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◆ だからぼくは本を読む




 いろんな人のいろんな考えを知るのが好きだ。人の考えに触れる――そのてっとりばやい方法が本を読むこと。
 同じものごとを見ても、その受け取り方は人それぞれ。みんなが自分と同じに感じてるなんて思うと大まちがい。
 当たり前と思っていたことが、実はそうではなかった。そんなことが多々ある。 本はそんなことも教えてくれる。そんな事実に気付かされると、一瞬はっとする。そして、そのあとに自分の殻から少し足を伸ばしたような、なんともいえない、いい気分になる。柔軟性のない自分をちょっと反省をしながら。
 そんな刺激を求めて、ぼくはエッセイをよく読む。
 エッセイストと呼ばれる人達には本当に感心させられる。日常生活の中から、よくあれだけのものごとを見つけ出せるものだ。なんでもない日常のひとこまから何らかの事実を見出だす。身の周りに満ちているちょっとしたメッセージも見逃さない。
 そう、みる人がみれば世の中刺激であふれているのだ。どんなにつまらない単調な生活にみえても、私たちは四方八方から矢のような刺激を受けている。要はそれに気づくかどうか、本人の問題。
 自分の殻にこもっているかぎりは、何の進展も望めない。まず、自分を抜け出すこと。そして、いつも感度のいいアンテナを張りめぐらす。なるだけ広帯域で無指向性のアンテナがいい。より多くを受けとるために。
 アンテナを張った。さあ、あとは待つだけ。
 ――でも、なにかもの足りない。入ってくる信号はいつも県内から。アンプ入れてゲイン稼いでも、せいぜい関東周辺の放送ばかり。
 沖縄のラジオが聞きたい。さて、どうする? 答えは簡単。ラジオを持って沖縄に行けばいい。
 それと同じ。感性を研ぎ澄ますのと、あと大切なのは自分から動くこと。
 外からのメッセージに気づいても、それを生かすか殺すかは、またじぶん次第。
 やっぱり、最後は考えること。そのひとことに尽きる。
 同じ生活をしていても、そこらへんの違いで人間の幅に差が出てくる気がする。ひとつのものごとを見て、そこからどれだけ多くのものを得られるか。またどれだけ多様な捉え方ができるか。
 エッセイストたちの感性と、考えの深さには敬意に値するだけのものがある。
 そんな人達のように有意義な生活を送りたい。無駄をムダとしない強いバネが欲しい。
 だから、ぼくは本を読む。






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焚き火のまえで 〜山旅と温泉記
by あきば・けん
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