第二章 違和感
あれから一時間程で、俺は目的地に辿り着いた。 途中で、早すぎても迷惑だということに気づき、寄り道なり何なりをして来た。 用心な俺はどこにいったのやら……。 「こんにちは〜」 元気よく挨拶をする。 するとカウンターの方から爽やかかつ、威勢の良い挨拶が返ってきた。 「いらっしゃいませー! って増田君? どうしたの? まだシフトの時間には早いようだけど……」 「あはは、少し早起きしすぎちゃって。それで、家に居ても暇なもんでここに」 照れくさそうに笑いながら理由を説明する。 ほとんど嘘だったが、まぁ当たり障りないから問題は無いだろう。 店長も最初は驚いた表情をしていたが、 理由を聞いてからは納得したように微笑んで、話を続けた。 「そうだったの。うん、そういうことなら時間までゆっくりしてて良いよ」 「あ、良いですよ。何もしないのもあれなんで、早めに入ります」 「そう? 本当にゆっくりしてて良いのに。ほら、今日は休日だからね」 そう言って店内を示す店長。 そういえば、ここは休日はあまり客入らないんだっけ。 常連さんのほとんどが仕事してる人だとか何だとかで。 店長も何だか複雑そうな顔をしていた。 「……でもまぁ、入るだけ入らせて下さい。もしもってことで」 「そこまで言うなら止めはしないけど……」 「じゃあ着替えてきますね」 そう言って半ば強引に頼み込み、俺は店の奥の方へと入っていった。 すると後ろから店長が大声で俺に言った。 「あぁそうそう! この時間は、『あくまで君が自主的に』頼み込んできたことだから、追加給料はあげないよ〜」 「……」 わざわざ大声で言うことじゃねぇ……。しかも俺が自主的にを強調して……。 確かにそうだけどさ、なんというか、店長は付け入る隙が無いよな……。 抜かりが無いと言えば聞こえは良いけど。
店長に対しての、感心と不満が入り混じった微妙な気持ちを抑えながら、俺は着替えを終えた。 (あ、そうだ。綾のこと聞かなきゃ) ふと思い出し、俺は店長の居るカウンターに向かっていった。
「店長。綾がどこに居るか知りませんか?」 後ろから話しかける。 店長は振り向いてから、少し考えるようなジェスチャーをして答えた。 「えっ? 綾かい? えーっと、確か今日は調達の日だったかな? 夕方には帰ってくると思うよ」 ここには居ないのか。そういうことならしょうがないか。謝るのは帰ってきてからだな……。 「そうですか……。ありがとうございました」 俺は店長に軽くお礼を言ってから、その場を後にした。
謝罪が夕方に回った今、俺は本格的にやることがなくなってきた。 店は閑古鳥だし、さてどうしたものか……。 (厨房にでも行くか? もしかしたら美影が居るかもしれないし……) 何かやることは無いかと、俺は美影が居ると思われる厨房に向かっていった。
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厨房に入っていくと、そこには俺の予想通り美影が居た。 調理台に向かって何か作業をしている。 下ごしらえだろうと予想しながら、俺は美影に声を掛けた。 「よっ美影」 「ひゃうっ! ……お、驚かさないで」 悪戯心で声を掛けながら肩をポンと叩いたのが悪かったのか、 美影は妙に過剰に反応しながらこちらの方へ振り向いた。 肩で息をしていることから、相当びっくりしている事が分かる。 ちなみに今日は呪縛布は着けていなかった。綺麗な黒瞳と碧眼が俺を見据えている。 「悪い、そんなに驚くとは思わなかった。邪魔しちゃったか?」 「別に……。時間があったから余分に下ごしらえしてただけ」 予想は大当たり。まぁそんなことはどうでもいいんだが。 「そういえば何でこんな時間に? まだ時間じゃないはずだけど……」 厨房に備え付けられた時計の方に目をやりながら、店長と同じ質問をしてくる美影。 俺は同じ返事を美影にも返した。 「そう。ここも暇なことには変わらないわよ?」 「そうか? お前が居るだけで、だいぶ状況が違うと思うがな」 「! そ、そうかもしれないけど……」 美影が顔を赤らめて俯きながらもじもじし始めた。 