〜大切な人・前〜




 ザシュッ

 肉を斬り裂く音がマイクロトフの鼓膜を震わす。だが、マイクロトフは動じることなく一歩踏み込んでもう一度剣を振るった。首を切断された魔物は黒い血を撒き散らしながら絶叫を上げる。胴体は地に倒れ伏し、その傍に転がる首はおぞましげな顔を歪ませながらマイクロトフを睨みつけた。
「お、おのれ! 人間ごときがっ…!」
 首だけになってもまだ生きている魔物はしゃがれた声で恨みがましく唸り声を上げる。
「おまえが殺した人々の無念さを少しでも味わって死ぬがいい」
 マイクロトフは静かな顔つきでそう告げると剣を振り上げた。
「貴様を呪ってやる! 貴様のいちばん大切な者が無残な死を遂げるよう、死の呪いを!」
「な、に?」
 魔物の叫びにマイクロトフの動きが止まった。脳裏に浮かぶのは鮮やかな赤。
 明らかに動揺したマイクロトフに魔物は、くくく、と耳障りな声を上げる。
「貴様はその死を見届けて己の無力さを恨むがいい!」
 魔物の首は最後の力を振り絞り、マイクロトフの首を目がけて跳躍した。マイクロトフの反応が一瞬遅れ、鋭い牙が首にある急所を狙う。牙が立てられようとしたそのとき。
 マイクロトフの肩に背後から手が触れ、後ろに引いた。と、同時に肩越しに伸ばされた手の先から炎が迸る。魔物は断末魔の叫びを上げ、一瞬にして灰と化した。
 自ら放った炎の照り返しを浴びる姿は息を飲むほど美しい。その美貌は炎を放った主が人間ではないことを表していた。
「マイクロトフ、大丈夫か?」
 背後から心地良い低音が問うてくる。
「あ、ああ」
 歯切れの悪い返事にカミューの眉が寄った。
「どうした? 何かあったのか?」
「いや……、なんでもない。それより向こうは片付いたのか?」
 マイクロトフは湧き上がる不安を押し殺してカミューに問う。
「もちろん」
 カミューは得意げに胸を反らせた。



「やりすぎだ、馬鹿……」
 マイクロトフは部屋に満ちた焦げ臭いに顔を顰めながら呆れたように呟いた。あれだけいた魔物はすべて炭の山と化しており、原型がわかるものは一匹もいない。
「だって、昨日、いっぱい力をもらっちゃったし?」
 カミューは意味ありげに笑うと右手を閃かせた。ふわり、と青白い炎が一瞬現れ、すぐ消える。
「なっ……!」
 カッと赤くなって絶句するマイクロトフにカミューは、すーっと宙を移動して近づくと、
「マイクロトフの『精』は極上だからね。力がみなぎってしょうがなかったよ」
 と、顎を持ち上げ、色を含んだ笑みを浮かべた。
「おっ、俺のせいにするな!!」
 マイクロトフが拳を振り上げたとき、背後から声がかかる。
「おう、あんたらも無事だったんだな」
 二人が振り返ると、そこにはこの屋敷の魔物退治を一緒に請け負った二人組がいた。二人とも少々汚れた格好をしているが、とくに大きな怪我はなさそうである。
「ビクトールどの、フリックどの。ご無事でしたか」
 途中で二手に分かれて行動したため、安否を気にしていたマイクロトフはほっと安堵の息を吐く。
 依頼が終了した4人は屋敷を後にした。



「それにしてもおめぇの使い魔は大したモンだな」
 ビクトールは大きなジョッキを傾けながら感心したように言った。隣では同じくジョッキを傾けているフリックが頷く。
「使い魔とは思えない力の持ち主だ」
 2人に手放しで褒められ、マイクロトフは少し困ったような笑みを浮かべて、ええ、まあ、と曖昧な返事を返した。隣ではカミューが興味なさそうにワイングラスを傾けている。

 使い魔とは人間と契約し、人間の命に従う魔族である。人間より遥かに大きな力を持つ魔族が人間に従うなど普通はありえない。下級の種族が力ある人間に捕えられ、仕えることを強要される場合がほとんどだった。また、命と同等の価値がある『名』を知られ、それを楯に契約させられたりすることもある。
 確かに使い魔としてはカミューの力は大きすぎるものだった。だが、それには秘密がある。カミューは魔族の中でも最上位の悪魔だったのだ。昔、とある事件で力のほとんどを失い、淫魔と呼ばれる下級種族にまで身を堕としたとはいえ、潜在能力は桁違いだった。

