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『貴様を呪ってやる! 貴様のいちばん大切な者が無残な死を遂げるよう、死の呪いを!』 禍々しい声と共に目の前が真っ赤に染まる。マイクロトフは咄嗟に腕で顔を庇った。やがて、辺りが静かになり、ゆっくりと目を開ける。 その目に映ったものは……。 マイクロトフは声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。辺りは暗闇に包まれており、自分がベッドに寝ていたことを知る。だが、夢か、と安堵することもできず、肩で荒い呼吸を繰り返した。心臓が破裂しそうなほど早鐘を打ち、全身に嫌な汗を掻いているのを感じる。夢の中のしゃがれた声が耳にこびりつき、全身が粟立った。 あれは……。 夢ではない。あの魔物は死ぬ間際、自分を呪うと言ったのだ。 床に倒れていた姿を思い出し、マイクロトフは寒気をこらえるように己を抱く。血の海に沈んでいてもなお美しいその姿は……。 ちらり、と隣に目をやれば先程まで自分を散々翻弄していた男の姿はない。魔物ゆえ眠る必要がないカミューは、たまに戯れで自分を腕に閉じ込めたまま朝を迎えることはあるが、大抵は行為の後に姿を消す。だから、カミューが傍らにいないのはめずらしいことではないが、今のマイクロトフにはそれが不安でしょうがなかった。 「カミュー……」 小声で名を呼んでみる。それは隣に寝ていたとしても眠りを妨げるまでもいかないほど小さい呟きであったが、魔物にはそれで充分だった。 ふわり、と頭上の空気が歪んだかと思うとカミューが宙に姿を現す。 「マイクロトフ、どうした?」 足りなかったのか? と、からかうように笑うカミューだったが、マイクロトフは顔を上げないまま、静かに問いかけてきた。 「カミュー……、魔物には呪いをかける力があるのか?」 てっきり真っ赤になって突っかかってくると思っていたカミューは内心、おや、と思う。だが、とりあえず質問に答えてやった。 「ああ、低級な魔物の中には己の命が尽きるときに、苦し紛れの最後の足掻きとでもいうか、その命を賭して呪いをかける者がいるが」 「そうか……」 静かに応えたマイクロトフの声はわずかに震えているようだった。カミューは訝しげに眉を寄せる。 「どうかしたのか?」 「いや、なんでもない……」 マイクロトフは再びベッドに横になり、頭から布団を被る。カミューはその姿を凝視していたが、これ以上何も話す気がないことを悟ると静かに姿を消した。 カミューの気配が消えるとマイクロトフはそっと目を開ける。 大切な者。 幼い頃に両親を亡くし、身寄りのなかった自分を引き取って育ててくれた神父がいた。その神父の元を裏切るようなかたちで離れたのは10年前のこと。 そんな自分に残る大切な者など一人しか浮かばなかった。その者を大切と思うなど、人として許されることではないとはわかっている。だが、10年間、共に歩んできたのだ……。 カミュー……。 マイクロトフは闇の中、ひとつの決心をした。 次の朝、マイクロトフは隣の部屋を訪ねていた。 「え? 本気か?」 驚いたように目を見開くビクトールとフリックに、マイクロトフは真剣な面持ちで頷いた。 「お願いします。俺が一人でもやっていけるようになるまででいいのです。お2人に同行させてください」 マイクロトフの言葉に2人は顔を見合わせる。朝早くに部屋に押しかけてきたと思ったらいきなり「一緒に連れていってくれ」と懇願されたのだ。事情がさっぱりわからなかった。 「そりゃ、かまわねえけどよ……」 ビクトールがとまどったように眉を寄せながら、寝癖でおさまりの悪くなっている頭を、ぽり、と掻く。その隣でフリックは「一人でも」というセリフに引っかかりを覚えた。 「あの使い魔はどうするんだ?」 マイクロトフは一瞬動きを止め、わずかに目を伏せる。 「彼とは……契約を破棄します」 「なんでだよ? あんなに強いの、そうはいねえぜ?」 「なにかあったのか?」 昨日の戦いぶりを見れば2人の息は文句なく合っていた。今までいろいろな使い魔と主を見てきたが、この2人ほど対等に渡り合っている関係は見たことがなかった。使い魔は大抵、無理矢理に契約をさせられるせいか隙あらば主の命を狙うような危うさを孕んでいる。だが、この2人にはそんな緊張感はかけらもなく、言うなれば長年の友人のようだった。なぜ契約を破棄しなくてはいけないのか。 2人の疑問にマイクロトフは唇を噛んだ。 「それは……」 「ふざけるのも大概にしてもらおうか」 突然、第三者の声が割って入った。