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第三章 実験

 

 

 

 

などというある意味お約束なイベントをこなしながら、

ようやっと俺達は、昼ラッシュを乗り越えることが出来た。

今日に限っていつもより客の入りが良いんだもんな……。何の因果か知らんけど。

「ふぃ〜。お疲れさん」

「ん。お疲れ様」

このやり取りをすると、乗り越え切った事が再認識出来て、とても安心する。

ただお疲れ様と労い合う事が、俺の中では達成した証のように感じられていた。

「余分に下ごしらえしておいて良かった。珍しくお客さんがたくさん来てくれたから」

「確かに美影が下ごしらえしてくれてなかったら、もっときつかったかもな……。末永く感謝」

「す、末永くだなんてっ……。それ程じゃ、ない……」

「?」

今の言葉にそんな深い意味は無いんだがな……。

大して考えずにポロッと出ただけのものだし。

……さっきから薄々感じていたが、どうも美影の様子がおかしい。

ちょっとでもそっちの方向(どっちの方向?)へ持っていけそうな言葉を言ったら、

必要以上に反応するし。

手が触れ合ったのは今に始まった話じゃないのに、妙に気まずい雰囲気になるし。

切り方を教えてもらった時は……まぁこちらも動揺してたけどさ、

そもそも美影が引っ付いてくるのがいけないのであって。

……冷静に考えてみると俺が悪いのかもしれないが、

それを踏まえた上でも、今日の美影の様子はやっぱりおかしい。

平時の美影なら、まるで何もなかったかのように、全く気にも止めないのに。

しかし今日に限って言えば、まるで付き合いたてのカップルか、

初恋同士の淡い恋をしている男女のような…………待てよ。

(もしかして……試薬品Xか?)

存在を忘れかけていたが、

この一連の違和感とも言うべき美影の様子のおかしさは、試薬品Xのせいだとも考えられる。

ていうか試薬品Xのせいだな。断言。

だとするならば、美影も俺に対して少なからず好意を持ってるってことになるから……

うん、全部説明がつくな。

試薬品Xのせいだということが分かり、

胸のつっかえが取れた所で、俺の頭の中で一つの好奇心が生まれた。

(どれくらい、効いているんだろう……)

つまり、どれくらい美影が俺のことを好いているか、という実験。

試薬品Xの効果を確かめる意味でもある。

幸い、今ここには俺と美影しか居ない。

もし大事が起こっても、呼べば店長が駆けつけてくれる。

正におあつらえむきな環境。

……これだけ聞いたら、俺結構最低な野郎だな。

罪悪感も感じたが、溢れる好奇心に勝てるわけもなく、俺は実験を開始した。

「なぁ美影」

「なに?」

まずは普通の反応。ここから一気に攻め込んでいく。

「お前ってさ……結構可愛いよな」

「ふえっ? い、いきなり何をっ?」

力が抜けるような反応を見せてから、明らかに動揺し始める美影。

もう既に顔は真っ赤である。

第2波、行っきま〜す!

