第五章 使えるのなら友でも使え
「ありがとう……柊さん。本当に、ありがとう」 「え、ええ。どういたしまして……。とりあえず、落ち着きは取り戻した」 「おお、そうか。鈴本、何か言ってたか?」 「ありがとう、と。あとは何も」 あれから数分後。 柊さんが言うには、どうやら鈴本さんに落ち着きが戻ってきたらしく、 暇を持て余していた増田が真っ先に反応した。 「ねぇねぇ! この距離って聞こえる?」 「き、聞こえる」 落ち着きを取り戻した鈴本さんが、今度は違う意味で落ち着きを失い始めていた。 凄く嬉しそうな顔をしながら、柊さんから少し顔を離して何かを言っている。 「え、じゃあこの距離は?」 今度は完全に体を離し、おおよそ一般的に話すような距離で何かを言っている。 「だ、大丈夫。自然に聞こえる」 「じゃあ、この距離は!?」 お次は部屋の壁に張り付き、この部屋の中では柊さんと最も離れた位置で何かを言う鈴本さん。 「まだ大丈夫」 「この距離は!?」 ついに部屋を出て廊下の奥の方へと行ってしまった鈴本さん。 柊さん以外の人達は、一体二人が何をやってるのか全く分からない状態が続いている。 「そろそろ、危ない……」 「そっかー。それじゃあ最後! この距離は!? 柊さん!」 もはやどこに行ったのかすら分からない。……変な所行ってないよね? 「ぎりぎり。それ以上は聞こえない……」 謎のやり取りを終え、鈴本さんがこれ以上無いってくらいの喜びの表情を浮かべ、 悠々と部屋に戻ってきた。よく分からないけど、お疲れ様。 「柊さん、これからも仲良くしてくれる?」 「も、もちろんそのつもりだけれど――」 「ありがとう! これからは柊さんの事、『ひーちゃん』って呼ぶね!」 「ひ、ひーちゃん?」 「……だめ?」 「い、いや構わない……」 「ありがとう! ひーちゃん! 私の事は好きに呼んでくれて構わないからね? これからもよろしく!」 「わ、分かった……。こちらこそ、よろしく」 「「「「「……」」」」」 随分と長い間二人の世界が構築されていた。 その間僕らは呆然とするしかなく、 ただただ満面の笑みを浮かべハイテンションな鈴本さんと、 状況を理解し切る事が出来ず、半ば困惑気味な柊さんを傍観していた。 「なぁなぁ、倉崎。……聞こえるか?」 増田が盛り上がっている二人に気づかれないように、 うまく二人の隙を突いて僕に耳打ちをしてきた。 「いや、申し訳ないけど全く……。他の人達はどうなんだろう?」 「ちょっと待ってろ」 増田が同じく傍観に回っていた三人の元に近づく。 そして、それぞれに僕と同じように耳打ちをした後、僕の所に再び戻ってきて、こう言った。 「みんな同じ答えだ。そもそも今二人が何をやってるのかすら分からんらしい」 「それは僕らもでしょ?」 「そういやそうだったな」 僕らが耳打ちでしばらく密話をしていると、 この間に鈴本さんの心情が落ち着いてきたらしく、気づいた時には柊さんから離れ、 今さっきまで居た所に戻っていた。 「まぁとりあえず聞こえる聞こえないはこの際後だ。 それよりも、鈴本が上機嫌な今なら落とせるかもしれん……!」 そう呟いたと思ったら、増田は即座に城の攻略を再開した。 「あ、その前に……。美影美影、ちょいこっち来てくんね?」 「? 何?」 疑問を投げかけながらも、柊さんは増田の近くに腰を落ち着けた。 なるほど、伝令係ね。 また話を聞いてないとか言われて、さっきと同じ展開になることを防いだか……。 今回は意外と頭を使ってるな。 僕が感心していると、その間に増田は柊さんへの説得を終えたらしく、 心強い仲介役を得た増田は攻略戦を開始した。 「鈴本〜。さっきの話の件なんだが……。お前も一緒に来てくんねぇか? ほら、どうせ学校側に居たって、お坊さんの修行のような淡々とした巡礼しか無いんだぞ? 対して俺らの方は完全なる旅行だ! 楽しさは保証する!」 「……魅力的ではあるけど。 さっきも言ったように、その独自の行動が原因で、怒られるのが嫌なの。 だから私は行かない」 「……ふむふむ。そこを何とか頼むよ! 美術部には迷惑かかんないようにするからさ!」 言わなくても大体分かると思うけど、 増田と鈴本さんの話が成り立っているのは、100%柊さんのおかげである。 こうして見ると随分コミュニケーションが取りやすくなった。 「そうは言っても……。 なんのメリットも無いんだもん。今のところデメリットぐらいしかないし」 「……そうか。んじゃ交換条件だ。 この話に乗ってくれたら、そうだな……美影を一日好きなように連れ回してくれて良い」 「……私は、あなたの私物じゃない」 いきなり取引材料として使われた柊さんが、不満の声を上げる。 言われた増田は、落ち着いた面持ちで柊さんをも説得にかかった。 「そう言うなって。これはお前にとっても悪い話じゃない。 同学年の女の子と一日中遊ぶっていうのは、とても自然な事だとは思わないか?」 「確かに……。言われてみれば……」 それで良いんだ……。柊さん、うまく言いくるめられてるよ? 軽く柊さんを論破し、再び鈴本さんに向き直る増田。 「ほれ。了承も得た所で、これならどうだ? 鈴本」 「うーん……」 「……ほう。そんじゃ今日は特別サービス! 乗ってくれたら、修学旅行中は倉崎をいじり倒して良し!」 「えっ!? ちょ、何を勝手に!」 増田がいきなり僕を指差し、満面の笑みで話の引き合いへと出してきた。 柊さんの次は、僕を交渉材料にピックアップしてきやがった、この野郎! 「……。乗った」 「……よし。お前なら分かってくれると信じてたぜ」 増田と鈴本さんが力強く握手を交わした。 どうやら交渉は成立してしまったらしく、 僕は撤回が出来ないまま、交渉自体が終わりを迎えてしまった……。 もうどうしようもなくなった僕は、肩を落とし半ば諦めも入りながらうなだれた。 「ふむ、これで後は綾と美影か。 ……そうだな、お前らの返事はまた後日で良いよ。今日はもう遅いしな」 増田が示した通り、時刻はいつの間にか6時を過ぎていた。 随分と長い間、話し込んでいたもんだ……。 僕らは増田の言葉を受けてから、それぞれ帰り支度を始めた。
続
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