよい。(二二頁参照)

 例@ ウガンダの子育て       「マジカル・チャイルド」六二〜六五頁
  A ジツコ・スセディックの胎教  「胎児はみんな天才だ」
  B カール・ビッテの教育     「早教育と天才」一五〜一〇四頁
  C ストーナー夫人の教育     「早教育と天才」二〇三〜二七八頁
  D 茨城科学万博のトマト栽培   「0歳」九〜一三頁

この能力は、言語習得、数量の直感的把握、色彩、音声すべての習得能力を意味するもので、ジツコ・スセディックの本やグレン・ドーマンの本を見れば、よく理解できる。

さらに透視力とかテレパシーなどの想念伝達の授受能力も含まれており、ともかく、このESPを理解するだけでなく、その活用に全力をあげたいものである。しかし、このESPは、およそ数年間という逓減法則がある。生命スタートが一〇〇%のESPであるとすれば、満六歳を過ぎると〇%のESPとなってしまうということである。

これは大脳の新旧皮質の移行であるから、ホノグラム自身の方向が急変するものではない。

・産科病院が親子の絆を弱くする。(反自然による歪)

大切な親子協同出生が奪われ、原因不明と思われるような、とんでもないシッペガエシがどんどんと増えてきている。幼児突然死症候群から始まり自殺に到るまで。ことに陣痛促進剤の投薬や臍帯早期切除は大脳損傷をひきおこす。

  病院の誕生直後の隔離保護の結果
  @ 絆づくりの原点を奪う。(臨界期は生後数時間で終わる)
  A 出生ストレスが継続され、緊張弛緩のリズムがもてない。二ヶ月半かかる。
  B 網様体の活性化と感覚器系の活性化を奪う。
    出生直後の愛撫,すなわち触覚、聴覚、視覚などの身体的刺激(感覚器系の活性化)が
    欠けるため、感覚情報が適切に処理できず、感覚からはいってくる情報は混乱や不安を
    引き起こす。
    病院出産の赤ん坊は笑いや喜びがずっと遅れ、大変多くの睡眠をとるが、目を覚ましや
    すく目覚めるとよく泣くか不活発が多い。
    副腎ステロイドの高い分泌が緩和されず、目覚めている状態を絶えがたいものにしている。
    (緊張対応ホルモン=恐怖や驚愕に襲われたとき放出される逃避または闘争反応を喚起
    する刺激ホルモンで、この副腎反応は、生きるために窮余の策として子どもが全身を組織
    する方法である)

こうしたピアスの考え方の流れは、存在の基本的認識として重要なことであり、この雄大な流れに舟を浮かべているのが、ドーマンであり、スセディックであり、三石由起子である。私は実践家ではないが、この流れに小舟を浮かべている。二十一世紀の幼児教育は、おそらくこの大河に船を浮かべることになるだろう。

【 2 グレン・ドーマン 】

障害児教育に専心していたドーマンは、障害児の能力はパターン認識において健常児と変わらないことを発見し、ドーマン法を確立した。

障害児童は、実は言語障害や聴覚障害からきた障害であって、知能そのものの障害ではないことが明らかになったのである。

障害児でもできる!それなら、健常児でもできる!ここに初めて、ドッツ法ができあがり、言語その他のドーマンメソッドができあがったのである。

ソニーの井深大もドーマンの著書を読み、七田真も、三石由起子も、幼児教育に関心のある人達は競ってドーマンの著書を読んだものと思われる。私もその一人である。

具体的方法はABCとそれぞれ違っているにしても、ともかく、幼児の能力とそれを引き出す方法が、初めて発見され、利用されるようになった。いまでもフィラデルフィアの研究所では教育法の在り方や方法など多彩な研究が行なわれている筈である。

ピアスが、生涯の在り方の大河であるとすれば、ドーマンは教育という子育ての大きな支流である。多くの幼児教育の研究者は、この支流に舟を浮かべさせてもらっていると言っても過言ではない。

これら幼児教育の研究者は、幼児教育というのは、単に年限を限った幼児期の教育ということではなく、教育の基盤部分であるとともに、生涯の人の在り方が決められるという意味を持つ最重要課題としての幼児教育、という認識にたっている。

