第三章 五日間、六日間
「待ってくれえええええええぇぇぇぇぇぇ」 「うわっ! び、びっくりした〜」 「……ここは、どこだ?」 辺りを見渡す。清潔で真っ白な内装。カーテンに仕切られた間取り。 そして、すぐ横には胸に手を当てて、何度も深呼吸をしているレイの姿があった。 「驚かさないでよ。ちょっと前にうなされたかと思ったら、急に飛び上がって……。 君は僕の心臓を止める気かい?」 「す、すまん」 状況が理解出来ないが、驚かせてしまったのは事実なのでレイに頭を下げる。 レイは首を横に振った。 「それにしても、よほど怖い夢を見たんだね。今日の君のうなされ方は尋常じゃなかったよ」 「夢……?」 まさか、あれは全部夢だったのか……? いや、そんなはずはない。夢だったらどれだけ良いことか。 俺はこの身で感じたんだ。冷たくなった綾を。俺の腕の中で息を引き取った美影を。 思い出したくもない、あの血の気が引くような惨状を。 「ど、どうしたの? 凄く顔が青ざめてるけど……」 「あ、あぁ。大丈夫だ……。少し、嫌なことを思い出しちまっただけだから」 座っているのに、目眩がする。どこからか吐き気も感じられた。気分が悪い……。 どうにかなっちまいそうだ……。 「そ、そう。今、琴音さんがお医者さん連れて来てる頃だから。 それまで、少し横になっていた方が良いよ」 「琴音が……? あぁ、分かった」 座ってることすら辛くなってきた。 俺はレイとの会話を終えた後、力無くベッドに横たわった。
▲
その後程なくして、琴音が医者をこの部屋に連れてきた。 気分の悪さはだいぶマシにはなったが、俺はだるい身体のまま、医者の診断を受けた。 「精神的に参ってますね。それで、身体にも支障がきたされている。 しばらく安静にしていれば良くなるでしょう」 これが最終的に言われた言葉。器具を引き上げてから、医者はこの部屋を出ていった。
「大丈夫? はい、お水」 片手に紙コップ。そしてもう片方の手で、ポスターを口に当てているという、 器用な芸当をしながら、琴音は俺に水の入った紙コップを手渡してきた。 「おう……サンキュー」 琴音から紙コップを受け取る。 俺は水を一気飲みして、近くにあった小さいテーブルに空の紙コップを置いた。 「どう、調子は?」 レイが心配そうな顔をして、俺に問いかけてきた。 俺は極力心配させないように、気持ち明るめで答えた。 「も、もう大丈夫だ。ほらっこんなに元気だしよ」 「……まだ、安静にしてた方が良いね」 呆れたように息をつきながら、レイはそう言い放った。 やっぱ、虚勢を張っても見抜かれちまうか……。 「琴音さん。他のみんなは、あとどれくらいで来れるって?」 「えーっと、もうみんな来ると思う。少し前に、学校終わったってメール来たから」 壁に掛かった時計に目をやりながら、琴音はそう答えた。 「学校……? レイ、今日は何曜日だ?」 「今日は金曜日だよ」 「そうか……。俺は、6日も意識を失っていたのか」 俺がぽつりと呟くと、レイがキョトンとした顔で、俺の言葉を否定した。 「6日? え、5日の間違いじゃない?」 「は?」 何を言ってるんだ……? 俺が気を失ってたのは、6日で合ってるはずだ。 あの日はバイトがあったから、土曜日。で、今日は金曜日。 1日1日指折りで数えても……間違いない。6日で合ってる。 「琴音さん。僕、何か間違ってること言ってるかな?」 「ううん。レイ君の言う通り、5日で合ってるよ」 話が噛み合わない。 琴音まで5日だと主張してきた。でも、俺の記憶上ではどう考えても6日なのだ。 数え方が間違ってるのかとも思ったけど、どう数えても5日にはならない。 どうなってるんだ? 「レイ。今日は何月の何日だ?」 「えーっと……今日は、2月の……21日だね」 携帯のカレンダーを見て、レイはそう答えた。21日だとっ? そんな馬鹿な、21日は小明を助けた日……っ! (まさか、今まで見てたのは全部夢……?) さっきはそんなわけない、と流したが、そう考えると全てに辻褄が合う。 俺は確認のために、レイと琴音に一つ問いかけた 「なぁ、俺は綾に首を絞められた後。どうなったんだ?」 「どうって言われても。そのまま目を覚まさなかったとしか――」 「増田っ? 気がついたの?」 「良かった……。目を覚ましたのね」 レイが当惑気味に言葉を紡ぎ出していたら、 病室の扉を勢い良く開けて、倉崎と篠原が入ってきた。 俺の姿を見て、とても安心しきった表情をしている。 「あれ? 裕子。ひーちゃんと綾ちゃんは?」 「え? あれっ? さっきまで、後ろに居たのに――」 「っ!? 綾と美影が居るのかっ?」 「居たんだけど……。どこに行ったのか」 篠原の言葉が終わらぬ内に、俺はベッドから飛び降り、部屋を飛び出した。 後ろの方から倉崎の制止する声が聞こえたが、んなことはどうでもいい! (綾っ……! 美影……!)