マイクロトフが弾かれたように顔を上げると、2人の背後にいつのまにかカミューの姿がある。 「カミュー……!」 無言のままゆっくりとマイクロトフのほうに歩み寄る姿は逃げ出したくなるほどの怒気を纏っていた。琥珀色の瞳が魔物特有の金色に輝きはじめ、それを見た3人の背筋に冷たい汗が流れ落ちる。 カミューは金縛りにあったかのように動けないでいるマイクロトフの前に立つと、顎に手をかけ、間近に瞳を覗き込んだ。 「2人を殺すぞ」 「え……?」 「俺から離れるというなら、これからおまえが関わるすべての人間を殺してやる」 なんのためらいもなく言い放つ姿は本気以外の何者でもなく、その殺気にマイクロトフは息を飲む。 「やめろ……」 力なく頭を振って懇願した。だが、 「やめない」 即座に拒否される。マイクロトフは痛みをこらえるように眉を寄せた。それは、思ったとおりに事が運ばなかったことへのあきらめと、カミューが残虐な魔物だということを失念していた己への後悔とも叱咤ともつかない複雑な心情の現れだった。 「……だったら俺を殺せ」 「なんだと?」 金色がかった瞳に剣呑な光が宿る。 「カ……」 名を呼ぼうとした唇はおもむろにカミューのそれによって塞がれた。驚いて見開いた目を、カミューの睨みつけるような、それでいてどこか苛立った瞳が見据えている。マイクロトフはその視線を捉えて、ああ、やはり綺麗だな、と、ぼんやり思った。カミューが浮かべる表情はどれも綺麗で、そして、確かな温かみを感じる。魔族は人間の存在など歯牙にもかけないため、対峙しても侮蔑を含んだ冷たい無表情でいることが多い。だが、カミューは感情のままに、ころころと表情を変えた。今の表情も嘘偽りなく感情を表現している。 マイクロトフの心から恐怖が消え、あきらめとは違う穏やかな感情が胸を包んだ。このまま殺されてもいい、と静かに目を閉じる。 しかし、口付けははじまったときと同じく唐突に終わった。唇を離したカミューがマイクロトフの腕を取る。 「行くぞ」 声と共に2人の姿が消えた。 部屋に残されたビクトールとフリックはしばらく動けなかったが、ようやくどちらともなく大きく息を吐く。身体中にどっと嫌な汗が吹き出た。 「なんだったんだ……?」 「さあ……」 自分たちを見向きもしないで、殺す、と虫でも殺すかのように簡単に言い放った魔物の姿を思い出し、厄払いするかのようにぶるぶると頭を振る。 痴話喧嘩に巻き込まれて殺されたのではたまったもんじゃない。 命拾いしたことに心底安堵した2人だった。 「さて、ゆっくりと話を聞かせてもらおうか?」 カミューの力で瞬時にマイクロトフの部屋に戻った2人は向き合っていた。マイクロトフが答えに窮して俯くと、頭上から非情な声がかかる。 「言わないならあの2人を殺すぞ」 「あの人たちは関係ない!」 慌てて顔を上げると、どこか冷たい視線にぶつかった。 「そう。あいつらは何も関係ない。それなのに、おまえはその関係ないやつらと行動を共にすると言ったんだぞ」 「それは……」 言い淀み、再び俯こうとするマイクロトフの顎にカミューの手がかかる。ぐい、と少し遠慮のない力で持ち上げられた。 「俺から離れるなんて勝手な真似、許すとでも思っているのか?」 至近距離から見つめてくる琥珀色の瞳に、逃れることのできない圧倒的な力を感じる。観念するしかなかった。マイクロトフは呪縛されたかのように目が離せないまま、口を開く。 「昨日の魔物に……」 言葉を続ける唇がわずかに震えるのを止められなかった。 「呪いをかけられたんだ」 「呪い?」 カミューは軽く眉を寄せた。夕べ、マイクロトフがいきなり呪いのことを聞いてきたことを思い出す。あのとき、様子がおかしかったのには気付いていたが、魔物ゆえか人間の機微には疎いというか頓着しないため問い詰めたりはしなかった。それがこんなことになろうとは。 カミューは舌打ちしたい思いで問いかけた。 「どんな呪いをかけられたんだ?」 「……大切な者が無残な死を迎える、と」 「大切な者?」 「だから……俺はおまえから離れようと思った」 離れれば思いも離れるだろう、というのがマイクロトフが考えに考えた末の結論だった。 10年前、カミューが命を懸けて自分を助けてくれたことがある。自分が助かったとき、代わりに倒れているカミューの姿を見て、恐怖に身体が震えた。あんな思い、もう二度としたくない……。 マイクロトフは血が滲みそうなほど唇を噛んで沈黙する。そこに呆れたようなため息が聞こえた。 「馬鹿か」 「なんだと?!」 一晩中悩み、身を切る思いで決心したというのにそんな一言で片付けられ、マイクロトフは目を剥いた。 