ドーマンから得られるものは何だろうか。それを探して整理してみる。

・大いなる変革をすすめる上で、二つのバリア(障壁)を捨てよ。

バリアとなるのは、既成概念の固執と、自己中心の価値観への固執である。
 (ピアスも子どもの成長にかかわって、端的に指摘している)

・知能も芸術も性格も、能力としてとらえること。

幼児は能力を伸ばしたがっている。幼児の心脳体は、ホログラム(hologram)構築のため、すべてを収集するようプログラムされており、話をされたこと、指差して教えられたこと、歌をうたってくれたこと、物事を説明してくれたこと、すべてを吸収する。

いやになれば、誰にもお構いなくソッポを向くから解る。ちっとばかりではソッポなど向かない。幼児はすべてインプットしたがっていると言える。

・子どもの将来を決めるのは親。

 環境次第でどのようにも伸びる。(動かし難い哲理)

 どうしたらいいかといえば、次の通りである。
   @ 生命の力を知ること
   A 大脳のプログラミングを知ること
   B 才能逓減の法をしること
   C ドーマン・メソッドを実践すること

 親がやらなければ誰もやってくれない。
     子どもの目は、いつもキラキラ明るく輝いている!
     すべて、吸収しようとしている目は、深遠な光を放つ!
     その目は、何をもとめ何を語っているのだろう!
     その目のつぶらな要求に応えてやろう!
     自分がもっているすべてを!
     疲れれば眠ってしまう!
     その安らかな寝顔!
     今こそ、よりよい環境を提供したい!

・遊び・おもちゃより、学ぶことを熱望している。(ピアスの説も同じ)

ピアスによれば、幼児にとって学習は生き残る技だと信じているという。理屈以前に、大脳にインプットされているという。

・大脳の容量はUSA国立公文書館の情報量の一〇倍の容量をもっている。

連続して毎時間一〇〇〇項目をインプットし続けると、一〇〇歳で八億余の情報となるが、それは人間の脳の容量には遠く及ばない。

九ヶ国語を話す青年がいても何の不思議もなく、すべて分類された記憶ホルダーに収納されていく。

・母親は、本来の母性喪失の危機に瀕している。(ピアスはことに警告している)