▲
「大丈夫。彼ならきっと許してくれる」 「……」 誰も居ない廊下に佇む2人の少女。 彼が居る部屋はあと数歩も歩けば見えてくる。そこの角を曲がればすぐ。 でも綾は、そこから動こうとはしなかった。 「……」 言葉が出ない。美影にも何を言ったら良いのか分からなかった。 こんな状態で彼の元へ行ったら、それこそどうなるか……。 許してもらえるという保証もなかった綾は、 そこの角を曲がるということが、とてつもなく怖かった。 「増田っ! どこに行くの!?」 廊下に鋭く響き渡る声。 声が聞こえたかと思ったら、勢い良く角を曲がってくる人影があった。 「あ、綾……。美影……」
病衣のままで部屋を飛び出し、そのままのスピードで俺は最初の角を曲がった。 すると目の前には、あの時失ったはずの、綾と美影が……。 いつも通りの姿で、いつも通りに、そこに居た。 「あ、綾……。美影……」 自然と声が漏れ出る。 緊張の糸が解けたのか、腰に力が入らなくなって、その場に座り込んだ。 そしてその後、堰を切ったように、涙がボロボロと零れ落ちた。 「良かった……。本当に、良かった……」 「ど、どうしたの? いきなり泣き出すなんて不自然」 美影が慌てて俺の近くに駆け寄った。介抱するその手は、とても暖かった。 お前らが生きている。 そんな当たり前なことが、今の俺にとっては凄く嬉しいことなんだ……。 「綾は……? 綾はどこだ?」 滲んだ視界で、俺はもう一人の女の子を探した。
「良かった……。本当に、良かった……」 いきなり現れたかと思ったら、これまた突然に増田は大粒の涙を零して、泣き始めた。 「ど、どうしたの? いきなり泣き出すなんて不自然」 美影が綾の元を離れ、増田の介抱に向かう。 綾は状況が理解しきれずに、その場に立ち尽くしていた。 「綾は……? 綾はどこだ?」 名前を呼ばれて、ビクッと体が反応した。 増田はぎこちない動きで辺りを見渡している。どうやら、綾には気づいていないようだった。 「っ……」 彼の元へ歩きだそうとした。でも、足が動かない。 嫌われたらどうしよう。拒絶されたらどうしよう。 未だに恐怖している自分が居た。 ……いや、彼はそんなことはしない。 分かりきってはいたが、どうしても踏み切れなかった。 そう心の中で葛藤し、立ち尽くしていたら、 美影がこちらに向き直り、微笑みを浮かべながら綾にこう言った。 「大丈夫だから。私と、そして……彼を信じて」 その言葉が綾を動かした。 今まで、自分を縛り上げていた恐怖が取り去らわれ、綾は増田の元へと駆け寄っていった。 「優作……!」
辺りを見渡しても、綾は見つからなかった。 まさか、綾は……と、不安になりかけていた頃に―― 「優作……!」 自分を呼ぶ声が聞こえた。 聞き間違うはずもない。その声は紛れもなく、探し求めていた綾の声だった。 「あ、綾っ!」 「ごめんなさい……本当に、ごめんなさいっ」 綾は増田のことを強く抱きしめた。 自分が犯した過ちを、少しでも許してもらえるように。 強く、しかしどこか相手を思いやる、優しい抱擁だった。 (夢で……良かった) 心の底から俺はそう思った。 いくらラブレターを積まれようと、いくら多くの女子から告白されようと、 綾と美影が居ない世界だなんて、こっちから願い下げだ。 綾と美影がここに居る。こんなに嬉しいことはないっ……! 俺は、失いたくない、その一心で綾のことを強く抱きしめ返した。
続
|