「敵として出会うことがないことを祈るよ」
「そうですね。敵として出会ったら瞬時に消し炭でしょうからね」
 にっこりと花が綻ぶような笑みを浮かべて言うカミューにビクトールとフリックが瞬時に凍りついた。さっきまで仲間として一緒に戦っていたはずなのに、このためらいのなさは何なんだ、と思わないでもない。だが、相手は魔族なのだから人間の仲間意識や情というものは通用しないのは当然かもしれなかった。
「カ、カミュー!」
 なんてことを言うのだ、とマイクロトフが睨みつけてもカミューはどこ吹く風である。
「おまえに敵対するヤツは誰であろうと容赦するはずがないだろう?」
 真っ直ぐにマイクロトフを見つめるカミューにマイクロトフは困ったように眉を寄せた。
「ま、まあ、おまえらがいて助かったぜ」
 ガハハ、と豪快な、それでいて誤魔化すような笑い声を上げてビクトールがマイクロトフのジョッキにビールを注ぐ。今日は、魔物を退治したお礼に、ということで酒も料理も無料で振舞われていた。ビールが入っていた空樽が隣のテーブルにごろごろと転がっていた。
「俺たち2人だったらちょっとヤバそうだったからな」
「いえ、お2人とも素晴らしい腕前ですね」
 聞けば2人は剣の腕を頼りに旅をしているという。用心棒、傭兵、そして今回のような魔物退治。たった2人で旅をしているだけあって、その腕は相当なものだった。
「いや、おまえさんも相当なもんだぜ」
「ああ」
 マイクロトフははにかんだ笑みを浮かべる。それを見たカミューはおもしろくなさそうにグラスのワインを一息に空けた。
「お、空か……」
 それに気付いたビクトールが給仕に次の杯を頼もうとしたが、それより先にカミューがマイクロトフの服の袖を引いてねだるように言う。
「ねえ、お腹空いたんだけど」
 そのセリフにマイクロトフとフリックが同時に吹き出した。それに気付かないビクトールが料理の乗った皿を差し出す。
「なんだ。腹が減ってるならどんどん食え」
「いや。俺には『特別』のごちそうが待っているからね……」
 カミューはマイクロトフを見て意味ありげに笑った。マイクロトフは酒が気管に入ったらしく激しく咽ている。
「ん? 何かあるなら遠慮なく食え」
「いや、ここではちょっとね。なあ、マイクロトフ……」
「カッ、カミュー! 部屋に行くぞ!!」
 話を遮るように怒鳴るマイクロトフの顔は真っ赤だった。カミューは、にやり、と的を得た笑みを浮かべるとゆっくり立ち上がる。
「そういうことなので失礼しますよ。お2人とも、ごゆっくり」
 上機嫌に微笑む様は男ですら見惚れるほど艶やかだった。ぽかん、と口を開けたビクトールがつられて「おまえらもな」と応えるとその笑みはますます深くなる。なぜか逃げるように居酒屋を出て行くマイクロトフと、その後を悠然とついていくカミューの姿が消えると、ビクトールは、ほう、とため息を吐いた。
「いや、やっぱり人間離れしているよな」
 あの美貌は。
 感心したように首を捻りながら酒を口にするビクトールにフリックは、
「おまえ、なんてこと言うんだ……」
 と、頭を抱えていた。
 フリックはカミューの言う「食事」がなんであるのかだいたいわかっていた。夕べ、隣の部屋から聞こえてきた物音が止むまで、一睡もできなかったのだから……。魔物には性交で力を得る種類があることは知っている。男同士(といってもカミューは魔物なので男といっていいのか疑問はあるが)でもかまわないのかはわからないが、あれがカミューにとっての「食事」なのだろう。そうでなければ人間が魔物と交わることなど考えられない……。
「おまえが魔物じゃなくてよかったよ」
「ん? 何か言ったか?」
 嫌味のつもりで言っても相手に通じるはずもない。隣のベッドでぐーすかといびきをかいて寝ていたビクトールの無神経さをフリックは恨めしく思った。

 今夜も眠れないのだろうか……。





 カミューは宿の屋根の上にいた。
 『食事』を終え、気を失うように眠りについたマイクロトフをベッドに寝かせ、自分は外の空気を吸うために出てきたのだ。魔族のカミューには、自然の気を閉ざす部屋というものが窮屈でならない。
 夜風に亜麻色の髪が柔らかく踊る。カミューは先程までの激しい熱を冷ますかのように目を閉じた。
 淫魔であるカミューの『食事』は人間にとっては『情交』と呼ばれる行為にあたる。男と女が子を為すための営みであり、一般的には愛を確かめ合う行為だとされているが、肉体の快楽を求めるためだけに行なう者もいるのだから根本的には欲求の表れであるといえよう。人間とて所詮は動物。本能に従って生きる生き物なのである。
 普通、淫魔と交わった人間は、たちまちその快楽の虜となり、性欲の奴隷と化す。淫魔が再び姿を見せれば自ら腰を振ってねだり、浅ましく求めるようになる。人間といえど、一枚皮を剥げば獣となんら変わりないのである。
 だが、マイクロトフは溺れない。
 与えられる快楽には確実に夢中になっているというのに、自分から求めるような真似は一度もしたこともない。それどころか、行為に及ぶことにあからさまに抵抗したりはしないが、まだ心の底ではためらいが残っているように感じる。そんな葛藤を抱きつつ、おとなしく受け入れているのは、この行為がカミューにとって必要だから、とあきらめているようであり、それはカミューを酷く苛立たせた。人間ごときに妥協されるなど、魔族としての矜持が許さない。しかし、そう思う一方で、快楽に陥落しない彼に安堵している自分がいることにも気付いていた。彼を抱くようになって10年が経とうとしているが、彼は自分らしさをなくすことなく、この関係を受け入れている。その頑なな理性を壊してやりたい、と思いながらも、浅ましくねだってくる姿など見たくもない、とも思っていた。
 そんな矛盾する感情に一時期は悩んでいたが、今ではどうでもいいことだ。
 彼に望むのはひとつ。

 彼が自分の傍から離れなければいいのだ……。

 悪魔、という魔族の最高位を捨ててまで命を救った少年。いや、あのときは我が身が滅んでもかまわないと思ったのだ。力を使い果たしたせいで低級の淫魔へと身を陥としたというのに、目覚めたときに隣に彼の姿を見つけたときの胸に湧いた感情をなんといえばいいのだろうか。一目見たときから彼の纏う光に惹かれ続けているのだ。

 この想いを表現する術を魔族は知らない……。



つづく




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