子どもにとって母親は、何時でも何処でも素敵なマトリックスであり、最良の教師である。

・能力の伸ばし方

 ドーマン・メソッドに依れば、その要点は次の通り。
 @ 子供を教育することは素晴らしいことであり、自分の特権であると思って教える。(心構え)
      ピアスのいう、マトリックス構築の助言者たることを考え、素敵な誇を持って実践する。
 A はっきり、大きな声で、熱意をこめて話しかける。                 (言葉がけ)
      気持ちが人に伝わること。子どもは全てを吸収するから。
 B リラックスして、楽しみながら行なう。                          (雰囲気)
      子どもにとって学ぶことは、最高の楽しみなのであるから、最高の楽しみで接する。
      殊にドッツなど、親が楽しくすることがキイ・ポイント。
 C 「子どもはすべてわかる」と信じる。態度、物腰、行動で示す。            (信頼)
      子どもは、母をマトリックスとして、安心し、信頼し、リラックスしている。
      子どもは、人の表情や声から全てを見抜きますから、心の底から子どもを信じる。
 D いつも新しい情報を準備する。                      (毎日のプログラム)
      親がぼやぼやしていると、伸びる力が伸びないことになる。
      教材作りは手まわしよくこなす。
 E 覚えてしまった教材は、片付ける。                       (教材の整理)
      覚えるまでは繰り返す。覚えたら片づける。
 F 系統だてて教える。                                (教材の準備)
      時間を十分とって、教材準備をする。
   ◎ 非常に大切なことで、普通ここで、中途半端になりやすい。
      ・ 兎と亀の歌「ここらで、ちょっと、ひとやすみ・・」
        そうすると、伸びるべき子どもも、ひと休みする。
      ・ 一週、一ヶ月、季節、のそれぞれのプログラムの中で
        どんな教材を組みこむか、配慮する。
 G 教材は、大きく読みやすく作る。                          (教材作り)
 H 視覚、聴覚、触覚のうえで、阻害するもののない学習環境にする。  (集中できる環境)
 I 子供が元気で、機嫌がよい時のみ教える。                (機嫌のよいとき)
      軽いリズミカルな運動の後や、アルファア波となる音楽を
      聞いた後に、一日のプログラムの中に組みこむ。
 J 教材はいつも、サッと見せて、サッと引っこめる。             (教材の見せ方)
      ◎ このことが、成功の大きな鍵となる。                (集中力が育つ)
 K 子どもが止めたがる前に、切りあげる。                (セッションの区切り)
      「もっと」「もう一回」の要求には屈しない。
      「〇〇がすんだら、またしましょうね」と約束すればよい。
 L 教えたことは、子どもがすべて解っていると、信じる。                (信頼)
      ◎ 解っているか心配でも、決して試さない。
 M 世間の既成概念に賭けず、子どものESPに賭ける。        (人の本然に賭ける)
      ピアス、ドーマンの考えに賭ける。
 N すすんで、子どもへのアプローチの仕方をかえる。         (多様なアプローチ)
      一日一日を新しく感動的にするために。
 O 子どもの、すてきな目に接したら、知識を与える。        (すてきな目に、知識を)
      知識は人間にとって、最大の力をもつものである。
      ・ 子どもは常に知識を求めている。それに対して、愛情と尊敬で接する。
      ・ 親は学ぶ子のなかに、マトリックスの構築を見ることになる。
 P いつも必ず真実を教える。                       (確実なことを教える)
      確実な事実から論理は生まれ、論理から法が生まれる。
      法から悦楽が生まれる。そのもとが真実のユニットである。
 Q 子どもとの約束は、必ず守。                          (約束と信頼)
      約束は相互信頼の基本要素である。
 R 間違いをとがめず、正しいこと(真実)を教える。               (過を咎めず)
      子どもは、これによって楽しく成長できる。
      とても大切な心得である。
 S テストをしない。(解っているか聞かない)                    (試さない)
      いま大切なものは真実(または事実)と相互信頼であり、
      少しの疑いも放棄すべきである。とても大切な心得である。
 〇 子どもの質問には、事実を正直に、真面目にこたえる。           (真面目さ)
      子どもにとっては、親は一番の情報源である。
      「これなあに?」 「なんだもんで・・・?」
      こうした、すてきな発問には、必ず応ずる。
      解らないことは、調べて、必ず応ずる。

* 才能逓減について

才能逓減について、科学的に年齢を提言している人はないから、あくまで、蓋然性として理解しておくことがよい。

[絶対音感習得年齢]

        100% 

      50% 

      0%

           0才   1才   2才   3才   4才   5才   6才   7才

例えば、絶対音(ハ調のト音は波長四四〇ヘルツ)の習得は不可能という定説が覆り、五歳を1とした時、上記のように早ければ早いほど絶対音感の習得率は高いと言う。(木下達也研究結果)

言語の発音も声帯筋の定着化が一応完了する年齢があり、東北弁や韓国人の発音も、ある年齢を過ぎると、標準日本語への順化は容易ではなくなる。日本人の英語発音順化も同様な理由による。この年齢的な許容限界を臨界期(バリア=barrier障壁)という。

子どもの超感覚的認識能力(超能力=ESP)は、スタート時点では一〇〇%であるが、臨界期には0%に近づく、この能力の様相を才能逓減の法則という。

この才能逓減の実態を充分理解してすべての幼児教育に対処していくことが、基本的に大切な心構えである。

【 3 ジツコ・スセディック 】

「胎児はみんな天才だ」という本を一読した時、晴天に霹靂とは将にこのことかと驚嘆した。

「ホント?]誰しも読んだ人は、ことの重大さに驚愕するだろう。夫のジョセフの主張を信じて実践したジツコ・スセディックには感心する。

その「まえがき」を見よう。

 初めて全米の人に驚異を与えたのは、スーザンが五歳のとき、幼稚園からいきなり高校に進学したという事実でした。多くの人はこの事実を「遺伝」あるいは「偶然」として受け止めようとしました。しかし、それが遺伝や偶然の産物ではないことを、私たち夫婦は、よく知っていました。そしてそれは、当時三歳だった次女のステイシー、一歳だった三女のステファニーによって証明されるに違いないと確信していたのです。

 六年後、私たちの確信は現実のものになりました。十一歳のスーザンはマスキンガム大学で医科大学予科生、九歳のステイシーは高校一年、七歳のステファニーは中学二年、そして四歳のジョアンナは自宅で小学校高学年の勉強をしていたのです。

