第三章 市村高校の公開処刑人
その後、やっぱり追いかけた方がいいと言って、鈴本さんは美術室を出ていった。 それから何分か後に、ようやく増田への尋問が終わったようだった。 「ふん」 抜け殻になった増田を無造作に投げ捨てる西園寺さん。 用は済んだと言わんばかりに、近くにあった椅子へと座る。 その後、隣にいた柊さんがいつもの調子で僕達に報告してくれた。 「本当に心当たりがないみたい。知らないの一点張りだったわ」 「じゃあ、増田君じゃなくて人違いってことだね」 ほっと胸を撫で下ろすレイ君。 しかし柊さんは、決してその言葉に同意することはなく、こう言葉を続けた。 「そうとも限らない。いつの世も、やられた方は覚えているもの。 けど、やった方は覚えていないもの。彼が忘れたと解釈するのが自然」 確かにそうだけど……。 僕は増田の方をちらと見た。 いくら増田だって、そこまでしてはいないと信じたい。 柊さんの言ってることも分かるんだけどさぁ……。 この点については、レイ君も同じ意見らしく、 僕の気持ちを代弁してくれてるが如く、こう言葉を返した。 「で、でも、もし勘違いだったら増田君が可哀想だよ」 「そうね。だからあの程度で止めておいた」 そう言って増田を示す柊さん。 未だにピクピクと少し動くだけの物となっていたが、よく見ると外傷は一切無かった。 理想的な拷問って、こういうのを言うのかな? 拷問に理想的も何もないか……。 「そういえば、すーちゃんは?」 軽く部屋を見渡してそう尋ねる柊さん。 ちなみに、『すーちゃん』というのは、鈴本さんのことである。 2人は少し前からお互いをあだ名で呼び合っていた。 柊さんの問いには、篠原さんが答えた。 「琴音なら少し前に由里を探しにいったわ。来るなとは言われたけど、やっぱり心配だって」 「そう」 答えに満足したのか、柊さんはそれ以上聞かなかった。 再び美術室内が静寂に包まれようとした所で、扉を開けて何者かが教室内に入ってきた。 「おーい、鈴木いるか? ったく、めんどくさい」 シックな色調でまとめた服を身に纏っているその人は、 校内でもなかなかに有名な色んな意味で凄い人。 名前を盛大に間違えて入ってきた所から、僕は少し懐かしく感じてしまった。 というのも、僕は前に一度担当してもらったことがある。 僕にとって割と馴染みのある先生だったのだ。 二十代前半で女性。 男子生徒の間で話題になる程、綺麗でグラマラスな先生なのだが……。 それらを一気に相殺出来る中身の持ち主で有名だった。 その人に対しては、篠原さんが対応する。 「あっ、すみません。部長は今ちょっと所用で出てる所なんです」 「ありゃ、そうなのか。あんがとな篠崎」 「篠原です」 「おっと、これは失敬。ま、許してくれや」 全く悪気がなさそうに謝るその言動からは、その人の性格が如実に現れている証拠だった。 篠原さんが手慣れた様子でその人をあしらいながら話を繋げる。 「あ、そうです。先生。せっかくですから、みんなに挨拶していってください。 あの時より、部員が増えてますから」 「そうみたいだな。まぁ正直言うと面倒くさいが」 「お願いします」 「おー怖。はいはい、分かったよ」 篠原さんに半ば強制な感じで自己紹介を促されたその人は、 僕らが座っている所に近づき、あくまでも面倒くさそうにこう言った。 「えー。美術部顧問の新井だ。趣味は昼寝。嫌いなことは運動。これからよろしく」 篠原さんと増田以外の人は、各々軽く挨拶を返した。 僕も返事をするついでに、言葉を交わす。 「お久しぶりです、新井先生。いつ会っても相変わらずですね」 「およ、倉橋じゃねぇか。久しぶりだな」 覚えていてくれていたのか、そうじゃないのか、よく分からない返事をした先生に対して、 僕はもう何度目かの同じ返答をした。 「倉崎です。倉崎順斗です。いい加減覚えてください」 「すまんすまん。名前を覚えるのは得意だと思ってるんだがね」 ぼさぼさの頭をごまかしきれていない雑な結び方をした髪をかき上げて、言葉を返す新井先生。 するとふと目に留まったのか、先生は机の上に置いてある缶ジュースに手を伸ばした。 「お? これは私の好きなやつじゃないか。