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◆ ワープロ




 ワープロというものを使いはじめて、はや三年。使いはじめた当初は、ほとんど清書のための道具だった。
 ぼくは字が汚い。だから自分の書いたものを人前に出すには、大きな抵抗があった。また、書くことにも積極的になれなかった。
 そんなコンプレックスを取り除いてくれたのが、ワープロだった。
 それ以来、ぼくはなんの気兼ねなく、思いを文に表すようになった。それが高々数年のことではあるが、おそらくワープロがなければ今のぼくはなかっただろう。
 それほどに文を書くこと、そしてそのための道具ワープロは重要な意味を持っていた。
 こんな、癖の多いヘタな文でも昔からすれば、少しは上達しているはずである。いくらなんでも三年前から進歩なしということはないだろう。(と信じたい)
 でも、その技術はワープロを使った上で習得したものであって、紙と鉛筆でというものではない。
 だから、ぼくの文を書く習慣というのは、完全にワープロの上になりたっている。 いつしか、ぼくは手書きでは文章を作れないようになっていた。
 最初は「清書マシーン」でしかなかったものが、完全に「文章作成マシーン」になっていたのだった。
 ワープロなどを使わない人には、理解しにくいかもしれないが、手書きとワープロでは、書くときの思考がだいぶ違っている。
 ワープロの場合、文の修正が楽にできるので、思いついたことをどんどん書いていってしまう。文の接続や、文体の違いなんか関係ない。とにかく、まず打ち込んでしまう。それから削除や挿入、移動、コピーなどの機能を使って、文章に仕上げていくのだ。気に入らなければ、何度だって書き直す。それらが全然苦にならないのがワープロのいいところだ。
 別の言い方をすれば、カット&トライで文章をつくっていくと言ったところか。さらに別の言い方なら、本来、文章の仕上げの段階で行なう推敲、あれの大掛かりなことを文章作成の段階でおこなうともいえるかもしれない。
 それに対して、手書きで文章を作る場合はどうだろうか。手書きはワープロほど修正が楽ではない。普通は頭の中である程度考えて、書くことが決まってから手を動かすのではないだろうか。あとの推敲の段階を意識して、最初っからある程度出来上がった文にしようとする。
 ここらへんに大きな違いがある。そう、ワープロ思考の人が手書きをすると、まず一回ではまともな文章にならないのだ。支離滅裂でとんでもないものが出来あがる。しかもワープロの簡便さに慣れきってしまっているので、紙の上でそれを修正するのが億劫に感じられる。よってすぐ投げ出す。やっぱりワープロの方がいいやといって。
 そしてますます手書きから遠退いていってしまう。
 とまあ、ぼく自身、以上のような経験をふまえて今日に至っている。
 でも、そんなでこんなでありながらも、やっぱりよくないなあとは思っていた。機械に頼り過ぎてると思った。特にそれを強く感じたのは旅先においてだ。
 その頃には、見たり聞いたり感じたりしたことを、何でも文章の記録として残す癖がついていた。旅ともなると、非日常なわけで、書きたいと思うことがいくらでもあった。感動は新鮮なまま保存しておきたい。長期に渡る旅行では、たいてい夜ノートに向かうのだが、しかし、書けないのである。ノートとペンを目の前にしても、ぜんぜん手が動かないのだ。気持ちはワープロを欲していてペンは受け付けなかった。愕然とした。ここまでおちぶれてしまったのか、と。
 こうして貴重な体験のいくつかを形にし損ねた。旅行後に書いたものは(ぼくの気持ちの問題として)どうも臨場感に欠ける気がした。あのときに書いていれば、と悔やまれる。
 そんなこともあって、以後なるべく手書きを心掛けるようにした。でもやっぱりワープロで書いた方が断然はやい。そこで、「時間がない」をいいわけに、相変わらずワープロオンリーの日々が続いた。
 そしていま、今度こそはという決意で手書きの習慣化を試みている。この文集は基本的に手書きで作成した。ワープロを使っているのは清書の段階から。
 やっぱり文章を書く基本は手書きであると思うのだ。なにがなんでも手書きでというつもりはないが、最低限、ワープロと同じくらいには書けるべきだ。
 そうでないと、人間と機械、どっちが主体なんだかわからなくなってしまう。
 ワープロとかコンピュータは確かに便利だ。使えないよりは使えた方がいいに決まってる。社会もそれを求めているだろう。
 でも、そんなもんは、世の中の情勢が変わってしまえば意味がなくなる。極端な話、今の文明が廃れてしまったら、コンピュータなんか扱えたって何の意味もないのだから。
 どんな条件下でも対応できる人間の能力。それを身に付けるのが一番大切だと思う。文章表現でいうなら手で書くこと。
 今頃になってではあるが、その原点を取り戻そうと思う。






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焚き火のまえで 〜山旅と温泉記
by あきば・けん
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