第二章 飾ることなく、そして正直に
「じゃあ、僕はこれで」 指定の場所の近くまで来た所で、僕は立ち止まった。 ここなら茂みに隠れられるし、ほどほどに離れているから丁度良いだろう。 「……分かった」 いつもより少し遅く、柊さんは歩いていく。 3歩ほど歩いた所でこちらを振り向いてこう言った。 「そこにいてね?」 「いるよ」 再び歩き出す。2歩歩いた所で、もう一度振り向いて言う。 「逃げないで」 「逃げないよ」 更にもう1歩踏み出して一言。 「絶対だからね?」 「大丈夫だから。ほら、行ってきて」 そう言うと、柊さんはついに木の下へと向かった。 今度はもう、振り返らずに。 桜の木の下には、正一君が居た。
校舎裏の桜の木の噂。 春にこの木の下で異性に告白をすると、必ず結ばれると言われている。 なんでも、創立当初から語り継がれている噂らしく、 それにあやかって何人もの人がここで告白し、そして結ばれた。 今日もとある男女が、桜の木の下で――
グラウンドから離れているそこは、人の気配など一切なく、静かな空間となっていた。 春を感じる暖かなそよ風が、象徴である桜の花びらを舞わせる。 その中に、柊さんと正一君は立っていた。 「ひ、柊 美影さんですねっ?」 「は、はい。そうです」 緊張のあまりやや声が裏返ってしまう正一君。 頑張れ! 正一君! 正一君は大きく深呼吸をしてから、はっきりとこう言った。 「俺、3年5組の山川 正一って言います! 美影さん、前からずっと、あなたのことが好きでした!」
「俺と、付き合ってください!!」
頭を深く下げて確かに正一君はそう言った。 飾ることなく、自分の想いをただストレートに。 しばらく、その場は静寂に包まれた。 そして、再び風が二人を撫でた時、柊さんがその口を開いた。 「あ、あのっ。わ、私は……」 そこまで言った所で、柊さんは言葉を詰まらせて黙り込んでしまった。
やがて柊さんは、吹っ切れたようにしっかりと正一君を見据えて……。 『いつもの調子で』こう言葉を返した。 「フハハハハ! 貴様、正一と言ったか? まずは貴様の勇気を褒めてやろう。 だがしかし、一足遅かったな。我は既にアルテミスと契約を交わした身。 たとえ貴様が我が眷属になろうとも、契を交わすことは適わん。まぁ、我も鬼ではない。 貴様のその勇気を讃えて今生での僥倖を祈念している」 「……………………」 やっちゃった……。 血の気が引くことを感じると共に、僕は額に手を当てた。 そして僕は、なんだか見ていられなくなって視線を逸らした。 二人の間には、再び静寂が訪れた。 先程とは全く違う、正反対な意味合いでの静寂が。 「っ! あ……あ、あ……」 ここで柊さんが元の調子に戻った。 柊さんも僕と同じように、 いや僕よりも遥かに顔を青ざめさせて、今にも泣き出しそうにこう言った。 「あ、あの……ご、ごめ……ごめんなさいっ!」 そう言い放った後、柊さんは走り出した。僕が居る茂みの横を通り過ぎて…… 「柊さん!」 思わず叫んでしまった。 その時の柊さんはとても罪悪感に満ち溢れた表情をしていて。 僕が呼び止めても、彼女はそのまま何処かへと行ってしまった。 「柊さん……」
茂みから抜け出し、少し身繕いをする。 桜の木の方を見てみると、そこにはまだ正一君がいた。 「…………」 少しずつ正一君に近づく。 このまま放ってはいられなかった。声を掛けずにはいられなかった。 そんな、悲しそうに佇んでいる正一君を見てしまったから。 彼の近くに着いた時、僕は意を決して彼に声を掛けた。 「正一君。その……元気出して。柊さんも、悪気があったわけじゃ――」 「――こいい」 「え?」 僕が聞き返すと、正一君は呟くようにこう言った。 「かっこいい……」 「……え?」 あれ、僕の聞き間違いかな……? 今、なんかかっこいいって聞こえた気がするけど。 多分気のせいだよね、あはは。 心の中で少し現実逃避をしていると、正一君はいきなり声を張り上げてこう言った。 「なんてかっこいい人なんだ! 美しくもかっこよくもあるとは……! 美影さん、ますます惚れ込んだぞ!」 「しょ、正一君?」 「ありがとう、順斗! お前のおかげで無事告白することが出来た。順斗には感謝してもしきれない」 「ど、どういたしまして」 なんだ? どういう状況だ? さっきまで重い空気が流れていたのに、今はそれを吹っ飛ばす程の明るさがある。 春だから? 関係無い。 「…………」 僕が困惑していると、 正一君は突然とても落ち着いた表情になり、僕をしっかりと見据えてこう尋ねた。 「なぁ順斗。美影さんと親しい君なら分かるだろ? 俺は、振られたってことでいいんだよな?」 「え、あ……うん、多分」 先程の柊さんの言葉を思い出す。 恐らくだけど、正一君は振られたと思う。 肯定を示す言葉はどこにも入っていなかったし……。 「そうか……。ふふ、あはは」 力無く笑う正一君。 「ははは、振られた振られた。あー悔しいなぁ……ほんと、マジで」 笑う表情とは裏腹に、正一君の目に涙が溜まっていく。 瞳から一粒零れ落ちた所で、彼は涙を拭った。 「よし、今日からまた頑張るか。盛大に振られたわけだしな」 「あの、正一君。……柊さんのこと、悪く思わないでね? ああは言っちゃったけど、本当はもっと優しくて良い人だから」 「何を今更。そんなこと百も承知だよ。だから好きになった」 そう言った後、少し間を空けてから、正一君は微笑みながらこう続けた。 「分かってるよ、美影さんに悪気がなかったことぐらい。最後の謝罪で全部分かったさ」 「正一君……」 最後に爽やかな笑顔を浮かべてから、正一君は振り返り歩き出した。 肩ごしにこちらを見て、彼は僕にこう言った。 「順斗。本当に、ありがとうな」 そう言った後、正一君はグラウンドの方へと歩いていってしまった。 僕より大きく、たくましいその背中が、なぜかその時は悲しげに見えた。
続
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