気が利くな」 そう言って、先生は近くにあった炭酸飲料を手に持ち、それを躊躇無く開けて飲んだ。 それ、多分増田の……。 本人は抜け殻のようになっていて、気づくことはなかった。 このように自分に都合良く解釈する点も含めて、 どこをどう見ても、生徒の悪影響にしかならない雰囲気を一身に纏っていた。 少し悩むようにして頭を掻いてから、篠原さんに向き直り言葉を続ける。 「……んじゃま、篠宮でもいいか。最終的に鈴村の耳に届けばそれでいい」 それでいいんだ……。 「そういえば、部長に用があるんでしたね。それと先生。いい加減にしてください」 「ありゃ、また間違えちまったか」 そうテンポ良く言葉を交わした後、新井先生は篠原さんに何やら話し始めた。 まだこちら側の自己紹介が終わった訳ではないのに。 マイペースな所も、本当に相変わらずだった。 「ねぇ、順斗」 「うん?」 少し懐かしんでいると、僕の肩をポンポンと叩きながら、柊さんが話し掛けてきた。 「順斗と裕子は、あの先生と知り合いなの?」 「知り合いって言うか、去年まで僕らの美術を担当をしてくれていた先生だよ。 その時に少しだけ話したことがあったんだ」 あの人こそ、公開処刑を実施し始めた張本人。今まで何人の人が辱められてきたか。 他にも、あの人は印象に残り過ぎる。こう、色んな意味で。 柊さんを含め、この場にいる人のほぼ全員が新井先生と面識が無いことを察した僕は、 本人になるべく聞こえないように、新井先生の紹介を始めた。 「新井 静香(あらい しずか)先生。 学校一適当で有名な人なんだ。 授業は放ったらかし、アドバイスは気まぐれ。 授業開始時に、教室内に居ることの方が珍しい人なんだ。 それで、付いたあだ名が『荒い先生』」 「……先生としてどうなの?」 手厳しいご意見で。まぁ確かにその通りなんだけどね。 新井先生の授業は、もはや授業じゃない。休み時間に近いお絵かきタイムだ。 だからと言ってはなんだけど、僕は結構新井先生のことをそんなに悪く思ってなかったりする。 「先生としては、どうだろうね。でも良い人だと思うよ。 凄く稀に指導してくれるし、三ヶ月に一回くらいちゃんと授業してくれるし」 僕がそう言った所で、後ろから突然手が伸びてきて僕の首を軽く締めた。 後ろからやや凄みのある声が聞こえる。 「素直な教え子になってくれて先生は嬉しいよ。 それはそうと、倉木。お前が入学したての頃の作品が私の手元にあるのだが。 あれはコピーして全校生徒に配っても良いんだよな?」 「すいません。許してください」 「ま、めんどくさいからやらんがね」 一瞬物凄く嫌な汗を掻いたが、続く先生の言葉を聞いて僕は心の底からほっとした。 公開処刑は未だ健在のようである。これからは言動に気をつけなくては。 「あ、先生。この度入部させて頂きました、一年八組の桐ヶ谷です。 これからよろしくお願いします」 先程しそびれた自己紹介を、桐ヶ谷さんが話題転換も兼ねて切り出した。 まったりとした感じで、言葉を返す。 「おう、よろしく」 「初めまして、新井先生。僕は――」 「ああ、いいよいいよ」 「?」 次にレイ君が切り出そうとした所で、先生はレイ君の言葉を遮った。 補足のように、続けてこう言う。 「お前さん方はいいよ。よく小耳に挟んでるし。わざわざ改めて名乗らんでいい」 「はぁ……」 「んじゃ私は戻るよ。仕事、もとい昼寝をしなくちゃならんのでな」 そう言って、新井先生は美術室を後にしようとした。
扉をくぐろうとした所で、篠原さんが呼び止める。 「新井先生」 「? なんだ?」 「この場にいる全員の名前を言ってください」 「なんだ、疑ってるのか? 篠本、倉敷、増山、椿、西園、桐谷、エリックだろ? それくらい覚えてるって」 それが当然と言わんばかりに言い放って、先生は職員室へと戻っていった。 答えを聞いた篠原さんが、額に手を当てながら、僕達にこう言った。 「ごめんね。ああいう人なのよ……」 そう言って溜め息を吐く篠原さん。この場に居る誰もが、篠原さんに同情した。
続
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