 それまで、私たち夫婦が主張し続けていたこと「胎内教育」が、子どもたちのすばらしい発育を促すということが、このとき、ようやく人々に理解されはじめたのでした。そして、それが世界中にセンセーショナルな話題を巻き起こしたのです。

 私も、元機械工の夫・ジョセフも、IQは一二〇程度です。そんなごく平凡な夫婦の間に生まれた四人の子どもが、みんなIQ一六〇以上であるという事実は、遺伝の枠を跳び超え、そこに新しい因果関係、つまり胎児の能力を引き出す「胎内教育」の有効性を明らかにしました。

 私たちは、子どもが胎内にいるときから、その知育にふさわしい歌や音楽を聴かせるとともに、アルファベットや数のかぞえ方、生活の道具や動植物などについて話しかけ、教えてきたのです。私たちが「子宮対話」と呼んでいるこうした行為によって実際に四人の子どもたちは、生後二週間で単語を話し、三ヵ月目には会話を喋れるという知能の発達を示し、さらに六ヶ月目でおまるの使い方を習い、九ヵ月目で歩き始めるという運動能力の発育をも遂げました。

 私たちの実践によって、今までの胎児医学が見なおされ、ベールの向こうにあった「胎児の驚くべき能力」が、しだいに解き明かされつつある現状に、私たち一家は大きな期待と喜びを感じています。と同時に、できるだけ多くの人々に、その幸せを実感していただきたく、ここに日本の皆さまに向けて、私たちの体験のすべてを披露したいと思います。新しい時代の中で、皆さまの子どもたちが、よりすばらしい人生を歩まれることを願ってやみません。

  一九八六年一一月      ジツコ・スセディック(旧姓・館林実子)

私は感激して何回も読みました。

夫のジョセフは何によって胎内教育の確信をもったのか、ここには書かれていない。

だが、才能教育については、その歴史を見ていけば、概要を知ることができる。

大正六年すでに木村久一は欧米の書物を読んで、それを日本に紹介している。その序をみると「諸種の事実から考えるのに、人の英才たり凡才たるは、遺伝稟賦等の先天的要因の決するところよりは、むしろ環境教育等の後天的要因の決するところである。そして、早教育は、この事実を根拠とするものである」と主張し、次のような事実を明らかにしている。

 一八〇〇年生まれのカール・ヴィッテは、田舎牧師の子でその父から早教育を受けた人である。九歳でライプツィッヒ大学の入学試験に及第し、十四歳実満で数学上の論文により哲学博士の学位を、十六歳で法学博士の学位を授けられ、さらにベルリン大学の法学教授に任命さた。父はヴィッテが十四歳になるまでの教育を本に書いて公にした(一八一八)。それは『カール・ヴィッテの教育』という本だが、一〇〇〇頁以上の大冊で面白くない議論が多く、しかも雑然と無秩序に書かれ、その考え方は当時の人々と非常に違っていたため、殆ど顧みられることなく散逸した。ところが、この本はハーバード大学の図書館に一冊残っていた。これはアメリカにおける唯一の珍本で、同図書館ではこれを貴重品として貴重品室に置いてあるという。

 ・ハーヴァード大学を十五歳で卒業した少年 サイデス
 ・同大学を十七歳半で卒業した少年     バール
 ・同大学を十四歳で卒業した少年      ウィーナー

上記の三人の父は、ともに『カール・ヴィッテの教育』を読んで、その子を教育したという。

ギリシャの歴史を見ると、アテネは天才星のごとしという有様である。ところがこのアテネの人口は驚くほどわずかで、全盛期でも五十万位で、しかもその五分四は奴隷であった。星の如く排出された人材は、実はギリシャにおける早教育の習慣によるものであった。

木村久一は、こうしてアメリカにおける才能教育の実情に触れて、自分の所信を公表したのだが、日本では津々浦々まで流布はしなかった。アメリカでも同じことだったと思う。

しかし、こうした早教育の考えは、細々ながらも継続され、一機械工であったジョセフ・スセディックは、早教育は英才をつくると信じて、妻とともに実践にあたったものと思われる。