割と普通に返したつもりだったが……。 俺、何かマズいことでも言ったかね? しかしそのことについて言及してもしょうがないので、俺は話題を変えることにした。 「そういえばで言ったら、お前何でここ最近学校に来なかったんだ? それを言ったら綾もだが」 今も尚俯いている美影に問いかけると、 今度は俺とは視線を合わせないようにしながら、とても小さな声で美影は答えた。 「……行きたくなかった」 「行きたくない? 学校にか?」 無言の頷き。 そんな素振り全然見せなかったのに、一体美影に何があったのだろうか? ……まさか 「ひょっとして俺のせいかっ? 俺が綾を怒らせて、お前にも迷惑を掛けたから――」 「ち、違うっ! あなたのせいでは、断じて、ない……」 だったら何だというのか。俺にはそれぐらいしか心当たりが無かった。 記憶をどんなに手繰り寄せてみても、 俺には美影が不登校になるような出来事は思い当たらなかった。 「ま、まぁ悩みとかあったら遠慮せずに言ってくれよ? 出来る限り力になるから」 「ん。分かった」 美影は小さく頷き、了承の意を示した。 情けない話だが、俺にはこれぐらいしか出来ない。 何とか解決してあげたかったが、これ以上成す術が無いのも事実だった。
その後、ポツポツと会話をしていたら、店長から調理の要請が来た。 どうやらお昼時に突入したらしく、この要請を皮切りに、どんどんと注文が増えていった。 平日の昼程じゃないにしろ、俺と美影は注文された料理の調理に追われていった。 慌ただしく調理している最中の出来事……
(えーっと、コーンスープに煮込みハンバーグか……。確か、どっちも材料はあそこの冷蔵庫に) 記憶を頼りに材料があると思われる冷蔵庫に近づいて、俺は取っ手に手を掛けようとした。 するとその時―― 「「あっ……」」 美影と手と手が触れ合ってしまった。すぐに俺も美影も手を引っ込める。 そして、何だか気まずい雰囲気になる。 こんな事くらいはよくある事ではあったが、この時は妙に意識してしまって……。 俺らは2人共頬を赤らめながら、順番に冷蔵庫の中にある材料を取っていった。
PART2。 「美影。刺身ってどういう風に切るんだっけか。確かこれだけ特殊な切り方があったよな?」 入った当初辺りにみっちりと指導されたのだが、 しばらく刺身の注文が入ってなかったので、すっかりやり方を忘れてしまった。 こんな忙しい時に悪いな、とは思ったが、適当に切って出すわけにもいかない。 俺は迷惑を掛けることを承知で、美影に助けを求めた。 「前にあれだけ教えたのに……」 「面目無い……。こうだったっけか?」 微かな記憶を頼りに、ひと切れだけうろ覚えで切ってみた。 「違う。包丁と指で身を挟むようにして……こう」 隣で美影が見本を見せてくれる。俺も見よう見まねで、もうひと切れ切ってみた。 「包丁と指で挟む……こうか?」 「もう根本から違う。……」 「? 美影?」 もう見ていられなくなったのか、美影が包丁をまな板の上に置き、俺に近づいてきた。 そして……。 「まず持ち方が違う。こうやって、人差し指を包丁のみね部分に並行するように置いて――」 (ちょ、ちょっと! 美影さんっ?) 俺の背中の方から手を回して、わざわざ手まで添えてくれて、丁寧に指導し始めてくれた。 傍から見たら、美影が後ろから抱きついているように見えるよね〜、これ。 凄く柔らかな感触が、俺の背中を中心として感じられた。 そのせいで俺は全然集中することが出来ず、 美影が指導してくれている言葉も、右から左へ流れていってしまっていた。 「……聞いてる?」 「き、聞いてるよ。ただ……」 俺、女の子には嘘つけない人なんです。 正直に、でも直接的に言うのも俺が変態みたいなので、含みのある言葉を盛り込んで返す。 しかし美影は、たったそれだけで全てを理解したようだった。 「! ……あ、後は私がやるっ。あなたは野菜炒めを作ってて……!」 と言い放ち、美影は顔を赤らめながら俺から離れていってしまった。
続
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