「髪はさらさら」

美影の髪を手で撫でる。俺の指は何にも引っかかることなくするりと通ることが出来た。

「透き通るような純白の肌」

そのままの手で美影の頬に手を当てる。

綺麗な白い肌に、ほんのりピンク色の紅潮した頬が映えていた。

この時点でもはや美影の耳には、俺の声はほとんど届いていないと思われる。

頬に当てている手からは、信じられない程の熱が伝わってきた。

「そんでもって、吸い込まれそうな程の綺麗な瞳。

オッドアイってのも、個人的にどストライクだ」

外見上、一番の特徴も忘れずに褒めちぎる。

ちなみに俺はこの実験をし始めてから、ずっと美影の目を見据えているのだが、

少し前から美影の目の焦点が合っていない。

付け加えて言うなら、先程から声ともならない声を出しまくっている。

ここまで動揺した美影を見るのは初めてだ。

普段は、冷静な美影くらいしか目にしないのでとても新鮮である。

この時点で大方実験は済んだのだが、

最後まできっちりと調べるために、俺は最後の攻勢に出た。

「もう我慢ならねぇ。なぁ、ずっと俺の傍に居てくれないか?」

「〜〜〜!!!???」

「危ねぇ! ……ちょっとやり過ぎちまったか?」

全く聞き取れない言葉を叫びながら、

美影は愉悦の表情を浮かべて、その場に倒れ込んでしまった。

ある程度身構えてはいたので、俺は何とか美影の体を支えることが出来た。

微妙に動いているので意識はあると思われるが、

強いて表現するなら、思考回路がショートしているといった所か。

俺は床に倒れ込ませないように、慎重に美影を手近な椅子に座らせた。

(試薬品X……。

なんと恐ろしい代物だろうか。あの美影をここまで骨抜きにしてしまうとは……!)

正確に言うと、美影を骨抜きにしたのは俺。責任転嫁も良い所である。

実験を終えて、満足な結果を得ることが出来た俺は、

もう一つ椅子を近くに寄せて、美影の前辺りに置いて腰を掛けた。

(美影には後で謝っておかないとな……)

 

 

 

 

 

 

「っ! ……私、一体どうして――」

「目、覚ましたか。……ごめんな、美影。少しやり過ぎちまった」

「やり過ぎ? ……っ!」

俺の言葉がきっかけで、どうやら思い出してしまったらしく、美影は再び頬を赤く染めた。

勘違いを防ぐために、もう一つ言葉を付け加える。

「でも、さっき言ったことは本心だからな? お前のことを可愛いと思ってるのは、本当だ」

「〜〜〜!!!???」

あれ? おーい、美影さん? 

あ……また思考回路が飛んでいらっしゃる。やべっまたやっちまった……。

うーん、今度から気を付けないといかんな。ことあるごとにショートされちゃたまらん。

「っ!」

あ、戻ってきた。

流石、2回目ともなると回復が早い。俺は今度こそ細心の注意を払って言った。

「ごめんごめん。悪気は無いんだ、許してくれ」

「べ、別に構わない……」

まだ微妙に顔が赤いようだが、またそこら辺突っ込むと過剰に反応しそうだからやめておく。

ひと段落した所で俺はある事を思い出し、

その事を聞くために、俺は目の前に座っている赤々しい女の子に声を掛けた。

「なぁ美影。綾がいつ頃帰ってくるか分かるか?」

「……何で?」

言った途端、美影は暗い表情になって冷たい口調で突き放すように答えた。

いきなりの変化に気圧されて、俺は少し焦ったように続けた。

「いや、何でって……。あの日のこと、謝らなきゃいけないからよ」

「……そう。綾なら、朝から調達に行っている。もうすぐ帰ってくるはず」

ほっとしたように美影は肩を撫で下ろし、久方ぶりに平常通りに戻って答えてくれた。

俺も望み通りの答えが返ってきたので、ちょっと安心した。

「そんじゃちょっくら綾に会ってくるわ。一刻も早く謝らなきゃ――」

「駄目っ!」

そう言って椅子から立ち上がったら、美影がいきなり大声で俺を呼び止めた。

予想していなかった返答に、俺はしばしそこで硬直してしまった。

そんな俺を見て、美影は動揺しながら続けた。

「あっあのっ。今のはそういう意味じゃなくて……。えっと……」

美影らしからぬ煮え切らない言葉。

でも言いたいことがありそうだったので、俺はもうちょっと待ってみることにした。

しばらくして、考えが纏まったのか美影は再び口を開いた。

「……明日も来てくれる?」

「ん? あぁもちろん来るぞ。明日もバイトだからな」

「……そういう意味じゃない」

質問に沿った回答を答えたつもりだったが、どうやらご希望通りの答えじゃなかったらしい。

美影は一度溜め息をついてから、話を続けた。

「もう、良い……」

「え、何か言いたいことがあったんじゃ――」

「なんでもないっ」

「?」

変な美影だ。どうにも煮え切らなかったり、話を途中で切り上げたり。

それからも、話が展開されそうな気配はなかったので、俺は再度この場を後にしようとした。

「……それじゃ。俺、もう行くから」

現在、午後5時ちょい前。バイト的にも上がる時間だった。

美影は俺を止めることなく、椅子に座ってずっと俯いていた。

 

 

 

 

 

 

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