「一晩中、真剣に考えたんだぞ! おまえを死なせたくなかったから俺は……!」 「だから馬鹿なんだよ。その前に俺に一言聞けばよかっただろうが。変なことだけ聞いて肝心なことは聞かずに一人で悩むなんて」 本当に馬鹿だ、とカミューは繰り返した。 「肝心なこと……?」 「あの程度の魔物の呪いに俺がかかるわけがないだろう」 「え?」 ぽかん、と口を開けるマイクロトフにカミューは「みくびるなよ」と目を細める。 「だいたい、あれにとどめを差したのは俺だろう。呪いというのはじわじわと朽ちるように死を迎えていく間に怨念を込めて成就させる。だからマイクロトフに首を刎ねられた状態で死んでいれば呪いはかけられたかもしれない。だが、あんな一瞬で消し炭になったら何もできないさ」 「そう……だったのか……」 マイクロトフは全身から力が抜けるのを感じた。膝が崩れそうになるのをカミューが笑いながら支えてやる。 マイクロトフが、自分の早とちりというか知識不足で随分恥ずかしい真似をしたような気がする、と恥じていると、カミューの身体が笑いに震えているのに気付いた。足を踏ん張って自力で立つと、一歩身体を引いてカミューを睨みつける。 「いつまで笑っているんだ!」 「いや……、大切な者、ね」 くくく、と喉を震わせるカミューにマイクロトフは首まで真っ赤になった。カミューはそれを見てますます笑う。 「変わったヤツだな、おまえは」 魔物である自分を大切などとは。 「……おまえにだけは言われたくない」 マイクロトフは憮然と返した。こんな人間然とした魔物など見たことも聞いたこともない。 二人は顔を見合わせて……同時に吹き出した。 「まあ、変わり者同士でいいんじゃないのか?」 からかうようにカミューが言えば、 「まあな。今、思えばおまえみたいなヤツを野放しにしておけるはずがない」 マイクロトフも肩をすくめてみせる。2人の間にいつもの空気が流れた。それに安堵したのも束の間、カミューがまた距離を詰めて顔を覗き込んでくる。 「それより、マイクロトフ」 「なんだ?」 「腹が減った」 カミューのセリフにマイクロトフは言葉を失くした。 カミューの『食事』の相手になって、もう10年が経とうとしている。初めて交わったときはまだ年端のいかぬ少年だったが、今では立派な体躯の青年となった。随分と抱き心地も変わっただろうと思う。 「……飽きないのか?」 近づいてくる端整な顔に問うた。 「飽きるわけがない」 琥珀色の瞳を細め、口付けてくる。マイクロトフはあたりまえのように入り込んできた舌を受け入れながら、この関係はいつまで続くのだろう、と思った。自分はいずれ老いる。カミューは歳をとらないのだろうが、なんの気まぐれか自分に合わせて姿を成長させてきた。自分と同じくらいの容姿じゃないと抱くのに不便だからかもしれない。しかし、誰が老人の姿になりたいと思うだろうか。いずれ、カミューは姿を成長させるのをやめるだろう。そうすれば自分ばかりが歳を重ねていく。当然、いつかはカミューの相手もできなくなる。 そうなったとき。 自分たちはどうなるのだろう……。 マイクロトフの心に言いようのない不安が広がったが、今は目の前のぬくもりを受け止めようと静かに思考を閉ざそうとした。 そのとき。 「おい、服を脱いで足を開け」 にべもない口調でカミューが言った。 「なっ……!」 あんまりな要望にマイクロトフが絶句すると、カミューは、たまらない、とばかりに吹き出す。 「ほら、こういうことをするようになって、10年経つというのにおまえはちっとも慣れない。いちいちそんな反応を返されては飽きるどころではないだろう?」 赤くなった頬を撫でながら笑うカミューにマイクロトフは悔しそうに睨み上げた。 「じゃあ、何か? 俺が男娼のように自ら足を開いて誘うようになれば飽きるとでも言うのか?」 悔し紛れのセリフにカミューは一瞬目を見開いたが、すぐおかしそうに目を細める。 「そうかもしれないが、そんな真似、おまえにできるのか?」 ぐっ……と言葉に詰まるマイクロトフにカミューは声を立てて笑った。 「まあ、『食事』の相手など、本当は誰でもいいんだけどね」 『精』を摂れればいいのだから、と告げる軽い口調に、ずきり、とマイクロトフの胸が痛んだ。マイクロトフはそんな自分に驚き、とまどう。これではまるで……。 自分の思考にますます動揺してしまうが、無理矢理それを押し隠して無表情を装った。だが、カミューはお見通し、とばかりに目を細め、 「でも、おまえは嫌だろう?」 と、顔を覗き込んでくる。 「なっ……!」 瞬時に真っ赤になったマイクロトフにカミューは満足げに笑んで軽く口付けた。 「だからおまえだけでいいよ」 おわり |