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◆ 人を描き出す文章




 人が個人的に書いた文を読むのはおもしろい。
 話をする以上に、その人を知ることができるに思える。
 人ってあまり正直なものではないけど、文の中には、どのように書こうとも、その人の本音が表れる。
 話の中から読み取るのは難しいことでも、文からならたやすい。
 なにか、ひとつのことをいうにしたって、文の微妙な言いまわしとか全体の雰囲気で、その人の考えている程度が読みとれる。無理な展開であったり、不自然な部分が多ければ、「あ、この人無理してるな、本音は別の所にあるようだ」なんて感じとれてしまう。そう考えて読んでいくと、どうも、書かれていることをそっくり裏返したもの、それこそがその人の本音じゃないかと思えることもある。たぶんそこら辺は会話からだと一度聞いたくらいでは判断できない部分だろう。
 また、文の内容とは直接は関係ない、その人の性格や人となりなんかもおぼろげながら見えてきてしまう。だからこそ、人の書いた文を読むのはおもしろいのだ。 でも、それを取って返せば、自分の書いた文には、自分の性格が表れてくるということ。きっと自分の文章のなかには自分でも気付かないようなものが隠されているのだろう。自分の書いたものの中にこそ、本当の自分が表れている。
 そう思いながら、自分の書いたものを眺めると、つくづく嫌になる。
 自分ってこんな人間だったのか、と思うようなことをまざまざと見せつけられる。でも、そこが大切な部分だ。それは普段人はなかなか言ってくれないことだから。 こんなふうに文は内面を写す鏡のような働きもある。客観的に自分を見つめる上ではとても有用だと思う。
 また、自分が自分で分からなくなったとき。そんなときは何でもいいから書いてみるといい。それを他人の書いた文章のつもりで、分析してみる。こいつはこう書いているが、本当はなにを言いたかったのだろうか。この言い回しはなにを含んでいるのか。そしてあれこれ無責任な推理をしてみる。そんな過程からなにか見えてくることもある。
 人の書いた文から、その人を知ろうとするのもおもしろいが、それ以上に「未知の存在でありながら、最も近い存在」=自分の深層を覗くのはもっとおもしろい。 (でも重く考えすぎて、気が狂う人もいるらしいから気をつけなくちゃ)






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焚き火のまえで 〜山旅と温泉記
by あきば・けん
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