ジョセフの教育観の基盤になったものは、こうした背景があった。

 『カール・ヴィッテの教育』とともに、こんにちの幼児教育の流れを完成し大河ならしめた人は、グレン・ドーマンである。

ドーマンは方法論の一大発見者であり、更に近代の大脳生理学の研究躍進により、『能力構築の世界』の全貌が明らかになりつつあるといっても過言ではない。

こうした観点から、ジツコ・スセディックは『体内教育における能力構築の世界』を我々の眼前に提示してくれたと言える。このことは私にとっての中核「生きる目的は自己世界構築にある」という概念構成の上で、大きな支えとなっている。

さて、胎教のなかで何が一番の核になるのか。

ジツコ・スセディックから学ぶ中核は何かいろいろ考えてきた。その結果「核は想念伝達である」と位置づけていいと考えた。この考え方を固めてきたのが、中国の「気」の考えであり、呼吸法という具体処方で、もう一つは、幾つかの精神療法の書物や脳内革命にはじまる一連の書物であった。

想念伝達の具体的方法は、気をもとにした呼吸法であり、その理論的裏付けは意思と肉体の相関実態の事実である。ピアスの説くように、マトリックスは心脳体の総合有機体である。私の自己構築の世界で、さらにその根源を尋ねてみれば、そのマトリックスの核は心であり、心の核は意志であり、意志の核は生きること(死にたくないこと)であり、本体は悦楽である。

生きものの最小単位である細胞の、その最大の意志は悦楽である。

これがキリストでいう神のみこころであり、大自然の天のみこころであり、釈迦がいう自己内部のこころである。

この悦楽プログラムは、母子の伝承という大切な生体本能に基づくもので、この伝承の良否が母子関係の良否如何に直接かかわってくる。

漢文的表現をかりていえば、千古の風雪に耐え厳然として現代に生き、未来に伝承される哲理「親をみて育つ」という諺は、庶民が伝えていくありふれた言葉であるが、値千金である。

「真似てもらってもいい自分」というその中身は、いろいろある。
どうすれば真似てもらえるのか、その中身はいろいろある。いつ真似てもらえるのか、その中身もいろいろある。形而上のことも形而下のことも、真似の範疇はすべてを含む。

ジツコ・スセディックから汲み取るもうひとつのことは、身を処する整理整頓の生活習慣を自ら築いておくことである。

リズミカルなスケジュールは、緊張と弛緩、いいかえれば安定したバランスこそ、集中力を身につけたり、美意識を身につけたり、論理思考を助長する細かな身の回り処理手法なのである。本来の能力伝達は、この具体的処理手法を欠いては、車の両輪の一つを欠くことになる。母子伝達の大事な心得である。

以上の意味から、スセディック夫妻が提供してくれた「胎内教育」の具体的内容に対して、敬意を捧げるとともに、こんな人になりたいな、と思う。

【 4 三石由起子 】

グレン・ドーマンの大河の流れに寄り添って一舟を浮かべ、自分なりの可能な手法を創りだした日本女性として、この人の独自性と実践に感謝し、目を向けなければならない。

三石由起子は、三十代に「天才児を創る」という本に、ドーマン法に基づいて子どもを育てた実践と自分の所信を提示している。

彼女の実践の中では、カード提示法を基本とする言語能力の開発に、その基盤をおいていることに特色がある。

事物と言語文字の結合が思考能力を高める、という基本路線がしかれている。インプットの内容には感覚脳としての右脳と、言語脳としての左脳とがあり、記憶フォルダーの伝達、選別、抽出、帰納という所謂思考は、内語として操作されるものであるから、処理機能を高めるには言語脳の機能を高めることが大切になってくるのは事実である。

彼女は、具体物に即して言語インプットを高める方法をとっているところに特徴がある。

ドーマン法の具体的実践の貴重な試みとして、その価値は高い。

ここで、私が感心するのは、スセディックにしても由起子にしても、能力伝承を信じて具体的手法に即し、「ドップリと専念する」その意志を貫いていることだ。

わかっちぁいるけど・・・という人には、才能教育には向かない。

もちろん、自分が持ち合わせる才覚の範囲内でその実効が現われるのであって、すべての人がヴィッテやスセディックがやったと同じような結果になるとは言えない。

一〇〇%を目標として実践しても、五〇%の実践だったかもしれない。でも五〇%の成果があったとすれば、それはその子に大変よいことをして上げれたことになる。最上の悦楽を約束するなど不可能である。

だが、努力に対する悦楽は必ずある。私は多くの本を読んできた。それぞれに一生懸命に書かれた本であるが、読むということは、多くを知るということにはなるが、それは自己世界をつくる上で、一定の価値基準に適合する良材を得ることとはならない。

問題は、有用な価値をもつ内容をつかみ取り拾いだして、自分で取捨選択し、自己流の教育観を組み上げていかなければならないことだ。

三石由起子には由起子流の幼児教育があってよいのである。

こうした意味では、子どもの能力開発が順調である場合、親の幼児教育が順調であった結果であると言えるし、より優れていた場合は、親の幼児教育が、より優れていた結果であると言える。

ただここで誤解してはいけないことは、能力開発という言葉は、心脳体を含めた意味であって、誰しもの目につく学力評価だけではないことだ。

あえて言えば「有り難うございます」の挨拶ができないことは、たとえ試験で一〇〇点とったとしても、人としての心の価値はまだ未成熟なままであり、親の幼児教育がそうした結果を生んだことにほかならない。「有り難うございます」という挨拶ができるということは、たとえ試験で0点とったとしても、人としての心の価値は成熟しているのであり、親の幼児教育がそうした結果を生んだことにほかならない、ということである。

大切なことは、能力開発という言葉がもつ意味を、正しく理解していなければならないということだ。

早教育とか、0歳教育とか、才能教育とか、幼児教育という表現は、多少の意味合いが異なるにしても、全人教育というあらゆる分野を含めた意味で使われているし、豊かな背景を認識していなくてはならない。

ジツコ流も生まれるし、由起子流も生まれるし、〇〇流があってもよいが、心脳体の能力開発でなければ、とんでもない結果が現われる。自戒すべきことである。

ヴィッテもドーマンも、くれぐれもそのことを戒めている。

【 5 その他の人たち 】

 ピアスの大河は別にしても、ドーマンの幼児教育の流れに一舟を浮かべ、各種各様の羅針盤による航法が、いろいろの人によって紹介されるようになってきた。

私は四人の考え方を解釈して述べたが、自己世界の構築という課題の最初の一歩がことに重要な意味を持つものであるから、いろいろの角度からの切り込みを試みた。それぞれの特徴を一々挙げて私見を述べることを省き、その他の人たちという項をとって、その概要紹介をしようと思う。

*胎児教育
  ジツコ・スセディック 最高、実践的            「胎児はみんな天才だ」
  ピアス 生命論理の紹介、私の論理的中核        「マジカル・チャイルド」
  バーニー 総合的に胎内環境の在り方を説く           「胎内育児法」
  大島 清 バーニーに準ずる胎内環境を説く             「胎児教育」
  夏山英一 バーニーに準ずる胎内環境を説く        「二八〇日の胎教」

*幼児教育
  ピアス 最高、病院出産を鋭く批判、文化の持つ欠陥 「マジカル・チャイルド」
  ドーマン ドーマン法                   「子どもの知能は限りなく」
                            「幼児は算数を学びたがっている」
                                    「親こそ最良の教師」
  スタインバーグ ER法、言語認知           「二歳から童話が読める」
  三石由起子 日本の実践者、言語認知             「天才児を創る」
  ルディングトン IS刺激法      「驚くべき秀才づくり赤ちゃん育児の秘密」
  七田 真 全般にわたる                   「塾なんかもういらない」他17冊
  井深 大 パターン認識                  「0歳 教育の最適時期」他7冊

*右脳と左脳
  ブレークスリー 想像力の活性化                    「右脳革命」
  春山茂雄 意志による心身コントロール法              「脳内革命」
  品川嘉也 右脳トレーニング          「右脳を使えない子は頭が悪い」
  永田勝太郎 能幹人間                          「脳の革命」
  志賀一雄  α波の効用                      「潜在脳の発見」

*その他
  鈴木鎮一                             「幼児の才能教育」
  公文 公                                 一連の著書
  石井 勲                        「石井式  漢字教育革命」
  蓬田康弘                            「〇歳からの英才食」
  伊東弘祐                             「スーパー速読法」

などそれぞれの人には、それぞれ得るところがある。

私は、幼児教育を考えていく上で、自分の肉となり血となった人々を取り上げ、それに所信を述べてきた。人づくりの上では、まず第一にその仕組みを完全に理解していかないと大変なことになると考えたからである。

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